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良書と映画で人生を楽しむ会コミュの今、作りたい映画、ドラマ「坂の上の雲」を超えて

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「坂の上の雲」を超えた経営者群像。国司浩助(拙著「理想・熟慮・断行」参照)は企業の社会的意義、公的精神の旺盛な事業家で、水産講習所(現国立東京海洋大学)に学び、英国に派遣され、日本の水産業の近代化に必要な技術を習得してて帰国山口県の実業家田村市郎の支援を得て下関に日本水産の前身田村汽船漁業部を設立、鋭意努力の結果日本水産は世界有数の水産会社となった。創業100年を迎えた同社の企業理念は創業当初から、常に国家、万民の幸せに貢献することである。国司浩助の勉学、事業、生活は、常に多くの人から支援され、また彼自身も多くの人の才能を見出し人材を支援した。支えられた人は、先の田村市郎をはじめ少年時代から兄弟同様に育った鮎川義介、親せき筋の木村久寿弥太、など共に成長した人、育てた人には高碕達之助、キューピー創業者中島董一郎などがいた。彼(国司浩助)は、留学先の英国人も彼の仕事ぶりに敬服非常に彼を敬愛し、持ち船にクニシと名付けたほどだった。彼は英国の人々に感謝したが決して欧米一辺倒にならず、日本人としての誇り、特性を忘れてはいなかった。日本人は模倣がうまいと言われているが決してそれだけではない。文字、
文化、技術、宗教なども先進国を見習いながら、さらに独特のものを生みだしていく』という英国人の文献を引用している。さらに、「人生には灯台が必要だ。留学して世話になった英国の企業は確かに灯台として感謝しているが灯台としてはやや小さい感もあった」と述べ、トロール船に先進国に先駆けたジーゼルを活用したり、船内冷凍装置を発明し彼らを凌いだ。彼と親交のあった鮎川が創業した日立製作所、日産自動車なども欧米の企業と肩を並べやがて彼らを凌いだ。戦後の日本復興に貢献した白洲次郎は浩助が見出し日本水産の役員に抜擢し有望な人材として鮎川らに紹介したが彼の言動にも日本人としてのプライドが感じられる。確かに彼らの意識も行動も業績も司馬遼太郎が描いた坂の上の雲を凌いでいた。惜しむべきはクニシ浩助が51歳で早逝し、鮎川の大陸進出に助言できず、鮎川が戦争に加担して戦争犯罪人の容疑(のち釈放)を着せられることになったこと。鮎川の歴史的評価はこれで地に堕ちた感がある。国司浩助存命ならば、いかに助言し対処したか。
今となっては不明だが、いずれにしても国司浩助を取り巻く人材は「坂の上の雲」を超えた人材群像だった。直接関係はないが、「武士道」で注目された新渡戸稲造も、坂の上の雲を凌ぐ人材だったし、幕末の浮世絵師たちも先進国のアーティストたちが一目置いた存在であったことは間違いない。

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