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従軍慰安婦という名前の売春婦コミュの朝鮮人戦時売春婦を支える売国奴政治家

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朝鮮人戦時売春婦を支える売国奴政治家

 朝鮮は今も売春産業が盛んで、アメリカなどはもちろん我が国にも出稼ぎに大勢来ております。(参考)出稼ぎ朝鮮人売春婦
 大東亜戦争中も朝鮮人は売春婦として大勢働いていました。(一番多かったのは日本人です)
 そんな朝鮮人戦時売春婦の話しを聞こうとバカ政治家が集まったそうです。
以下引用
http://www.labornetjp.org/news/2007/1172147712327staff01
「慰安婦」問題の立法解決を求める会の皆さんは、毎月一回水曜日11時30分から12時30分まで、国会前で、「慰安婦」問題の立法解決を求め水曜行動を行っておられます。2月21日(水)もこの行動の後、国会内で参議院院内集会が開催されました。
略)
3)2月21日、参院院内集会
 2月21日午後1時30分から参院院内集会が開かれ、「慰安婦」問題を立法で解決するようその声をあげた。呼びかけは、「慰安婦」問題の立法解決を求める会(会長:土屋公献弁護士)。集会には、ワシントンで証言された李容洙さんも参加され、証言の報告を行った。集会の途中で李容洙さんは外務副大臣と面会し、日本政府の謝罪を改めて求めた。岡崎トミ子、福島瑞穂、江田五月、円より子ら各 議員が参加し、国会での活動を報告した。これまでに集めた立法解決を求める請願署名を議員に渡して、「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」の今国会での審議、そして成立を訴え、集会を終えた。
引用終わり


 そしてこの朝鮮人売春婦は埼玉でも講演をするそうです。
以下引用
二十三日午後六時半から、さいたま市民会館うらわで講演会「イ・ヨンスさんのお話を聞く会」を開く。平和団体や女性グループなど十五団体、個人で組織する同実行委員会(石田甚太郎代表)が主催する。
 李さんは韓国・大邱(テグ)出身。十六歳の時に台湾に連行され、一九四五年から旧日本海軍の特攻基地で軍人の相手を強要されたという。
 略)
「一日四人から五人の軍人の相手を強要された。反抗すれば電気拷問やムチで打たれた。つい最近まで当時感染した性病の治療を受けていた」と涙ながらに証言したという。
 略)
 麻生太郎外相が同日、米議会決議案について「事実に基づかず遺憾」と述べたことについて、「私が生きている証人。愛する日本人に恨みはないが、日本政府はきちんと私に謝罪してほしい」と訴えた。
埼玉新聞2007年2月22日(木) 
 http://www.saitama-np.co.jp/news02/22/29l.html
引用終わり

 さて、「私が生きている証人」といったこの朝鮮人売春婦の証言については他の朝鮮人売春婦と同じく面白証言満載です。

李容洙(イ・ヨンス)
1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。
その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。「慰安所」では1日に何人もの兵士の相手をさせられ、抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれたりの暴行を受けた。「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る。
http://www.geocities.jp/kesenai_kioku_04/kyoto/profile.htm

韓国の李容洙さん(74)は、十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し、「私は歴史の生き証人として今、生きている。この法案が審議され、成立することを望む」と語りました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html


「慰安婦」日本の慰安所を再訪
  (China News、英文中国日報,1998.8.23)
略)
  李容洙(71)はかって日本軍の性奴隷として足かけ三年間従事した場所を涙のうちに探しだした。
  その場所は現在、中華民国空軍の将兵用三階建ての寮になっていた。彼女は、1944年(43年の間違い)のある夜、韓国の故郷からどのようにして日本軍により誘拐され、いかにして日本軍の性奴隷になったかを涙ながらに語った。
  彼女が、日本空軍(ママ)カミカゼ隊の駐屯する見知らぬその地の慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。李は、ハセガワという日本人将校からそこは台湾北部の新竹であると聞かされて、初めてその地名を知った。
  李は日本軍慰安所の生活を悪夢として語った。彼女は木造二階建ての家に住まわされた。彼女は慰安所の前100mくらいの範囲で動くことを許されただけなので、思いだせるのは青い野原と近くを流れる小川くらいである。
  彼女は50年以上、夢にまでみた川岸に立った瞬間、どっと涙がこみ上げた。彼女は日本軍が連合軍に降伏した後、韓国・大邱にもどったが、こうして再びかっての苦難の地を訪れることができたことに感謝した。
略)
  李の他に、14人の韓国人女性がその慰安所で性奴隷として従事していた。
そのうち二人の同僚は、連合軍の空襲で死んだとつけ加えた。
http://www.han.org/a/half-moon/hm057.html

�� ◇「犬や豚以下の生活」=最初に証言した李容洙さんは「1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され、3年間にわたり日本軍に性的にもてあそばれた」とし「2階建ての日本風の慰安所で一日平均4、5人の日本軍に強姦され、粥で生き延び、何かあるとすぐに暴行されるなど、犬や豚よりもひどい生活をした」と証言した。日本軍によって‘トシコ’と名付けられた李さんは、性行為を拒否して電気拷問を受け、韓国語を話す度にひどく殴られた、と語った。李さんは「終戦後に家に帰ると、母は‘死んだ娘が霊になって現れた’と言い、父は鬱火病で中風になり、その年に亡くなった」と述べた。李さんは「日本政府は謝罪したと主張するが、一度も謝罪を受けたことはない。 世界の性的暴行を根絶するためにも日本は必ず謝罪しなければならない」と強調した。
http://www.kanzaki.com/docs/jis-recover.html

李容洙(イ・ヨンス)さん
 女学校で日本の歌を歌わず、警察に大連(だいれん)に送られ、大連から海路上海(しゃんはい)を経て台湾の慰安所へ。航行中ひどい船酔いに苦しみ、便所へ吐きに行ったら日本兵に犯された。友だちも同じようにして犯された。船中で何度も同じ目にあった。一六歳からの三年間、敗戦の日まで慰安所に監禁された。軍人を相手にすることを拒んで電気拷問を受け、今も両手に後遺症が残る。
http://www.prati.info/c/back/3pun/28.html

  一九二八年生まれで一四歳で売春婦になったのであったら、一九四二年だし、一六で売春婦になったのなら一九四四年。
そして三年も売春婦として働いていたのなら、一九四四年からだと一九四七年まで働いていた事になり、敗戦後も売春婦としてせっせと金を稼いでいたことになります。
 まあ、言う事がころころ変わるのは偽証が得意な国民性と言ってしまえばそれまでなんですが、「女学校で日本の歌を歌わず、警察に大連」に送られってアホ過ぎます。もう少しマトモな理由を考えてほしいものです。
 こんなバカ朝鮮人売春婦を民主党は呼んで話を聞いていたのです。
ましてや、バカ議員のやっている「水曜日11時30分から12時30分まで、国会前で、「慰安婦」問題の立法解決を求め水曜行動」とかいうのは朝鮮人売春婦ババアがソウルの日本大使館の前でやっている恥知らずな「水曜デモ」とか言うやつの真似でしょう。売国奴の岡崎トミ子はそれに参加し、我が国の国旗である日の丸に×を書いた前で拳を振り上げてしっかりと反日ぶりを見せてくれました。
 こんな売国奴を当選させている岡崎の地元の宮城県のみなさんは恥ずかしくないのでしょうか。

(まあ、あの国賊土井たか子を私の地元の兵庫県は最近まで当選させていましたけど・・・・・)

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