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中西輝政研究コミュの84 西尾幹二の本職は、“日本共産党の代行人(犬)”か?

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GHQによる出版物に対する「没収」や「検閲」の害は、平成時代に入ってからのNHK番組を通じてなされている朝鮮人や共産党員による大規模かつ長期間の本当の洗脳情報に比すれば、ゴミほどのものであろう。後者の害毒の方が、前者の一千倍も一万倍も重大な悪影響を日本に与えている。
しかし西尾幹二は、世渡り術に長け、その狡猾の計算にもとづき、日本のマスメディア界を支配する共産党や在日朝鮮人も賛同してくれる、「米国批判」「GHQ批判」という安全地帯で悲憤慷慨する憂国演技に興じる。さも愛国心があるかの、あるいは憂国の士であるかの、低劣でおぞましい演技である。
共産党や在日朝鮮人が大目にみてくれ時には拍手もするもので、日本の国益に合致しない。自明ではないか。この意味で、心底では意識して共産党に尻尾を振る西尾とは、他の民族系論客に共通しているが、人間として腐敗する「低級で恥ずかしい日本人」であり、祖国日本にとって有害人士のひとりである。
西尾のケースは、小堀桂一郎や渡部昇一あるいは小田村四郎らとともに、次の重要な公理が存在するのを明らかにする。

 A 民族系論客は、日本の出版界や新聞を完全に支配している共産党や在日朝 鮮人と可能なかぎり敵対も対決もせず、「棲み分け」する「共生」を原則とする。ただ、一部の問題についてのみ「縄張り争い」を行い、自らのレーゾンデートルや愛国者イメージの維持につとめる。例えば、従軍慰安婦問題、沖縄集団自決問題、夫婦別姓、外国人参政権など。
 B 民族系論客が、日本共産党員や北朝鮮人と同じく、米国糾弾やGHQ批判に精を出すのは、実はもう一つ理由がある。民族系論客は、大東亜戦争中の「祖国はソ連」とばかり日本の共産化に邁進した共産主義者(尾崎秀実や平野義太郎ほか)の系譜にあり、「反日・非国民」の血を体内に宿しているからである。
ただ、彼らが徳田球一/野坂参三や宮本顕治の下に走らなかったのは、たまたま“思想の畸形児”として生まれたためで、具体的にいえば、薄っぺらくて歪だがかすかな愛国心が備わっていて、教条的な「ソ連人」となったり、天皇制廃止に狂奔することなどができない、大東亜戦争を支えた思想からすれば本流からはずれた幼稚な畸形児性が強かったからである。つまり、日本共産党委員長となった不破哲三や志位和夫の方が、大東亜戦争の思想を正統に継承した五体満足な健康な嫡子孫である。
なお、江藤淳は民族系論客のヒーローだったが、彼は小堀桂一郎/渡部昇一/石原慎太郎/西尾幹二/高山正之ら他の民族系論客とは区別すべきである。なぜなら、江藤淳だけは不破哲三らの直接の仲間で野坂参三を崇拝し党籍のある共産党員となった過去があり、また彼は、1960年、暴力的な革命では日本には共産党独裁政権ができないことを覚り清水幾太郎や中嶋嶺雄らと同様に脱党(=「家出」)したけれども、死ぬまで内心では半・共産主義者であり続けたからである。
C この公理Bは、次の系譜図になる。そしてこれから第三の公理Cが演繹される。
                 (傍系の畸形児群)
―――→小堀/小田村/西尾/渡部/石原/高山
                         |
|     (嫡子孫)
  尾崎秀実/平野義太郎―――――→野坂/宮本/不破/志位

第三の公理Cとは、次の通り。
「1980年末から二十年以上もの長きに亘って、民族系論客は、共産党や在日北朝鮮人たちがあらゆる智慧と全エネルギーを投入して実行しているソフトな形態だが大規模で過激な日本共産化革命に対して糾弾はおろか批判すらほとんどせず、ただ大量に駄文の洪水を垂れ流して、あるいはそれらを数十年前のGHQや米国に責任転嫁して、良識ある国民の眼を1992年以降では日本のみで進行するこの共産革命を直視しないよう(催涙ガスを投げつづけたかのように)盲目状態にして、平成日本の共産革命に積極的に協力している。民族系論客がこれほど祖国に叛逆する行動に走るのは、彼らが実は日本共産党と、(時々思い出したように兄弟喧嘩をするが)血統が同じれっきとした兄弟だからである」
  

 以上の三大公理を、いっさいの異論が差し挟まれないほど見事に証明してくれるのが、実態的には「共産主義万歳!」「日本共産化こそ日本の国益」と絶叫するに等しい、西尾幹二の著『GHQ焚書図書開封』全四巻である。ここで、西尾のこの四冊に的を絞った分析をするのは、AとBとCという上記の三つの公理を、端的に明らかにするからである。

1、歴史を捏造的に創作する仲小路彰を絶賛する西尾幹二の愚昧と狂気
 民族系論客がいかに共産主義者に魅了されるか、その典型のひとつが、マルクスの『共産党宣言』を狂信するコミュニストで強度の妄想癖の病が重い仲小路彰を褒めちぎることで、西尾幹二が証明していよう。仲小路について西尾が論じたエセーは三つ。『GHQ焚書図書開封』第2巻の285〜312頁,『別冊正論13』(2010年9月刊)のエセー「欧米による太平洋侵略史が語る歴史の必然――仲小路が日本人に託した未来への意思」、および国書刊行会の『太平洋侵略史』(復刻版、全六巻)第六巻末尾にある「解説」である。
 仲小路の歴史著作は皆、当たるも八卦はずれるも八卦の杜撰きわめるが、なぜか西尾はひたすら感動し礼讃する。例えば、仲小路は、その『太平洋侵略史』第一巻において、キャップテン・クックが英国政府とロシア政府の密約に基き、1770年代頃、カムチャッカ半島に行き、シベリアからのコサック兵一万四千名と呼応して日本侵攻を企てようとしたと(XX頁)、アホらしい荒唐無稽な馬鹿話を記述している。が西尾は、失笑するのではなく、「この本で私は初めて知った」と感嘆の声をあげる(『別冊正論13』171頁)。
 西尾はお粗末にも、十八世紀では、シベリアから日本への侵攻ルートがまったく存在しないのを知らない。樺太への進出ルートおよびが沿海州から対馬・九州への海上ルートができたのはそれから八十年ほど経った十九世紀なかばである。カムチャッカ半島から北海道への海上からの侵入ルートもやっと十八世紀末に開発された。が、陸軍兵力がゼロだから北海道の占領などはできない。西尾幹二の歴史を知らない、余りの無学・無教養ぶりのおぞましさは、想像を超えるレベルにある。
 あるいは、仲小路が敗戦直後の1945年8月18日に認めた一文は、それ以前の厖大な著作における「戦争讃歌」一色を180度も転換・豹変して、世界は軍備不要の時代に入ったと嘯くものだが、西尾はこれをもって「変節漢め!」と糾弾するのではなく、「このたび一読して感銘を深くした」と書いている(同上、178頁)。しかも、この一文の記述内容は創り話と妄想ばかりだから、これに感嘆する西尾がもし同種の病をもっていなければ、このようなコメントにはならない。
仲小路のデタラメ歴史の例をもう一つ。『太平洋侵略史』に続いて書いた『太平洋防衛史?』で、1861年のロシア対馬占領事件を扱い(OO頁)、仲は、このときロシアの軍艦を対馬から追っ払ってくれた英国東洋艦隊について、歴史事実を捏造して、ロシアとともに対馬を侵略したとする。国書刊行会は、西尾幹二に騙されて仲小路彰のトンデモ本『太平洋侵略史』を復刻した。この復刻は、日本国にとっては大いなる負の遺産を再生産する、おぞましい「反日」出版になった。
 蛇足。西尾の『別冊正論13』の論考のタイトルには「歴史の必然」という語がある。これがマルクス史観なのは言うまでもなかろう。西尾は意識していないようだが、彼の思考基盤はマルクス主義である。

2、全地球の共産社会化を夢想し続けたマルキスト仲小路彰
 戦前にあっては(戦争が共産革命成功への確実な道と理解して)戦争を日本に煽った仲小路彰と尾崎秀実は、この点では共通している。しかし、相違もある。この相違は、マルクスの『共産党宣言』を信仰する仲が地球全体が共産社会になるのを夢想する単なるマルクス教徒であるのに、尾崎がスターリン崇拝者でGRU工作員としてソ連による現実のアジア共産化/日本共産化の実現に向けて全知全能をかけて革命を実践した“コミュニストの鑑“だったことから生まれていよう。
 早熟だった仲は、旧制中学時代から確信的なマルキストになったようだが、これは共産党員になり治安維持法で検挙された三木清と似ている。実際にも三木と仲は、共産革命を目指すことで同志であった。両者は、羽仁五郎や戸坂潤ら札付きのマルキストたちの「マルクス主義研究会」のメンバーであった。
 マルキストとして、仲には日本という国家などどうでもよく、「地球」とか「世界」とかを妄想する,いわゆるボーダーレス思考者であった。戦後直ぐ「地球文化」というマルキスト特有の言語を冠した「地球文化研究所」を設立したように、日本を戦災から復興させるとか、日本の経済を再生するとか、そのようなものはどうでも良かった。終戦の詔勅の直後に書いた『我等かく信ず』の末尾で、
仲は、次のように国家のない「地球教徒」の本性を露わにした。

「世界国土建設計画    
地球一体化の積極的計画実施」(復刻版『太平洋侵略史6』、360頁)。

一般的常識からすれば、仲とは精神を病んだ精神疾患の患者であることが直ぐわかる。西尾幹二がそれを察しえないのは、西尾幹二もまた同種の病気に冒されているからである。ともあれ、仲のこの狂気は死没するまで続き、七十歳を越えた晩年の著作『地球世界芸術史』『地球社会変革史』も、カルト的な「地球教」一色であった。

3、一冊も「焚書」などしなかったGHQ――図書館蔵書と個人所有を認め、市 場流通本のみ「没収」したのが、どうして「焚書」なのか
 西尾幹二の虚言癖はひどい。これは、良心とか誠実とかとは無縁の、西尾幹二の不健全な人格から生まれるものだろう。オレオレ詐欺が殺人ではないように、書籍に関して流通の禁止と市場にあるものを「没収」する措置は、その書籍を図書館からも個人蔵書からも根こそぎ捜し出して焼却する「焚書」とはまったく違う。
 GHQは、世界でもっとも本を大切にする英米系の人々であったため、GHQの「占領行政に不都合」な、および「軍国主義復活に効果があると目される」書籍を市場から「没収」したが、一冊として「焚書」にした本はない。それらはすべて、国会図書館や東大その他の主要大学にいけば、当時も今も、戦前・戦中のままに閲覧できる。これらの図書館に存在しない本も結構多いが、それは購入していなかったり寄贈させていなかったためである。GHQは図書館や個人蔵書からは、一冊として「没収」しなかった。
例えば、国会図書館の、2000年から2010年までの十年間の入手図書は、厳密な統計は知らないが、実際に刊行された単行本の7割ぐらいのようである。同様に、現在、国会図書館には、「没収指定図書リスト」の8〜9割も蔵書されている。残りの1〜2割がないのは、「没収された」からではなく、初めから購入していなかったためである。
つまり西尾のように、GHQの没収リスト図書のうち1〜2割が国会図書館には蔵書されていない事実をもって「没収されたからだ」と大騒ぎするのは、悪意ある流言飛語である。無実のものに罪を着せる冤罪づくりの犯罪行為そのものである。要は、西尾とは、欠けているのをもって「没収された」「焚書された」と、事実に反する大嘘をでっち上げ、『GHQ焚書図書開封』というタイトルの本を出版した。かくも通常の学者や知識人とは異質な西尾幹二の本性は、煽動宣伝家であり、無法者的なペテン師である。
「反米」人士に、国際的に通用する紳士はおらず、「反米」を売り物にする西尾幹二らの論客たちは、例外一人もなく、ごろつき(knave)に紛う野蛮人(barbarian)たちである。「日本の恥さらしの人々」と慨嘆するほかない。
英米両国は、本を大切にする文化が根強く、東京をあれほど焼き尽くしたが、図書館はB29の焼夷弾の被害がないよう厳格かつ正確に投下された。東大の図書館はもちろん、神田の古本屋街がすべて無傷で残ったのも、日比谷図書館が炎とは無縁であったのも、京都・奈良と同じ扱いで、周到に計算されて空襲からの聖域(sanctuary)としたからである。

4、日本の国益を毀損する有害本も多かった、GHQの「没収図書リスト」
――「GHQは日本に代わって、日本のために没収してくれた」と解釈すべきではないのか
 GHQの七年間にわたる占領行政は、すべてが日本にとってマイナスになったわけではない。プラスのものも多い。GHQ占領のマイナスは、例えば、憲法第9条であり、労働三法と教育基本法の制定などである。後者のプラスについては、学会と論壇が共産党系およびその“畸形的な分派”民族系の共闘によって、日本中が「反米」で洗脳され理性的な知的思考力を失ったために、「検閲」されたごとく語られることがないが、次のようなものがある。

A 天皇制度を擁護したこと=「国体護持」。
B 計画経済に移行寸前の統制経済を排して市場経済に戻したこと。
C レッド・パージによって、共産主義者に対する弾圧を実行したこと。このなかに、読売争議への介入など、新聞社の共産党支配を阻止したことも含まれる。
D 朝鮮戦争を果敢に戦い、韓国を守って(朝鮮・中共・ソ連の同盟)共産軍の九州侵攻を阻止し、また(赤い旧関東軍とソ連軍の合同軍による)樺太からの北海道侵攻とを未然に阻止したこと。
E この朝鮮戦争を契機に、すでに一九四八年夏ごろから「日本の経済力を復興させる」策に転換していたが、日本を自由社会の経済大国に急ぎ復活させるスピードを加速すべく、朝鮮特需ばかりでなく、米国の高い技術をほとんど無償で大量に移転してくれたこと。

これらについての説明は省くが、ポツダム宣言こそ、日本が天皇制度を護持できる天が恵んでくれた最後のチャンスであった。このことを理解された最高の偉大な人物が昭和天皇である。8月15日の「軍人に与えた勅語」に、それを「帝国陸海軍の闘魂なお烈々たるものあるにかかわらず光栄あるわが<国体護持>のため朕はここに(ポツダム宣言を受諾した)」とさらりと明言された。
 そして、昭和天皇の戦争責任を明治憲法に沿って「無答責」として、その聖性を護持して、日本の天皇制度を守った法的措置が東京裁判であった。この意味で、東京裁判は、もし日本の愛国者であるなら批判を慎むべきである。東京裁判を目くじら立てて糾弾し続ける小堀桂一郎/小田村四郎/渡部昇一/靖国神社/日本会議は、日本共産党に与する輩であり、昭和天皇に弓引く叛逆的な「反日の非国民」と分類されねばならない。
 上記の「五大プラス」に比すれば「マイナーなプラス」についても、日本ではまったく言及されない。これらは、?飢餓に瀕した日本国民に対して大量の食糧の供与、?ベルジャーエフやドーソンなど自由社会にとって不可欠な良書が「事実上の検閲と禁止」されていた戦前日本から解放されたこと、・・・などなどである。
この?の問題は、戦前日本を席捲していたマルクス主義の極左本の多くを市場から一時的であれ「没収」してくれた占領行政とも直接的に連動している。この意味で、「GHQによる図書没収」は、日本国をマルクス主義やレーニン/スターリン主義の洗脳や呪縛からほんのしばらく解放してくれた功績があり、日本国を裨益した。この事実は正しく評価されるべきである。むしろ、称賛されるべきである。
それなのに西尾幹二は、逆立ちして「GHQの図書没収」を糾弾し、マルクス主義/共産主義の反日の書籍を賞讃・拍手する。逆立ちの狂気もほどがあろう。実際に、西尾の『GHQ焚書図書開封』は、日本共産党や全共闘が、この平成時代にあってなお過激に遂行する共産革命を側面援助するものとなっている。西尾幹二とは、どうみても“(この分野を請け負った)日本共産党の代行人=犬”である。
 西尾が『GHQ焚書図書開封』で列挙した「焚書された書」は、一冊も焚書になっていないが、(戦記もの等を除けば)それらの多くは、a直接的にマルクス主義/共産主義にもとづき書かれた極左本である。また、b民族主義の言辞に置換した、マルクス主義/共産主義による日本共産化の革命煽動本である。
が、デタラメ売文業者の西尾幹二は、一般通念上の学者などとはほど遠く、このbは万が一にも判読・識別できない。aぐらいは見抜くべきだが、西尾ら民族系論客の知的水準は想像以上に低く、それすらできない。『GHQ焚書図書開封』が採り上げた本は、占領軍の軍政下では当り前の戦記ものの流通禁止を除けば、?英米を敵性的な侵略国家として日本人を煽動する本と、?「国体明徴」や皇国史観のものが、過半を占める。そして、?にはaが、?にはbが、それぞれ対応している。
具体的言えば、西尾幹二が採り上げる大川周明『米英東亜侵略史』や仲小路彰『太平洋侵略史』は、?を目的とし、それをレーニンの『帝国主義論』の枠組みで展開した、aをディシプリンに書いたものである。また、西尾が採り上げる国体論や皇国史観の書は、果してただファナティックな民族主義を宣揚したものなのか。それとも、民族主義の言語でスターリン体制を理想だと間接的に表現したものなのか。
明治憲法下の天皇制度を有することで厳として「国体」が磐石に制度化されているのに、わざわざ「国体明徴」とか「国体の本義」とかを大宣伝すること自体、不可解だし奇怪である。数百億円を持つ大金持ちに「あなたは金持ちになる必要がある」と、毎日しつっこく教宣すれば、その狙いが金を奪い貧乏にしようとしているからだろうと誰しも推定できる。
実際に、皇国史観の『国体の本義』(文部省編、1937年)は、共産主義者の牙城となっていた陸軍が二・二六事件(1936年)の失敗に懲りて日本をスターリン型の計画経済に革命する方法として考案した国民洗脳の書であった。『国体の本義』は、殺人鬼が被害者に近づくに「私はあなたの味方だ」というのと同じロジックで、表向きの看板を「国体護持教」にしておいて、その実、天皇制度廃止の国体破壊が目的であった。
西尾はまた、田中智学の『日本国体新講座』(1935〜6年)を持ち上げるが、スターリン主義系のコミュニスト田中智学が造語した「八紘一宇」は、レーニンの「ミール=世界共産化」の翻訳語である。その息子の里見岸雄は、戦前・戦中、父の智学の意思を継ぎ、日本のマルクス系社会主義革命を煽動し続けた。戦後、GHQの進駐と日米安保体制下で日本が自由社会の道を選択したのに驚き慌てて、偽装転向をして、その証拠づくりに『万世一系の天皇』を出版したのである。
極左革命家の思想をインテリジェンスするには、特段に高度な学識・教養と特別に抜きん出た頭脳が必要である。西尾のようにニーチェ哲学もわからず二ーチェ伝記で学位を誤魔化すレベルの東大の劣等生が、マルクス・レーニン主義を換骨奪胎して民族色に塗り替えていく日本の一九三〇年代・四〇年代の特異な政治思想を洞察することはできない。しかも、IQが低いなら、そのぶん手抜きしないで、田中智学や里見岸雄のすべての著作を読む努力をすべきだが、西尾は時間があれば酒と放言びたりで、まともに学問的な研究はいっさいしない。
話を核心に戻せば、GHQが大川周明や仲小路彰のような、マルクス主義者の悪書・毒書を「没収」してくれたのは、日本を裨益した以上、日本はGHQに感謝すべきである。だが今も、それらの本が戦前のままに、日本いたるところの大学図書館にあって学生が読んでいるのは、日本の未来を暗くする。いっそ西尾の詐言どおり、GHQに「焚書」処分をしてもらうのが、国益に合致していたといえる。

5、初期GHQを牛耳っていたNKGBと日本共産党
         ――西尾幹二は、なぜこの事実を指摘しないのか?
 西尾幹二の歴史知見は小学生のレベルである。GHQを即米国だと短絡するのは、GHQの内情も知らない無知による。GHQは、一九四八年夏頃まで、ソ連の(その在日要員数は数百名におよんでいたスターリン/ベリア直属の)NKGBにかなり後ろで操作されていた。ウィロビー少将の(GHQ内部に対する)レッドパージがなければ、GHQは共産党の代理人的なことをもっとしていただろう。
GHQが一九四六年三月に日本政府宛に発出したメモランダム「宣伝用刊行物の没収」やその後の没収図書リストは、NKGBとそれに雇われた日本の共産主義者たちが大きく関与していた。これが、七千点強の没収本のなかに、(党籍の有無にかかわらず)共産党員のが一冊としてリストされなかった理由である。小林多喜二、三木清、尾崎秀実、河上肇、宮本百合子、野坂参三、堺利彦、賀川豊彦、横田喜三郎・・・である。
また、『大衆明治史』ほか数冊の菊地寛の作品が「没収」となったのは、菊地寛がプロレタリアート文学を罵倒する「反共人士」だったから、GHQ内に潜入していた共産主義者たちに“復讐”されたのだろう。
 なお、この「GHQへの共産主義者の潜入」問題については、いずれの機会に詳述したい。

 
 

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