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『変珍斎日乗』(惨)。コミュの『カニは【じぶんのこうらにあった】あなをほる』(2007年11月08日)。

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大連立再燃、あり得ぬ=鳩山、菅氏−民主
(時事通信社 - 11月08日 13:11)


「最近の政治家どもは不甲斐ない」!と憤ってる人は、【左右の別を問わず】多いと思ってる。

ただ、その『根拠』をきちんと認識せずに【感情に任せたままで発言する】と思わぬ落とし穴に嵌ることもある−これは、先の『野党第一党党首のダッチロール』を例示すれば明白だろう。
基礎をしっかり固めておかないと『生兵法は怪我の元』になりかねぬことを覚悟する必要が。
そこで。参考になるかは分からない(爆)けれど、「不肖ヘンチンサイの場合」を記してみる。


以前この日記で、「出撃前の特攻隊員が『最も多く口ずさんだ歌』のエピソード」を紹介した

ような記憶があるんだが。自分の場合『認識の原点』は、実は紛れもなく【この話】なのだ!
最初に聞いたのがラジオの『小沢昭一の 小沢昭一的こころ』(!)だったりするもので、よく【ネタじゃないのw?】なんて疑われるのだが…これは【間違いなく本当の話】であるようだ。

大概の人が想像するだろう『勇ましい【軍歌】じゃなかった』(!)ってのがとても意外だった。


http://jp.youtube.com/watch?v=GPWfjPdp38Q

灰田勝彦の『森の小径』。この歌が発売されたのは、1940年。♯皇紀は2,600年…♪と
歌われた年である。「ゼロ戦」こと『零式艦上戦闘機』が海軍に正式採用された年でもある。
この「日本の誇る名戦闘機」を操り『帰りのない飛行に向かった』兵士達にすれば皮肉だ…。

その『森の小径』。当時の「カーキ色でキナクサい社会情勢」を省みると【軟弱極まりない】と
蔑視されるような曲だった!何しろ曲調が【ハワイアン】(!)である。おまけに、詞の方にも

       http://www.fukuchan.ac/music/j-senzen/morinokomichi.html

上記御参照頂ければ一目瞭然、【勇ましい要素がまるでない】のだからっ!正直謎だった。


『特攻隊』(殊に「航空特攻」)を皮切りに【あの戦争の歴史】を調べ始めたのはそれからだ。
調べて行くうちに、少しづつだが『いろんな要素』が見え始めて来た。中でも、隊員の多くが

「根っからの軍人」でないことに気付いた…『予備学生』、つまり【学徒出陣組】だったのだ!


「学徒出陣」に付いては↓の項を御参照願いたい。彼らに付いては、様々な記録が残ってる。

   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%BE%92%E5%87%BA%E9%99%A3

例えば『きけ わだつみのこえ』(これに付いては、出版当時のGHQ検閲を考慮し【好戦的】
発言が編集段階で削除された…などという論争が『近年になって』捲き起こった)であったり
自らも『繰上卒業⇒海軍出仕』(ただし【対外諜報作業担当】が主であった)を経験した作家・
阿川弘之(最近は『阿川佐和子の父』と書いた方が分かりやすいかもw)の初期作品など。
これらの作品を読んでると、当時の『学徒兵』達が【生粋の兵隊】にどう見られたかが分かる。
『シャバっ気の抜けぬ【軟弱な】兵隊』…彼らはこんな【嘲りの視線で捉えられてた】のだっ!

まさに『軍人天国』な時代だったのだなぁ、と痛感する。当然初年兵に対する【苛めの実態】
も、そこここに垣間見ることが出来る…「無学なことのコンプレックスを裏返す」かのように、
『生粋の兵士』達は学徒兵に【理不尽とも思える苛め】を繰り返す。そのもう一つの理由とは。
『学徒兵が任官された途端』に、彼ら【苛める側の兵士】は学徒兵より【地位が下に】なるっ!

「軍隊というシステム」が抱える、『とてつもない矛盾の一面』を見せ付けられる思いである。


そんな『シャバっ気の抜けない』学徒兵達が【型だけの訓練】で特攻へと狩り出されて行く…

『尉官待遇』なる【名ばかりの名誉】と【国を護ると称する大義名分】のために命を捨てる−
しかし、『彼らの遺書』には(「大日本帝国の手紙の検閲」があるとは言え)迷いごとはない。
「高等教育を受けた彼ら」には、ある程度『国の行く末は見えていた』だろうし、また同時に
【軍隊というシステムが内包していた矛盾】にだって気付いていたはずである!なのに、だ。

そんな学徒兵達が口ずさんだ『森の小径』…彼らの【最期のシャバっ気】だったように思える。


一方で、その学徒兵を特攻に狩り出した『生粋の軍人』・特に【高級将校達】はどうだったか?
『軍国主義』の時代は、また旧日本陸海軍『とも』(!)に【内部抗争の時代】でもあった。その
「凄まじさ」は…『派閥政治全盛時代の自民党』(こっちが真似たw観もある)に匹敵するっ!
「切磋琢磨する」ための抗争まで否定しない。だが、彼らの抗争はまさに【権力闘争でしか】
なかった…。まず『両軍が』いがみ合い、さらに陸軍では『皇道派vs統制派』・海軍の方でも
『条約派vs艦隊派』という【不毛極まりない仁義なき闘い】が展開され続けた。その状況下で。
優秀な将官達は、そのほとんどが『左遷された』か【パージされて退官に追い込まれた】っ!

太平洋戦争開戦時、驚くべきは【将来を嘱望された将官】は【ほぼ中枢にいなかった】のだ!
残されたのは『皇族将官の覚え目出度かった茶坊主』や『イケイケで大局観のないホラ吹き』
ばかり…。例えは悪い(ファンに申し訳ない)が『FAでエースと四番が一斉に抜けちゃった
某球団』(苦笑)みたいな【二流三流の将官ども】が戦争の旗振り役勤める羽目になった訳!


それでも、「最前線」にはまだ『優秀な将官』が残ってた…が。その多くは「この国固有」の
悪癖で、持てる能力を遺憾なく発揮出来ず斃れて逝った。『この国ならではの悪癖』とは。

『年次優先主義』と『成績第一主義』…イマ風に言うなら、【年功序列】と【偏差値至上主義】!

「平時」ならこのシステムは有効だったかもしれぬ。しかし『戦時』では【ク*の役】にも立ちゃ
しねぇっ!!…なのに。両軍共最後まで「士官学校(兵学校)の入校順」と『大学の成績』に
固執し続けた!加えて海軍の場合『司令官と艦長は【沈められた艦に殉ずる】という不文律』
が存在した故『捲土重来を見込めそうな逸材』が【艦と運命を共にした】悲劇が多数在った。


さらに追い討ちを掛ける事件も在った。戦争末期、両軍とも【信じられぬ不祥事】を起こす…

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%B0%B8%E6%81%AD%E6%AC%A1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E4%B9%99%E4%BA%8B%E4%BB%B6

これらの『主役』となった将軍達は。皮肉だが【戦争終結後も命を永らえることが出来た】…。


長々と記して来たけれども、以上の記述を(あるいは)【自虐史観だ】などと誹謗する連中が
登場するかもしれない。別に『そう思われる』のは【個人の自由】だからイチャモンは付けぬ。

ただし−「これらの事項を知らなくて」(または『斜め読みの段階』で)そう仰る手合には、
【少々申し上げたい】ことがある…。まず『調べてから』発言を願いたいと思うし、自分に都合
の悪い資料でも【まず眼を通す習慣を身に付けて頂いた】上であ〜だこ〜だと発言頂きたい。

そして、調べた上で発言される時。『都合の良い部分ばかり拾い喰いする』愚は慎まれたい。
「勝手な屁理屈」…などと思われるかもしれないが、【基礎を造る】というのは。このような

『地道な作業の連続』であることをご認識願いたい…それでもまだ、ってぇなら。後は野暮だ。

自分は『この日記』を【自慢をするために書いたのではない】ことを最後に記して置く、御免。

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