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ラテン系人間の会コミュの懐かしい芸人(2/50):中田ダイマル・ラケット

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僕は幽霊1
http://www.youtube.com/watch?v=hHj8hdlT8Ho
僕は幽霊2
http://www.youtube.com/watch?v=1kdSmubN6ec&feature=related
なつかしの昭和爆笑漫才〜天国の笑星(スター)〜
http://www.youtube.com/watch?v=ZJNQtSUSKgc&feature=related

「爆笑王」と呼ばれた中田ダイマル・ラケットは吉本興業に所属していた漫才コンビ。
大阪・朝日放送のTV番組『びっくり捕物帳』や『スチャラカ社員』が懐かしいなあ、
流行らせた台詞が「青火がパァ、ボヤがボォ」、「いっしょやいっしょ〜」
1960年代ワシが学生時代にラジオの朝日放送で音楽リクエスト番組を受け持っていて、そのときのCMを忘れません、551ほうらいのシュウマイ・豚まん、どこかの酒饅頭
、放出(ハナテン)中古車センターです。

弟子があの中田カフス・ボタンですね。

中田ダイマルは兄とのコンビ「松王・梅王」でデビュー。後に「中田ダイマル・デパート」に改名。兄の戦死により、弟の中田ラケットと1941年(昭和16年)にコンビを結成。実の兄弟コンビ。

兄:中田ダイマル(本名:中田勇夫、1913年(大正2年)12月14日長崎県生まれ - 1982年(昭和57年)9月5日)。享年69歳。
弟:中田ラケット(本名:中田信夫、1920年(大正9年)3月3日長崎県生まれ - 1997年(平成9年)2月5日)。心不全のため死去、享年76歳。

松竹芸能に所属し、後に吉本興業へ移籍した。ダイマルは昭和初期に 旅役者の一座を経てから兄と中田松王・梅王という漫才コンビを結成。後に中田デパート・ダイマルと改名し1934年に天神橋五丁目葵席が初舞台。昭和16年に兄が病死し、工員であった弟とコンビを組み、中田ダイマル・ラケットを結成した。

戦後間もないころ 戎橋松竹の幕間の「拳闘漫才」で話題を博し、民放テレビの黎明期の1958年(昭和33年)に、朝日放送の専属タレントとなった。『お笑い街頭録音』『びっくり捕物帳』『スチャラカ社員』などの番組に出演。1978年(昭和53年)、心斎橋パルコにて、傑作ネタの数々を後世に残すために「笑学の会」主催で9月13日〜15日の3日間にわたる独演会「中田ダイマル・ラケット 爆笑三夜」を行う。

「スチャラカ社員」が終了後は一線から引き、寄席と後進の指導に当たった。

横山エンタツ・花菱アチャコ、夢路いとし・喜味こいしらの正統派しゃべくり漫才の系譜とは一線を画し、天性の発想力による奇抜なシチュエーション展開で笑わせるタイプの天才肌漫才。ダイマルの頭脳と身体(仕種の面白さもこの漫才の特徴の一つ)をフルに使った機関銃のような笑いの攻勢は、客席ばかりでなく時には相方ラケットさえ舞台上で笑わせてしまう(その様子がさらにおかしさを倍加する)ほどの凄まじい威力であった。またダイマルのボケを受けるラケットのツッコミも絶妙な間と、時にはボケに入れ替わって笑いを取ることができるほどの上手さであった。そのためダイ・ラケが舞台に立つと、客席の笑い声が凄すぎて小屋が揺れたという逸話が残っているほど。客席を笑わせる間隔の短さでは、このダイ・ラケを超える漫才はいまだに登場していないと言える。このため、ダイ・ラケコンビの漫才は、「3秒に1回笑わせる漫才」と言われることもある。

ダイマルは酒と女性が大好きであり、人気も収入も全盛期であった53歳の時に当時の妻に全ての動産・不動産を全て譲ることを条件に離婚、32歳年下の女性と再婚した。この妻(中田和子氏、中田興芸代表取締役を勤めた)は作家としてダイマルとのドキュメント小説を出版している。なお、和子氏はダイマルの長男よりも年下である。この結婚は当時ワイドショーで大変話題となり、バラエティ番組でも司会者からよくいじられていた。結婚暦は二回であるが、一人目との妻との間の三番目の子どもとは別に、妾の女性との間に次女と同い年の娘がおり、ダイマルのマネージャーを勤めた頃もあった。

非常に酒好きで有名であり、加齢のためレギュラー番組がなくなってからは特に飲酒量が増え、それがきっかけで胃潰瘍になり、腹膜炎により惜しまれつつも亡くなった。(享年70、満年齢68)

ラケットは明るく遊び人であった兄ダイマルとは対照に、とても無口で神経質な性格であり、大きな舞台では顔が引きつったラケットをダイマルがニコニコ笑いながら励ます光景がよく見られたそうだ。

「中田ダイマル・ラケット 爆笑三夜」は3日間でアンコールも含めて計10席行ない、この独演会には関係者、プロの芸人などが訪れ舞台袖で生で見ていたという。

「中田ダイマル・ラケット 爆笑三夜」はCBSソニーからレコード化されており、読売テレビと大阪放送の収録して放送された。

代表作に、『僕は幽霊』『家庭混戦記』『僕の恋人君の恋人』『恋の手ほどき』『地球は回る目は回る』『僕は迷医』『僕は迷優』『僕の時計(僕の健康法)』『僕の漂流記』『僕の農園』『僕は小説家』『無線車』『ジャンケン』『僕の発明』などがあり、「いうてみてみ」「きいてみてみ」・「なんじゃとて」・「かわいそうになぁ」・「青火がパァ、ボヤがボォ」・「いっしょやいっしょ〜」・「そーやがな、そーやがな、そーやがな」等のフレ−ズが有名。(これらの言い回しは弟子筋にあたる中田カウスに受け継がれている)

読売テレビで主に昭和50年代に放送された「お笑いネットワーク」と「漫才笑学校」の中から、6本を収録したDVDがポニーキャニオンから発売されている。

初代Wヤングに中田治雄(本名:中田軍治)という人物がいたことから、彼らと師弟関係ではないかという噂も出たようだが、Wヤングは西川ヒノデ門下でありこれは事実ではない。

ダイマルの長女はタレントの中田真理亜(元桂三枝門下の「シェイプアップ」)

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