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“もっと昔”の日本野球が好き!コミュの西本幸雄氏 逝去

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去る25日。関西球界の重鎮:西本幸雄氏が逝去されました。91歳の大往生でした。
一度も日本一にこそなれなかったものの、大毎・阪急・近鉄で8度のリーグ優勝を遂げた名将です。
阪急・近鉄監督以降のエピソードは他コミュで語られると思いますので、“もっと昔”の日本野球を
愛好する当コミュとしては、それ以前の西本氏について語れたらと思います。

また一人「“もっと昔”の日本野球」の先達が他界してしまいました。
衷心よりご冥福をお祈りいたします。

コメント(4)

西本氏は監督として8度パ・リーグ優勝したことについて語られることはお決まりですが、
意外と出てこないのが、火の玉投手:荒巻淳を擁して別府星野組で制した昭和24年の都市対抗野球のこと。
監督としてプロ野球3球団で優勝したのは、三原脩監督(巨人・西鉄・大洋)と並ぶ記録ですが、
都市対抗野球の優勝とプロ野球のシーズン優勝の両方を成し遂げている監督は西本氏だけでしょう。
あまり取り上げられませんが、かなりの大記録だと思います。
星野組は結構プロに行きましたね。西鉄の関口さんもいましたね。この関係は近鉄まで続きます。星野組の優勝パレードを見てプロ入りを決心したのが稲尾さんですね。意外な関係もパ・リーグの人が多い。
別府星野組の主だった選手のうち、南海に行ったショートの長沢選手、
巨人の保留選手だった関係で毎日入りを妨げられた(西日本へ入団)関口選手以外の
レギュラー選手は毎日入りしていますね。
具体的には、投手の荒巻・捕手の東口・一塁(兼監督)の西本・二塁の今久留主弟・
三塁の今久留主兄・外野の白川、小俣。
このうち、当初、毎日に誘われたのは、長沢・関口・西本・荒巻・今久留主兄だけだった
ようなのですが、プロ野球参入にあたって選手の頭数を揃えたい毎日と、進駐軍関係の
工事の減少による経営難からで野球部を手放したがっていた星野組の双方の思惑を
巧みに感じ取って、選手全員の就職先を確保したあたりも実に“名将”だなぁ〜と思います。
おぉ、そんな沢山毎日に行ったんですね。仲間の働き口を面倒見れる親分肌も、当時の名監督の資質ですね。

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