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アルベール・カミュが好き。コミュの小説を翻訳中、連載で、いつまで続くか不明です。第一回

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2221年、2035年。
 kingdom queen of the power
 ボールのいらないフットボール
 僕らの時代がやって来た。

      ユージン・グイーン
      訳、ゴダ


 人がどこから来たなど、どうでもよい。 
  問題はどこに行くかだ。
 そいつが判らない。 
悪いことに、行かねばならない場所などない。
 それだけは知っていた。      
じゃ、どうしろだって。
笑っちゃうぜ。
あとは、死ぬしかない。
はっはっ・・・・。
はっはっはっはっ。
で、涙がちぎれてきちゃって 。・・ 
笑っちゃうぜ。
でも、歩いてる。
どこに向かって?
自分の行動に疑問など持てるかって。
歩くしかないだろう。
それでいいんだ。
いいんだよ。
動いているだけで幸せなんだ。



prologue

そこが墓場だったことは、すぐに分かった。
 墓石が空き地に散乱していたからだ。
立っている墓石はなかった。
 草むらの中に無雑作に放って置かれた墓石は、もう用済みだった。
 というより、それを、使おうとした人間が、この世にいなくなったことを意味していた。
 、雑草が膝にまとわりつくように繁げる広場に足を踏み入れると、破壊された遺跡のように、墓石が転がっていた

 草の匂いが鼻にからんだ。気分が一気に良
くなる。久しぶりだ。こんな新鮮な匂いがあ
ったのかとハッとさせられた。
 次の瞬間、匂いが本物かどうか疑った。記
憶から掘り起こされた匂いかもしれない。
 墓場の周囲に植えられた桜の木はすでに枯
れていたが、樹齢からいえば、かなりの太さ
になる。
 桜並木の一本づつには、蓑虫のように、ぼ
ろ布がぶら下がって見える。
 首吊りの死体だ。
 各々の木に何体かづつ、まるで案山子のよ
うな風情で、静かに、人間であったことを認
めないかのように、ただ釣り下がっていた。

 木の下には例外なく、ぼろ布がまといつい
たミイラ化し、白骨がはみ出した身体が横た
わっていた。
 腐敗臭を感じることはなかった。
 匂いを拒否すると感じなくなるまで、自分
をコントロールすることが出来るようになっ
ていた。(第一回終了)

コメント(3)

 それを不感症になった。あるいは慣れきった、というのかもしれなかったが、歓迎すべきことだ。
 どこに行っても、腐敗臭で満たされていたら、自分が生き残っていることに絶望してしまうだろう。人間の自己防衛能力も捨てたものではない。都合よく生きられる術を身につけている。
 この二年間、人がどのように生き延びようとするのか見てきた。
 僕が東京から北に向かう決意をした時、東京の人口は、三分の一に減っていた。
 ラジオ放送は続いていたが、テレビの映像は、途切れていた。
 ラジオでは、感染情報といいながら、毎日同じ内容で、政府がワクチンの製造に全力を上げているので、パニックにならず冷静に対処するようにと、お題目のように唱えていたが、冷静に対処出来るはずがなかった。
 感染者の最後を誰もが目撃していたからだ。彼らは高熱が一日続いた後、突然苦しみだし、暴れ始め、身体を、頭を、壁に思い切りぶつけ始め、「殺せ!」と叫び、力尽きると、自分に必要な酸素を求めて、必死で、
呼吸をし続け、まるで金魚が酸素を求めて、息絶える時と同じように、口を虚空に向かって、大きく開けながら、呼吸の苦しさの中で生き絶えるのだ。
 自分の子供らが苦しむ様を見ることに耐えられない親が、子の首を締めるても、誰も非難などしなくなった。
 高熱が出た人の手助けをして、首吊りの縄をかけることも、黙々とやってのけた。
 ただし、それも長続きしなかった。感染が怖いくなり、子供が発病した途端、子どもを放置し逃げる親、発熱した者から、遠ざかることがまるで人生の目的かのようにする者。 誰だって、あんな死に方、苦しみは体験したくない。
 「生」より「死」が世界を支配していることなど、認めたくはないのだ。

 chapter1

 雑草が生い茂る光景も最近ではめったにお目にかかれなくなったことを思えば、この墓地は結構な癒し場といえる。桜の木にいくら首吊り死体が下がっていても。
 墓場で「生」を意識することが出来るのは皮肉だ。
 そこは、結構大きな墓場だった。
 サッカーコート二つや三つ分の広さは十分にある。東京のど真ん中であることを考えれば、有名な墓地かもしれない。
 全ての墓石は倒れているのは、墓石の家を作るためにだった。
 こんなことを言っても信用されないかもしれないが、いつ死ぬか判らない人間にとって、死が重くのしかかるのは、一定期間だけで、それが、何カ月続いたのかはもう忘れたが、今は、死など考えなくなっている。怖いのは、身体の具合が悪くなることだ。
 死ぬことなど、むしろあっさりしていて、気分がいい。
 苦しむのが一番つらい。
いやというくらい、何千人という、苦しみ、もがきながら、簡単に死ねない人間を見てきたからだ。
「死」はむしろ歓迎すべきことなのだ。
 それが早ければ早い程、人間としての威厳、尊厳・・・・、まあ、そんなものは、今となっては必要ないものだが、しかし、死が苦しみの中から絞りだすように、与えられるのに出くわすと、自然に、視線をそむけたく
なることは間違いなかった。
 初めの頃は、苦しみにもがく人に対する同情、しばらくすると、恐怖心から眼を背けるようになった。
 いやと言うほどの数の死体を見て、腐りかけた身体に何も感じなくなり、腐臭にも慣れ、匂いから死んだ時期を推定するまでになり、病気、何だか判らない、簡単に人類が死ぬ伝染病の広がり具合を推察してみたりした。 まるで、自分が人類から使命を与えられた、学者にでもなったような気分で。
(第2回)
(連載第3回目)
 

 「なんだって、おれたちがこんな目にあうのか」というたぐいの恨みや、
罵りを三カ月前には、何度も聞いた。いや聞かされた。
 その中で誰もが口にするのは、
 「なんで、こうなったのか?」
 「どうしちゃったんだろう」
 「これからどうなる?」
 「一体何が起こったんだ?」
そんなぼやきより結論が重要だ。
 結論は目の前にひろがっている。
 地球は、人類を拒否したのだ。
 地球は人類が我が物顔で地球の支配者のように
縦横無尽に活動する姿や騒音、会話でなく、
沈黙や、静寂が、世界を支配することを選らんだ。

 こいつは、どう考えても、人類にとって尋常な話じゃない。
僕も人類の一員だと考えると、ぞっとするが、仕方ない。
このノートに、自分の死にざまを書き続ける気になっている僕もどうかしている
のは分かっている。
いつ、誰が読むかなど想像すら出来ない状況で、なぜ、スーパーに入って、
食料を探しながら、ノートとボールペンにも手を延ばしたのか。
僕も、か弱い人間なのかもしれない。
誰かに自分のことを理解してもらいたいのか。そんなバカな。誰も読みはしない。
そんな書き物に興味を持ち、読もうとする人間など、生き残っていないだろう。
生き残った人間であれば、みんな同じような体験をしているので、
他人の経験など読む必要はない。自分のことで手一杯なのだ。
では、何でこんな物を書く気になったているのか?
判らない。時間が有り余っているからだろう。
いや、やたらに時間が余っていた時期は数カ月前で終わった。
スーパーで簡単に食料が手に入った時代は遠い過去になりつつあった。
今や、数百年前に流行ったエジプトの遺跡発掘のように、
缶詰の保管倉庫を発見することが、
一番重大な発掘になっている。
倉庫争奪戦は熾烈で、個々人でうまく分け合っているうちは良かったが、
そのうち個人では力が弱いし、発見するのにも限界があると悟る。
そこで、徒党を組んで、集団化し始めた。
すると、対立と戦いが始まる。
まるで、安物のSF映画のようだ。
実は集団化の過程は、僕の嫌いな安物そっくりだった。
映画と違うのは、現実社会では、誰ひとり、
自分は生き残れると考えているわけではないことだ。
「死」ぬことが当たり前だと思っていることが、
集団の結束力を弱めていた。
普通で考えれば、死は結束を強めると考えられる。
が、集団の中から死者が出た途端、集団は一緒にいる意味を
失うのだ。感染から逃れようとする人が集団から離脱する。
離脱した人間も簡単には次の集団に所属出来ない。
ひとりだけで戦うしかなくなる。
今の僕がそうだ。
一時は誘われて徒党を組んだ。そのころはまだ食料発見も簡単
だったせいもあって、楽に生活出来た。
そのうち、30人程いた集団の中から3人が二日間であっと
いう間に死んだ。10%といえば大きな数字だ。
三日目には死体が三つと僕だけが朝を迎えただけだった。
以来僕はひとりで「のんびり」と生きることを決めた。
一度は東京を離れ、東北から北海道に向かって歩き始めてみた。
生き残った人は、みんな北に向かっていたからだ。
食料が安易に確保出来ないとなった時、食料を自給することを考えると、
北の地しか残っていない。
なにしろここ8年は毎年、異常気候が続いていた。
暑い。
 200年前であれば、温暖な気候の土地東京も熱帯化しつつあった。
いつ遷都してもおかしくない状況が続いていたが、
例のごとく政治家や役人が、仕事を先送りにしていた。

おっとひとつだけ、書いておかねばならないことがある。
ここに書かれたこと、すべてを信じてはいけないということだ。
 「死」にゆく人間は、いつの時代も、格好をつけたがる。
あるいは、自分の人生を粉飾したがる。
誰も読むことはないだろう日記ですら
「悟り」を開いた人間でなければ、誰かを意識してしまう。
そうなるのが普通のことだ。
 だから、この日記も、ほとんど信じなくてよい。
ここから、なんらかの真実が導きだされるような高級なものではない。
だいいち、これを読める人間など、存在しないと確信していることは前にも書いた。
このままいくと、僕は、人類と呼ばれていた動物の最後の一匹になる可能性もあるからだ。
 冗談でしょ。じゃなぜ、こんな文章を書く必要があるのか。
なんでだろう。

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