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ここにいてみようコミュの世界の秘密、じゃいけんほい。

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思い切って書いてみた自伝は、B5ノート1ページにすっかり収まった。

たくさん頭に浮かんだあったようななかったような思い出みたいなものたちは、始まりが思い出せなかったり結末が記憶からすっかり欠けていたりして、わざわざ書き起こすのにひどいためらいを覚えさせた。そうしている内にどれもこれもがぼんやりと粒になって宙に散って行ってしまい、おかげでなんだか履歴書みたいな自伝ができあがったのだった。難民となった記憶たちはどこへ辿り着くのだろう。願わくは彼らのアイデンティティが僕に帰属し続けることを。やがて思い出す日もくるだろうさ。

しかしこうして自伝を作ってみると、それがどれだけただの履歴書のようにどこの小学校にいつ入学しただとか、英語検定の何級に受かっただとか、まぁ体育の時間にこけて左足のスネを骨折しただとかそういったことしか記していなかったとしても、あぁ本当にここまで生きてきちゃったんだなぁと思えてくるから不思議だ。結構生きちゃってるなぁと、書いたばかりの人生を改めて振り返ってみる。何気ない思い出の中で唯一しっかりと思い出すことができたのは、転校生と砂浜で棒倒しを延々続けた、小学4年の6月のことだった。


転校生はたまたま後ろの席に越してきた。
僕はなんだか先生の目と僕の良心と僕のイスと彼女の机との距離とどうも家が近いらしいという情報とが紡ぎあって生み出した妙な使命感に包み込まれて、転校初日で何にも馴染めずに迷子のペンギンみたいな動きを見せていた彼女に、ねぇ一緒に帰ろうよ、と声をかけた。対して彼女は「うん。」と答えた。

僕が持ち合わせていた彼女に関する情報は、関東地方のナントカ県から来たこと、そこには「こうかがくスモッグ」という大変危険な気体が漂っていること、窓を閉めて避難しないととんでもない目に遭うらしいこと、あとどうも家が近いらしいことだった。黒板に大きく書かれた名前を背にもう少しいろいろ紹介した気がするけれど、いかんせん関東に巣食う気体状の化け物の存在が衝撃的だったので、今の僕が覚えていないわけでなく、当時の僕もそれ以外の情報は持っていなかったと思う。一方彼女が僕について持っていた情報はさらに少なく、おそらく直前に伝えた名字だけ。今にして思えば彼女はよく現在の関係にまるで似つかわしくない突然の強引な誘いを受け入れたものだ。これがもし思春期真っ只中の中学2年の僕だったならば、あれ、これはもしかして好かれているのかな、参ったなぁ、好きな子は他にいるんだけどなどと調子の良い勘違いを本気で起こしてしまっても何らおかしくない展開だった。

まぁそれが普通の転校初日の子ならごく当たり前の反応だろうなというツッコミは当時の僕自身も靴を履き替えるころにはちゃんと自覚していたわけだけれど、どちらにしろ良いことをしたわけで特に問題はないし、偉いことをやっているんだという自負心と、他のクラスメイトに先駆けて友だちになれそうだという優越感と、見知らぬ異性と2人きりで歩くことへの期待感とを抱いて、ちょっとした非日常を味わう下校路を満喫するつもりには変わりなかった。たった一言でこんなにも自分を取り巻く空間が変質するとは思わなかった。
しかし、グラウンドを横切り校門を出た辺りで問題が発生した。むしろ初めから問題はすでに僕の視線の先に棒立ちしていたのだけれど、得意気に胸を張り空を見上げていた僕はしばらく気付けずにいた。それが僕の視界に徐々に入り出したのは、彼女がいかに努力の末にひねり出された勇気を持ってして自己紹介に挑んでいたのかを理解し始めたのと同時のことだった。

「こっちは正門。山の手の方に住むやつらは裏門から出るんだ。ここのツツジはこのあいだまで蜜吸えたよ。」
「…うん。」
「あっちのパン屋はよく中学生が集まってるから近づかない。中学生、怖いよ。」
「……うん。」

僕は、何となく、彼女の返事が遠のいていくのを感じていた。そもそも会話自体、僕の校舎や遊具や茂みや店の紹介や説明に対する彼女の「うん。」という返事のみで構成されていた。そして、坂道を下る途中の文房具屋を通り過ぎたときに、僕はついにそれと相対し、ゴングは鳴った。

「…あ、この店、面白い鉛筆売ってるんだよ。」
「……うん。」
「…えっと、僕、ソンメンの鉛筆集めるの好きなんだ。」
「………うん。」
「……ソンメン知ってる?」
「……………。」
「……知らないの?」
「………………。」
「………。」
「…………………。」

そう、彼女は本当はものすごく人見知りで引っ込み思案でおとなしい子だったのだ。さらに後々の交友関係から察するに、特に男子に対する免疫がないらしかった。話せば話すほど仲良くなれるのが普通だと考えていた僕は、だんだんと続かなくなっていく会話に得体の知れない恐怖を覚えてきた。それでも何とか会話を続けようと小学生なら誰もが知っているだろうヒーロー戦隊ソンメンの名を出したけれど、驚いたことに彼女はソンメンを知らなかったわけで、思いもよらぬカウンターパンチをくらった僕はそれまでの満足気な非日常空間から突き飛ばされなんとも居心地の悪い沼地に足を踏み入れてしまい、ついに沈黙した。と同時に、まさか待ってましたというわけではないだろうけれど、彼女も努力することをあっさり止めてしまった。

「…………。」
「………………。」
「……………。」
「…………………。」
「………………。」
「……………………。」

ディスコミュニケーションという魔法は時間と空間を無駄に引き伸ばす効力をもっていて、僕の通学路は一見すると片道20分のアスファルト塗装された道のようで、どうやら実は1時間以上はゆうにかかる蛇の道のようだった。ひたすらに続く沈黙の中で、左隣でうつむいて歩く女の子に何か話を振るような気分と気合いはとっくに失われ、そう言えば最初から僕の目を見て話すことはなかったなぁ、とか、この子あんまり可愛くないよなぁ、とか、空き缶でも蹴りながら一人で帰る方がいいなぁ、とか、とにかくいろいろなことを右斜め下の方をぼうっと眺めながら考え続けることで、なんとか湧き上がる逃げ出したさを抑え込んでいた。そこには一片の正義があった。

彼女の家の場所は大体分かっていたので、よってどこで別れるかも大体決めていた。坂を下りきったところにある交差点を渡ってまっすぐ進み、公民館の左側のわき道に入り、路地を抜けてさらに下っていき、海岸線に沿った道路と合流するまさにその地点。僕は港に向かって右に曲がる。5分も歩けば家に着く。彼女は左へ。正確な位置は分からないけれど、おそらく僕よりも早く帰れるはずだ。
実際のところ、僕にとってこのコースは遠回りだった。本来の通学路は公民館の右側の道路を進むもので、時間にして10分近くロスすることになる。3時半に学校を出て、4時前には到着するはずが、ともすれば4時10分を過ぎる、そのくらいの遠回りだ。その上、通常定められた通学路以外を通って登下校することは禁止されているので、校則違反にもつながる。これらの問題は全て、かつてまだ有頂天だった時代の僕が靴を履き替えながら格好つけて

「せっかくだから海のところまで一緒に行くよ。」

などと言い放ったことに原因があった。現在の受難を想定しきれずにただただ青かった過去の自分を悔やみつつも、だからと言ってコースを変更し公民館でさっさと別れるという決断は下せなかった。なんだか曖昧な自分がそこにいて、なぜ別れなかったのかと自分を責める一方で、なんとなく約束を守っている自分を誇らしくも思った。そこにはやはり一片の正義があったのだ。
そうは言っても沈黙は続き、ちゃんと一緒に帰るんだと初志貫徹を目指したわりには、実はこの状況は相手をとても不快にさせているのではないかという申し訳なさがちょこまかと頭の端々を突いて回っていて、だけれど何か話をする勇気は持てなくて、心に抱えたパラドックスとそれによるストレスは限界を迎えていた。もうすぐ海。これをまっすぐ行ったら海。あそこを降りたら海。せめて彼女の視界から完全に外れるまでは、走り出さないようにしよう。左隣の実体としての彼女は、もういるようないないような。正直どちらでも良くなっていた。


そして海岸線に出た。



「…あのね。一緒に棒倒ししない?」



ギョギョ!?


あまりの突拍子のなさに、すぐには声を出せなかった。それじゃぁこれで、と言う寸前だったこともあり、文字通り僕は息を飲んだ。僕は、棒倒しがどんなものかくらいは知っていたし、むしろこのあそびが好きで、さらに得意でもあった。もし、もし僕が棒倒しが何であるか知らなかったり、あるいは知っていてもあそびとして嫌いだったり、好きだとしても下手くそでとても初対面の相手の挑戦を受けて立てるような腕前でなかったりしたならば、絶対に断っていたと思う。間違いなく、断っていたと思う。

「うん、いいよ。」
 
しかして僕は承諾してしまったのだ。
 

浜辺に下りて、手近な木の棒を探す。海岸と言っても綺麗な海水浴場ではなくて、すぐ近くに漁港のある、少し汚れた浜辺だったので、棒を見つけるのには何一つ苦労しなかった。テトラポットにランドセルを置いて、棒倒しを始める。彼女は少し袖をまくった。僕は半袖だったので、そのまま砂をかき集める作業に入った。赤白帽くらいの小さな山を作り、棒を頂上から突き刺す。

「じゃいけん。」 「ジャンケン。」
 
砂山を崩す順番を決めようとしたとき、僕と彼女の声が重なった。正式には「ジャンケン」と言うことは知っていたけれど、僕の住む地域ではなぜだか「じゃいけん」と発音していた。彼女は「ジャンケン」と正しく言った。

「ほい。」「ポン。」

そのまま流れで最後まで言い終わった後で、彼女は発音の違いにはっきり気付いたらしく、なんだか戸惑っているようだった。

「僕らはじゃいけんほいって言うよ。」
「ふぅん。」

あまりに素直な「ふぅん。」を聞いて、今度は僕が戸惑ってしまった。それは、初めて見る彼女の態度だったからでもあり、初めて人に文化の違いを説明した体験のなんとなしの気恥ずかしさからでもあったと思う。ジャンケンに勝ったのは僕で、気持ち控えめに砂を削り取った。
そして、棒倒し勝負自体にも、僕が勝った。

「じゃいけんほい。」「ジャンケンほい。」

何のコンタクトもなしに、2人とも砂を集めて、もう一度棒倒しを始めた。別に特別な理由があるわけではなく、ただ棒倒しというあそびがたったの1回で終わるようなものではないからだと思う。どちらかと言えば、一方あるいは誰かが飽きるまで、ずっと続けるものだろう。

「あっ。」

2回目も僕が勝った。さっきよりも一回り大きな山を作って、先行は彼女だった。

「…。」

3回目も僕が勝った。2回目よりも幅が狭く、背の高い山を作って、先行は彼女だった。僕は棒倒しが得意だ。だから、彼女がこのあそびを上手でないことは、3回もやれば十分に理解していた。それはもう、アドバイスすらできるほどに。

「最初の一回目は一番安全なんだから、思いっきり取った方がいいよ。」
「そうなんだ。」

あまり勝ち過ぎるのも悪い気がして、次はわざと負けようかと思った。けれど僕はそうしなかった。その判断はとても不思議だった。仲の良い友だちとあそぶときでさえ、たまには遠慮して勝ちを譲ることがある。なのに、どうしてそうしないのか、自分でもはっきりとは分からなかった。ストレスを発散させたい欲求が上回っていたのかもしれないし、相手の真剣さを肌で感じとったのかもしれない。僕は棒倒しが得意なのだ。

「じゃいけんほい。」「ジャンケンほい。」

学校を出たのが3時半。普段よりもかなりゆっくり歩いたので、海岸線に着くころにはもう4時を回っていたかもしれない。心の中では全力で走り抜けたいとずっと思っていて、その気持ちが溢れて途中自然と早歩きにもなったけれど、彼女の歩みが一定してスローペースだったため、それに合わせざるを得なかった。徐々に徐々に、太陽が寝床に向かいつつあるのが分かった。

「じゃいけんほい。」「じゃいけんほい。」

10回目くらいで、ついに僕は負けてしまった。そのころには僕はすっかり落ち着いてしまっていて、一刻も早く場を立ち去りたい気持ちはなく、かと言って我を忘れるほど棒倒しに熱中しているわけでもなく、居心地がいいようで悪いような今までにない空気に浸る自分を客観的に見て、一体僕は何をしてるんだろう、と冷静にツッコミの入れられる精神状態にあった。いつでも機を見て、そろそろ帰ろうよ、と言うことはできた。けれど、結局そのことを口に出せないまま11回目に突入し、ネタのつきた山の形に試行錯誤し、時折綺麗に「じゃいけんほい。」がハモることに何となく違和感を覚え、4回に一度くらいの割合で負けるようになり、木の棒でなく大きめの貝殻を使ってみたりし、だんだん大きくなっていく波の音に耳を傾けながら、本格的に陽が沈むまで延々と棒倒しを続けた。


「31日。海浜清掃があるよ。」

僕は業務連絡をした。そろそろ終わろうか、という意味も込めて。
すると彼女は、ついに笑った。なぜか笑った。

「6月は、31日ないよ。」

はて。そうだったっけ。僕は各月が何日まであるかはっきりと覚えていなくて、海浜清掃については、6月の何日だか、31日だか30日だか、とにかく6月の最後の日にやるんだという風に記憶していたので、とりあえず「月末」の象徴のような「31日」をそこに当てはめて言ったのだった。確かに覚えているのは、2月が28日までで、8月が31日までだというくらいだった。

「覚え方があるよ。」

そう言って彼女は、左手でにぎりこぶしを作り、右手の人差し指を使って、こぶしのでっぱりを数え始めた。人差し指のでっぱりから始まり、でっぱりとへこみとを交互に進み、小指のでっぱりで折り返し、また戻ってくる。

「でっぱってるところが、31日まである月。へこんでるのがそうじゃない月。」

つまり、スタート地点である人差し指のでっぱりが1月、左隣のへこみが2月。小指まで辿り着いた時点で、1、3、5、7月が31日まであることが分かる。今度は小指からスタートし、中指のでっぱりがゴール。8、10、12月が31日まであるというわけだ。なるほどと思った。これは便利だ。小指を2回数えるのを間違えかねないけれど、8月が31日まであるのはもともと覚えているので大丈夫だろう。

「すごい。」

僕は心底感心してみせた。これが他の人にとってどれほど興味を引くものかわからない。ただ僕はこのとき、異様に感心していた。なんだか世界の秘密を知ってしまった気さえした。

「すごいね、これ。」
「お母さんに習った。」
「すごい。」

しきりにすごいを連発する僕を見て、また彼女は少しだけ笑った。
それから僕たちは、特に何か会話するでもなくランドセルを背負って海岸線沿いの道路へ上がり、淡白なあいさつを交わして、左と右に別れた。

家に着いたときには6時を過ぎていて、母親はさすがに心配をしたようだったけれど、もともと寄り道をして帰るクセがあったのでそこまで大事には至らなかった。むしろ、揚げ物が冷め始めていた事実に対して僕の方がショックを受けてしまった。食卓では、彼女のことについては、転校生が来たという報告に留めておいた。しかし、月末日の数え方については大変自慢気に説明してみせた。彼女に教わったことを伝えないことに若干の後ろめたさを覚えつつ。けれど、友だちに習ったとも言わず。出典として何を挙げたかと言えば、それは「先生」だった。どんなできごとにせよ、先生由来にしておけば何でも追求を免れ得たものだった。



僕は、一緒に帰ろうと誘ったくせに空気を沈ませるような良くない態度をとり、それでも勇気を出して棒倒しあそびに誘ってくれ、その上ただで世界の秘密まで教えてくれた転校生を、その1日中に友だちと認めることはできなかった。
じゃぁその後どうしたかと言えば、やはり彼女はものすごく人見知りで引っ込み思案でおとなしい子で、教室内で親しく接することはなく、特に週明けの席替えで席も班も分かれてしまってからは本当に無関係になった。下校路にしても、転校2日目には坂を下りた交差点を左に曲がる女子たちのグループに入れてもらい、お互いが少し遠回りをする形で一緒に下校することになったので、僕と2人で帰るなどということはあり得ないものになった。先生は通学路違反を黙認した。
転校してきてから2日目、3日目くらいまでは、給食や授業などで同じ班として行動することもあり少なからずどうすれば良いのか迷うこともあったけれど、彼女が班内の女子と仲良くなってからは、僕もその無関係という関係を抵抗なくすんなりと受け入れた。彼女と唯一あそんだ男子として友だちに自慢することもなかったし、そもそもそのときの話自体出すことがなかった。秘密を持ってしまったという点については、向こうが友だちに話しているのかどうか気になることもあったけれど、別にそれで彼女を好きになるといったこともなく、ただ、たまに気になる程度だった。
もちろん、海浜清掃でも全く別々のグループで活動した。



その後彼女とは一度も同じ班になることなく1年が過ぎ、5年生ではクラスが別々になった。そして6年生に上がる直前、彼女は関東の小学校へ転校した。そのころにはもう僕の彼女への関心は露ほどもなく、転校が春休み中に行なわれたこともあって、僕がその事実を知ったのはもう秋が深まり始めたころだった。そしてそこで初めて、僕は彼女が母子家庭にあったことを知った。
当時の僕は母子家庭、あるいは片親という状態について上手く想像することができず、該当するクラスメイトがいても別段特別視することもなく、単に、そうなんだ、という風にしか考えていなかった。実のところ現在もその程度にしか考えていない。なので、彼女に対しても…もし彼女が転校せずにいて、例えば6年生で同じクラスになったとしても、同じように特に何がどうするわけでもなかったとは思う。
ただそれを知ったときに、ふいにあの日のことが強く思い出された。一度は難民化したはずの記憶が舞い戻り、“あの”世界の秘密をより一層審美的にし、そして“あの”棒倒しを忘れがたい不思議な体験として脳に定着させてしまった。



僕は今でも、こぶしを使った月末日の数え方を自慢気に周囲に紹介することがある。
そのときは大抵、

「小学校の頃、クラスの女子に教わったんだけど。」

という説明をつけている。それ以上語ることは特にない。

ただ、聞いている相手には全く話の流れがつかめないだろうけれど、なぜか僕はその後

「光化学スモッグってさぁ。」

と、主に関東首都圏などに発生する公害について語ってみちゃったりするのだ。

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