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ほげ教コミュのほげきょうは

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魂の救済は 等しく訪れよう
人に非ずとも 悪魔に非ずとも 大いなる意志の導きにて



今日は、あなた方がいかに幸運な人生の持ち主であるか、
そして、修行するということにおいて、いかに恵まれたカルマの持ち主であるかということについて話したいと考えています。

あなた方が、ヒナヤーナの修行者であれ、
あるいはマハーヤーナの修行者であれ、
あるいは稀な最高のカルマの持ち主であるタントラヤーナの修行者であれ、
あるいはヨーガ系統の修行者であれ、
いずれにしろ真理の探究ができるということは素晴らしいことだ。
そしてそのチャンスというものは、私は無限大分の一に等しいくらいの、稀なチャンスだと考えている。

仏典ではこう書かれている。
まず、私たちがこの人間界に生まれ変わる、その条件というものは、
地獄の世界というものがあって、その地獄の世界というものを、夜見える星の数だと考えたならば、
昼間に見える星の数が餓鬼の世界であると。
そして、同じように夜見える星の数を餓鬼の世界だと考えたならば、
動物の世界というものは昼間に見える星の数であると。
そして、夜見える星の数を動物の世界だと考えたならば、
人間の世界というものは昼間に見える星の数であると。

これはどんどん行って神々の世界に至るわけだが、
修行できる本当の意味でエンライトメント、あるいはサルベーションできる修行の場というのは
人間界がもっともよろしいということになっている。
もちろん、人間界の上には阿修羅の世界、あるいは天界という世界があるわけだが、
なぜ天界に住む神々、あるいは阿修羅に住む魂より、人間の世界の魂の方が修行に向いているかというと、
それは人間の世界というものはある程度楽しみもある、ある程度苦しみもあるという状態で、
要するに、ちょうど苦と楽の比較というものがしやすい状態であると。

徳という点からいったら、阿修羅、それから天界の方が上だ。
そしてね、阿修羅の魂というものはすごく真面目な魂で、日々努力はしているわけだが、
その努力の目的が、神々を超越したいと、天界を超越したいための嫉妬心から出ている努力なのだ。
だから報いられるとしても、結果としていろんな形が出てくるとしても、
心の状態というのは絶えず殺伐としているわけだ。

では、神々はどうかというと、膨大なる功徳によって満足できる状態にいるわけだ、この現象界で。
だから、別にこの現象界を捨てて、現象界を乗り越えてアストラルやコーザルのニルヴァーナに入ろうという気持ちにならないわけだ。
そこへいくと、先ほど言ったとおり人間の世界というのは適当に苦があり、適当に楽があるから、
高い世界にいったん落っこちて人間の世界に入った魂は、当然より高い世界へバックしようとする。
そして、私たちの無意識の意識というものは、その繰り返し、功徳を積めば上昇する、悪業を積めば落下するという繰り返しを知っているから、
天界へ行ってもしょがないと、それよりもっと自由で壊れない世界へ行きたいと考えるわけだ。
そこから本当の意味での修行が始まるわけだ。

また、仏典ではエンライトメントの確率について、こういう表現を使っている。
一匹の盲目の亀がいると。この盲目の亀は海底に普段は生活していると。
そして、その盲目の亀は数百年に一回、海上から上がり呼吸をして、また海底に沈む。
ちょうどその時に、その海上を牛のくびきが自然に流れてくると。
そして、その数百年に一回、盲目の亀が海上に上がり、そのくびきに偶然に入る確率と、成就する確率は一緒であるというふうにいっている。

そして、その盲目の亀の意味合いというものは何かというと、
私たちが、さあ真理に向かって修行しようじゃないかと考える心の働き、これが数百年に一回なのだ。そして、その時に真理にめぐり合える確率、それが海上を流れてくるくびきだといってるわけだ。
で、この海全体は何かというと、六道を輪廻してい生物たちであり、
それから考えてもわかるとおり、私たちが真理に巡り合い、解脱する確率なんていうものは本当に無限大分の一なのだ。
そして、今あなたたちは数百年に一回の真理とのぶつかりに直面しているわけだ。

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