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一蓮会(旧みちあかり)コミュの『徳』についてのお話

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よく『徳がある』『徳が無い』『功徳積み』などと、『徳』という言葉を皆様も耳にするのではないかと思います。
私もお導きの際に、徳の問題には必ず触れていきます。

では『徳』とはどのようなものでしょうか。

徳とは、わかりやすく言えば、善行や心で稼ぐ値。
わかりやすく、これをお金に例えます。
この徳というお金でもって、自分に与えられるものの全て、心以外の全てを買って、私達は存在しています。
身体も、環境も、縁も皆。魂だけが自分の自由。持ち物なんですね。
なので、良いものが欲しいと思えば、当然その分の徳が無ければ買えません。
欲しいものが得られないのは、自分の徳の無さ。わが身恨みなんですね。

この徳は、ご先祖様からも財産のように受け継がれていきます。
勿論徳の借金もです。相続放棄はできません。
徳のたっぷりある家系に生まれるのも、借金だらけの家系に生まれるのも、魂の徳次第。前世からの自分次第であり、やはりわが身恨みです。
しかし、徳のある家に生まれても、その徳を食いつぶして生きる人もいれば、借金を清算して、財産を子孫に残す人もいます。

では、徳を稼ぐ事とはどのような行いや、心使いでしょうか?

例えば、困った人に手を貸す事や、公共の場を掃除する事。
お寺や神社などへのお布施。
ご供養。
これは善行になりますね。徳が頂ける行いです。
布施とは、寺や神社にお金をお供えする事だけを言うのではありません。
自分以外のものに施す事。
例えば『和顔施』笑顔を人様に向けるだけでも、立派な布施になります。
たまたま入ったお店の店員さんの明るい笑顔に、励まされたりした経験はありませんか?それなんです。
話すだけで、布施になる事もあります。
私がこうして経験で得た知識をお話しする事も、一つの布施なんです。
身体が不自由であっても、子供でも、年寄りでも、貧乏でも布施は出来るのです。

しかし、ここで難しいのは心使いです。
どんな善行も、評価やご利益、徳などの見返りを求めて行うのでしたら、積める徳もとても少なくなってしまいます。
そこで見返りが得られないと不満に思えば、せっかくやった事が逆に不徳になってしまうんです。
純粋に、自分以外のものを思いやる気持ち。利他の気持ち。感謝の気持ちでの行いにこそ、高い徳が与えられます。
収入を得る為に働く事も、『はたらく』という事は『はたはたをらくにする事』と考えますと、利益をむさぼるだけの働きではなく、他を思いやる気持ちのある働きになると思います。

ご供養などは、この心が一番大事になりますから、自分が助かりたいから、運を良くしたいからなどの見返りを求めて供養しても、なかなか届かないものです。
逆に、自分の今までに積んだ徳の全てを施して成仏を祈らせて貰えば、施した事に対する徳が、施した分だけ積まれ、さらに喜びを与えた分の徳が与えられます。
僧侶のお経と、普通の人のお経の違いは、本来この徳を施す事にあると思います。
普段から仏に仕え、仏法を学び、徳のある行い、心使いを心がけて生活している者が、そうやって積んだ功徳を施して唱えるお経だからこそ、仏に届く力があるのではないかと私は考えています。
ご祈祷も同じですね。私は自分の持つ全ての功徳を施して、祈り、祈祷をします。
そのように考えている僧侶、祈祷師が大変少なくなっているのは悲しい事に思います。

では不徳になる行いや、心使いとは?

人の迷惑になる行動や、自己中心的な行動は、勿論不徳になります。
よく『自分のした事は自分に返る』といいますね。その通り、不徳になります。

心使いについては、ここでとてもわかりやすい、天理教の教えから学んでみましょう。
天理では、心のほこり(不徳)となる心使いを、8つのほこりとして教えています。

『おしい 』
人のために心をつかったり、体を使うこと惜しむ心づかい。物を貸したり、お金を払うことを惜しいと思い、また、手助けをするための労を惜しむなど、すべてに出し惜しみ、骨惜しみすること。
『ほしい 』
必要なものは与えられているのに、満足しないで、もっとほしいと思う心づかい。人が持っているものを見てはほしいと思い、働かないのに見返りをもとめたがり、むやみにほしがること。
『にくい 』
自分の気に入らないからといって人を嫌ったり、相手に過ちがあった、失礼だといっては人をにくむ心づかい。
『かわい 』
かたよった愛情をもったり、自分さえよければ他人はどうでもよいと思う心づかい。分けへだてをして、特別 な人だけに親切にしたり、自分やわが子、わが家のことばかり考える利己心。
『うらみ 』
じゃまされたといって人をうらみ、不親切だといって人をうらむ。自分の努力が足らないことを反省しないで相手をうらむこと。また、他人の幸福をねたむ心づかい。
『はらだち 』
人が、気に入らぬことを言ったといって腹を立て、おもしろくないからといって、つまらないことに腹を立てる心づかい。広く大きな心をもたず、人を許せることのない気短な心。
『よく 』
自分中心で、なんでも自分のものとしようとする心づかい。人の目をだましても、取れるだけ取りたい、無理なもうけを得たいなどと、あるが上にもいくらでも取りこむような心づかい。
『こうまん 』
知らないことも知っているふりをしたり、自分は人よりも偉いいとうぬ ぼれたり、自分の意見はどんなことがあっても通すが人の意見はきかず、人の欠点をあばこうとしたりする心づかい。

その他に『うそ』と『ついしょ(心にも無いおだて)』というほこりの心づかいがあります。

皆様いかがでしょうか?知らず知らずに不徳を積んではいませんか?

そして見落としがちなのは、人様に不徳を積ませる事も、不徳になるという事です。
泥棒にお金を盗まれたとしても、騙されたとしても、その罪を犯させた罪が自分には返って来ます。
ですから、盗まれた!騙された!などと腹を立てたり、悲しんだりすればするほど相手の不徳は大きくなり、自分が積む不徳も大きくなるんです。
ならば、盗まれないように、騙されないように、最初からよく注意をすれば良い事ですし、盗まれたり騙されたりしても、腹を立てるのではなく、わが身恨みと受け止めて、相手に許しの心、大きな慈悲、慈愛の心が持てるようになれば、不徳もずっと小さくて済むんです。
困っているから、助けてあげたいからと、むやみに手を出してしまう事も、時折不徳になってしまいます。
相手が親切に甘え、その親切を必要以上に受け続けてしまえば、当然それも徳を支払って受けている親切ですから、過ぎれば知らぬ間に不徳になってしまうからです。

徳の有る無しも因縁(原因・種)です。
大きく豊かに、他を思いやれる心を育て、子々孫々へと沢山の功徳を残してあげたいですね。
それは地球全体、そのものにつながっていくものですからねクローバー

コメント(4)

功徳と不徳

「修験者の道は人を導くもの」

とありますが・・・

私は不徳続きですな。。


色々な悩みや苦悩も御座います故

対した功徳は得ておりませぬ。。

私も少しずつ精進して参りたいと思います
心が揺さぶられました……
私に足らないものです
ありがとうございます

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