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レーニン『国家と革命』(講談社学術文庫)発売に関して。

岩波文庫、ちくま学芸文庫で品切れになっていたレーニン『国家と革命』の新訳が出版された。

翻訳者はソ連軍の研究でロシア語を使ってきた防衛大学校の教員。「敵」を知るためにレーニンをロシア語で読んできた軍事研究者である。

『国家と革命』はマルクス主義の必読文献であると同時に入門書でもある。

僕は刑務所内拘置棟で篠原看守に「マルクス主義を学ぶには、どの本がいいのですか?」と聞かれ、レーニン『国家と革命』を勧めた。

僕は独房を研究室に変え読書三昧にふけり、夜は看守相手にマルクス主義の講義を行っていた。

レーニンによれば国家とは軍隊、警察などの暴力装置であり、ブルジョワジーがプロレタリアートを支配するための道具である。

しかし、この規定には欠陥がある。

なぜ、ブルジョワに搾取、収奪されている労働者階級がブルジョワ政府に従っているのか、ブルジョワ政府を支持しているのかが分からない点である。

マルクスとエンゲルスの共著『ドイツ・イデオロギー』には「国家とは幻想的共同体である」と書いてある。

資本主義においては、国家は、自由、平等な個人によって作られる公共、共同の共同体としての仮象(いつわりの姿)を取る。

国家が国民のものだというのも警察が市民のためにあるというのも「幻想」である。

そうした「幻想」を作るために、選挙が行われ、警察はブルジョワ女を強姦した者だけでなく、労働者階級の女を強姦した者をも逮捕するのである。

こうした意味で「国家は幻想的共同体」なのである。

レーニンの時代には『ドイツ・イデオロギー』の原稿が発見されていなかった。

だから、レーニン国家論には限界があるのである。

また、レーニンは武谷三男の「三段階論」を知らなかった。

「武谷三段階論」とは日本の戦後技術論論争を主導した武谷三男が創出したものである。

「現象」「実体」「本質」との段階を作った。

「ガラスのコップが床に落ちて割れる、音も出る」という「現象」の担い手は、「コップ」「床」などの「実体」である。

この現象、実体を規定する「普遍的」なものが万有引力の法則である。

この普遍的なものは現象・実体の下向分析に基づく抽象によって発見される。

これが「武谷三段階論」である。

レーニンが国家だと把握した暴力装置(軍隊、警察など)は国家の実体であり、国家の本質ではない。

では、『ドイツ・イデオロギー』でマルクス、エンゲルスが述べたように国家は「共同幻想」に基づいて支配しているのであろうか?

革マル派初代議長だった黒田寛一は、そう考えた。

しかし、僕は、それは不十分なものだと思う。

アメリカでも、中国、北朝鮮、ベトナム、かつてのソ連では閣僚や組織のトップの事を「書記」「書記長」「第一書記」「総書記」(英語ではセクレタリー)と呼ぶ。

日本の新聞はアメリカには国務長官、法務長官、国防長官が居ると書いているがウソである。

国務長官は「セクレタリー・オブ・ステイト」(国家書記)、法務長官は「セクレタリー・オブ・ジャスティス=正義書記」、国防長官は「セクレタリー・オブ・ディフェンス」(防衛書記)である。

これらの国は革命政権を自称しているから「書記」という言葉を使うのである。

ラテン・アメリカ諸国も、フランス革命の影響の下に行われた独立革命によって誕生した国である。

ゲバラの映画でゲバラを捕虜にしたボリビア軍の大佐が「ボリビアでは、もう革命がすんでいる」と言ったのが印象的であった。

ボリビア軍の大佐にとって、ゲバラは革命政権を打倒しようとする反革命分子なのである。

イラン、トルコ、ムバラクのエジプト、カダフィ大佐のリビアも革命政権を自称してきた。

王国のサウジアラビアでさえ「ワッハーブ闘争」なるイスラム原理主義革命によって成立した革命国家だと自称している。

『コーラン』には「泥棒の腕を切れ」との言葉がある。

アメリカがイスラム原理主義国家と呼ぶイランでは「泥棒」の腕を切らない。

イラン政府は、貧困ゆえに盗んだ者の腕を切る事は「被抑圧者を守り、抑圧者と闘う」というイスラムの理念に反する事だとしている。

『コーラン』に「泥棒の腕を切れ」と書いてあるのは、預言者ムハンマドの時代のアラビアには、キャラバンを襲撃して金品を奪う事を生業にしていた部族が存在し、アラビアに統一国家を建設するためには、襲撃を根絶する必要があったからである。

サウジアラビアでは窃盗を犯した貧乏人の腕を切っている。

しかも、その場面を公開している。

しかし、アメリカはサウジアラビアをイスラム原理主義国家とは呼ばない。

なぜか。

サウジアラビアがアメリカの同盟国だからである。

アメリカは、弱者、貧しい者の解放を掲げ、泥棒を腕を切らないイランをイスラム原理主義国家と呼ぶ。

なぜか。

イランがアメリカの敵国だからである。

話を国家論に戻す。

黒田寛一が『ドイツ・イデオロギー』に基づいて、国家が「共同幻想」によって人民に支配を受け入れさせていると述べているのは不十分である。

それは、黒田のマルクス教条主義の結果である。

黒田は、大いに、レーニン、トロツキーを批判した。

レーニン、トロツキーの理論の中にスターリン主義を生みだす黒い影を見出だした。

また、エンゲルスを「スターリン主義の父」として批判した。

しかし、マルクスは批判しなかった。

20世紀、21世紀の日本の除く、主要な国家は「共同幻想」ではなく「革命幻想」によって支配に対する同意を取り付けているのである。

これらの政権は自称革命政権である。

「革命によってできた国家だから正統な国家であり、人民は、その国家を支持すべき」だという主張によって統治しているのである。

日本では中国儒教の『易経』が絶賛し『孟子』が肯定した革命(革命の語を最初に生み出したのは『易経』)が否定されてきた。

朱子学者の山崎闇斎は革命を厳しく否定し、いかなる悪い天皇でも尊重すべきだと唱え、垂加神道の創始者になり、国学に大きな影響を与えた。

吉田松陰は『孟子』を批判し、天皇を打倒する革命を否定した。

明治の大変革も「革命」ではなく「維新」だとされた。

日本が、いかに特殊かが分かる。

この小論に興味がある方は、私のマイミク(友人)になって下さい。

意見が対立する方からの批判を喜んで受け入れます。

また、レーニン『国家と革命』を読まない人間はマルクスに関係があるコミュニティから脱退して下さい。

そこは諸君が居る場所ではない。

右翼の看板を掲げた暴力団に加入して下さい。

コメント(4)

今日の日本をより良い日本に変えてゆくための誠実な努力を、一人一人がそれぞれの場所から真摯に行うべきだと思います。
それは人間同士が互いに愛と希望と思いやりと智慧で結ばれることが必要だと思います。
社会の構造の問題は愛などでは、どうにもなりません。
労働者を先導して、警察や自衛隊を排撃しながら国会を蹂躙しようという革命論は、大義も現実性もないように思えます。
プロレタリアートの解放は全人類の解放になるのです。

暴力を否定するなら、明日から警察官に「銃をよこせ、廃棄するから」と言い銃を奪って下さい。

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