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名勝コミュの松桜閣の庭園

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 富山県黒部市若栗2774

 1956年01月13日、黒部市が名勝に指定。

 https://www.google.com/maps/@36.8719985,137.4801108,17z
 下新川(シモニイカワ)郡若栗村の豪農西田収三(1854〜1925)家の離れの庭として造られた庭園で、昭和6(1931)年に佐々木即妙によって創建された曹洞宗大休山天真寺が西田家より屋敷ごと購入、昭和7(1932)年に庭師城川久治(1876〜1944)が近江八景の趣を取り入れて改修・整備しました。
 回遊式庭園で、中央に池を掘りって巨岩・奇石を配置、赤松を中心に大小の樹木が植えられていて四季それぞれの趣があります。最初は松と桜のみの庭園でしたが、後になって各種の植物が植えられました。また、庭園の象形の石は座禅石です。
 庭園に面した松桜閣(ショウオウカク)〔黒部市指定文化財〕は、初代富山県知事国重正文(クニシゲマサブミ;1840〜1901)が明治16(1883)年に建築した住居を西田収三が購入して現在地に移築した物で、“北陸の銀閣”と呼ばれる風情を持ちます。
 全体に数奇屋風の造りで、柱は細くて10.6cmしかありません。天井高は196.9cmで、二階十畳間の二間床、その脇の大きな円窓、上隅を切った欄間窓等の細部の造作や意匠に大胆な手法が各所に採り入れられています。八畳間2室の外、茶室・手洗い・台所・女中部屋各1室と風呂場が設けられています。茶室は、元の玄関脇にありますが、移築・改造されています。二階は三方出窓とし、その外側に出窓高45.5cmより上に175.7cmの高い雨戸を入れているため、室内は非常に明るくなっています。 
 畳は175.7cmの越中畳です。京間は190.9cm、または181.8cmですから、地元の大工の施工と思われます。
 なお、国重正文は長州藩出身で、幕末には月形半平太(ツキガタハンペイタ)の名で活動、新選組に襲撃された池田屋事件に遭遇しながら逃げ延びた人物です。維新後は、富山県知事の後、内務省社寺局長・国学院院長・伏見稲荷大社宮司等を歴任しました。

コメント(7)

 急に雨が降って来たため松桜閣の雨戸が閉められていました。
 写真では判り難いですが、 池は北半分が湧水を水源とするのに対して、南半分は水田の水を引き込んでいるため、水の色が異なります。
 雨のため庭の風情は増した感じです。
 他には客はいませんでしたので、清閑な雰囲気を満喫出来ました。

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