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中西輝政研究コミュの60 「KGB工作員」田久保忠衛と“ロス疑惑”三浦和義                (47の続き)

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 47で書き忘れていたことがあるので、それを補足しておく。
 田久保忠衛の擬装の技術は、主として「親米保守」だが、もう一つが、人を騙す才能の先天的な高さである。田久保に磐石の信頼を寄せた村松剛、曽野明、岡崎久彦の三名を例にとると、田久保の騙しの才が並でないのはすぐわかる。言葉巧みな彼の騙しの術は、日本中のTVの前にいた視聴者全員、すなわち「騙す標的」をして自分に対する同情を沸騰させた、あの“ロス疑惑”の三浦和義に優るとも劣ることはあるまい。

 ここでは、田久保が、しらっとして、学術的な虚偽を言いふらして歩いた、彼の実際のケースを取上げる。それは本人の回想記『激流世界を生きて』の30頁その他にも書いているが、自分を「河合栄治郎の門下生」だと自慢しておいて、その延長上で社会主義者であった河合栄治郎を「自由主義者」だと称し、みずからを「自由主義者」だと詐称的な嘘レッテルを貼る、田久保流儀のテクニックについてである。

1、暴力革命否定の社会主義者――河合栄治郎と反・自由主義
河合栄治郎は、親ソではなく対英米戦争に反対であり、また共産党やマルクス・レーニン主義と一線を画していたが、れっきとした社会主義者であり、この故に、裁判所に提出した上申書という形ではあるが『私の社会主義』(1940年)が後世に残ることになった。『河合栄治郎全集』第十三巻に収録されている。
 つまり、暴力革命と私有財産の完全否定には賛成しないが、河合栄治郎とは、英国の労働党を模範とする正真正銘の社会主義者であった。労働組合への過剰な期待や大規模生産の工場の国有化は、河合の信条であった。つまり、サッチャーのようなハイエク型、その他の一般通念の自由社会に対しては、積極的に拒絶する、反・市場経済派であった。
 河合は、「ソ連型の共産主義・計画経済ではない社会主義」への社会改造を目指すのであり、あくまでも「自由主義の放棄の勧め」をする。木村健康が編集した角川文庫版『自由主義の擁護』(1946年)のタイトルは不正確きわまりない。そこに収録された河合の著『ファッシズム批判』(1934年刊)からの「現代における自由主義」には、次のように、自由主義を革命する旨が述べらている。

「自由主義の一部ことに経済的自由主義はすでに放棄されて社会改良主義となったのであるが、これをもってもなお不十分であり、結局においてさらに一歩、社会主義に発展すべきである」(9頁)。

 社会主義は基本的にファッシズムになるのであり、河合の思惟は、論理的には雑駁であった。特に、十九世紀半ばの英国のヘーゲリアンであるトーマス・ヒル・グリーンに傾倒したことにおいて、河合栄治郎には一般通念上の自由主義者と呼べる思考がないのは明かである。とりわけ、社会が改良されれば、人間の人格も改良されると考えることにおいて、グリーンも河合も、ルソーの全体主義体制論(=『社会契約論』)やマルクス主義とは差異がない。河合門下から、猪木正道のようなスターリン狂徒が生まれたのは、河合の、このような、不安定な社会主義観において当然である。
 人格は、祖先からの慣習と道徳そして宗教上の信仰こそがその完成性の土壌であり、人為的に改造された社会は無視ら逆に人間の人格を低劣に化するし、動物化する。このことはソ連時代のロシア人や北朝鮮体制の人々を思い起こせば明らかだろう。河合の哲学的な思惟は、未熟で終わった。

2、社会主義者の田久保忠衛の本心が「親米」でないのは自明
 河合栄治郎系の社会思想研究会のメンバーになった田久保忠衛の「親米」言論すべてが、薄っぺらくて、強く訴えるものが何もないのは、それが本心でないからである。社会主義者でありながら、同時に「親米である」ことなど、どだい無理な話である。国民のほぼすべてが、「社会主義」との言葉だけでも嫌悪感を示すように、米国は「反・社会主義」を国是とする国家である。田久保が、猪木正道と同じく、心底では親ソ一辺倒であるが、この事実は理屈的に考えれば疑問は生じない。
 とすれば、表向きの論壇では、徹底した「親米」をふりまいてきた田久保の演技力は、名俳優のレベルであり、三浦和義とは双子の兄弟というほかない。

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