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太平洋戦争からの『音楽文化』コミュの? 信時潔の歌曲作品/木下保(『音楽文化』 第1巻第1号 1943年12月

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内容:

こんどの第10回独唱会は日本語の、しかも日本人の一人の作家の作品を一晩にまとめて歌った。

これまでは、だいたいドイツ歌曲の移り変わりを発表してきたが、それを回顧して、いよいよその知識と経験をもって日本歌曲による独唱会を行なったのである。

さて独唱会を開いてみると、日本語の発声法や日本歌曲の歌い方に経験が少なかったせいか、難しいと痛感した。

いまさらそんなことを感じるというのは日本人の一人として、あるいは日本の歌手として恥じ入るしだいである。

日本歌曲に対する不勉強を取り戻し、立派なものを生み出したいという希望に燃えて緊張した気持ちで勉強することができた。

とにかく1943年9月19日に独唱会が開かれてから、この会がひじょうに有意義であったこと、いろいろな問題を投げかけたという意味の手紙が多く寄せられ、とくに青年層の人たちからこの時局下、日本の作家の作品を自分たちの手で開拓したい希望をもっていたという手紙もあり、自分としては共感を得られてひじょうに喜んでいる。

手紙の内容はいちいち挙げないが、そこには青年の希望のようなものが現れている。

それはこの時局下、厚生音楽のようなものに身命を打ち込むことは覚悟して実践もしているが、その一方で在来の長い伝統をもつ芸術的実りのゆたかな歌も自分の精神生活の向上なり、歌手としての技巧、教養を不断にたかめていきたいという熱意である。

/そこで個々の演奏について勉強中の苦労話をご披露すれば、これから勉強する青年に何らか得るところもあろうかと思うので、少しく述べたい。

まず土岐善麿訳詩の《鶯の卵》から

(イ)<絶句>。この歌では、純粋な日本の母音で音が飛躍する場合に、母音の調節がひじょうに難しく苦慮した。

(ロ)《示談》では、高い音で日本語の「ウ」という母音が続く箇所はひじょうにやりにくいと感じた。ドイツ語の「ウ」とちがって日本語のそれは比較的上部に共鳴の箇所があるので、音が痩せてきこえる。この「ウ」と続く母音とのつながりの比例ひじょうに難しい。

(ハ)《鹿柴》はピアノの曲に朗読を交えていくもので、どのくらいの音程でどのくらいの大きさの声を出したらいいのか、調子をつかむのになかなか骨が折れた。しかし作品が上手くできているため演奏効果はすばらしいようであった。

(二)《張節婦詞》のさいごの段の<良人瞑目黄泉下>は東洋人でなければ到達しえないような歌詞であり音の表現であるため、単純な音にそれだけの意味を含めて歌い流すということは、技巧的にも内容的にも苦労があった。

将来こういう気持ちの歌はたくさんつくられるに違いないから、この精神的内容とこの表現の技巧は日本人の歌手であれば一人残らず極めて欲しいと思う。

2の《沙羅》の8曲を総括して考えると、この中には日本人でなければ到達できないような心境、さらに日本古来の言葉つき、より具体的には能の表現のし方を考えて、われわれがこれから築いていかなくてはならない発声法で、能とは違った技巧で日本人に現代の表現法というものを築いていかなければならないことなどが意外に苦労であった。

また西洋の歌曲は思ったことの100%を表に現すのに対し、日本語の歌曲では思いつめたある小部分を鋭く表して、それで思いの全体をこめたものを感得させる。

これを技巧的に考えてみるとひじょうに難しい。

すなわち極力表面的な表現を避けて、もっぱら内面的な表現を用いて全曲を歌いこなさなければならない。

日本精神を現すうえに、これからの技巧的修練のヒントを得たような気がした。

3の与謝野晶子作歌の《小曲五章》の段では作歌者が日本の女性作家であるせいか、女性的な表現法に自信がなかったのであるが、それでもいくらかは作歌者や作曲者の意図を表現したつもりである。

第二部に入って4.《小倉百人一首より》。

技巧的には特に難しいところはないと思ったが、筝唄や民謡調、あるいは古典的な旋律が多分にあるので、それらの特徴を心得て歌わないと見当違いの表現をする恐れがある。

5.の小品集も、だいたいこれまで述べてきたいずれかに該当するが、ただ<野火>については、日本語としては珍しく早口な曲である。

日本語は西洋の言語と比べて子音が少ないため、母音をてきぱき変えていかないと何をしゃべっているかわからない曲になる。

充分な早口の練習が必要だった。

6.の北原白秋詩の《小曲集》は、ただ白秋独特の情緒を詩的にいかに表現するかということに心を砕いた。

7.の(イ)、蒲原有明の《茉莉花》。この曲は演奏時間が7分以上かかる、日本の歌曲としては相当長い部類に入るものである。

いろいろの変化の中に、叙情的、劇的あるいは叙事的なものを織り交ぜて曲に一貫した感じを与えてゆくことに苦労した。

同じく(ロ)の橘曙覧の《獨樂吟》は日本の歌曲としては珍しくほがらかな曲なので、明るい母音を使いながら歌いとおすことを心がけたつもりである。

同じく(ハ)は与謝野寛の《短歌連曲》。

この曲はかなり劇的な表現が使ってあるが、西洋の曲を勉強した者には苦労なく表現できるもののように思える。

この独唱会を振り返ってみて、日本のあらゆる芸術分野と西洋の芸術を比較して、日本的精神文化とでもいうものは西洋のそれと比べて緻密で、静かで、しかも簡素で枯淡の味わいがあり、さらに後味が相当長く続くと思われるものが特徴となっている。

その立場からあらゆる技巧の根本の裏づけをしないと、いわゆる日本的表現の万全を期し得ないということを痛切に感じ、技巧を学理的に体系づけることが、われわれの目下の任務であるように感じた。


【2006年6月14日】

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