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天然記念物コミュの大堂神社の楠

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 佐賀県佐賀市諸富町大字大堂695番地

 1979年06月30日、諸富町が天然記念物に指定。
 2005年10月01日、佐賀市に移管。

 https://www.google.co.jp/maps/@33.2377594,130.3629178,16z?hl=ja
 二本が指定を受けており、大きい方は推定樹齢900年で、樹高20m・幹回り5.65m・枝張り21.5mです。
 もう一本は、地上から数mの部分から幹は大きく四つ程に分かれ、四方に枝葉が繁茂しています。樹高15.0m・幹回り5.65m・枝張り21.5mで、推定樹齢は約250年です。
 大堂神社〔郷社〕は社伝によると、人皇第91代後宇多天皇〔位;1274〜87〕の時代に肥前の御家人小田祐光(オダスケミツ)が、老翁が弓箭(キュウセン)を手にして「吾(ワレ)はこの地鎮守の神、故に国土を衛護し万民を鎮護すること久し」と告げる夢を見ました。その声が雷の如き大きさだったので、驚き目覚めて室外を見ると白羽の矢があったため、これを収納しました。その部下である諸富修理太夫(モロドミシュリダイフ)も同じ霊夢を見ていた事が判ったため、両人は鎌倉幕府鎮西奉行である大宰少弐(ダザイノショウニ)武藤政祐(マサスケ)に報告します。すると、政祐も同じ夢を見ていたため、これは正しく神勅であるとして弘安2(1279)年11月29日に社殿を建てこれを祀り、大堂六所大明神と称しました。幕府からは社田53町余を拝領したとされます。
 少弐政祐なんて人物は少弐氏系図に見えませんし、小田氏が常陸から肥前に下向するのは応永34(1427)年の事なんですが、元寇の際に一時的に肥前に赴いた事はあったかもしれませんね。「雷の如き声」も元寇関連の可能性が高そうです。
 その後、少弐氏一族である佐賀藩祖鍋島直茂が氏神として敬信し、その子で初代藩主となった鍋島勝茂が寛永5(1623)年に老朽化していた社殿を再建しました。
 明治時代に周辺の小社が統合されたため、現在の祭神は事代主神(コトシロヌシノカミ)・大山祗命(オオヤマツミノミコト)・豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)・宗像(ムナカタ)三女神・平将門とされています。
 三の鳥居の銅造明神鳥居は佐賀市指定文化財です。

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