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平賀源内コミュの平賀源内の作ったもの

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平賀源内が作ったもの、広めたものを紹介しあいませんか?
結構たくさんあると思うので、1回には一つずつ紹介していくといいと思います。全部で、どれだけのものを作ったり広めたりしたかを数えると面白いかな、と思います。

コメント(29)

秋田に伝わる、巨大紙風船は、平賀源内が熱気球の原理から広めたことが始まりのようですね。
http://www.asahi.com/national/update/0211/002.html
日本にも、江戸時代から熱気球の文化があったのかと思うと驚きです。
他のトピックにも書きましたが、
量程器(今の万歩計)を日本で初めて造ったと言われています。

1回目の長崎留学の時に西欧製のそれを見たと思われ、
江戸に出る前に造ったようです。
距離計は、なんとなくその頃でもあったかな、と思いますが、
万歩計(振動で歩数を計る)が、その頃既に作られた、という
のが驚きです。歩数から、距離まで求めるという発想もいいですね。

必ずしも、源内自身の発明でなくても、ちょっと見て、どういう
仕掛けで作ればよいかを考えだす才能はすごいと思います。
菅原櫛は、源内櫛ともいうそうですね。平賀源内が作らせて、
面白いのは、吉原のおいらんに、この櫛を刺して歩かせて、
宣伝しています。今の広告の宣伝方法と同じですね。
菅原櫛の復元写真が、
http://www.monodukuri-net.com/new/3rd/hakubutsukan/kanzashi/kanzashi.html
にあります。
あまり詳しくないのでベタなところで
「土用の丑」は有名ですよね。
キナさん、
そうそう「土用の丑の日にうなぎを食う」というのは、平賀源内が考案したそうですね。そうすると、平賀源内は、元祖広告屋というか、キャッチコピーの名手ですよね。
鰻屋からすれば、神様、仏様、源内様ですね。

以下は、http://www.ofukuro-aji.net/koyomi/07doyoushi.html
からの引用です。
=====================================================
土用丑にうなぎ■
真偽は定かではないものの、この習慣は、安永4年(江戸時代)の夏、江戸のウナギ屋が売れなくなって困っているのを知った蘭学者平賀源内が鰻屋にたのまれ
万葉集に登場した和歌
「石麿にわれ申す夏痩せに良しといふ物そ鰻取り食せ」にヒントを得、CMとして「今日は土用の丑の日」書いてやったところ(その当時、ものしりとして有名な源内の言うことならということで、そのうなぎ屋はたいへん繁盛したそうで)江戸中の評判になり、ウナギが爆発的に売れ この日が丑の日だったことから、それ以来、土用丑の日にウナギを食べるようになったらしい。200年以上も前のキャッチフレーズが、いまでも通用している。
日本で初めて博覧会(展示会)をされた方。
ご存知のとおり舶来の温度計やら標本やら体験エレキテルやらがあったそうです。海外から日本各地知り合いの家にまず取り寄せといて江戸に集めるというすごいネットワークですよね。着払い制度も然り。
体験エレキテルはスリリングですよね(笑)
美術館で置いてあったんですけど、(今のは安全と解っていても)試すのに抵抗ありましたょ。
博覧会を日本で初めて企画実施した、というのはすごいと思います。大変なエネルギーと準備が必要ですよね。朝鮮人参を日本で育てることなどを含め、本草を広めることが一つの目的だったようです。
 どのようにして、博覧会の情報を日本各地に流したり、あるいは、ものを集めたりしたかも面白いですね。確か、俳諧のルートを使ったとか。
着払い制度も、源内が始めたんでしょうか?
エレキテル、体験できるんですか?
体験されましたか?>りさりささん

私も、しゅっちゅう(車から降り時など)、ぴりぴり来るの方なんで苦手ですが、源内さんが作ったものなら、しびれてみたい。
マイナーですが「金唐紙」(紙に金属箔を貼り付け、彫刻を施した型に押圧し、紋様を浮かび上がらせたもの。)

輸入品として「金唐皮」はありましたが、高価なため、
源内は代用品として紙を使うことを思いつき、これで小銭稼ぎをしたようです。

<参考文献>
平賀源内を歩く ─江戸の科学を訪ねて─
奥村正二・著 岩波書店

↑この本イイ! 技術史の観点から平賀源内をクローズアップしていますよ。2500円はちと高いですが…
ペソギソさん、
 金唐紙っていうのを知りませんでした。
http://www.handmadejapan.com/features_/ft008_01.htm
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kinkara/
なかなか、いいもんですね。
Mike 殿
エレキテル体験したかったんですが、丁度その日学芸員の方の
講習があったので、混んでて触れずじまいでした。
着払い制度は、その概念がその時代に全く無かったみたいで、
’届け先を信用する’わけじゃないですか?フツウの庶民には
できませんよね。でも源内はバックについてる偉いお方がいた
ので可能となったみたいです。
着払い最初の人と学芸員さんにも聞きました。

ペソギソ殿
金唐紙、私も平賀源内展でみました。さすがに当時のものは
無いので、大学で復元したものが展示してありましたが、
思ったより綺麗でしたよ。

私が見たのは愛知県岡崎市にある岡崎市美術博物館
(マインドエスケープという名前でもあります)なのですが
そちらで購入した「平賀源内展」のカタログが装丁もとても
凝っててイイ。内容も平賀源内の一生、知り合い
(ターヘルアナトミアの杉田玄白)とか、発明品、
海外から取り寄せた品々、生物図鑑みたいな絵、
網羅してます。(東京では糸井重里さんが講習されたとか。
やっぱりコピーライターだし?それに行きたかったなぁ。)
まだ在庫があるのか解りませんが興味がある方は取り寄せてみるのもいいかもですよ〜。お気に入りです。
はじめまして。
源内展、ポスターがかっこよかったので知っています。
行けませんでしたが・・・。
惜しいことをしました。

ええと、『国倫織り』はまだ挙げられてませんよね。
羊を育てて羊毛で織物を作ったようですが、どんな品物だったのでしょう。
「竹とんぼ」
もしやこれがいちばんメジャーな発明なのでは?
竹とんぼ、世界初のプロペラと言われているそうですね。
あと、日本初のCMソングといわれる「漱石膏」という歯磨き粉の作詞作曲も手がけたそうですが、詳しい情報持っている方いませんか? 歌詞読んでみたいです。
きけろ様

芳賀徹さん・城福勇さんなど数冊の伝記や研究本を読みましたが、「竹とんぼ」というのは一回も出てきませんでした。
源内の発明だというのは、どこでお知りになったのでしょう?
調べてみたいので、教えていただけると嬉しいです。


ダダマ様

曲もついていたのですか。うわあ。
源内は美声だったそうですね。彼の声で聞いてみたかったですねえ。

内容は、「お金が欲しいから、早々と売り出した」とか「効くか効かないかは知らない」とか「(そう高いもんじゃないから)効かなくて捨ててもたいしたことない」みたいな内容ですね。
清水餅の宣伝文の二番も笑いましたが、マイナスの言葉をきちんと「宣伝」として受け入れた、この時代の文化の質の高さに驚きます。

文章の一部は、別冊太陽の源内特集に載っていました。
たぶん「平賀源内全集」には全文が載っているのだと思うのですが、うちの方の図書館には置いてないので。

ちなみに、「はこいりはみがき漱石香」、20袋入り。箱入りが72文で詰め替え用が48文ですって。
竹とんぼも平賀源内が初めてなんですか?
義経で、竹とんぼを作るシーンが出てきますが、
あれは、間違いでしょうか?
FUKU様
情報ありがとうございます!本探してみます。それにしても凄い内容ですね…。曲も調べてみようと思います。

Mike様
確かに義経に竹とんぼ出て来ましたね。
源内、37歳。秩父・両神山で石綿(アスベスト)発見。約2.5センチ四方の火浣布を試作。
商品名「マワストカアトル」
くるくる廻すと蚊の取れる器械…と森銑三「おらんだ正月」に書いてありました。どんなのだったんでしょうか?
調子に乗って・・・

商品名「オストアンデル」

さてこれはなんでしょうか?
(というか、現物は源内の発明品ではないですが。)

『風雲児たち』読んだ方、おわかりになるでしょう。

「マワストアカトル」はどんなものなんでしょうね。
ちなみに、googleでは一件もヒットしませんでした。

そのほか、銅版画を広めた功績も、すごいものがありますよね。
お答えしましょう(笑)

おまんじゅうのことでした。

本当にユーモラス!
こんなユーモア、江戸時代の人々にはどう映ってたんでしょうかね。

>スクワットさん
自分間違ってました。「マワストカアトル」ですね。
やはり、どんなものであったかは文献等をあたるしかなさそうです。
FUKU 様

日本人形玩具辞典 斉藤良輔 編

出典はこの辺の資料なんですが・・・

いろいろ調べてみるとブリューゲルの絵画にも
竹とんぼらしきものが出ているようです。
(下記参照)
http://www.asahi-net.or.jp/~gr7t-nkzt/brvegel/taketomborekishi001.html

やはりこれも源内伝説の一つなんでしょうか。

んー。それでは源内オリジナルなら
「江戸男色細見 菊の園」(男娼ガイド)
はどうでしょう。

これも10世紀のイスラームとかにあったりしそうですけどね。
きけろ様

ありがとうございます!
検索したら、この本、うちの市の図書館にもありました。
(でも貸し出し禁止なのですが・涙)
辞典だと、その場で閲覧ですね。時間を作って調べに行ってみます。
こんにちは。

「マワストカアトル」その名の通り、蚊取り線香だったそうです。

(下記参照)
http://www.kajika.net/yoshida/20030323.htm

四角の木箱に歯車やハンドルがついている。ハンドルを回すと蚊がとれる、とありますが、どんなしくみで動いていたかは不明です。
源内は12歳のころ、「おみき天神」という掛け軸を作ったそうです。
お酒を供えると天神様の顔が赤くなる…
裏にヒモで動くからくりがあって、赤い紙を使って天神様の顔を赤く見せる、というものだったようです。
ちっちゃい頃からものづくりが好きな人だったんでしょうね。
先日、発掘お宝鑑定団で、「源内焼」の話がでてました。
http://www.japanartweb.com/PAGE7/gennnai.html

うろ覚えですが、
輸出用の目新しい陶器をつくる提案をしたそうだが
認められなくて、自分の敷地内で作り始めたとか。
最先端で奇抜なデザインで知識人には受けたが、
低温で焼くので、輸送には向かなかったので、
源内の没後は、すたれてしまったとのことです。

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