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I LOVE 丸子川コミュの桜の名所、または付近のお話し

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コミュを多少なりとも盛り上げる為に桜の名所、またはその付近に関するお話しを致します。また、地域の歴史などを知ってもらう意味合いも含めてお話しをしたいと思います。


最初は、「砧公園」です。

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砧公園の近くに変わった場所がある。
地図で見ると分かるのだが、妙な道路の形状がある。

東名高速道路と平行に直線の道があるのだが、急に半円を描くように道が曲がり、再び直線になる。あえて場所は示しませんが、ご興味がある方はお探しください。

この迂回させている理由は、そこに第六天のご神体とご神木があったからです。今はご神木のみです。


この辺り、昔には第六天の森と言われた。
第六天は仏教の他化自在天で、欲界六天の最高所。ここに生まれた者は、他人の楽しみを、自由に自らのものとすることができるという。この楽しみから、仏教の清浄な教えの妨げになるという話しもあり、魔王と言われている記憶があります。

織田信長などは信仰を行いましたが、豊臣秀吉は威力を恐れて西日本では信仰の対象にはならなかったと言われて、僅かに東日本にあります。

それが、この岡本の地域の森にありました。

多少、世田谷の民話からお話しをしますと、第六天の森では草木一本たりとも切ってはいけないと言い伝えがありましたが、幕府からのお達しで森の横道を広げる事になった。当然、謂れがあるので、村民は変更をお願いしたが認められずに、工事となった。

だが、村人達が斧や鉈で一斉に伐採をしようとした所、次々とその道具によって怪我をしてしまった。この奇妙な事があってからは幕府も諦める事となりました。


近代においても数多くの神罰が語られています。コミュの管理者は臆病なので書きませんが、いろいろとあります。

昭和39年9月には、区画整理の都合でご神体は岡本八幡神社の境内移されました。この時には二日の遷宮祭りを行い、ご神体の石碑は鐘や太鼓で賑やかに送られたそうです。

江戸時代に幕府が手を出せなかったように、現代の世田谷区役所でも一切を手を出さずにわざわざ道を曲げて迂回をしている。

砧公園に訪れる際には、よくよくゴミなどや草木などを痛めないようした方が宜しいかもしれません。その代わり、あなたも岡本周辺(正確には岡本1丁目)を守護し続けるのでしょう。


次回は、玉川東陸閘です。

コメント(24)

玉川東陸閘。

場所は二子玉川周辺の多摩川沿い辺りです。
陸閘(りっこう)とは、一部が開閉式の堤防の事を言います。

多摩川は、昔から河川の氾濫が著しく、一度氾濫を起こせば周辺の村々を襲い、中には東京と神奈川に村が分断される事もありました。

何度か、このような氾濫が起きる中で、当然として行政への陳情を行なっていたが、なかなか工事が行われる事がなかった。その中で起きた河川氾濫で川崎側が酷く、とうとうアミガサ事件が起きる。しかし、東京府側からの反対も起こり工事が行なわる事がなかった。

とうとう、神奈川県の有吉忠一知事が自身の退路を断ち、人々の為に工事を決行した。これが契機で国も動かされて、東京側、神奈川側の「多摩川改修工事」が行なわれる。


だが、二子玉川周辺では反対活動が起きる。

ここで、二子玉川の歴史を書きます。
二子玉川は、今も昔も人々魅了して、多くの人々を集めていました。近年までは、多摩川の鮎が名物として、鮎漁が行なわれて、屋形船や、その鮎を食させる料亭街がありました。玉電も遊園地を二つ作ったり、兵庫島の開発を行なったり、料亭街と共に多摩川花火大会を開催したりと、今よりももっと賑やかな一大観光地でした。

その料亭街の多くが多摩川沿いにありました。その為、川辺に建ち並ぶ料亭などから「眺めが悪くなる」として合意が得られず、料亭街をのぞいた形で堤防が築かれ、いざという時の脱出経路として手動で開閉ができる堤防ができることになったわけです。

また、この当時に全盛であった玉泉亭があり、ここは昭憲皇太后がお成り(出かける)の由緒ある料亭である事から、このような許可が得られたそうです。

以上、玉川東陸閘の歴史でした。


■玉川東陸閘の開閉式の箇所(GoogleMapの画像で重いです)
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=%E4%BA%8C%E5%AD%90%E7%8E%89%E5%B7%9D&layer=&ie=UTF8&z=18&ll=35.611081,139.628114&spn=0.00198,0.004297&t=k&om=1

今年の花見は「玉川東陸閘」で行って見てはいかがでしょうか?花見の場所は、開閉箇所から東南方面、第三京浜に向う側にあります。
上野毛自然公園。


上野毛自然公園は、上野毛駅を下車して多摩川方面へと向かう道の途中にある。

上野毛には古く、恐らくは室町時代(または鎌倉時代)に世田谷吉良家の家臣と共に住み着いたのか、または以前からの土豪なのか不明だが、この地の名家に田中家という者がおります。

旧地名で、筑後丸というのがあるが、丸は城郭的な意味を示す際もあるが、ここに城が在ったと言う記憶は無いので、田中家の屋敷があったという意味あいだと思われます。それでも、武家の屋敷ですから、多少なりとも掻上か柵などは施されていたと思います。掻上とは、地面に穴を掘って堀として、その掘った土で土塁を作ることです。簡易的な物が戦国の時代にはあったかもしれません。

1590年に豊臣家が小田原城包囲した際に、南下してきた北陸軍の前田利家により世田谷城は開城され、世田谷吉良家は幕を閉じました。田中家は、この頃に土着帰農したと思われ、江戸時代には名主として活躍し、現在でも、この地に暮らしております。

この田中家の当主。恐らく明治時代であろうが、趣味で傾斜地に庭園を作り出した。当時の庭園がどのようなものであるのかは分かりませんが、この庭園が今日の上野毛自然公園となったのです。

一度訪れると分かりますが、かなり規模の大きい公園です。
このような公園が個人の私物だったとは恐れ入ります。

当時には「旦那の山」と言われていたそうです。たいしたものです。


余話ですが、この上野毛には昭和天皇も宿泊した事がありました。
これは、1921年11月。関東地方西南部と甲・信・駿などの中部地方東部を舞台として、数ヶ師団が参加した陸軍大演習が展開されたました。その最終攻防演習が、多摩川左岸台地(東京)に拠る防御軍に対して、夜間の闇を利用して、多摩川右岸平野に展開した攻撃軍が、黎明と共に多摩川を渡って攻撃するものでした。

当時、摂政宮だった昭和天皇が、上野毛の田健次郎男爵の別邸に宿泊をしたという事です。

尚、このときに工兵隊が多摩川に架けた橋が一般の人も利用するようになり、これが契機となり本格的な橋の建設となったそうです。


この上野毛自然公園は、国分寺崖線の傾斜地を利用して作られておりまして、桜の名所は、その国分寺崖線の上にあります。

■上野毛自然公園
http://maps.google.co.jp/maps?f=l&hl=ja&q=&near=%E4%B8%8A%E9%87%8E%E6%AF%9B2%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%91%EF%BC%97&layer=&ie=UTF8&z=18&ll=35.610073,139.63608&spn=0.00198,0.004297&om=1
玉川野毛町公園


玉川野毛町公園で有名なのは、大塚古墳です。
大塚古墳が有名なのは、南関東でも最大の鉄製武具が発掘された事です。また、古墳の規模も大きく、最大級の帆立貝式前方後円墳です。

単純に、この野毛周辺に古代の南関東の王がいたと考えてもよいのだろうか。しかし、装飾武具ではなく、実践的な武具の多さから軍人であるとも推測されています。

どちらにしても、ここから数キロも行かない所、多摩川台公園には東京でも5本の指に入る。前方後円墳が数基ありますので、この辺りか、川崎側の沖積平野に居たのかもしれません。

なお、南関東の王とは出雲の人のようで、古代関東には出雲の人々が暮らしていたようです。出雲の人が、なぜ関東に居るのか?この辺りは専門家にお任せを致します。


明治頃には、この大塚古墳の頂上部には吾妻神社が祀られておりまして、なぜだか、それが弾除けのご利益があるとされて、多くの軍人が訪れて、周辺には茶店までができたようです。

その後には、等々力渓谷に架かる橋でも有名なゴルフ橋、そのゴルフ橋は、この玉川野毛町公園の一体にゴルフ場が設けられた事による名残です。


ところで、江戸の時代には、世田谷は徳川四天王の井伊家の領地でした。井伊家と言えば、戦争となれば最初に先陣を切り、赤備えの徳川最強の騎馬軍団を持っています。恐らく、この辺りだと思いますが、その騎馬の牧草地が野毛に在りまして、その関係で野毛では井伊家に対する思いというのが厚いようです。

江戸末期に、桜田門外で大老井伊直弼が殺害されると、野毛の村では、今後は井伊直弼の殺害された3月3日にはひな祭りは行なわない、同様に五月の武者人形も同様に飾らないと決め、今後は井伊家と行動を共にすると決めたそうです。

官軍が江戸城へと攻め上る際には、この多摩川を渡河した辺りで宿泊をしたが、野毛の村には幕府軍に親しかった備前岡山藩の宿泊となっそうで、それは野毛の民の心意気に考慮したものだと言われている。現在では、名主だった家が、その伝統を守り続けているようです。

また、野毛にはディズニーアニメのような、お姫様のお話しもありますが、今回はこのぐらいで。


一日、一記事でしたが、場所により桜も咲き誇りそうなので一日二話で書きます。明日は、「等々力渓谷の不動公苑」、「九品仏浄真寺」です。


桜は、公園の園内に植えてあります。
場所は、等々力駅から徒歩で15分程度の所、環状八号線脇にあります。


■玉川野毛町公園
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=%E4%B8%96%E7%94%B0%E8%B0%B7%E5%8C%BA%E9%87%8E%E6%AF%9B1%E4%B8%81%E7%9B%AE25&layer=&ie=UTF8&z=17&ll=35.605341,139.64241&spn=0.00396,0.008594&om=1
みなさんのような大きなポイントではないですが、
丸子川特有?のミニスポット。

二子玉川駅から、新しくできたミニ商店街を抜けて
田園都市線沿いに歩くと、5分くらいで丸子川に突き当たります。
そこに10本に満たないけれど、立派な桜の木があります。
今日満開でした。

こんな小さな景色が丸子川のいいところかなと
勝手に思っています。
(ちなみにうちはその川沿いです)
丸子川って、意外と川べりに綺麗な桜が多いんですよね。
私は、第三京浜の西側に綺麗な桜があったのを覚えています。それと、玉堤小学校周辺と、田園調布商店街です。

この時期の丸子川沿いを自転車で走るのも気持ちいいかもしれない!
等々力の不動公苑

不動公苑は等々力渓谷内にあります。
正確には渓谷ではなく、等々力不動尊の脇です。

不動公苑は、さほどのお話しはないので、等々力渓谷にまつわる民話のお話しをします。等々力渓谷に流れる川。谷沢川は、昔には矢沢川とも書き、谷川とも書いたようです。

そして、読み方は「やざわがわ」だけなく「やざがわ」とも呼んだそうです。


この谷沢川のお話し。

その年は、春から雨の多い日が続きました。立夏になると早くも梅雨に入り、激しい風が世田谷の村々をおそいました。谷沢川沿いの用賀、野良田(現在の中町)、野毛、等々力でも川の水かさが増し、いつ溢れるかと村人達は心配顔でどんよりと空を見つめるのでした。

困っているのは村人だけではありませんで、この川筋に住んでいる河童の一族も、増水した水に川底をさらわれて、住処を流されてしまったのです。河童は仕方が無く、野良田と等々力村の境の崖下に穴を掘って退避をしていました。

6月の中旬のこと、雨が降り続く中、等々力村の娘ツヤがお使いの帰り道に谷沢川の土橋(丸太で橋を作る。そうすると、丸太と丸太の間に凹みができる。そこに土をかぶせて平らにした橋)を1人で渡りかけていました。ところが、雨水で重くなっていた土橋は真二つ折れて、娘は濁流に飲まれてしまいました。

この音を聞いた河童たちは、急ぎ激流に中に潜り、手分けして娘を探し回りました。溺れた娘を助け出したのは、河童の主の三郎でした。さっそく三郎は、仲間の河童たちに手伝ってもらい住処の穴に運び入れて、火をたき娘の着物を乾かして手厚く看病をしました。

ツヤが目を覚ますと河童たちは喜んで、おも湯や秘薬を与えて元気をつけさせた。
「よかった。よかった。谷沢川の河童は人に悪さはしない。それがおいらの掟だよ」ぽつりと河童の主が言いました。用賀、野良田、野毛、等々力の河童もうなずいて、娘の顔に紅がさすまで温かく見守り、手厚く介抱したのです。

2日ほどたった夜遅くに、三郎を先頭にした河童たちは、村人に会わないように、等々力の河童を道案内に、娘を代わる代わる背負い両親の元へと送り届けました。


というお話しです。

谷沢川にまつわる民話では、「貝とり娘とお不動様」というお話しもありまして、ある時に多摩川沿いの村々に流行り病が起きた。その病を治す薬が、この谷沢川で取れたシジミだったそうです。それをお不動様の化身か分からぬが、少年が、そのシジミを食せば治ると教えたそうです。


谷沢川というと、ご存知の方もいるかと思いますが、もともとは渓谷内には流れていませんでした。谷沢川は、昔には九品仏川へと繋がり流れていました。九品仏川自体が暗渠(川に蓋をする)となり分からないと思います。その点、分かりやすい場所を示せば自由が丘駅の南側に遊歩道がありますが、その歩道の下がそうです。

それで、渓谷内には、渓谷内独自の水流を持っていました。湧水となります。それが滝となっていたようですが、それが要因で崩落が始まったのか分からないですが、渓谷内の崖の崩落が徐々に谷沢川へと迫り奪ってしまったというのです。これは人によっては、人工的に工事を行い川の向きを変えたとも言われています。

どちらにしても、川を奪った事は事実で、学問的には「河川争奪」と言います。近年までは崩落は続いていたようで、中町に「姫の滝」というのがありまして、そこまで崩落は続いたようです。そして、最後には、姫の滝自体が崩落をしてしまいました。

尚、この九品仏川へと続く名残は、どうやら「逆川」と言われている。逆川も規模を小さくして暗渠となり、現在では人工的な排水路のようで分からないと思いますので、下記に場所を示します。


■不動公苑
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.38.57.4N35.35.58.0&ZM=12

■逆川
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.39.1.3N35.36.15.9&ZM=12
トクホンチールさん
↑ありがとうございました。
谷沢川沿いに住居を入手した者です。毎日見ている川の謂れを子供に話してあげられます。この近辺に住んでいた祖母が亡くなってからは、そのような話に疎くなってしまい・・・
そう言って頂けると、大変に嬉しいです。

こちらこそ、ありがとうございます。
九品仏浄真寺。


浄真寺については、何を書くべきか多少迷う所ではあります。
意外と物語が沢山あるが、もっとも有名なのが世田谷の古典文学「名残常盤記」ではないでしょうか。

名残常盤記とは、簡単に説明をしますと、この浄真寺は以前にはお城(奥沢城)でした。
そのお城の城主の大平出羽守の娘、常盤姫が吉良頼康と結婚をする事になった。姫は非常に愛される事になるが、他の側室からの妬みを買ってしまう。結果、あらぬ讒言をかけられて、吉良頼康の子を宿したまま処罰されてしまうと言う物語です。

近年まで、この物語に関する史跡というのが数多く在りましたが、現在は常盤姫や子を祀る、常盤塚、駒留八幡宮が残されているだけです。讒言をした側室の塚であるとか、姫が自害(殺害)された近くにあった常盤橋などは、既に開発により無くなりました。

この物語、江戸時代には人気が在ったようで、江戸時代のタウンガイドと言われる「江戸名所図会」にも紹介されている。その為なのか、似たような物語が複数ある。私は正しい物語がどれだか分からないが、私が知っているだけ約5つあります。

その中で有名なのが、先の物語の後半に、自害する姫が可愛がっていた白鷺に遺書を託して、奥沢城に居る父親に放つ。しかし、途中において、狩りをしていた吉良頼康によって、知らずに打ち落とされる。打ち落とされ死んだ白鷺の所から「鷺草」が咲いたと言うお話しです。

世田谷区の区の花が、ご存知の通りに、この鷺草です。

この鷺草が多く咲いていたのが、この浄真寺の付近から自由が丘駅南口の方までだそうです。地域に詳しい方でしたら、お分かりのように九品仏川に沿って咲いていたという事です。

それで、どうも、自由が丘駅南口方面の九品仏川には、かなり多くの鷺草が自生していたようです。その為、世田谷区(川を挟んで南が世田谷区)では、その地域の住所名(字)を「鷺ノ谷」としていました。

非常にロマンチックな名称です。

尚、現在において自然の多い世田谷区でも、自生の鷺草は見る事は出来ないようです。ただ、浄真寺の庭園では、非常に小さいですが鷺草園があり、そこで見る事が可能となっています。


そう言えば、なぜ白鷺から鷺草なのかを説明しませんでしたが、この鷺草は実物を見ると分かるのですが、花びらが、鷺が翼を広げて飛んでいるように見えるからです。

■鷺草
http://www.hana300.com/sagiso.html

■浄真寺
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.39.53.2N35.36.14.3&ZM=11

■鷺ノ谷
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.40.23.2N35.36.12.6&ZM=11


次回、多摩川台公園で終わります。
尚、浄真寺の桜は、このお寺や、九品仏川緑道となります。
最後となりました。

多摩川台公園です。

古墳の埋葬者に関しては、大塚古墳で多少書きましたので省略します。ただ、この古墳の状態と言う事について書いてみたいと思います。

この多摩川台公園は、この公園全部が古墳でして、その数は細かいのを合わせて約10基ぐらいあります。そして、この埋葬者は古代南関東の支配者と一族と推測されていますので、ある意味では王家の墓、または聖地と言ってもいいのではないでしょうか。

しかしながら、ここにある代表的な前方後円墳の「亀甲山古墳」「宝莱山古墳」「浅間神社古墳」は、ほとんど原型をとどめていないのです。亀甲山古墳は浄水施設が作られ、宝莱山古墳は宅地造成により削平、浅間神社古墳は東横線の線路により削平と、どれも形を保っていない。

非常に残念です。
尚、この近辺は学問的には「荏原(台)古墳群」と言います。
群がつくだけに、この周辺の国分寺崖線には多くの古墳があります。

また、先に浄水場と書きましたが、どこから水が来るのかと言いますと、公園脇の多摩川です。この辺りを知っている人ならば、「調布取水堰」というのをご存知かと思います。この堰の辺りから水を汲み上げて、亀甲山の浄水場で濾過していたそうです。

また、この堰というのは、その言葉の通りに堰でして、ここまで海の海水が来るので、それを堰き止めています。正確には二子玉川辺りまで潮は行くそうです。それをこの堰によって堰き止めている。ですから、堰から東は海水交じりの淡水で、堰から西は普通の淡水となる。

もしかしたら、堰の東側は海の魚が釣れるのかも知れません。


浅間山神社古墳は、その名の通りに古墳の上に神社があり、半分を東横線が削平している。その浅間神社は大変に古く鎌倉時代に起源を遡ります。

源頼朝の出征の身を案じた妻政子が、頼朝の後を追ってここまで来ました。しかし、わらじの傷が痛み出して、やむなく多摩川畔で傷の治療をすることになりました。その際に、亀甲山に上り富士山を見て、自分の守り本尊である富士吉田の浅間神社を思い出して夫の武運長久を祈りました。そして、身につけていた正観世音像を奉ったことから始まります。

現在は、この神社は木花咲耶姫という女神を奉っています。
この季節にふさわしく、木の花が咲くように美しい女性と言われ、桜の花が咲き誇る匂いとも言われる。また、日本を代表する富士山の神様でもあります。


この公園前の多摩川駅を挟んだ側にも公園がありまして、そこは「田園調布せせらぎ公園」と言います。ここは、二子玉川駅と同様に、昔には多摩川(園)駅と呼ばれていました。その園の遊園地が、この田園調布せせらぎ公園にありました。規模はさほど大きくないのですが、ここで有名なのはプールのような大理石の大浴場があった事です。

その浴場に注がれる水は、ここの湧水を利用していました。その湧水は、現在でも豊富で、毎秒2〜5リットルと非常に多く、水量は1日で400トン近くに達すると言います。一度、訪れると分かりますが、豊富な湧水量から自然と小川でき、小さな池も出来ています。非常に興味深い自然の姿を見る事ができます。


尚、桜が綺麗なのは、この多摩川台公園で、山を覆うように桜が咲きますので、安直な表現ですがピンク色の山になります。神奈川県側から丸子橋を渡りながら見ると、その綺麗な姿をうかがえます。


■多摩川台公園
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.40.12.8N35.35.10.1&ZM=11
■多摩川浅間神社
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.40.19.2N35.35.2.3&ZM=11
■田園調布せせらぎ公園
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.40.23.5N35.35.10.8&ZM=11


多少まとまりの無い終わりでしたが、花見で訪れる際には、その地の歴史を思い浮かべながらも、花見を楽しんでいただければと思います。

以上、長々とありがとうございました。
ねねさん、ありがとうございます。

亀甲山がある多摩川台公園には古墳展示室もありますので、そこで出土品のレプリカもあるので、お子さんも楽しめるかと思います。

私は、ここの公園が好きでして、多摩川に面していているせいか、風が心地よく吹いてきます。ベンチで座り本を読みながら過ごすのが何とも気持ちがイイです。
す〜ご〜い〜〜〜〜〜〜!!
しばらく来ていなかったらびっくり^^;
ガイドブックに載せられるぐらい詳しいね!!
知らないことばかりで勉強になったなり☆
ありがとう&お疲れ様(^0^)

今日砧公園の前を通過したら桜が満開で
花見客でいっぱいだったぁ〜!
丸子川や六郷用水の桜もキレイ♪
散歩している人がいっぱい!今日は気持ちいい(^−^)
これから多摩川台公園行ってきます♪
>こっちゃんさん
ありがとうございます。
まだまだありますが、また何かの機会があれば書いてみたいと思います。Blogもありますので、ご興味がありましたらご連絡ください。

砧の桜は綺麗なんでしょうね。
私は、今日は町中の桜を眺めながら散歩をしておりました。

>シャイさん
いいなぁ。多摩川台公園。
あそこの場所も好きですし、桜も綺麗ですから羨ましい。

桜坂も綺麗なんでしょうね。
本当は今日、砧公園に行こうと思ったのに雨で行けず・・・
さっき車で通り過ぎたけど、もう色あせて散り始めて
あまりキレイじゃなかった・・・日曜日が見ごろだったかな!
多摩川、野毛付近の桜です。

昨日お花見に行きました。
この野毛のあたりは、一番早くに3,4本の桜が咲きます。
多摩川の土手沿いの他の桜が咲き誇る頃には、もう花は散っています。
おぉexclamation ×2久々に更新されてるあせあせ
てかMEの最後のカキコはちょうど一年前だし衝撃
ビバ一周年富士山(?)


うちの近所の六郷用水親水公園(左の画像)の一本桜も満開だよ桜
砧公園(中央の画像)と東宝撮影所付近の千川(右の画像)の桜も良かった指でOK
おっ!

こっちゃん、一年ぶりの登場!

綺麗ですねー。

川沿いのサクラは水面に写りこんで綺麗だし、花びらが水に流れていく姿も奇麗だよね。
お久しぶりでするんるん(笑)

そうそう、千川じゃなくて、仙川ねあせあせ(飛び散る汗)
東宝撮影所付近の桜が散って、川を下ってうちの近所の仙川が花ビラだらけになるのぴかぴか(新しい)

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