ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

『変珍斎日乗』(惨)。コミュの『あくしでんと』(2007年10月07日)。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
■練習再開初日…阿部いきなりダウン


この間。渋谷は某家電量販店の前で【とんでもないアクシデント】に遭遇した。

普段はまず耳にしない「渋谷区神南公共局」wの『スポーツショー行進曲』が流れてる

http://g003.garon.jp/gdb/Gk/M-/D0/OA/wq/GU/B1/ND/FS/K0/Yu/UZO.mp3

ところが…途中から【トンデモな曲へ】変わってしまったのであった…_| ̄|○ ゥゥゥッ !!

http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/Tokon_komete.htm


…やはり、この間『商魂込めて』などと皮肉っちゃったのが祟ったのだろうか(小心者w)?

でも、「共通点」が『オレンジの法被だけ』なのに、【何故あそこに肩入れする】んだろうか?
この瞬間…買物するなら『パのクライマックスシリーズ応援してる【同業他社】だ』と即断w!

そんな冗談?はさて置き。「前掲の2曲」、よく考えてみたら【作曲者は同一人物】だったw。


【古関裕而】。生涯に作曲した曲、なんと『5000曲』(!)以上と言う大作曲家である。

「東京オリンピックマーチ」他『行進曲』を得意にしたため、【日本のスーザ】と称す人も。
「国民栄誉賞」が内定していたのに、それ知らなかった遺族が辞退しちゃった(教えろよw)
…なんて、とんでもないエピソードまで遺しちゃった御仁でもある(爆)。ただこのセンセイ、
【仕事を選ばない】のが最大の欠点なのだった(苦笑)。ついでに言うとあの『六甲おろし』も
古関センセイの作で在らせられる(爆笑)!「ライバルチーム同士の応援歌が同じ作曲者」
ってのも『ベテラン漫才師』みたいで【笑えない話】だが…大らかな時代だったのであろう。


『多作の古関』の本領は「戦中から戦後」だと評する人がある。事実、戦後の「渋谷区神南」
ラジオは、【石を投げたら古関作品に当たる】と揶揄されたのだから(『昼のいこい』や
『日曜名作座』のテーマソングは現在に至るまで使われている…)。これが仇になった事も。


戦時中の『軍事歌謡』も(世相柄仕方ないとはいえ)量産したからだ…中でも『死ぬまで発売
するな!』と噂された【問題の1曲】があった…なのに、戦争末期の「代名詞に例えられる」
ほど世間に膾炙し、『この音盤の元がないのは【七不思議】だ』と言われた【比島決戦の歌】。

http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/HitouKessen_no_Uta.htm

♯いざ来いニミッツ マッカーサー… 出て来りゃ地獄へ 逆落とし〜!♪という凄まじい歌詞。

敗戦で、「本当にマッカーサーが来ちゃった」から『シャレにならないオチ』がついたこの歌。
クレジットは『闘魂込めて』と同じ【西條八十&古関裕而】になっているが…実は問題の部分

『現場にいた陸軍将校が【勝手に歌詞を付け加えちゃった】(!)説まで登場する』曰く付き。

実際「戦後新たに吹き込まれた盤」が登場したのは…本当に『古関の死後』になっちまった。
それだけ、本人としては【忸怩たる思いに悩まされた1曲】だったろう…責められない話だ。


「服部良一」「吉田正」と共に『戦後の音楽界』を(前者二人とは別のサイドで)支えた古関。
晩年は『歌合戦番組の審査員』でブラウン管に登場した−あの【お地蔵様】みたいな笑顔!
運動会でさんざ「彼の行進曲」に付き合わされたw自分には懐かしい…明日は体育の日だ。


『追記』

「六甲おろしの碑」ってのがあるんだが…甲子園ではなく、何故か【川崎市内】にあるのだ!

理由は…作詞を担当した『佐藤惣之助』が川崎市出身だかららしいのだが−奇妙な話だな。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

『変珍斎日乗』(惨)。 更新情報

『変珍斎日乗』(惨)。のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング