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自詠の書(書道)コミュの書について思うこと(雑談トピ)

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書についての疑問や、面白い話、作品をつくる上で考えること、悩んでいること、もしありましたら何でもどうぞ^正解はないかも。

コメント(4)

漢字かな交じりの書、というジャンルについて。
以前から指摘されていることなんですけど、もともと日本語は漢字とかなを使って表記するのが基本なので、そんなジャンルを立てなくても、もともと漢字かな交じりの書を書いてきたわけです。つまり今のジャンルでいえば「かな」というジャンルで事足りる。

変体仮名や、草書などが読めない一般人のために、書くのは平易なひらがなと楷書、行書の漢字。ということなんでしょうが、実際に、それで一般人(という言い方も失礼だと思うけど)は、親しみを深めて、書展に足を運ぶようになったんでしょうかねー。ここのところは誰か調べているのか?笑
むしろ今風に、かなは変形ローマ字で書くとか、くさび型文字でも使うとか、21世紀の新しい変体仮名でも採用したらどうだろうと思うんですよねえ。見てくれる人のために解説を置くのはいいけど、見る人のレベルに合わせて作品を書いたら終わりでしょう、と思うんですよねえ。
漢字かなまじりの書は、現代の新書風として、流麗で古典的な”かな”と一線を画すためにつけられた名称なのでしょうね。
現代の書道は、”一般的な手習い”というより、”特別な習い事”になってきているように思います。一般の人には、古来からの書の鑑賞眼は期待できません。そんな環境下、書道作品の文字をどのように定義するかは難しい問題です。

1)人に感動を伝える言葉
これだと現代日常使われている言語、文字を使い”読める”のが筋でしょう。

2)絵と同義
読めなくても良い。書が源流の現代アート、抽象画ともいえる。
書道をやってない日本人からしたら、楷書行書以外は絵と同義だと思うし、ましてや外国人からしたら全てが絵でしょう。また、古典の漢詩も和歌も知識がなければ読めません。これも知識がない人からしたら絵と同義です。

しかし、文字が書いてある以上、読もうとするのは人情です。読めないのでは、いくら字が素敵でも感動がモヤっとしてしまいます。そういうわけで解説が置いてあるんでしょう。解説読んで「なるほど!感動した、いい書だ」っていうことも私はアリだと思います。

しかしながら、現代アートや抽象画などの絵と比較したらどうでしょうか。
これらには基本解説はないわけで、意味は鑑賞者の想像にゆだねられます。
書がこれらの絵と並んでアートだというなら、意味がわからないモヤモヤすら凌駕する書を創れるかどうかでしょうね。書道をやってない人にまで「え?これ何?意味が知りたい!」そう思われる作品を。

ただ、私見で申し訳ありませんが、私は書がこれら絵と勝負するには”平面に墨でかく”とう繊細で差がわかりにくい材料面に於いても、想像力のかきたてられ具合においても(言葉を書くので意味が明らか、単一言語で書かれる)においても不利な気がしてなりません。

それが所以で、世界的にワッと一部で取り上げられることがあっても、亜流のアートとしての認知なのかなと思ったりします・・・。

懐疑的ですみません。私は明確な答えはまだ出せず彷徨っている感じですが、文字を書く以上、絵のように見るだけの書ではなく、日常と乖離することなく、を信条に書きたいと思っています。
・・・そんなこと言うと漢字かな交じりの書に行き着く!?・・・。と堂々巡りですね(汗)
特別な習い事になっていることには同感ですね。書が平面芸術である以上、どこかで絵画と比較されるのもよくわかります。
おそらく、一般人の鑑賞側と制作側でも意見が分かれるのかもしれないですが。笑。

僕は単純でして、書は書の文脈だけで勝負すればいいと考えています。
乱暴に言ってしまえば、分かる人は分かるし、興味のある人は自然と書を学びます。もちろん、書をやっていない方に古来からの鑑賞眼を期待するのは無理でしょうし、それは仕方のないことです。しかし、書には書の文脈での発展や進化がたしかにあると僕は思うのです。そこを考えると、一般人が読めるか読めないかというのは、本質的な問題にはなりません。僕は現代アートや抽象絵画もよく観ますが、あれは具象絵画の発展の先に現れたものであり、いま芸大生が描くのは抽象画の方が多いそうです。それは絵画の文脈の中での芸術進化であって、一般の人がわかりにくいから具象絵画を描くべきだ、とは誰も言いません。(言わないはず。笑)
まあ、この考えでいけば、一般の人との乖離が進むかもしれませんし、書道文化が廃れるかもしれませんが、それなら滅びればいいと思うんですよね。極論ですが。笑。個人的には、どうしても美的に芸術的にゆずれない、草書を書きたい、変体仮名を使いたい、古代文字を書きたい、というときに大衆のために「読める書を書く」なんて無理です。笑。書は難しいから面白いのであって、誰でも簡単に書けて、読めて、親しめるから面白いのではないような気もします。

私見としては、絵画と書を比較するのはそもそも無理ということです。西洋絵画には書の文脈は何もありませんし、逆もしかりです。共通点はただ平面芸術であるという一点しかありません。むしろ、私が気になるのは、自省も含めてですが、新しい書や新しい言葉、書の文脈での進化というのはほとんど最近、見られないと思われることで。ここは一番の課題ですね。。

みなさんご存知かもしれませんが、中公新書『書とはどういう芸術か』石川九楊著は、私のぐだぐだ文あたりのことが、理路整然と書いてあっておすすめですよ。
色々ご意見を伺えてとても考えさせられました。ありがとうございました。

>書は難しいから面白いのであって、誰でも簡単に書けて、読めて、親しめるから面白いのではないような気もします。

こういう話を伺うと、歌舞伎や能などの古典芸能や、バレエや洋楽を思い浮かべてしまいました。
歌舞伎や能などの古典芸能も、知識がないと、すぐには面白さがわからないかもしれませんが、培われた妙技や艶やかさに圧倒されて興味が湧いてきます。
古典バレエも話は古臭いけど、踊りにはうっとりします。特に主役の踊りはオーラが違います。洋楽だって、言葉はわからなくても、声やメロディーやリズムにうっとりすることがあります。私の場合、音楽の好き嫌いはまず音です。いくら歌詞が素晴らしくても音が好きでなければ2度と聞く気になれません。

これらの演技、踊り、音(声)が書でいうところの”線質”、物語や歌詞は、書の内容というところでしょうか。
私の場合、好き嫌いの基準は、やはりまずは五感に訴えるものになります。そういう意味では書の内容は2の次なのかも、、、。

一方、線質を鍛えるため古典をやり続けると、技術は身についても、逆に古典から外れられなくなるというジレンマに陥ってしまうということも考えられます。
まあ、私の場合、まだまだ全然ジレンマに陥るほど古典をやってるとはいえませんけど(笑)。

バレエでも最近は、クラシックバレエに対し、コンテンポラリーバレエというのがあります。新しいバレエの潮流です。クラシックを会得していない者は、コンテンポラリーは踊れないそうです。(上手下手がクラシックより明白です。)

書道もよく似ていると思います。いつかコンテンポラリーバレエのように、新しい書の潮流ができればステキです。「新しい書を創りたい!」と熱〜い思いに駆られ、毎日研鑽を積まずにいられない人にしかできないことでしょうね。

私も以前、おすすめの石川九楊氏の本を読みましたが、今もう一度読むともっと面白く読めそうです。

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