ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日本建築・美術館ミニガイドコミュの熊本県/八代市博物館/伊東豊雄

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
思えば伊東豊雄の快進撃はここから始まったような気がする
熊本アートポリス(当時の熊本県知事細川護煕と建築家磯崎新がプロデュースし推し進めた建築的街おこし運動!?)の作品
この後、消防署、老人ホームと八代市での仕事が続くようになる

コメント(16)

見ていて楽しい建築です 鶴が羽を広げたようなイメージがあります
レム・クールハースが伊東豊雄のことをこう云ってるんですね

”アメリカのビールにはライトとレギュラーがある伊東はライトの方だ”と

クールハースもライトかというとそうではない気がする
そこがこのふたりの違いではないか

ある人はこう云った

”伊東は長野生まれだから海を見ないで育った だから乾式工法(左官など水を使わない)になっちゃうんだよ”

諏訪湖があると思うんだけど!!
ニィーボさん、ここはつっこむべきかどうなのか。
すみません関西人なんで、口がむずむずしちゃいますからいいますが、
諏訪湖って海ちゃうやん。

レム・コールハースがそんなこと言ってたのは知りませんでした。それって何杯飲んでも飲んだ気がしないってことでしょうか。それともいくら飲んでも酔えないってこと?

ぼくはこの建築、現物は見てませんが、雑誌の写真なんかを見る限り、そんなに軽いか〜と思いました。全然ライトに見えない。実際はどうなんでしょう。
>諏訪湖って海ちゃうやん。
ホンマや 潮吹いてるから海かと思った!(間欠泉!?)

>それって何杯飲んでも飲んだ気がしないってことでしょうか。それともいくら飲んでも酔えないってこと?
座ぶとん一枚です!

>そんなに軽いか〜と思いました。全然ライトに見えない。
軽いというより 乾いているという感覚でしょうか(そうするとビールはドライということに!?)
>ニィーボさん
またつっこみどころをつくっていただきありがとうございます。
ドライは辛口ちうことやん! いやいや、失礼しました。
乾いている、ですか。なるほどなんとなくわかるきがします。

ぼくは個人的にはせんだいメディアテークまでの伊東豊雄さんの作品には興味がありません。それは彼が建築が刹那的で消えてなくなってしまうような作り方でいいんだ、という(ちいとニュアンスが違うかも)言葉に対して、できているものは明らかに構築的に見えたからです。そういう意味では妹島さんの方がより華奢で彼よりも上手い感じがしました。
最近はセシル・バルモンと出逢ったこともあってか、ようやく彼の思想を表現でき始めたような気がしています。
ですが、乾いている、という言葉はちょっとはっとしました。
夏休みに九州旅行をしたのですが、博物館、消防署、老人ホーム、あとギャラリー8も行きました!老人ホームとギャラリーは中に入っていません。

駐車場からアプローチしたので、あれっあの丘は?といううちにエントランスに到達してしまいました。 天気が良くて芝生がとても綺麗でした。
駐車場側から見るとどっしりした建物で、通り側から見ると丘の上に建っているみたいで、ファサードのギャップが大きかったです。
建築は、なんだか中にいても屋外にいるような感覚でした。

私もメディアテーク以降の伊東さんの作品の方が好きです。
>ファサードのギャップが大きかったです。
>建築は、なんだか中にいても屋外にいるような感覚でした。
>私もメディアテーク以降の伊東さんの作品の方が好きです。

なるほど僕も伊東さんの建築はどこか余りの部分(手をつけない部分)があるような気がしていて好きではありませんでした
昔の伊東さんは妹島さんのチカラが大きかったのかと思えるし、いまも妹島さんの影響は大きいかもしれませんね
saeさんの人の写っている写真にホッとしました(僕が撮ると人を避けてしまうので)

>乾いている、という言葉はちょっとはっとしました。
出所のナイ僕のことばです、クールハースはまた違うニュアンスのことを言っているようです

〜語弊があるといけないのでクールハースの言葉を転記します
(JA Library2 TOYO ITO 新建築社から引用)

アメリカには、2種類のビールがある。レギュラー---普通のビール---と、ライト---低カロリーのビール---である。

建築においても同じことが言えるのではないだろうか。つまり、ひとつは重々しい意志や自我、意志の力を内在するレギュラーな建築が存在する。それは不安感を起こさせる(あるいは、それ自身が不安感によって発生する)。

ふたつめはライトな建築である。それは、それほど重苦しい野心を持ち合わせていないにもかかわらず、絶え間なく変化するわれわれの都市に適応、あるいは反応するという意味においては、その効果、影響力、可能性は絶大なものがある。ライトな建築はデゥルーズの言う意味で、遊牧民的で私的(公的でない)である。

おそらく伊東豊雄氏はこのタイプ---ライトな建築---の代表的な人であろう。彼は、他の人たちが「重々しい解決手段(重火器)」を必要とするようなプログラムや条件に遭遇しても、優雅に手を加えることでそれに対処し、成功をおさめている。
他の人たちが途方もなく苦労して消滅の美学を展開しようと努めているのに、伊東氏は周囲に多大な影響を与えながらいとも簡単に消え去ってしまうのだ。
妹島さんってやっぱり偉大な方なんですねー。

現地でレンタカー借りて6人で建築巡りしたのです(とは言ってもほとんど観光でしたが)。写真に写っているのはそのメンバーです。こんなとこにアップして本人たちに知られたら怒られるかもしれません!
私が撮った写真にはほとんど同行者が写っているのでなかなかアップできるものがありません…。でも人が写っている建築の写真って、建築が使われている、あるべき姿のような気がして、ついつい撮ってしまいます。建築を作品としてではなく、場所として見たいと思っているのです。

こんな場所に、素人意見ですみません…
>ニィーボさん
コールハースのコメント、興味深く読ませて頂きました。
ノマドってちょっと懐かしく聞こえました。最近こういう言葉と縁遠くなってしまった。
これって、伊東豊雄にではなく、自分のことを言っているようにも読めるんだけど、どう思われますか?
そうなんでしょうね
いま伊東豊雄がある意味世界とたたかっている日本人一番手かもしれませんね(安藤さんはもうやることが確立してしまっているので)
ピーターズントーの講演会(アイカの、ビデオで見た)にもズントーのケルンの現場に伊東豊雄が訪れている写真が何枚もでてきました お互いを認めてるんでしょうね

>こんなとこにアップして本人たちに知られたら怒られるかもしれません
ジュース飲んでる最中に写すな!っていわれるでしょうね(右から2番目の方に)

>建築を作品としてではなく、場所として見たいと思っているのです。
本質はそこにあるんだと思います 建築は絵画ではないわけですから(なんて言うとかおるさんから反論がありそう!!!)
ぼくも建築は単なる「場」に過ぎないと思っていました。今も基本的にはそう思っています。
例えば歴史的にも建築家が提案してきたものが一体どうなっているのか。ピロティはどう使われている? コミュニティの場所として提案した共有空間は有効利用されているか、などを考えると必ずしも提案通りにはなっておらず、むしろなにも提案がなかった方がよいのではないかと考えられなくもない。
そういう意味では建築は芸術だ、というのは単なる建築家のエゴではないのか、と考えていた時期が長くありました。
でも最近は少しずつ考えが変わって来始めた。
建築はもちろん絵画ではないけれど、たとえば「空間」というものが芸術になりえるかとなるとこれはもちろんイエスだと思います。ミニマルアートなんかがそうであるように。
芸術の定義というとむつかしい話になりますが、誤解を恐れず大胆に言うと「人にある感情を沸き立たせる表現」と考えると、建築は芸術と言ってしまいたい、とも思い始めています。
表現する立場にあるわれわれとしては、単なる「場」でしかないというのもちいと辛い話かな、と。
そうですね ひとりで建築と向き合いそこに佇んで風を感じたり光を感じたりする行為としては建築は芸術として成り立ちますよね 

ただ建築の本来の意味というのは建築が単なる箱<ハード>ではなく、そこで行われるいとなみや関係性<ソフト>によって意味を成す、つまりふたり以上で成り立つものであるような気もします

もちろん芸術も一人称ではなく作品とのふれあい(関係性)が存在するとは思いますし、ひとりでの暮らしというものもいとなみとしてあるわけですが

どうとらえるべきなのでしょうね 
建築としては両方存在すると分けて考えてしまっていいものでしょうか?
いやぼくの目指すものはもしかしたらそれらが一つになった形かもしれない 人と人との関係が芸術のなかに存在する それこそ建築

(自問自答が1時間もかかってしまったのでこの辺で休憩!?)

(pinkoさんあまりむずかしいこといわないでください頭がこんがらがります!!)
ニィーボさん、すみません。むつかしいつもりじゃなく、ぼくの考えがまとまっていたかったので、混沌とした内容だったのでわかりにくいのは当然だと思います。

ニィーボさんの出して下さった「関係性」という言葉がとても重要ですね。
写真は有名なドナルド・ジャッドの「無題」ですが、(ちうより彼の全作品は「untitled」)ある人によると、箱が作品なのではなく、箱と箱の隙間が作品なのだといいます。つまり空間が作品だということでしょう。関係性ですね。

建築をもし芸術と言ってしまうのならば、自立した建築というのはやっぱり(特に現代では)建築とは言いにくいでしょうね。人がいて初めて建築空間が成立する。

もんのすごく簡単に言っちゃうと、本当に単なる場でしかないんだったら、やってらんなーい、ちうことですけれど。
箱がひとつだと単なる箱になってしまいますものね
人がいて初めて建築空間が成立する
その通りだと思います

ぼく自身あんまり議論するの得意でないのでお手柔らかに(笑)
すみません、「場」という言葉は語弊があったかもしれません。
失礼しました。
お二人のやりとり、興味深く読ませていただきましたー。
saeさん、全然語弊はありません。場とは単なる場ですよ。
saeさんが書いていた意味と同じだと思います。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日本建築・美術館ミニガイド 更新情報

日本建築・美術館ミニガイドのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング