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サカエ姉さんと愉快な仲間たちコミュの夜明け

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岡林信康の「友よ」
「友よ、夜明け前の闇の中で、友よ闘いの炎をもやせ
 夜明けは近い、夜明けは近い
 友よ、この闇の向こうには、友よ輝く明日がある」
この歌が新宿の地下で歌われた時、漠然と世界の未来は明るいものとして想定されていたと思う。

でも70年がきて、70年安保がこけて、
な〜〜〜〜んも起こんなかった。変わんなかった。
このだるさはすごかった。ベッドにねっころがってだらっと浅間山荘の中継や羽田にで〜〜んと止まってるよど号を眺めながら、閉塞感がつのった。こうじゃない、そうじゃない。こんなんじゃダメだ、展望でないよ・・・

そういう時に、
浅川マキ「夜が明けたら」
「夜が明けたら、一番早い汽車に乗るから
 切符を用意してちょうだい、ほんと、ほんとよ」
ここでは、夜明けは仮定になっている。夜が明けたら、汽車に乗るが、はたして夜があけるかどうか。「ほんと」と自分の決意を励ますのも、いかに状況からでるのが困難かを伝えている。
さらに
遠藤賢司「夜汽車のブルース」
「なんかいいことないか、なんかおもしろいことないかと
 夜汽車は、夜汽車は走るのです」
ここにいたっては夜明けはでてこない。夜、闇の中を希望を探して夜汽車は走る。

この閉塞感。これが70年代の初めだ。
万博で浮かれる一方で、ドルショックにかけての、この三曲の変化には、猛烈に共感した。
で、高校の文集に上記の内容を書いた記憶がある。2年か3年かは定かでない。

さらに
休みの国「追放のうた」というのがある
「俺の背中にこだまする、人々のあの歌が
 喜びの歌じゃない、追放のあの歌
 昨日は俺も一緒に歌ってた」
この人々はだれだろう。
何種類かに解釈可能だと思う。

人々:一般大衆 俺:過激派
人々:過激派 俺;反革命分子

そこを重ねあわせて、変革の意思をもちながら大衆にも運動にも属せない感性というのもありだろう。この行き場のなさの感覚は大きかった。
これが、友部正人の「乾杯」にある。
人質になった山荘管理人の夫人はやすこさんというが、
昨日は行き倒れたよっぱらいに目もくれなかった市民達が、やすこさんにだけは触りたいらしいと正義漢に変身。そのやり切れなさ。でも赤軍のいわゆる「極左冒険主義」にも与することはできない苛立ち。

それから30年。
夜明けは近くなったとは思えない。
だから、どうなのってことではあるけどね。

コメント(23)

夜明けを探して、希望を探して走ってるってのがいいよなー。
なんもなかったかもしれないけど、探してたんですよね?
今は探すこともあきらめてる節が・・・。

私あんまり歌詳しくないんだけど、こんな象徴的な歌現代では作られてるのかしらん?
トモベとかのはフォーク時代だけんさ、フラワームーブメント的にはそれが「かっこえかった」とも言えるんだろうな。
でも、考えてたのは事実、「まるで洪水のようになにもかもが引きずり込まれていく」とかね。

ユートピアがどこにも無いってのが現代の象徴じゃないのだろうか。椎名林檎「何処にも桃源郷は無いといいます」。
世の中がくそったれすぎるけど結局歌ってるやつらはくそったれた社会の中でぬくぬく安住してるやつらが大半で、そのことを自覚してるかあるいは全く自覚してないから鼻くそみたいな歌詞しか作れないんじゃないのかしら。
ゆうたら文壇、有識者みんなそうだもん。この閉塞感。

多分パレスチナとかに行ったらいい歌詞の歌あると思うよ。

俺はノンポリだから自然を歌った歌はいまでも輝いてるものが作られてると思うよ。coccoやadvantagelucyの自然描写は涙でるし。
>世の中がくそったれすぎるけど結局歌ってるやつらはくそったれた社会の中でぬくぬく安住してるやつらが大半で、そのことを自覚してるかあるいは全く自覚してないから鼻くそみたいな歌詞しか作れないんじゃないのかしら。

ふむふむ。なるほどねー。
たぶん今の世の中で象徴的な歌詞で歌作っても売れないかもね。
少なくとも私は買わないわ。
やだよー、チャリ乗りながらそんな聴いたらへこむわー。
上のような歌たちは、みんなで集まってしーんみり?あるいはいっしょに歌って、共有の一ツールみたいなもんだったのかな?
今作られてるとがった歌ってなんか落ち着かなくて、そわそわして、赤面してしまう。
そりゃそうだがよ、なんかなーみたいな気持ちになる。

私は基本的に聴いててきもちいい曲しか聴かない。
歌詞にはこだわってない。
あ、でもバスク出身のとがってる人の歌はなんかかっこよくて、切実で好きだ。

日本のとがってる歌はその人にとってほんと切実なのかもしんないけど、なんか軽いと思ってしまうんだよねー。
それ、三助くんが書いたことに起因してるんだろうね。

>サカエさん
夜明けの歌たちはどんな風な存在でしたか?
あと、最近の曲で好きな曲ありますか?
そらまたどーして好きですか?
>>サカエさん

なるほど歌がメッセージ、意味を持っていた時代なんだなあ
しかも心情の変化がわかりやすい
やっぱり共有する価値感があるからこそできたんでしょうね
伝えようとしてた


>世の中がくそったれすぎるけど結局歌ってるやつらはくそったれた社会の中でぬくぬく安住してるやつらが大半で、そのことを自覚してるかあるいは全く自覚してないから鼻くそみたいな歌詞しか作れないんじゃないのかしら。

そういうやつが作るのは恋愛ソングばっかりでその歌詞も歌もひどい。
そんでまたそれが売れるからひどい
向井秀徳氏はなかなかいい歌詞をお書きになる
例えばこんなん

現代。
冷凍都市に住む 妄想人類諸君に告ぐ
我々は酔っぱらった。今日も46度の半透明だった
HAGAKURE理論に基き 吠えたNUM−AMI−DABUTZが成功し 祝うこの世の無常節
同情の果ての冷笑を無視
俺は極極に集中力を高める必要がある メシ食う時は新聞を凝視する必要がある
中間試験を受ける必要はない 軍事訓練を行う必要はない
赤軍派に感化される必要はない 俺はそんな平和な俺の平和を歌う必要はない

必要ない 必要ない

鋭角恐怖症のヤツは耳をふさげ
エレクトリック混乱主義者の俺は酒毒に侵食された脳が繰り出す言葉を呟きながら虚ってあいまっていたから
歩き出した冷凍都市の18時半
真昼間にひっつきまくった男女の生殖器官はもういい加減 どうこうもならん
視姦される女たちが自意識をまきちらし恥さらし、
しかしとりすましてパンツ濡らし 天は雨を降らし 餓鬼はガンジャ吹かし
それでも整然と営む冷凍都市の暮らし

冷凍都市の暮らし
あいつ姿くらまし
怖い怖いよ〜!!!、向井さん(笑

>しかしとりすましてパンツ濡らし 天は雨を降らし 餓鬼はガンジャ吹かし
それでも整然と営む冷凍都市の暮らし

冷凍都市の暮らし
あいつ姿くらまし

↑この辺は好きよ。

>俺はそんな平和な俺の平和を歌う必要はない
でも、この辺に向井さんの心情でてる気がする。

びっくりしわー、三助くん作ったのかと思った(笑


>恋愛ソングとかソングたちとかとか

語れるほどしらなかったわよく考えてみると。
私たぶんどっぷり音楽にはまるってことがなかったわ。
友達とカラオケ行って、友達が好きだという歌を友達が歌っていいなと思って本物が歌ってるのを聴いてみるって時期もあったんだけど、その友達が歌ってた時のがよかったって思うことがしばしばだったなー。

あ、どっぷりはまったとすれば、中学生のころブルーハーツが大好きだった。
歌詞をいろーんなとこに書いてた。
机とかノートとか手とか・・・
皆みたいに、はまるってことをしてみたかったんだと思う。
そんで世界で一番じゃないかもしれないけど不幸少女的な自意識にひたひたになってた時期でもありましてですね・・・。
ハズカシ。
はい、妄想族の仲間入りを果たしたってわけです。
>まるで洪水のように
三ちゃんてば、なんでこんなのまで知ってるわけ?
五つの赤い風船です。「遠い世界に」は音楽の歌本に載ったりしてるかも。ほかにも、これが僕らの道なのか」貝殻節」など。でもいわゆるフォークソングといわれるものとは音楽性がちがっていた。楽器構成では、ビブラフォンやフルートが入るし、きれいな音だったんだんよね。西岡氏は音楽の素養があるひとなんだと思う。
「まるで洪水のように」は
わたしたちは今、平和をまもらなければ
わたしたちは今,戦争を忘れてはならない
ってやつ。
ちょっと賛美歌的な響きがあるもの。

賛美歌的な響きという点では、ブルーハーツに似てるかな。

>友部正人
ってのは、フラーワームーブメントなんかね。
今、レトロスペクティブ的な解説ではそういうふうに扱われているの?>三ちゃん
当時のわたしの実感では現代詩から出た人だけども。
まあ、現代詩という点でギンズバークとかの系統につながれば、フラワームーブメントにつながらないともいえないが。イメージ的には違う感じがするんだが。

と、ここまで書いて、やっぱ眠い。
二度寝にはいりますぅ。
向井さんは激しいなあ
俺はついていけまへん
狂ってしまう

ブルーハーツははまったな 同じく中学のときくらい
でもハイロウズの方がいいよ 
>向井さん
音は聞いたことがないが、ネットで検索して、ほぉ。。。
で、ZAZENBOYSというのは陰陽師の岡野玲子が書いてる「ファンシーダンス」に出てきたと思うが。その中に出て来る、パンク山羊さん郵便」は最高だった。つまり永遠に終わらない。映画化された時、本木が主人公をやったけど、パンク「若者たち」になっていて、全然わかってない脚本家だと思ったなあ。

というわけで、起きた。
で、夕飯の支度してプリントつくって仕事いく。
続きはいつ書くの?
zaenboysがファンシーダンスに?初耳だ。
姉さんはパンクをどおお考えで?

五つの風船とかは親父の影響です。

トモベはもはや仙人扱い。音楽のできる中島らもといったところでしょうか。
歌には皆で歌うものを、誰かが歌ってるのを聞くものの2種類ある。校歌や軍歌や革命歌は前者だね。
わたしはインターナショナル歌える一番下の世代かな。
「起て、餓えたるものよ,いまぞ日は近し。
 覚めよ、わが同胞(はらから)暁は来ぬ。
 暴虐の鎖断つ日、旗は血にもえて、
 今ぞ高く掲げん わが勝利の旗。
 奮い立て いざ いざ 奮い立て いざ
 おおインターナショナル 我らがもの」

この歌に格別のメッセージがあるわけではないと思う。
インターは民青(民主青年同盟/共産党の青年組織)だってブンドだって黒ヘルも白ヘルも皆歌うもの。あれだけ、分派したさまざまな左翼がすべて歌うなんて、それはメッセージにはなってない。

60年安保の頃は歌声喫茶というのが流行していて、新宿にあった「ともしび」が有名。
ここ http://www.tomoshibi.co.jp/index.html まだあるみたい。泉津、いってみよう,今度。
ロシア民謡とか、唱歌とか、革命歌、労働歌を皆で歌ったの。デモの時も、大きな声で歌いながらデモる。狭山裁判の歌もあったなあ。

そのような流れの最後の極致が、新宿西口地下フォークゲリラ」だね。歌声喫茶とどこが違ったかというと、歌をゲリラ行為として使ったこと。歌声喫茶はあくまで娯楽だし、デモの歌は届け出たデモ行為のおまけだし。でも、フォークゲリラは不法占拠だからね。そこで歌うわけだから、パフォーマンス自体が政治的意味を持ったわけだ。
ここで歌われたのが「友よ」これは新しい歌だった。
さして、意味があるわけでないけども、誰かが俺らのために歌を作った。そんな感じだった。
翼をください」なんかも皆で歌うけど、そこに政治性はない。遠い世界」にとか自衛隊に入ろう」なども歌われたけど、明らかに政治性があるわけで。不特定多数の人が新宿の西口地下にあつまって、そこで立ち止まって歌うことが、検挙の危険をともなう政治活動になったわけだね。

それが、だんだん個人の歌になっていく。
それが吉田拓郎だよね。イメージの歌」とかね
でも、個人の主張だった。
このころで好きなのは泉谷のデビュー曲「白雪姫の毒リンゴ」
「僕たちに今一番必要なものは、熱い恋や夢でなく、
 まぶしい空から降ってくる、白雪姫の毒リンゴ」
これは自己否定の話ね。

さらにいって、個人の叙情になってしまう。それが「神田川」四畳半フォークといわれるやつ。
そこがあまりにくさすぎたんで、ニューミュージック(荒井由美、オフコースとか)になる。
そこにあるのは、個人の考えではなく、個人の気持ち。
この個人の気持ちってヤツがくせものだよね。さほど経験値高くないヤツの気持ちなんか聞いてなにがおもしろいよ。そこだね。

自己表現が意味があるのは誰かに向けられたものであるだけでなく、戦略がないとね。
つまり、誰と何を共有するための表現か、そこだよ。でも、個人の気持ちはただ垂れ流すから。

さて、パンク
クラッシュは大好きだよ。ロンドンコーリングは泣いたもの。あれはまさにメッセージだった。
で、パンク一般についてはまた今度。
おやすみっす。
>>さほど経験値高くないヤツの気持ちなんか聞いてなにがおもしろいよ。

そうです
ガキの恋愛ソングはくそったれです

共有するために大麻を使う輩が故郷米子で急増中です
大麻を吸わなきゃ仲間はずれだそうです
(さぶ過ぎる)
でも現代において島宇宙化した個人がそれ以外の方法で共有することは可能なのかと考える
>自己表現が意味があるのは誰かに向けられたものであるだけでなく、戦略がないとね。
つまり、誰と何を共有するための表現か、そこだよ。

そーだよねー、そうなんだよねー。
うん、そうだ。

歌声喫茶楽しみ♪
岡林〜森田童子のパラダイムってなぁに?

確かに小沢健二はポストモダンです。
かつ小沢牧子が母親なら生育歴としてもいいかな。
しかし、変化であって、アンサーではないんじゃないかな。
若い人たちは何のこと?だと思います。ダイトウさんの答えを聞いてからまたね。
ダイトウさんてば、話が難しいぃ。
もっと与太話しましょうよ。もっと飲んで飲んで!!

て、んでですね。
夜明けの三曲は「歌」なんですよ「うた」といってもいい。
うた」はその場で「うたわれる」もので、流れて消えていく。芝居にちかい。でも、音楽は違う。音楽は聴くもの。演奏されるもの。というふうに、わたしは考えてて。小沢健二は好きですよ。
フィッシュマンズも、親しい人に熱狂的なファンがいて、こないだ「ベストです」といって、CD6枚学習教材としてわたされた。んだもんで、良さはわかる。声質も似てますね。フィッシュマンズでは延々歩くってやつが好きだな。まだ六枚聞き終わってないですが。でも、これは音楽で小説なの。物語ではない。皆がひとりひとりヘッドフォンを媒介にして聴く音楽。セル(cell)化した。表現自体が、その媒体/技術によって変質したと思う。

夜明けを皆でまつ気持ち、そんな中で夜明けなんかねえよと不貞たり、ひょっとしたら来ると荷造りしたり、そういう共通の眼差しは、「豊かさ」の中でばらばらになったと思う。だから共感しても、作品と個人の1対1になてって、隣に同じ作品に共感している人がいても気付かれないってか、いいよねいいよねといわない。言っても非常に狭い範囲。そんな感じです。

したがって、アンサーソングはでない。だと思う。
出るとしたら、流行歌のなかから出るしかないと思う。
SMAP「世界にひとつだけの花」
モーニング娘。「ラブジェネレーション」
という傾向。後者などは「愛し愛されて生きるのさ」と同じですよね。緻密かどうかだけ。さわやかな諦念といってもいいかもしれない。
でもこれらは商品として消費されてしまうので、そうなると
ブーム「島唄」とかCocco「レイニング(だっけ?)」などかなあ。この作品たちには寓話的な要素つよくて、物語への一歩があると思う。

でね、
岡林から森田への流れってなに?ってば。
ははは。
そうなんだ。
大阪人にもそういう人いるんだな。

で、だめ押し。
しつこいようですが、これがわからないと話がすすまないんで。
「岡林→森田」の世界観ってなぁに。

三助くん、なんかイメージできる?
あたしゃ世代じゃないからはっきりといえないけどさ

岡林の中央からの撤退が70年代に始まってさ

なかばにはもう、浅間もなにもかも終わって

「僕たちの失敗」をした世代が現れたんじゃないでしょうか

いや、ようわからん わしまだ22です
>>ダイトウサン
プロフィールの90歳は大嘘です(笑)すいません
22歳で大学生です

なるべくルサンチマンにとらわれないように頑張っているのですが、なかなか難しいです
禅寺に座禅を組みに行ったらよけい煩悩が増してその日はすぐにビールを飲んでしまった次第であります

純粋に考えることは重要だと思いますが、僕の場合考えることに重きを置きすぎると、フトした自然に目をやったり、おもしろいギャグが言えなくなったりするので(まあたいしておもしろくないですけど)、風流と笑いの余裕は残しておいて考えることはしてます
ダイトウさんの思考と比較すれば甚だ浅いですけど、いまのところうまく行ってるいるので思考すべき問題にぶち当たるまでこのままでいいかなーなんて思ってみたりしています

甘いですね。まあ笑えるうちに笑っとこうっていう魂胆です
>念のため
俺もそんな大した人間じゃないですよ
薄汚ない雑草野朗ですから期待とかしても損しますよ多分
あはは

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