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『変珍斎日乗』(惨)。コミュの『【うけとめる】だけなら【ダム】でもできるw!』(2007年12月13日)

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■厚労相「批判は受け止める」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=361611&media_id=4


『受け止めた意見をどう活かす』かが、【自分の使命】だと気付いていない舛添厚生労働相。


『大阪府知事選に担がれた弁護士』氏同様、【権力志向だけで政治家になった人間】の限界
を見る想い。自分が『傍観者・非難者に徹する』理由は、何より【政治に携わる欲ない】故だ。

「床屋談義」だ『理想主義』だと言われても【有権者視線の意見を投げる】のが使命と感じる。


話は変わるが。この間『ジョン・レノンの日記』載せたら、【予想していないコメント】が来たw。

「『三波伸介さんの命日』も今日ですね…」。演芸に詳しい(つもり)の自分が、不覚にもこの
事実をしっかり失念してた(爆)。指摘したのは『自分の半分以下』(!)の年齢にも拘らずw
何故か【そっち方面には異常に詳しい】(年齢詐称疑惑さえある!)『某マイミク氏』である…

こんな『仲間』いると日記書き難くて仕方ない(苦笑)!ふと矢野誠一氏のエッセイ連想した。


題は『圓生とパンダが死んだ日』。【昭和の名人】と謳われた落語家『6代目三遊亭圓生』の
追悼辞である。題の通り彼は「上野動物園のパンダと同日に亡くなってしまった」ため、訃報
の扱いが『パンダより小さくなってしまった』って【笑えない幕引き】を遂げた噺家であった…
(山藤章二氏の『ブラックアングル』で【ネタにされた】くらいである)。でも圓生がこの事実
知らずに逝ったのは、【ある意味幸せ】だった。知ったら【烈火の如く激怒したに違いない】!

奇しくも『79歳の誕生日に生涯を閉じた』6代目圓生−それほど【プライドの高い】人だった。


『昭和の落語界』広しと言えど、この【6代目圓生】ぐらい(好悪両者で)【プライドが高い】人
は珍しかった。また彼ほど【権力志向強かった】落語家はそういない(あと『立川談志』位)!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%E5%9C%93%E7%94%9F_%286%E4%BB%A3%E7%9B%AE%29

それが『そのまんま芸風に出てしまう』不器用な芸人も、これまた珍しい存在だった、正直

『生前から6代目圓生知ってる』自分が、存命中は【イヤミに思えて嫌いな噺家】の筆頭格!
(余談だが、今の自分の中で『その地位』を占めてるのが【春風亭小朝である】ことを記す)。

芸は達者だ、品もある、折り目正しい…【でも笑えない】!何か『自分の芸に酔うナルシスト』
の部分がプンプン臭う噺家だった。また、必要以上に『礼儀と格式強要する部分』もあった。

彼を『明治人の典型』と擁護する意見も多かった。でも、『陛下の御前で話を披露した』こと
を生涯の誇りにしたり、【格付の位置】や【他人様の評判】を必要以上に意識するなんて話を
耳にすると。『器の小さい人だなぁ…』などと、(己の立場を省みず)失笑してたものだった。

落語家に『俺の話は正座沐浴して聴け!』てな感じで向き直られると【ますます笑えない】!

(最近の『談志』もこの傾向が強い)。「東京落語界の悪癖」(これは現在でも変わらぬ!)
【俺の話はカネ取って当然!と居直る】ような(「上方落語界」はまるで逆!頂いたゼニの分
笑わせまっせっ!って『サービス精神』の差である−最近は上方にも『三枝』みたいな例外
いるがw)、言わば【高飛車な姿勢を絵に描いた】落語家根性の【中心選手的存在】だった。


それでも。戦後は『随分丸くなった方』だと聴かされて呆然とした記憶がある…大東亜戦敗戦
直前(!)に、「酒飲める」(!)理由で満州慰問決意した『あの』5代目【志ん生】のお供した
ばっかりに。混乱の満州で悲惨な目にあった(この話、戯曲ネタにまでなった程であるっ)!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%E5%9C%93%E7%94%9F_%286%E4%BB%A3%E7%9B%AE%29#.E6.9D.A5.E6.AD.B4

『丸くなってひと皮剥けた』と評価され出したのは【その後】である。元々『芸人の子』であり
落語界に入った時は【前座の経験がない】(!)って【中田翔なみ】wの評価された人だった。
にも拘らず『遅咲きだった』のは−「エリート意識」と、それに付随して【苛められたという
コンプレックス】の二面性ではなかったか?その【裏表の部分】は死ぬまで圓生に存在した。


『落語協会会長まで勤めた大看板(おおかんばん)が、突然【協会からの脱退】表明した』。

未だに『東京の落語界』に暗い影を引きずる【落語協会分裂騒動】の勃発は1978年の話だ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E8%AA%9E%E5%8D%94%E4%BC%9A%E5%88%86%E8%A3%82%E9%A8%92%E5%8B%95

『オモテ向きの原因』は、彼の後継で会長になった『5代目柳家小さん』が提唱して実施した
【真打自動昇進制度に反対するため】だと言われている。その『表面上の理由に賛同した』
人気落語家達が、『圓生に付く形で脱退を表明した』から。業界全体が大騒ぎになったっ!

『芸術論』に限れば圓生の説も一理はある。だが実際は【落語協会の派閥騒動】だった…。

『院政を敷きたかった圓生』と、【嫌がった小さん】の対立…それに火を付けたのが−なんと
『小さんの弟子』である【立川談志】(!)だったから、さらに【話がややこしく】なっちまった!

演芸ブームで大量に発生した『二つ目の生活保護制度』の役割を担ってた【自動昇進制】。
推進派だった『小さん』は、「新兵時代に『2.26事件に巻き込まれたせい』で激戦地ばかりを
回らされた挙句に何とか復員出来た」って『筋金入りの苦労人』であり【現実認識派】だった。

一方の『圓生(と談志)』は。言葉悪いが【芸が悪けりゃ喰えないのが当然】って理想派だ…。
確かに、「TVラジオで落語が普及する前」には『その手の噺家多かったのも事実』なのだが
【中途半端に遠回りした圓生のプライド】と【新団体で実権握りたい談志】の野合でもあった。

その『談志』が、突然【下りた】!のみならず、騒動のさなか海外にエスケープしてしまった!

理由は不明である(一説には『後継者は圓楽−志ん朝』と公言され【思惑外れた】…とも)。
これで大勢が決まった。有名落語家が次々に落伍(シャレじゃない)し、結局大山鳴動して
脱退したのは【圓生一門】(その中にも『内紛で【落語協会戻った】直弟子』が…)だけだった。
「落語界の『協会離脱』は、事実上【寄席】と言うホームグラウンドからの追放」を意味する。
『名人』と呼ばれた圓生が「後援会のドサ中に心臓発作で倒れた」−淋し過ぎる末期だった。


『この火種』がまだ燻っていた−騒動で師匠と折り合い悪くなった【談志】である!彼もまた
『圓生と似たり寄ったりの理由』で【落語協会脱退⇒破門】−【家元の実情】はこんなもん…。


『下手な権力志向』が、周囲に【物凄い悪影響】を与える。『6代目三遊亭圓生』はその実例
【本職以上に(!)鮮明に体現した】人だった。確かに『名人』、ただし【反面教師】の部分で。


【追記】

『6代目三遊亭圓生』はまた【同時代の落語家とは比較出来ぬ量のライブラリー遺した噺家】
としても有名である−それだけ『たくさんの噺を演じることが出来た』ことは事実だし、同時に
『現在』視線で考えれば【芸の巧さも幅もある】のは確かなんだが。残した動機がやや不純。

『誰もやらないことは俺がやる!』って【奇妙な功名心で収録しちゃったものが多い】ことも

また事実なのである(苦笑)。何やら冥界で『圓生が得意気に胸張ってる姿を想像する』と、
笑うに笑えぬものがある(これも【談志が忠実にコピーしちゃってる】wってのが難点で)。


なお。『6代目圓生』、本名は【山��松尾】(爆)!『苗字並んでる』あたりが彼らしいような。 

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