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天然記念物コミュの青海川の硬玉産地及び硬玉岩塊

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 新潟県糸魚川市橋立・青海・外波

 1957年02月22日、「青海川の硬玉産地」として指定。
 2001年01月29日、「青海川の硬玉産地及び硬玉岩塊」に名称変更。

 翡翠は古代中国では玉(ギョク)と呼ばれ、金以上に高価な宝石とされて珍重された鉱物です。翡翠に含まれる元素の主なものは、珪素(ケイソ)・酸素・アルミニウム・ナトリウム・マグネシウム・カルシウム・鉄・チタン等で、緑色の物がが最も有名ですが、それ以外にも白・淡紫・青・黒・黄・橙・赤橙等の色があります。日本では橙〜赤橙色の翡翠は発見されていません。
 翡翠は、翡翠輝石から出来ているというのが定説でしたが、最近、緑色の部分にはオンファス輝石という鉱物がある事が判って来ました。
 また、淡紫色のラベンダー翡翠にはチタンを含む翡翠輝石、青色の翡翠にはチタンを含むオンファス輝石、黒色の翡翠には石墨が含まれており、それぞれ色の原因になっています。
 従来の定説では、翡翠(jade;ジェイド)は、硬玉(jadeite;ジェダイト)と軟玉(nephrite;ネフライト)の二種に分ける事が出来るとされ、普通、宝石店で販売されている翡翠は硬玉の方で、軟玉は商業的には翡翠とは呼ばれません。現在は硬玉の方が高価ですが、中国の玉は清朝に至るまで軟玉の方を指していました。
 鉱物学では硬玉という呼び方は殆ど死語になっており、多くの分野では単に翡翠と呼んでいますが、考古学界では未だに用いられいるため、文化庁も硬玉の語を使っています。一方、軟玉の語は商業分野でも広く使われています。
 日本では太古の昔から翡翠輝石から出来ている硬玉と、角閃石(カクセンセキ)から出来ている軟玉を厳密に区別していましたが、欧米はそうでは無かったため、明治時代に欧米の科学が日本に輸入され、地質学近代化が進められた際、硬玉と軟玉の区別が曖昧だった欧米の見方が導入されてしまったのです。欧米では硬玉と軟玉の混同が未だに見られ、緑色をした緻密な石はみんなJadeのラヴェルが貼られてしまい、場合によっては蛇紋岩すらもJadeと呼ばれています。
 厳密には、大部分が翡翠輝石やオンファス輝石等から成る物を翡翠・翡翠輝石岩・オンファス輝石含有翡翠輝石岩等と呼び、大部分が透閃石〜透緑閃石から成り緻密な物を軟玉(ネフライト)・透閃石岩・透緑閃石岩等と呼ぶのが正しいようです。
 なお、先日の日記で、糸魚川は日本唯一の翡翠産地と書きましたが、これは誤りで、鳥取県若桜(ワカサ)町・兵庫県養父(ヤブ)市・岡山県新見市・長崎県長崎市・北海道旭川市及び幌加内(ホロカナイ)町・群馬県下仁田(シモニタ)町・埼玉県寄居(ヨリイ)町等から翡翠が発見されています。ただ、宝石になるような美しい翡翠が多産するのは全世界的に見ても糸魚川・ミャンマー・グァテマラだけで、糸魚川は日本随一の翡翠産地なのです。
 日本では、約5000年前の縄文時代中期に糸魚川で翡翠加工が始まりましたが、これは世界最古の翡翠文化です。
 その後、弥生時代・古墳時代を通じて翡翠は非常に珍重されましたが、奈良時代以降は何故か全く利用されなくなってしまい、糸魚川で翡翠が採れる事も忘れ去られてしまったため、近代考古学では日本には翡翠の産地は無く、遺跡から出る翡翠は大陸から持ち込まれた物だと考えられていました。
 ところが、昭和13(1938)年に糸魚川の文人相馬御風(ソウマギョフウ)が知人の鎌上竹雄に、奴奈川姫が翡翠の勾玉を装着していた神話からして、糸魚川で翡翠が産出するのかもしれないと語ったため、鎌上の親戚である伊藤栄蔵が地元の小滝を流れる小滝川に注ぐ土倉沢を探索したところ、滝壷で緑色の綺麗な石を発見、この石は鎌上の娘が勤務していた糸魚川病院長小林総一郎の親類の東北大学理学部岩石鉱物鉱床学教室の河野義礼博士へ送られました。
 河野が神津俶祐教授の所有していたビルマ産の翡翠と比較した結果、小滝川で取れた緑色の岩石は翡翠に非常に似ている事が判明、河野の現地調査で翡翠である事が科学的に確認され、昭和14(1939)年に論文発表が行なわれました。
 この結果、日本各地の縄文〜古墳時代の遺跡で発見されている翡翠装身具は全て、糸魚川で産出・加工された物である事が判明したのです。糸魚川産の翡翠装身具は当然、日本海側で多く出土しており、青森県の三内丸山遺跡は固より、遥か北の果ての北海道礼文島、さらには沖縄でも発見されています。
 一方、何故か近畿・山陽・四国・南九州ではあまり発見されておらず、奴奈川姫神話に見られるように、糸魚川の翡翠利権を獲得した出雲政権が、畿内の大和政権と張り合っていた情況が窺えるのです。
 「小滝川硬玉産地」は昭和31(1956)年、「青海川の硬玉産地」は昭和32(1957)年に国の天然記念物に指定され、採取が禁止されましたが、平成11(1999)年に青海川の硬玉産地で大規模な破壊・盗難事件が起きたため、特に貴重な102tと45tの巨大な翡翠岩塊が搬出、保護される事となり、前者が親不知ビアパークの翡翠ふるさと館、後者がこの青海自然史博物館前に展示される事となりました。

◆城下町糸魚川(清崎)
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*寺地遺跡
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*長者ヶ原遺跡
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+親不知小不知
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コメント(2)

9月29日に青海自然史博物館を訪れました。

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