ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

銀のさじ(小説)コミュの差しのべられた手を 第四章 風景を切り取ることについて?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

「その話しを聞いた時、小さいながらもこの人を守らなきゃって思ったんです」
 光士朗は少し誇らしそうにそうつぶやく。彼がこの年であの病院で見せたような大人びた表情を浮かべていたわけはここにあったのだ。
「それからは僕はいっそう幸福に、そして祖母も初めて本当に幸せに暮らしました。その頃です。僕の父になる人に出会ったのは」

・ ・ ・ ・
 祖母の家は駅のすぐ近くにあり、歩いてすぐに駅が見える。駅は終点にあたるとてもいなかの小さな小さな駅。
 そこには、歩いて何歩と数えられるようなホームとキップ売り場の窓口がある。駅長さんが一人いるきりだ。

 何しろ一時間に一本の電車があるかないかの駅である。
 待ち時間の退屈なことと行ったらないようなものだから家にいればいいのだけれど、祖母が帰ってくると思うといてもたってもいられない。この頃光士朗はいつでもどこでも祖母と一緒にいたがったのだったが、子どもがついていけない用事もある。その時は、こうして祖母をホームでずっと待った。
  
 ある日もそうやって祖母を待ちつつベンチでノラ猫を抱っこしていると、ふいに駅長さんがやってきて声をかけたのだ。
「君、ちょっと来なさい」
 ホームの中には勝手に入っていた(柵の間から入れるのだ)から怒られるのだろうか?今まではいくらホームにいても何も言われなか
ったのに。どうしよう。どうしよう……!

 制服に帽子をかぶった駅長さんの後ろをとぼとぼついていきながら、光士朗は逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた。

 連れて行かれたのは、窓口の中の部屋だった。

 そこにはストーブがあり、簡単な椅子があった。
 駅長さんは無言で湯を注いでお茶を作り、何かのおみやげだろうか四角い白い箱にあったもなかを差し出した。
「食べなさい」
 余り表情がなく、そっけない態度だったがとりあえず怒られなさそうだ。もなかには栗が入っていて、あんこの甘さがとても優しかった。
 お礼を言ってからおそるおそる食べる光士朗を、駅長さんは特に何も言わず自分の仕事に取り掛かっている。その横顔は亡き父を思い出させた。顔はまったく似ていなかった。ただまとっているしんとしていて、どこか柔らかい雰囲気が、どこか似ているような気がした。
 
 こんな風に、駅長さんは光士朗を見かけると時々窓口の中に招いて菓子を食べさせてくれたり奥さんの作った弁当をわけてくれることもあった。
 駅長さんは余り多くは語らない。だいたい側に呼んでもほったらかして自分は仕事をしているのだが、そうやって側にいるとなんだかほっとするのだった。
 朝、ランドセルをしょって定期を見せると駅長さんは不器用な笑顔で「うん、行ってきなさい」だとか「行ってらっしゃい」だとか「勉強をしっかりするんだぞ」とか一言言ってくれた。
 帰ってきたらきたで「今日は何して遊んだんだい」とか「今日はどうだった」とか「一日おつかれさん」だとかやはり言ってくれる。
 
 それがどれほどうれしかったか。今でも言葉では言い表すことができないほどだ。
 
 ある日のこと。
 
 日曜のホームに、駅長さんと二人でいるとふいに
「かぶってみるかい」
と言って帽子を渡してくれた。
「うん」
 駅長さんの帽子は光士朗にはちょっと大きかったけれど、それで一人前の大人になったような気分だ。うれしさのあまり光士朗は部屋
からホームに飛び出して行って、
「おのりのかたははくせんのうちがわにおさがりくださあい」
とさけんだ。
「こ、こら。それは大人になってからだ」
と軽くたしなめたが、光士朗は聞かない。
「や、やだっ! もう一回言うんだいっ」
「まったく」
 駅長さんはひょいと光士朗の胴を片手で持ち上げるとそのまま部屋に連れて行ってしまった。
 光士朗はじたばたあばれたが大の男の腕力にはかなうはずもない。帽子を貸してくれたのは駅長さんじゃないか!光士朗はなんだか腹が立った。こうなったら仕返ししてやろう。


 駅長である小田−おだ−さんはある日乗客の視線が妙にひっかかると思った。来る人来る人、こちらを見ては意味ありげな笑顔? を向けてくるのだが、理由を言わずにささっと遠のいてしまう。いつも利用している女学生たちは
「駅長さん、揚げ物がお好きなんですね」
と言ったきりきゃっきゃと笑いながら行ってしまった。
 いったい今日はなんの日だろうか。不思議に思いながら一日が過ぎ、学校帰りの光士朗が電車から降りてきた。
「お帰り、今日は学校はどうだった」
 声をかけるとにやにやと笑っている。
「ん? どうした」
 定期を見せてぱっと改札から出ていくと遠くからこんな声が聞こえる。
「駅長さん、駅長さんはからあげが好き!」
 もちろん駅長さんはさっぱり意味がわからない。
 何か予感がした。
 はたと背中をさわると、半紙がはりつけられていて「わたしのこうぶつはからあげです」と書かれているではないか。いつの間に?
 そういえば朝光士朗が背中をぽんと叩いて挨拶をしたけれども、いつものことだと気にしなかったような。一日この張り紙をつけて
いたわけだ。なるほどなるほど。
「おやおや」
 駅長さんはその半紙を見つめた。これは戦線布告ではないか。よし、ならばこちらにも策がある。


「おはようございまーす」
 ここしばらく駅長さんは静かだ。三日経ってもにやにやが止まらない光士朗。今日もにやけつつ定期を見せる。
「おはよう。今日もしっかり勉強しなさい」
 駅長さんは何食わぬ顔で包みを光士朗に渡した。時々こうやって奥さんの作った弁当をくれるのだが、今日はいつもより包みが大きいような気がしないでもない。
「食べなさい」
 いつものように短い一言。光士朗は弁当箱の大きさを不信に思いつつもお礼を言って受け取った。彼は知らない。電車に乗り込んだあとの駅長さんの目が怪しく光り輝き口元に笑みが浮かんでいたことを。

 昼、お弁当のふたをあけると光士朗はやられたと思った。
 おかずは鳥のから揚げだった。いや、正確に言うと、ご飯と鳥のから揚げ。それから飾り程度にレタスとプチトマト。からあげは、ご丁寧にしょうが醤油と、にんにく醤油と、ネギダレのものと手場先のから揚げまであった。
 
 これが後に小田家に代々言い伝えられることになる、かのから揚げ攻めである。
 
 から揚げは味がよく染みていて衣がぱりっとしていていくらでも食べられてしまう。おいしいおいしい。これはおいしい。残せばいい
ようなもののおいしくてはしが止まらない。
 結局すっかり食べてしまった。 
 
 さて、と。光士朗は帰りの電車でもんもんとしていた。これは明らかにこないだの復讐だろう。しかしすっかりおいしく食べてしまっ
た。これでは自分がすごくマヌケな気がする。
 なにしろ「ぼくもからあげがだいすきです」と言うことの証明になっちゃうわけで。
 このあいだの張り紙を笑えば、自分も笑われることになってしまう。駅長さんは大人のくせになんだか子どもみたいだ。
 帰ってきて定期を見せる。
 駅長さんは何食わぬ顔をして
「お帰り」
 と言う。弁当の包みを光士朗は渡した。
「うまかったかい」
 駅長さんはにやりと笑って問いかける。おなかいっぱいの少年、答えにつまる。
「このあいだはごめんなさい」
 光士朗はあやまりながら泣きまねをしてみせた。
「こ、こら泣くんじゃない」
 駅長さんはおろおろとあわてだした。駅長さん、すまない、すまないと繰り返し光士朗を慰める。駅長さんは本気で困っていた。
 その様子を見て光士朗はべっと舌を出した。
 駅長さんは目が点になった。怒るだろうか、と光士朗は予想したがそれははずれた。駅長さんは今まで見た事もないくらいの優しい笑顔をいっぱいに広げて
「いたずら坊主め」
と光士朗の頭をわしわしとなでながら
「私の小さい頃にそっくりだな」
と言ったのだった。
「しかし私はから揚げは好きだ。なぜ知っていたんだい」
「なんとなく、あてずっぽう。僕もから揚げが好きだけど、おばあちゃんは揚げ物はあんまり作らないんだ」
「そうか。しかしそれは仕方ない。お年を召すと自然にそうなるのだからね」
「ふうん、そうなんだ。そんならしかたないね」
 二人の間にあったあたたかな空気はそのときよりいっそう密度を増していた。 駅長さんといるときは、本来の子どもらしさを取り戻しのびのびと振舞えるということは、過酷な状況にあって無理やり実年齢より内面の年を重ねてしまった少年にとって、何よりも必要なことだった。
 
 この日を境に、彼は自分の両親のこと、祖母のことを少しずつ駅長さんに話すようになった。持ちきれない荷物をロッカーに預けるみたいに。ありがたいことに駅長さんは大人で、心は少年よりずっと賢くて頑丈だったから、彼の放つ寂寥のずっしり詰まった荷物さえいとおしく思ってあずかってくれたのだ。そして、そんなことのできる大人は駅長さん以外にいなかった。

「毎日たくさんの人を見ていると、その人の姿だけじゃなく心の形さえぼうっと感じられるようになる」
「なにそれ」
「見ることが大事ってことかな」
「かんさつ?」
「そう、観察日記だな。そういう仕事だよ」
「変なの」
「そうかい?」
「神様みたいでえらそうじゃない」
「神様はもっともっとわかりづらい場所にいるんだよ。溝とか、道端の石とか。目立つ場所にいるうちはね、まだ下っぱだね」
「ふうん」

 光士朗は駅長さんの話しの半分くらいしかわからなかったが、言葉の奥のあたたかみが日差しのように体全体にあたるのが心地良かったので感じるままに返事をして深くは考えなかった。少年は知らないのだが、駅長さんは本当に話しができる唯一の小さな友人として、彼を尊敬すらしていたのだった。 
 
 亜砂が静かにこの世を去った日は晴れていた。年をとってからだんだんに心臓が悪くなってはいたが、まだ元気に光士朗と暮らしていたのに。

 季節がめぐるように、日がのぼったのちに夜になるように。咲いた花が枯れるように。彼女の死は自然であたたかく、どこか理にかなったものがあった。そういう種類の死だった。
 それはほんの数年だが彼女が、最期に濃く深い時間を過ごしたからだ。あたたかな家族の熱を深い傷あとにいっぱいに受けて、枯れた心の海には豊かな海水が満ち、海草や魚たちが生きていた。
 人は、傷ついた分大きく静かに−重さも形もわからないけれど−幸福になれる、彼女もまたそうして広大な海を満たしきった。そしてまるで見計らったかのように、大きな手が彼女を命をすい……とさらっていったのだ。
 ベッドの中で朝に発作を起こしたのか、光士朗が起こしに行ったときに窓際のベッドに横たわる亜砂は、枕にふかぶかと頭を沈め清かに生きたえていた。
 窓からはきらきらと日の光が差し込み、いくえもの光のドレープを亜砂の体の上に織り成していたのだった。
 光士朗は、悲しみよりも何よりも、ただ祖母が幸福そうな顔をしていることにほっとしたことだけを覚えている。

 光士朗は祖母の死を知ったあとの記憶は余りない。ないというより、色彩がなくて出来事は透明だった。
 大人たちがやってきて、いろいろなことを話した。そして気がついたら、施設にいた。
 施設は駅長さんのいる駅から三駅離れたところで、光士朗は施設から学校に通っていた。駅長さんに会うことがなくなると、自然にすうすうと体の後ろ側がなくなってしまったかのような心もとなさを感じるようになった。
 誰といても、ここにいる気がしない。少年は生まれて始めて一人になった。世界には彼の心の機微を感じ取る存在がいなかった。風と絵と空とそして、花。そういったものだけが、彼の心を知っているのだった。

 無口で表情のない子どもになった。日々はたんたんと流れた。毎日朝起きて施設の全員と食堂で食事をとり、一人で学校に通い帰ってくるともくもくと絵を描いた。そして眠った。誰かが彼に話しかけると、彼は相手のなっとくするような受け答えをする。
 その人はそれで安心し、彼のもとから去った。遠くから見れば、壁にボールを打ってそれがただ返ってくるような一人相撲なのだが、それに気づくには、人はみな忙しすぎた。無論、忙しい人を誰も責めることはできない。
 
 その日は朝から曇っていた。何か言いたげなのに、言わずに黙っているような曇り空だ。電車でいつも通り最寄駅で降りようとした少年は、そこで傘を忘れたことに気づいた。外は雨が降り出していた。空は泣けるんだな、光士朗はふと思った。
「君だって泣けるだろう?」
 空がそう言った、ような気がした。遠慮がちに、でもはっきりと意思的な声だった。
「なぜ泣かないんだい」
「それは」
「君をしあわせにできるのは、君しかないなんだ」
「しってる」
「しあわせになるには、じぶんでうごかなきゃ」
「しってるよ」
 
 光士朗はそうやって人でないものと空想の会話をしていたのだ。心の中で。
 ふいに、開いたドア。しかし彼は降りなかった。終点まで乗っていた。お金は持っていなかった。駅長さんが少年を見つけると
「やあ、久しぶり」
と、呑気に言った。たくさん話したいことがあったのに、何も言えなかった。胸がいっぱいになって何も言えなかったのだ。
 駅長さんはいつも通りだった。光士朗を部屋の中に入れて座らせ、菓子と茶を出して放っておいて、仕事をした。光士朗はそれで十分だった。軌道をはずれた月が地球の回りをふたたび回り始めるくらい、それは自然な感じだった。月が地球の軌道からそれることはなんて不自然だろう。

 そして一日が終わり、駅長さんは立ち上がると言った。
「来なさい」
 短い一言だった。何も聞かれなかった。駅長さんは光士朗を自分の家に連れて行ったのだ。そこにはほっそりとした優しそうな女の人がかっぽうぎを着て出迎えてくれた。
 女の人は駅長さんの奥さんで、光士朗のことを駅長さんから毎日聞いていたと言った。そしてまるでずっと前からそうしているような手ぶりで、茶碗を出し−子ども用の、電車の絵のついたやつだ−三人分の食事を並べて、当たり前なんだといった感じでご飯を食べた。
 光士朗は学校で飼っているうさぎの餌やり当番なのだということを話した。奥さんはふわふわっと笑った。駅長さんは黙ってそんな二人のやりとりを目を細めて見ながら、ご飯を食べていた。いつもよりたくさん食べているらしく、奥さんは驚いていた。
 光士朗はお腹がくちくなると、祖母の死をぽつんと話した。
 奥さんは、悲鳴をあげる代わりに目を大きく見開いた。駅長さんは無言でうなずいた。それで説明は十分だった。

 奥さんは食事が終わると光士朗に今住んでいるところの電話番号だけ尋ねて、電話を入れてくれた。光士朗はその日その家−ここのことだ−に一泊し、そして施設に帰った。

 あとは早かった。学校帰りに度々終点まで行って駅長さんと一緒に−帰る−と食事をして、そのあと施設に送ってもらうか一泊するような日常の先には、三人家族という写真が焼き上がっていたのだから。粋な写真屋が思いきり楽しげに現像しておいたのだといわんばかりに。
 家具や食器や服や靴。
 生活する品々がひとり分増えることの楽しさは春を迎えた木の芽に似ている。
 花をさかせるばっかり、そう、この頃から三人で笑ってばかりいたのだった。
 一緒に食事をして、眠り、出かけて、同じ場所に帰り、いさかいをして仲直りして。
 果てしない日常を続けていくためのアイスクリームのような甘い誘惑だ。健全でまっとうな理由。家族になろう。
 それを手にすることをなぜ拒む? 拒む理由は、三人にとってどこにもなかった。幸運という言葉を使うのならおそらくこのタイミン
グで使うのです、と辞書の例文に載っていそうなほどに、幸運なことだった。




 駅長さんと奥さんは、長い間話しあいを続けていた。それは、光士朗と駅長さんがかのからあげ事件を迎えた日から続いていたことだった。
 
 その少年はある日こつぜんといなくなり、若い夫婦は谷間に突き落とされたような気持ちで日々を過ごしていた。奥さんは毎日、光士朗の話しを駅長さんから聞くのを楽しみにしていた。少年の不在は、奥さんの日常に影を落とした。会ったことはなかったが、駅長さんを通してぼんやりとその輪郭はいつも奥さんの近くに寄り添っていのに、ふいにその優しい輪郭は消えてしまったからだ。
 
 まるでその家だけ小さな冬になってしまったかのような最中に、

 小さな体に不釣合いな荷物を背負って、途方にくれた旅人はまたこつぜんと姿をあらわしたのだ。
 
  彼が最初に来た時にあった子ども用の茶碗は、駅長さんと奥さんが以前、光士朗のために買ったものだったのだ。

 駅長さんがあの日迷うことなく少年を連れて帰ったのは、その茶碗が寂しそうに使ってもらえる日を待っていたからだった。

 
 

コメント(5)

全部読みました。
前の話と時間が空いたのでワードに全部コピペして、文字を150%に拡大し、3回も読み直しました
上手いです。前後のつながりも比喩も、感情移入も。
おいらは人間関係が苦手なんで、読みながら系譜書いてました。
最初読んだだけじゃ、誰が誰とつながってるか。馬鹿ですね〜
男の脳みそは、そういうものには疎いらしい。否、おいらの脳ですね。
聖書が苦手なのは最初の10ページですべて吹っ飛んでしまいますw
いや〜、頭が下がりますね。
あさの逝った日の表現は、みごと。
この世のすべてを終わらせた人間の表現です。
図まで書いて読んだ会がありましたw
4時半だw
次も期待してますw
駅長さんは「大人」ですね。
自分もそうですが、ちゃんとした「大人」の、なんて少ない日本なんでしょうか。
「大人」がちゃんと「大人」じゃないと、子供は安心して大きくなれませんよね。
光士朗が自分の居場所に出会えて良かった。
おばあちゃんも使命を全うされて。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

銀のさじ(小説) 更新情報

銀のさじ(小説)のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング