ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

中西輝政研究コミュの47 「日本のフィルビー」を隠避する中西輝政の「インテリジェンス!」連呼は、何を狙っているのか

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
一、「外国で発覚したスパイ事件の百倍が日本で発生している」
――日本インテリジェンス学の基本心得
中西は、『諸君!』2001年6月号その他で、英国のMI6の元高官キム・フィルビーを論じている。フィルビーは、英国のソ連KGBスパイ“ケンブリッジ5人組”の一人である。本名はハロルド・A・R・フィルビーで、「キム」はある小説の主人公から採った呼び名である。1933年からソ連の工作員として活躍し、1963年1月にソ連に亡命するまで、三十年間に亙ってソ連のために英国の対ソ諜報の情報のみならず、手に入るそのほかの情報を流し続けたのである。
 ソ連は、フィルビーの功績に感謝してレーニン勲章を授与し(1980年)、1990年は顕彰切手まで発行した。このように、英国の諜報機関にいて、三十年という永きに亙って、英国のために働いているかに見せ得る演技技術は、すべての工作員の当然の最小限の能力である。ならば、日本でも多くのソ連・ロシア工作員は、さまざまのカムフラージュの迷彩服を着て活躍しているはずで、そ
れは、対抗諜報の優等生である英国に比すれば劣等生以下でいっさの対抗諜報をしない日本における、KGB工作員の数は英国のそれの百倍はいると考えねばならない。
 しかし、スパイものを論じては“憂国の演技”をする中西輝政論文は、なぜか、このフィルビー事件についても、何か対岸の火事かのごとく、日本とは無関係であるかの語り口である。外国で日常に発覚するすべてのスパイ事件が、別世界で起きた、小説上の物語としてノンフィクションのごとくに論考していく中西は、やはりどこか異様である。
インテリジェンスを専門とするならば、他国で発覚したスパイ事件を知らされれば、「同種の事件がわが国ではそれ以上に存在する」と直ちに顔を引きつって内部探索を徹底して、必ずその数倍(でき得れば十数倍)を逮捕するまで手を緩めてはならない。これが基本心得であり、鉄則である。しかし、中西輝政には、この当り前の言及がいっさいない。仕方がないので、「弾太郎」が代って、「日本のフィルビー」の代表を挙げるとしよう。
日本人のロシア工作員の中では、「親米保守の偽装」術の天才。しかも、血統は朝鮮人ではなく本物の日本人。「日本のフィルビー」という名誉ある称号がもっともふさわしい人物。その名は田久保忠衛である。

二、プリマコフ機関? キリチェンコ機関?
――「KGB工作員」田久保忠衛の所属
 「田久保忠衛とは、ロシアKGBに永年所属する工作員」と言えば、これまでならば一笑に附されて誰も取り合ってくれなかった。が、2007年10月、田久保が回想記『激流世界を生きて』を出版して以来、「田久保KGB」説が専門家の間で確信されるようになった。
巷間で最初に「田久保はロシアのスパイ」説が急浮上したのは、『新潮45』2001年9月号で「<最後の国士>末次一郎の遺言」を田久保が書いた頃からであった。そして、田久保が日本会議の名で、教条的コミュニストでKGB下級工作員の名越二荒之助のお別れ会を2007年7月に主催したとき、田久保KGB説は、決定的に囁かれるようになった。(自衛隊の情報を永年ソ連に流してきた可能性がある)思想怪しげな並木書房の奈須田敬は、「田久保KGB工作員説」を打ち消すために『激流世界を生きて』を出版したようだが、もいっそうならヤブヘビになったかも知れない。
なお、名越二荒之助とは、フィンランドで売られていない「東郷ビール」なる、中身は東北かどこかの日本産の地ビールを入れて、日本のどこかの印刷所で刷った嘘ラベルを貼って売るなど、その生涯は刑法上の詐欺師であった。
ともあれ、抜群のロシア・スパイである田久保忠衛とは没後に、ロシア連邦国家友好勲章(旧レーニン勲章)が授与されるだろう。顕彰記念切手を発行してもらえるかも知れない。ただ、その所属はプリマコフ系列なのか、キリチェンコ系列なのか、未確定。田久保と末次の異常な関係からは、田久保がプリマコフ機関員であろうと示唆する。名越二荒之助との昵懇な関係においてはキリチェンコ機関員である。他のKGB細胞の機関員である可能性も高い。このため、田久保は、『激流世界に生きて』の回想記から、末次と名越との永い交流関係は、ばっさりと消している。自伝は、書かれていない部分に最重要な真実がある。

三、「反米」「反・日米同盟」――田久保忠衛の本当の信条
 田久保は、「親米保守」の代表的論客と目されている。確かに、例えば、『反米論を撃つ』(小森義久との対談本、2003年)を読めば、非の打ちどころのない「親米保守」である。『新しい日米同盟』(PHP新書、2001年)でも、ほぼ同様なことがいえる。また『正論』1997年6月号の「沖縄一坪地主の虚構」は、体を張った「親米保守」の立派な論で、迫力がある。
しかし、これら、表向きでの一貫した「親米保守」の主張は、実は田久保の生涯を通じた“ロシア一辺倒”を偽装するための、表面を分厚く塗ったペンキでしかない。このことは、一例を挙げると「日米同盟解体論の情報宣伝専門家(プロパガンディスト)」ロナルド・モースとの、田久保の深い人間関係と頻繁な接触の事実においても証明されよう。日米同盟を重視する「親米保守」が、万が一にも、ロシアKGB工作員R・モースと公私に亙って深い親交を結ぶことなどあるまい。まず、それを利する日米同盟解体を狙って、ソ連が日本に放った「米国籍の情報宣伝工作員」モースとは、いかなる人物か見てみよう。
モースほど露骨に日米同盟破棄を日本で説いて回ったアメリカ人はかつていない。それらは次の如し。

 「もはや時代遅れである米日間の一方的な公的な安全保障上の結びつき(日米安全保障条約)を絶って、日本を日本のあるがままにさせることが必要である」(「日本はもう自分の道を歩め」『中央公論』1989年12月号、124頁、A)。

日米安保条約は、どこにも「時代遅れ」ではないし、十全に機能している。もし時代遅れと思うなら、廃棄するのではなく“時代にマッチするよう”改正すればよいことではないか。しかしモースの対日姿勢の基本は、「反日」であり、日米関係の存在そのものがいやで、日米の絆の中核である日米安保そのものを切断したいのである。

  「いま米国は、ソ連と何か問題があっても解決できます。ところが、同じ問題が日米関係の中で出てくると、全然解決しないんですね」(『正論』1990年2月号、121頁)。

 日米関係の問題の中で、もし米ソ関係の問題で同じものが一つでもあれば、挙げてみろ!といいたい。一つもないではないか。モースは詭弁や虚構を駆使している。この詭弁/虚構の中には、米国が“ソ連封じ込め”から、“日本封じ込め“に変更したなどと、トンデモない嘘まである。そんな事実は、あろうはずがない。しかも時に、世界は、米国も含め、ベルリンの壁崩壊(1989年11月)に沸き立っているときである。情報宣伝家特有の、口から出まかせとはこのようなことを指すのであろう。

  「米国の封じ込め政策(の対象国)は、今や、ソ連から日本に向けられています」(「日米同盟に緊張感を」『中央公論』1990年1月号、138頁、B)。

 この一ヶ月前では、米国民は日本を敵視しているとまでいう。だがモースが、この原稿を書いたのは、ベルリンの壁崩壊直前で、世界も米国も東欧の異様な動きのみに釘付けのときで、米国で日本に対する関心そのものが一時的に消滅したときである。

   「ソ連に代って日本をアメリカの公敵ナンバーワンと見る傾向を強めて
いる議会と選挙民」(A、125頁)。

要するにモースは、日本人の間に反米感情を醸成する日米分断工作をしていたのである。そればかりか、露骨に、日本に親ソ路線を煽動していたのである。東欧諸国がソ連の搾取と弾圧から解放され共産主義体制を放擲しようとする、まさにそのとき、日本に共産諸国やとりわけソ連ともっと深く付き合えと、次のように甘言を弄している。

  「(米ソはデタントなので)日本はもっとソ連および共産主義諸国に近づ
くことができます」(B,141頁)。

 1989年末が、「デタント」とも言われた1970年代中頃であるとは、モースの嘘も甚だしい。レーガン政権は1981年1月に誕生したが、「デタント」という言葉を米政府部内で厳禁し、ソ連側にも(対米交渉において、この言葉の使用禁止を)要求した。例えば、1986年のレイキャビック・サミッ
ト。そもそもソ連が崩壊してロシアへと縮小していく1989年に、「米ソデタント」などありえるはずもなかろう。

 モースは、情報工作員としては、レフチェンコなど比すればかなり質が悪い。経済破綻が近づき切羽詰まったのか、ソ連は、速成にすぎ訓練未熟のまま、急ぎモースを日本に派遣したようである。さて、田久保がこのようなモースと特段に昵懇である事実は、田久保の本心が日米同盟廃棄論者だからである。田久保のお粗末で水準以下の博士論文の要約が『ニクソンと対中国外交』(筑摩書房)として出版されたが、その論は、田久保の熱烈な親中・親ソを前提に展開されており
、田久保の正体が丸見えである。
 最初、この『ニクソンと対中国外交』を読んだとき、朝日新聞社が書いたとしか思えず、「田久保忠衛」は朝日新聞社のペーンネームと勘違いするほどであった。この本によると、田久保は、一つの中国こそ正しく、台湾は独立してはならないと、そのポジションは明確である。田久保が、台湾独立派の「李登輝友の会」の理事になったが、それはこの会の動きを北京に内通するのが目的である。
なお、ロシアの日中分断工作の妙手として、「台湾独立」と「南京事件」は、日本の民族系にとって最優先課題であるのが、ロシアの対外政策に逆手に悪用されている。田久保は中西輝政とともに、前者に梃入れすることによって、ロシアの日中分断工作における尖兵の役を果している。抽象的な「台湾独立支援」は、「保守」の立場を意味しない。台湾の対中防衛力強化を論じたり、台湾と日本の同盟関係の構築を提唱したり、「台湾なくして沖縄の安全なし」の論以外の、台湾大好き論は、すべて疑った方がよい。

四、“真正保守組”の監視とモスクワへの通報――「KGB工作員」田久保の主任務
 田久保忠衛とは、いわゆる「怪人二面相」であり、日頃は「親米保守」の仮面をかぶり、実際には、名うてのソ連の工作員たちと懇ろな付き合いをしている。瀬島龍三、末次一郎、名越二荒之助、佐瀬昌盛(日本共産党秘密党員)、猪木正道らは、田久保忠衛の盟友である。この事実については、むろん、自伝『激流世界を生きて』からほぼばっさりと削っている。
 例外は、真実隠しの情報歪曲本の典型である、自らのソ連スパイの人生をカムフラージュした瀬島龍三の自伝的な『幾山河』について、「涙なしには読めなかった」と感動している。しかし、『幾山河』が、瀬島の行状を調べている現代史家すべてに“噴飯物”と憤慨させたほど、薄っぺらな中身なのは、田久保も知っていよう。同じソ連の工作員として、瀬島龍三のカムフラージュに協力すべく“演技の記述”であろう。
 田久保の、ソ連・ロシアから与えられた任務は何か。それは、木村汎や袴田茂樹のように、ソ連・ロシアの対日情報工作を直接になうものではなく、極めて特殊なものであろう。表向きでは、「反ロ・反ソ」や本物の保守たちと交友し、その情報をモスクワに流すという任務である。
このために、まさしく怪人二面相のごとく、自分がさも「親米保守」かのような演技をし続けてきたのである。自分が殺害していながら泣いて悲しむ「天性の大俳優」三浦和義の演技力と、かなりいい勝負である。“ロス疑惑の三浦和義”は、もしかすると、田久保忠衛の愛弟子かも知れない。田久保の標的になった、主要な人物を、表1にリストしておく。

表1;田久保忠衛の監視対象となった“本物の保守人士”             
           
 職業経歴          思想・信条
曽野明 外交官            反共、反ロ、親米
岡崎久彦 外交官            反ソ、親米
新井弘一 外交官、杏林大学教授   反ロ、親米
小森義久 産経新聞社、ジャーナリスト   親米、反中
櫻井よし子 ジャーナリスト    反中、反・北朝鮮
村松剛 立教/筑波大学教授、文芸評論家 親イスラエル


 田久保忠衛が工作員として超一流なのは、日本では数少ない、これら「正真正銘の保守」六名を完全に信用させ誑かす技術の高さである。周辺のものは必ず騙す、田久保の才は、どう磨いたのだろう。曽野明も岡崎久彦も新井弘一も、田久保と親交が深めた分、モスクワにその動向がことごとく通報されたのだが、これをレーニンが定義する“役に立つ白痴”というのは、言いすぎだろうか。
まず、曽野明の死没(1995年9月)に際して、田久保の法律上の(文字通りの)犯罪を一つ紹介しておこう。
曽野明は、1951〜2年のサンフランシスコ講和会議における吉田茂の傍にあって、対ソ問題/北方領土返還問題の快刀であった。そして、彼はそのときの対ソ交渉資料を一部こっそりと自宅に秘匿していた。遺言状にそれらの資料は某氏に贈与される旨が明記されていたが、そのことは、田久保は曽野明の生前より熟知していた。曽野明に死期が近づき意識がはっきりしなくなった時(一ヶ月前)、田久保は曽野明の自宅にトラックを横付けし、「曽野明が杏林大学に寄贈すると言った」との真赤な嘘を家人に告げて、すべて持ち出した。そして急いで焼却した。
ソ連にとって明らかにされたくない資料をソ連のために消すためである。遺品は死没後に引き取るのが常識だろう。だが、その遺言状が死没と同時に曽野明の長男に開封され、別人に贈与され、研究発表されるのを田久保は(ソ連のために)何としても阻止したかった。遺言執行妨害の不法行為であるばかりか、刑法上の詐取等の犯罪に相当するのは明白だろう。田久保の、この犯罪は、田久保の本籍を示して余りあろう。
曽野明への田久保忠衛の本心は、ソ連のために北方領土返還を妨害に自らの智謀を賭けた“KGB工作員の巨魁”末次一郎の死去には「最後の国士・末次一郎の遺言」との、礼讃記事というより、末次の真像を隠す情報操作記事を書きながら、北方領土返還では日本隋一の功績を誇る曽野明については何一つ書かなかった、そのアンバランスにおいて露呈していよう。故・曽野明の葬儀における田久保の弔辞は、ソ連工作員である田久保の事実を隠す方便以上の何物でもなかった。
末次一郎の沖縄返還運動の目的は、二つ。第一は、核抜き返還をさせること。第二は、沖縄と北方領土の同時返還が米ソで協議されていた当時、先に沖縄を返還させることによって、北方領土のソ連領有を固定化することであった。末次が作った「日ソ専門家会合」は、日本が一方的にソ連に経済協力させる手段として活用させるためで、これらの功績に、ロシアは、末次に「ロシア連邦国家友好勲章」と名誉博士号を授与した。KGB第一総局の大幹部プリマコフとは、本当の兄弟のような間柄で、末次がソ連人であったことの証左ともなっている。
末次の本性は、わが日本国の領土を餌に、勲章を獲ることしか念頭になかった“日本の国賊ナンバー・ワン”であった。田久保の書いた「最後の国士・末次一郎の遺言」は、全体としては真っ赤な嘘ばかりで、読者騙しもここまできるかと唖然とする。また、赤旗に忠誠を誓っていた末次の「日の丸」運動も偽装である。さらに、昭和天皇と皇室を尊崇しているかに見せる演技は、勲章を狙っていたからで、それ以外ではなかった。
さて、村松剛のケースについても、多少語っておこう。
1995年5月に歿した村松剛は、喉頭癌が死因とされているが、実際には失血死である。前年の杏林大学付属病院でのコバルト照射が全く患部に照射されておらず、のち「癌センター」が切開手術をするとき、意図的に細胞が壊死しているコバルト照射の部分にメスを入れたからである。だが、杏林大学に村松剛を入院させコバルト照射治療をさせたのは田久保忠衛である。
村松剛もその親イスラエルにおいてソ連・ロシアとしては許し難い日本人の一人であった。田久保が村松に抱く殺意・敵意を村松が気付かなかったのは、村松が大人に成長してなかったからである。なお、村松剛から弁護士の地位を利用し四億円を騙し盗った男が高池勝彦で、田久保忠衛の親友である。田久保・高池の策謀の中で、村松剛は死を迎えたともいえよう。田久保が村松剛の葬儀でアリバイ工作のような弔辞を読んだが、(田久保との交友がなければもっと長生きできたのだから)なんとも鼻白む光景であった。
田久保・高池の両名は、猪木正道らとともに、民社党系の「民主社会主義研究会議」の出身者である。つまり、田久保とは、社会党の社会主義とは過激性で相違しても、あくまでも社会主義者である。ここに、民社研がKGBの温床になった必然がある。
田久保・高池両名は今、ターゲットを櫻井よし子に絞って、「国家基本問題研究所」を創らせた。その理事長は櫻井だが、副理事長は田久保であり、事実上の事務局は高池が取仕切っている。櫻井の動きは、詳細にモスクワと北京に通報されている。日本の保守として真に人材たる櫻井よし子が、村松剛の二の舞にならぬことを祈るばかりである。

五、『昭和天皇』と「日の丸」は、極左の自己偽装の常套手段
    表2、「日の丸」運動家や皇室尊崇家ぶりの正体をどう見破るのか
       反日の極左人士       正体
福田和也『昭和天皇』(文芸春秋) 北朝鮮人、慶応大では中核派(「パンク                  全共闘」)、ポスト・モダン系アナーキ                  スト、天皇制廃止の新スローガン「天皇                  抜き」は福田の造語
末次一郎『昭和天皇をお偲びして』  (ソ連と共謀した反米闘争としての)沖                  縄に「日の丸」を贈る運動、戦時中の中                  野学校二俣分校時代からソ連工作員、ロ                  シア連邦国家友好勲章(旧レーニン勲                   章)授与
原武史『昭和天皇』(岩波新書) 北朝鮮人、日本共産党員
松本健一『畏るべき昭和天皇』    共産党シンパ、社会主義者、民族系アナ 『昭和天皇――畏るべき無私』   ーキスト、過激な天皇制廃止論者、「君  『日の丸・君が代の話』     が代」廃止運動の急先鋒。
吹浦忠正『日の丸ヒノマル』『日の丸を科学する』 共産党正式党員、                         ロシアの北海道侵攻を幇                         助する任務のソ連工作                          員、北朝鮮人?
 
 日本の戦後史に残る「ソ連の大スパイ」末次一郎を、「最後の国士」と持ち上げて、その虚像づくりに躍起になったのが田久保である。だが、この『新潮45』(2001年9月号)に発表した内容は、極左やロシアの工作員たちが、どう偽装するかを例示してくれているテキストブックである。
 例えば、「末次は、開戦記念日の十二月八日と終戦記念日の八月十五日に皇居・二重橋前に額ずき開戦と終戦の御詔勅を黙読している」とある(73頁)。工作員一流の偽装は、このような「右翼」演技まですることを教示する。末次の新樹会も日の丸も『昭和天皇をお偲びして』もすべて、自分がソ連人であることを隠蔽する道具立てである。このようなことに精通してこそ、インテリジェンスを語ることができる。インテリジェンスは、数年から十数年に及ぶ、嫌疑あるものへの捜査が不可欠であり、「インテリジェンス」の関連の本を数十冊読んだくらいで専門家にはなれないのである。
 現実にも、「自称<インテリジェンスの専門家>」中西輝政は、末次一郎について語ったことはない。あるいは、親しい日本会議に、末次一郎/名越二荒之助/吹浦忠正の正体を中西が通報したこともない。なぜだろう?
 ともあれ、日本の現状は、外務省も防衛省も防衛大学校も、日本会議などの民族系の団体も神社本庁ですら、すべからく、永年のロシアの工作の成果として、ロシアの間接統治下にある。そうでない組織など、もはや一つも見付からない。この意味で、日本の現実は、GHQ下の検閲などとは比較ならない、ロシアの“鉄の完全検閲”下にあって、ロシアが操作した範囲でしか情報がなく、自由な言論も自由な思考もいっさい不可能になっている。情報の外国からの独立が主権国家の要件のひとつであるから、今日の日本は、疑い余地なく、ロシアの属領であって、主権はロシアに奪取された、非・国家となっている。
 

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

中西輝政研究 更新情報

中西輝政研究のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング