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昆虫記 〜 ファーブルの生涯コミュのタマムシツチスガリ

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あまり更新頻度は上げられませんが、少しずつ「昆虫記」各エピソードの紹介をしていきます。
取り上げるエピソードについてのリクエストは常時お受けしますので、お気軽にどうぞ。

今回はファーブルにとって、虫の暮らしを探求するという人生を決定づけるに至った、とある本(論文)のお話。
つまりここでの主役タマムシツチスガリは、他人が研究したものです。



・この頃ファーブル先生は本当に学校の先生で、まだ30代になりたての若さだった。
当時の教師の月給は非道に安く、しかも子供が生まれるので生活は苦しい。そんな中でひととき心をくつろげることができるのは勉強している時、つまり本を読んでいる時だった。
その冬の晩、先生は家族が寝静まってから、暖炉のそばで一冊の本を読んでいた。それは当時の昆虫学の権威だったレオン・デュフールが、タマムシを狩って幼虫の餌とするハチの習性についておこなった研究だった。


思えば幼い頃から先生は虫好きだったし、十代の頃、貧しさから家族が離散し明日の知れぬ宿なしの生活をした日々でさえ、虫は心のなぐさめだった。
だからその道へ進むための準備は、彼にとってできていたのだ。ただ最初の一歩を踏み出すための道しるべ、足元を照らす光がなかっただけのことである。
デュフールの研究は、その光になってくれたー 「これは私の精神には一つの啓示だった。きれいな鞘翅をコルクの箱の中に並べ、それに名をつけて分類する。それが動物科学の全部ではなかったのだ。そこにはずっとずっと優れたもの、動物の構造や殊にその職能の深い研究があるのだ。…」


結果から言うと、先生はデュフールの研究に触発されて、同じように甲虫を狩る狩人蜂の研究を行い、発表した。それは大きな反響を呼び、フランス学士院の賞を得た。
それだけでなく、先達デュフール先生は後輩に向けて、おほめと今後の研究への励ましの言葉をかけてくれたのだったー ファーブル先生は研究の中で、なお観察不足だったとしてデュフールを批判したにも関わらず。


「昆虫記」はこの出来事から20年以上のちに書かれたので、その頃にはデュフール先生はすでに故人となり、ファーブルも60歳になろうとしていた。
それでもこの思い出は、いつまでもファーブル先生の胸を感動で震わせるのである。


>人生における決定的な瞬間、出来事のことを「ダマスクスへの道」というそうです。使徒パウロがローマ帝国の役人だった時、ダマスクスへ向かう途中で突然目がくらみ、神の言葉を聞いた。そしてこの後、キリスト教の弾圧に組していたパウロは大変身を遂げて伝道に一生を捧げた… という故事からきた話だったかと。(うろ覚え)
ともかく、デュフール論文こそがファーブル先生にとって「ダマスクスへの道」となったのでした。


・それで、デュフール論文の要旨というと、次のとおり。


もぐら塚のように隆起した地面を掘ると、タマムシ類の翅が、さらには五体がきちんとそろったタマムシが出てきた。さらには彼らを埋めて逃げようとしていたと思しきハチ、タマムシツチスガリも見つかった。
掘るうちにタマムシの数は膨大なものになった。私(デュフール)自身は、これらタマムシを野外で見つけたことはほとんどなかったのに。


新しい発掘を、今度は松林の中で行った。するとどうだろう、数々の美しいタマムシはもちろんのこと、いろいろな成長段階にあるハチの幼虫や、タマムシの翅の間にはまりこんだサナギなども出てくるではないか。
そして調べたところ、何百というすべての餌食はタマムシ類に属していて、一匹の例外すら見つからなかった。


タマムシツチスガリは狩りの名人に違いない。なにしろ厳密にタマムシ類だけを獲物にしているー タマムシといっても多種多様で、少しも似ていないものもいるというのに。
それに、彼ら餌食はぴくりともせず、確かに死んでいるはずなのに、ごく生き生きとしているのだ。色があせていないばかりか、肢も触角も、ひげも完全にしなやかで自在に曲げることができる。身体のどこにももがれたような部分はないし、目につく傷すらもない。


冷たい地の底に埋められているから腐らないのだとか、死んでからごく短い時間しか経っていないからだとか、反論は考えられる。
しかし、私は掘り出したものを36時間ほど、外気にさらしたまま放っておいたことがあるが、七月の乾燥と熱気にも関わらず、その関節はいつもしなやかだったのである。しかもその後の解剖結果は、内臓が生きていた時そのままに新鮮だったことを示している。
経験から推して、この季節では死後12時間も経てば、内臓は乾燥するか腐敗してしまい、形や構造を調べることができなくなるのに。


『ツチスガリが殺したタマムシには何か特別な情況があって、一週間あるいはひょっとしたら二週間も、乾燥や腐敗を免れているのだ。だが、この特別な情況というのは一体何か。』


そしてデュフールは、それを特殊な防腐剤に求めた。狩人蜂が振るう毒針にそれが仕込まれていて、そのおかげで本来の乾燥・腐敗がおさえられているのではないか、というのである。


デュフールの研究、というより昆虫の習性をまじめに考えるという姿勢に感激したファーブル先生だったが、この結論には納得できなかった。何かが見逃されている、足りないという感じを受けた。
そして、自分でもこの研究をやってみたいという欲求がふつふつと沸き上がってきた。


とは言え、タマムシ狩りのハチは、当時のファーブルが住んでいたヴォクリューズ地方にはごく少なかった。
そこで同じような習性を持ち、ゾウムシだけを狩り入れるハチ、コブツチスガリの研究を行うことになったのである。


>別のところでファーブル先生は「わたしは師に逆らう不遜な弟子だ」という意味のことを言っています。どんな尊敬する人物に対してであれ、観察眼を曇らせることはないし、言うべきことは言うぞ、という自負でしょうね。


実際のところ、先生がデュフール論文に対して感じた疑問が、くんせいその他でやっと腐敗を防いでいる人間の方法と、腐らないどころではなく、まるで生きている時と同じに保つことができるハチの方法とではかけ離れ過ぎているー というような、理詰めのものだったかは分かりません。
しかしこの疑問が第一歩であり、その後のすべての始まりなのです。



「コブツチスガリ」へ続きます。

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