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銀のさじ(小説)コミュの差しのべられた手を 第四章 風景を切り取ることについて?

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 絵を描きはじめたのがいつだったか覚えていない。

 気がついたら、描いていた。

 画用紙に、ノートのすみの余白に、びんせんに、新聞のちらしの裏側に、地面に。
 −心の筆と呼んでいいのなら、空想という名の見えない絵を空にも描いていた−

 
 ずっと一緒だった。絵筆とキャンバスとこの手。真っ白な世界を目の前に、無限の色を手に持つとき、体に羽がはえて自由自在に飛び
回ることができる。
 空から自分の住む家や、町はずれの田畑を見ている。その向こうの線路、そして潮風。ほほにあたる太陽の光。
 あるいは暗い世界。死と生の境。その深淵に腰かけて、灰色の穴を見つめていることもある。

 さあ、鳥と一緒に飛びながら、この手で時間を永遠の輪の中に。
 一枚の世界の中に刹那の感情を閉じ込めてしまおう。

 この世界で生きていると時間も経験もどんどん与えられて、たくさんの学びがある。それを理解する前に意識の外へこぼれていく。
 そして容赦なく与えられていく。おたおたと描きつけなければ、何も残らずに心地よい音楽を聞き終わったあとのようにうっとりとし
て一生が終わる。それはそれで幸せなのだろうに。それができないのは、性か。

 感動を受け取るアンテナは大きく、すべてから知恵を理解する頭は小さく、与えられる万物の風景は数え切れない。まばたきするのも
惜しい。
 心に落ちて広がった波紋。
 どんな感情も、どんな風景も。
 移り行き、消えていくのはわかっていても。

 この世界のすべて。この目で見た世界。紅葉。池の波紋。小さな男の子。虹。水しぶきをあげるホース。エプロンをしたよその家のお
母さん。水溜り。そして、道。

 この世界の感動はこの胸にしまっておくには、あまりにも大きすぎる。
 これらの風景が流れ行く歴史の川の一つの顔で二度と見られないものだということ。
 そこに込められた偶然と必然の織りなす、メッセージ。

 この瞬間、瞬間。それは人の言葉ではない言葉で、書物以上の知識となって直接「わたし」にふりそそいでくる。
 言葉は側面しか切り取れない。言葉ではすべてを丸ごと伝えられない。
 知識とは、もっと立体的なものだ。体全体で感じるものだ。音や光や水のシャワーのようなものとなってふりそそぎ、五感を包みこむものなんだ。
 その知識を絵という形でとどめようとあがいているんじゃないかと、時々真剣にそう思う。
 
 窓の外に枯葉が散っている。由乃はチェックのひざ掛けをして、髪の毛を三つあみにしている。描いていた絵から絵筆をおろした。
 意識が空や宇宙から現実に戻ってくるのに、数秒かかる。
 
 無意識のうちにつめていた息をほっと吐く。
 
 その絵は、紅葉の街路樹がずらりと並ぶ風景をぼかして色だけが際立つように描かれた抽象画だった。以前見たどこかの景色の記憶が
あいまいになって、思いだそうとすると鮮やかに色だけが思いだせる。それを絵にした。

 少し離れてその絵を見つめる。そして、しばらく沈黙したのちにくるりと机の方に向かってレポートにとりかかった。時間を置いて見
れば、また描きなおす部分が出てくるだろう。今は寝かせてこっちを片付けなきゃ。

 レポートはとある事柄について、自分で資料を集めて20ページ程にまとめるというものだった。
 レポート用紙はほぼ埋まっていた。その事柄についての歴史や時代背景は資料を見てまとめることができた。実際的な事柄は、言葉に
するのは簡単だった。しかし、最後の一枚。この事柄について学んだ上での自分なりの感想、意見、解釈。
 それがどうしてもまとまらない。
 
 由乃は言葉が苦手だった。自分の感じていることを言葉で表現しようとするととたんに鮮明さを失って、何一つ正しく伝わらないような気がしてしまう。しかし、それはそれ、これはこれだ。自分が苦手だからと言って、学校がその教科をなくしてくれても、何もいいことはなさそうである。砂糖菓子ばかりでは、体が育たないように。
 
(これを仕上げないと、単位がとれないのだわ)

 図書館で借りてきた資料をぱらぱらとめくる。ため息。そしてもう一度、資料をめくる。
 細く削り先を尖らせた鉛筆を唇にあてる。そして、つっかえつっかえ、書きはじめた。さっき絵を描いていたときの軽やかさとはうっ
て変わって、重たい砂袋を四つも五つも背負って坂道を進んでいるようだ。

「……宗教は多数存在するものの、信仰という観点から見た神というものは、どの宗教の神とも共通した存在であり、そのどれにも属さ
ない存在で……」


「……事故や病気など人生観が強制的に変わる経験をした人は、それぞれに乗り越えたあとに、自分以外の存在を感じると言うが、その
存在には共通するものが見られるのであって……」


 由乃は頭痛がするような錯覚を覚えて一回手をとめた。そして、また気をとり直してとりかかる。

「……神や宗教の違いで戦争が起こることは、全世界の神が共通しているというか、そもそも人の崇めるような「人に近い形の神」でないと
いう仮定が真実であった場合、これほど悲しいことはない。果たして人が崇める人の形に似たそれは神だろうか……」

「あるいは、神の形というものをまず仮定し、自分に近い形に表さないと神を感じとることが難しい、物質界にあって人である以上は仕
方のないことかもしれないと……」


 レポート用紙に由乃の小さすぎる字がびっしりと並んでいく。ときどき、手が止まる。消しゴムで数行消して、書きなおす。
 ため息をついてみる。肩をくるりとまわし、眉間にしわを寄せる。そして、書く。書く。書く。やがてレポート用紙は最後まで埋まりつつあった。あと、少しで完走。ゴールインだ!

「……以上の歴史的な展開からも、早急に対処が必要なのは個の集団への回帰であり、個を尊重する集団の意識の向上であり、
双方が同時に行われない限り、物事の解決は遅れるばかりであると解釈する。」
 以上」


 タイトル欄の「宗教と歴史」を見て、もう一度読み返す。
 
 そして、鉛筆を置くとのびをした。
 生あくびが出る。

 
 一日家にいて、レポートを書いていると頭ばかり冴えてぐるぐると空まわりするようだ。
 高校までは通学していた。全日の学校独特の、時間割や、集団行動が由乃は好きだった。隣にいつもなんでもないことで話せる友が
いるということの幸せ。そして毎日のリズム。
 時間を自分の裁量で配分することは、大学に入って家庭で勉強するようになってから覚えた。自分で自分を管理することの、難しさと
楽しさ。どちらの学校も経験できて良かったと思う。どちらにも長短はあるが一方に偏ることは危険な気がしたから。
 
 時計を見ると、夕方近い。その時、ドアから控えめにノックの音がしたから。
 父だった。

「お父様?」

 ドアを開けると、そこには仕事帰りなのだろう。帽子を両手に抱えて、所在なさげな顔をした父が立っていた。
「どうしましたの」
 父はなんだかひどくつまらなさそうに言う。
「君の友だちが君を迎えに来たと言うが……」
 由乃の顔がぱっと明るくなる。
「光士朗さんだわ。ええ、きっとそうですわ」
「君、いつの間にあんな友だちができたんだい」
「それは秘密ですわ。私、今日はお夕飯に招待されていましてよ」

 由乃はくすくすと笑いながら、机の横にさがったバッグを手にとり、
(中にはスケッチブックと鉛筆や手鏡にリップクリームと言ったこまごましたものが入っている)ささっと鏡を覗きこむと
さっさと玄関に向かった。
 玄関から夕日の赤く強い日差しが差し込み、光士朗の姿が影になっている。
「気をつけてお帰りよ」
 後ろから父の声が追いかけてくるようにひびく。由乃は「はあい」と素直に返事をして、その強い日差しの中に飛び込んでいく。


 由乃が現れると、光士朗は
「お迎えにあがりました」
と、さながら小さな紳士のようにはにかみながら笑っていたのだった。 

 光士朗の家には土間があり、そこから家の中に上がるつくりになっていた。引き戸を開ける時のガラガラという音はちょっとした
地響きのようだ。
 戸を開けた向こうはほの暗いが決しては冷たい暗黒ではない。闇そのものがかすかにあたたかな湿り気と温かみを持っているようだっ
た。
 巨大な味噌瓶や二層式洗濯機、手を洗ったり靴下を洗ったりするためだろうか、ステンレスの流しが土間の奥にひそんでいる。
 そしてその奥には家の裏手に出られるような木戸がついていた。
 
 入って左手から明るい光がもれている。障子が開いて、白い割烹着に紬の着物、髪をさっと後ろで一つにまとめておだんごにした女性が出てきた。
「いらっしゃい」
 女性はにっこり笑うと目に笑いじわができる。その笑いじわはもうすっかり彼女の体に刻まれて繰り返し繰り返し、こうやって心から笑顔を人に振りまいてきたのだというその人柄をうかがわせていた。

 屈託のないそれは気持ちの良い笑顔。光士朗はやはり顔を赤くしつつ、生真面目な口調で
「母です」
と、紹介してくれた。
「母のさつ子です。さつ子さんって呼んでね」
「今日はお招きいただきまして……」
 由乃が挨拶しようとすると
「あらいやだ。そんなにたいそうなものじゃないのよう。この子ったら角の洋食屋さんにでも連れて行けばいいのにねえ」
と、恥ずかしそうに手をひらひら振って女学生のように華やいだ声で笑う。
 土間から上がった畳敷きの部屋にはストーブが燃え、その上でやかんがしゅうしゅうと湯気を放っている。真ん中には木のちゃぶ
台があり、醤油瓶や台布巾が置かれていた。
 部屋から入った向きで左側の障子を開けるとそこは縁側になっており、右側の暖簾をくぐれば台所。正面はふすまで閉じられている。
 紺色の座布団はどれも丸く作られ、桜の花びらの刺繍が風に舞うように三枚ほどはしにほどこしてある。

 座布団を見ていると、横で光士朗が
「母さんが縫ったんです」
と教えてくれた。
「さあさあ、何にもないけどお夕飯ができるまでこれでもつまんでちょうだいね」
 さつこさんは丸盆に白玉に砂糖を混ぜたきなこをまぶしたものと、かりんとう、それからきゅうりの深漬けにしたものにかつおぶしとしょうが
を刻んでしょうゆを回しかけたものをお茶受けに出してくれた。
 ストーブの上のやかんからお湯を出し熱々のほうじ茶も入れてくれる。
 かつおぶしとしょうがをかけたきゅうりの深漬けは、さつ子さんの祖母が教えてくれたお茶受けなのだそうだ。
「でもうれしいわあ、こんなにかわいらしいお嬢さん、光士朗が連れてくるなんて。これからも仲良くしてやってちょうだいね」
「はい」
 そのやりとりを光士朗はどことなく誇らしそうに見ている。
「それじゃあ、ごゆっくり」
と言って立ち上がった母に向かって
「僕も手伝うよ」
と光士朗が言うと
「あら、いいのよ。あなたは由乃さんのとこにいてちょうだい。せっかく来て下さったのに一人でいたってつまらないでしょう。そうだ
あれを見せてあげたらどう」
「え」
 一瞬静止画像のように止まる光士朗。
「あれ?」
「ええと」
「なんですの」
「あ、絵です」
 短く、しかしきっぱりと彼は言った。絵。今彼はそう言っただろうか。

「僕、絵を描くのが好きなんです」
 
 ふすまの向こうの和室にある本棚の一番下にぎっしり並べられたスケッチブック達。それは彼の財産だった。
 真剣な面持ちで、スケッチブックをめくって見せてくれるその横顔。和室は光氏朗の父の書斎だとういう。座卓と座椅子と本棚にずら
と本が並ぶ。辞典、詩集、写真集、小説、雑誌、自己啓発本からトラベルマナーの本から、なぜか中学校の英語の教科書まであった。
 そして数多くのスクラップブックには、新聞や雑誌の切りぬきがおびただしい数となって眠っているという。
 
 彼の言葉を聞いた由乃のの気持ちを想像して頂きたい。森の中で花をつみながら、ずっと一人で一人遊びしていた子どもが、ふいに迷いこんだ湖のほとりで湖面に自分の顔を見つけて驚き、そしてうれしくなるような気持ちだ。水面の自分とにらめっこして遊ぶことができるし、彼女(彼? )は自分ととてもよく似ている。人と出会いその相手を知るということは、未知の己の一部分を発見することにも近い体験である。

 そんな種類の喜びを彼女は体の中心で感じていたのだ。

 ずっと一人で描いてきた。描くことが好きな友達はみんな遠くにいて、やりとりは時たまの手紙くらいだろうか。そして誰もが出会えたからと言っても意気投合できるものでもない。
 言葉に含まれる重みがこんなにも正しく伝わる相手に出会えただけでもとても稀なことなのに、その人は自分と同じく創作が好きだと言うのだから。出会いの幸福を感じずにはいられなかった。

 
 文面でのやりとりは確かに心地良いものだ。
 言葉にするからこそ、面と向かっては話せないような心象風景も鋭利な見解も率直に述べることができる。
 しかし、快適な関係はどこか少し遠く、心もとない孤独を埋め尽くしてはくれないのはいったいなぜだったろう。
 おそらくは、直に関わることでのわずわらしさがそこにはないからだ。
 人は、人と関わることのすべてがあって満たされる。
 自分にとって都合の良いことばかりではなく、わずわらしささえ含んだすべてがあってこその関係は心をこんなにもあたためてくれると……。

 由乃は喜びの余りしばらく言葉が見つからなかった。
 そしてともかくこの思いを伝えようと、いつも持ち歩いている葉書サイズの−ミシン目がついていて、切り離してそのまま葉書にできる−スケッチブックを取り出して光士朗に渡したのだ。

 それだけで、十分だった。
 
 光士朗は彼女のスケッチブックを見るや目で問い返した。彼女が目で頷き返すと、その賢そうな漆黒の瞳に喜びと安堵の色をいっぱい
にたたえて彼女の心の軌跡とも言える絵を受け取ったのだった。

 さつ子が二人に食事の仕度ができたと声をかける声にも気づかないほどに、二人は互いの絵を見てはその思いつくありとあらゆる言葉を贈りあった。

 今までのぎこちなさは、古びた木戸が突風によってあっけなく吹き飛ばされるようにあとかたもなく時間のかなたへと運び去られていった。

 二人はこの時は曇ったメガネを磨いて始めて世界が鮮明に見えるようにはっきりと理解した。
 
 どうしてお互いに惹かれるのか。

 とても単純で陳腐、それ故に直視しがたいこと。

 孤独だった。

 ただそれだけだった。
 
 否、孤独の色あいや深さ、味や形なんかがとても似通っていた、と言い直したほうがより正確だ。

 人は誰しも孤独を抱えている。深い虚を抱えている。しかしその重みや暗さそして静けさを、誰しもと共感できるわけではなかった。
 
 同じ青でも少しずつ色味は違う。しかし青系統であることは確か。

 AとBという異なるものではあるが、同じアルファベットであることは確か。
 
 そんな風に、お互いに放つ孤独の音色の響きの近さを知らずのうちに感じ取っていたのだ。

 
 そして今。
 彼の持つ響きと彼女の持つ響きの高低が重なりあい、お互いに魂にまで新しい響きがふるえとなって伝わった。
 すると、今まで持っていた彼の響きは以前よりも少し音が深くなり、彼女の響きは少しやわらかくなったのだ。
 
 響きとはすなわち人の心の動きそのもの。(言葉も絵も音楽も表現はすべて心のふるえと言い変えることができるだろう)

 光士朗の描く絵の中でも由乃がとくに心惹かれたのは夜の川に鉄道橋がかかり、向こうから列車がやってくるというもの。
 川の横の堤防沿いの道から踏み切り待ちをしているところから、左斜め前を見るような視点。
 こちら側は暗く、対岸の明かりが二つ三つまあるくやわらかい。
 そして対岸からやってくる列車の二つの目の光。

 鉛筆で描かれた世界はしんとしていて、暗闇と光、そして密やかな川のささやきと風のゆらめきさえも聞こえてきそうだった。

 見つめていると、ふいにその世界に降り立ってしまった。
 由乃は確かに地面のアスファルトの固さを感じたし、遠くからくる列車の振動を感じ取った。夜の川、対岸の光を激しい憧れのような
美しいものを見守るような、そんな思いでひたすらに見つめていたのだ。

 この絵に込められたものはいったいなんだろう。それを読み解こうとしたとき、光士朗が由乃のスケッチブックをめくる手をとめてく
いいるように見ている絵があった。

 それはわりと都会の真ん中あたりで、ビルとビルの間のスクランブル交差点とその周辺のスケッチだった。光士朗が見つめているのは
しかしその交差点の中心を行き交う人々ではなく、道路沿いの歩道に一人、もんぺのようなズボンをはいて、大きな荷物を風呂敷に包ん
で背中にしょっているおばあさんの姿だった。

「おばあちゃん……」
 光士朗はつぶやいた。
 由乃はそこに、彼の絵から読み取ろうとしたものの答えがあると知らずにさとっていた。
 そっと耳を傾ける。心の声を聞こうと。大切な友人の言葉を受け止めようと。
 光士朗はそんな由乃のあたたかさを感じた。この少女の膨大な心の孤独の中に、少年の居場所がすでに用意されつつあったのだった。
 そして、せき止めていた何かが崩れ落ちるように少年は語り始めた。
 
 それは、彼がこの家の子となるまでの時間の物語。

 

 

コメント(2)

「ソウルメイト」
って思いました。二人のつながり・・・。
全部言わなくても絵を見てわかる、何か通じるものがある、そして心の奥の暗闇さえも似通っていると。

この回は全体的に哲学的で、少し言葉が多すぎるような気もします。
たくさんの読み手がいたとしたら、きっと好き嫌いがはっきり別れる回ではないかと思います。

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