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石井十次と友愛社コミュの大原孫三郎(記事)

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産経新聞(平成20年3月1日)

先人達の業績(関西産業史)紡績9

従業員の幸福を追求

岡山・倉敷のほとりにたたずみ白壁土蔵の町並み。その一角に大原美術館があり、レンガ造りの倉敷アイビースクエアが建つ。倉敷市・美観地区の人気スポットのひとつで、倉敷紡績(クラボウ)発祥の本社工場跡地。ホテルやレストランなどに再開発されている。

クラボウ発展の基礎を築き、大原美術館を開設した第2代社長、大原孝四郎の二男として生まれた。東京専門学校(現・早稲田大学)在籍中、道楽の行き過ぎで謹慎の身となったが、クリスチャンの岡山孤児院長、石井十次との出会いが孫三郎を変えていく。明治39年、26歳で社長に就任した孫三郎は、労働環境の改善に取り組んだ。

当時、労働者の食事や寄宿舎の管理は「飯場」と呼ばれる外部組織に任された。飯場は食事の質を落とす一方、工員に採用の口利きを行うなど悪質な方法で利益を得ていた。孫三郎は従業員を直接採用する制度に改めたほか、5〜6人で生活できる分散式寄宿舎などを建て、福利厚生に気を配った。

「職工その人の人格を認め、その幸福を増進する」。

石井の感化を受けたキリスト教人道主義を基本とする、労働理想主義の実践であった。

労働者の「幸福増進」を目指し、孫三郎は大正8年、大阪市内に労働問題を研究する大原社会問題研究所(現・法政大学大原社会問題研究所)を設立。2年後、労働衛生の研究部門を分離し、倉敷労働科学研究所(現・労働科学研究所=神奈川県川崎市)を設けた。

労研は工場レンガ壁に蔦(ツタ=アイビー)をはわせて太陽熱を吸収し、夏の工場内を涼しくなるよう工夫した。この蔦が、倉敷アイビースクエアの由来である。

職場環境の改善に加えて、労働者が必要な栄養を取れるようカロリー計算に基づく食事献立も考えた。日持ちする黒豆入り蒸しパンは「労研饅頭」として売られ、名物になった。

大正12年、孫三郎は倉紡中央病院(現・倉敷中央病院)を開設。市民向け診療も行ったほか、大原農業研究所(現・岡山大学資源生物科学研究所)で品種改良を進め、マスカットや白桃をはじめ果物王国・岡山の基礎を築く。

孫三郎について法政大学総長を務めた大内兵衛は、「富を散じて公共の事業をしたという点では、いかなる実業家よりも偉大な財界人だ」とたたえている。

社員の人格を尊重する孫三郎の精神は、今も息づいている。倉敷紡績は創立100周年の昭和63年、「クラボウ」を正式社名扱いとし、人材開発事業をスタート。平成17年、組織と調和しながら豊かな人間関係を築くための自己診断システムを開発し、教育研修やコンサルティング事業を拡大した。企業や地方自治体に好評という。

クラボウには大原孝四郎、孫三郎親子から受け継がれた社是「同心戮力」がある。猟犬が力をあわせて獲物を得るとの意味だ。

人材開発部の川辺実チーフ・コンサルタント(66)は。「人材を生かしてチームワークを発揮することは「同心戮力」の考えに通じる。クラボウの永遠のテーマ」と話している。(山下良夫)

○・・・大原美術館は昭和5年、大原孫三郎の支援した同郷の画家、児島虎次郎の功績を記念し、日本初の西洋美術館として建設された。児島は孫三郎の許可を得て「日本の画学生のために」とモネやゴーギャンなどの絵を収集、一般公開したもので、企業メセナの先がけといえる。後に、財団法人となり、孫三郎の長男で倉敷レーヨン(現・クラレ)社長の總一郎が拡充させた。

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