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男爵 平沼騏一郎コミュの平沼騏一郎に関係する諸団体

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國本社…創立は大正十三年。もと東大内の興國同志會に発し、太田耕造、竹内賀久治らが中心人物となっていた。平沼は大正十二年山本内閣も司法大臣だったが、虎ノ門の大逆事件で辞職していたとき、無理に押されて、國本社の社長になった。会員には、
司法系―鈴木喜三郎、小山松吉、皆川治広、和二貞吉、小原正、山岡萬之助。
軍人系―東郷平八郎、上原勇作、有馬良橘、斎藤実、宇垣一成、加藤寛治、大角峯生、荒木貞夫、真崎甚三郎、小磯国昭、秦真次、松井石根、永田鉄山、菊池武夫、四天王延孝等。
財界関係者―原嘉道、池田成彬、結城豊太郎等。
官僚学者系―山川健次郎、古在由直、荒木寅三郎、後藤文夫。
支部百七十、会員二十万。雑誌國本、および國本新聞を発行、常に講演会を各地に開いた。


修養團…明治三十九年、蓮沼門三の設立したもので、大正十二年、その団長だった田尻稲次郎が死んだあとに押されて平沼が団長となった。國本社の別働隊と見られ、工場、鉱山、大阪市電等に有力な勢力をもっていた。同胞愛と流汗鍛錬とを二大誓願とする精神修養団体で、団員十余万と称され、財界名士が競ってこれを後援していた。


無窮會…大正四年に平沼騏一郎が秋月・北条・織田・早川・土岐氏ら同志と相謀って創立した。明治以来激変した世道人心の動向を憂えた平沼は、同志とともにこれを正す道を和漢の古典に探ろうと、大正四年、国学の大家井上頼囶の神道、古医書、近世名家自筆本、零細貴重書の叢鈔『玉簏』などを含む遺蔵書三万五千冊を一括購入したのを機に無窮会を起し、東京府豊多摩郡の大久保(東京都新宿区西大久保)に書庫を建て、井上の斎名に因み神習(かんならい)文庫と名付けた。神習文庫の名は呼称は戦後に無窮會圖書館に改め、また一部に戦禍を被る。環境の悪化により昭和四十一年十二月三十一日に現在地の東京都町田市玉川学園八丁目に移転した。


東洋文化學會…大正十年五月に興され、謂わゆる漢学復興運動の推進力となった。初代会長は大隈重信。平沼騏一郎やその学事顧問格であった牧野謙次郎の両氏を中心として、官・公・私学の諸学者を全国的に網羅した。昭和十八年に無窮會に合併された。無窮會の学会機関紙である「東洋文化」は、この東洋文化學會の機関雑誌として発足したものである。


大東文化學院…大正十三年一月開設され、平沼騏一郎が初代総長に就任、同時に牧野謙次郎が教務管理(教頭)に、松本洪が助教授教務主任となった。修己治人の諸碩学の後継者を育成しようとしたが、二ヵ年にして内紛の勃発に遭って総辞職、その素志は挫折したが、悲願は凝って十五年の後、東洋文化研究所の創設となり結実した。


水曜會…詳細失念。

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