ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ラブリィ創価学会コミュの大東亜戦争と創価学会

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
第二次世界大戦前後、日本・ドイツ・イタリアの三国ばかりでなく、戦勝国となった欧米諸国も、帝国拡張主義の潮流の中にあって、自国の利益のために、アジア・中東・アフリカに対して、競って権益を求めていたことには異論がないであろう。

戦中は天皇の神格化と軍部の独裁ははなはだしく、一国の民衆はその圧政下にいたのである。しかし、民衆自身も領土拡張の戦争には反対ではなく、ごく一部を除いて政府の広報やジャーナリズムの扇動に踊ってしまったことも御存知であろう。

過去の創価学会も、これらの帝国拡張主義の潮流の中で、流れに抗することなく賛同加担していたのは事実です。


牧口常三郎は、「天皇以下、国民全てが日蓮大聖人に祈らないから戦争に負ける。 大聖人が仰せのとおり、他の宗教を禁じて、日蓮正宗のご本尊に戦勝 を祈らなければ国が滅びる」 と言っておりました。

昭和18年6月5日、東京・中野の一学会員が、近所の人の子供が死んだのを、頭から「罰だ」と決めつけて折伏したことで、怒った相手から訴えられ特高警察に逮捕・拘留されるという事件が起きました。

↑この事件をきっかけに創価教育学会への弾圧が始まるわけですが、牧口の逮捕理由については、『昭和特高弾圧史』(旧内務省の特高月報18年7月分)に詳しく書いてありました。


抜粋します。

→予てより内偵中の処、牧口会長は信者等に対して「天皇も凡夫だ」
「克く忠になどとは天皇自ら言はるべきものではない。教育勅語から削除
すべきだ」「法華経日蓮を誹謗すれば必ず罰が当る」「伊勢神宮など拝む要はない」等不逞教説を流布せるのみならず、当局に対し、
「学会員の教説は他の一切の神仏の礼拝を排撃し、更に謗法払ひと称して神符神札或いは神棚仏壇等を焼却し、甚しきは信者たる某妻が夫の留守中謗法払ひを為したる為離婚問題を惹起せり」等縷々投書せる者ありて、皇大神宮に対する尊厳冒涜並びに不敬容疑濃厚となりたる為同庁に於て、本月七日牧口常三郎外五名を検挙し(後略)←

牧口氏らは治安維持法違反と不敬罪によって逮捕、投獄されたのです。
この文中に「反戦」、「反対」「平和」という言葉は出てきません。

戦争に反対して投獄されたのではなく、あくまで信仰上の理念から国家神道に屈しない姿勢
(神札授受拒否)を貫いたわけです。

二代会長戸田城聖は戦時中を振り返り、次のように語っています。

『戦争では勝ちたかった。負けるとは思っていなかった。私の今もっている信念
は当時はなかった。私には教学もなかったし、勉強もしてなかったからなんだ。
初代会長は勝つといっていた』
(小口偉一編『宗教と信仰の心理学』)


牧口常三郎靖国神社参拝

「吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。
しかし解釈が異なるのであ る。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。
吾々が靖国神社へ参拝する のは『よくぞ国家の為に働いて下さった、有り難うございます』というお礼、感謝 の心を現はすのであって、御利益をお与え下さい、といふ祈願ではない。
もし 『あゝして下さい、こうして下さい』と靖国神社へ祈願する人があれば、それは、 恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違った話はない。
天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝奉つてゐるのである。

万世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられ る。
即ち、天照大神を初め奉り、御代々の御稜威(ごりょうい)は現人神であらせ られる今上陛下に凝集されてゐるのである。
されば、吾々は、神聖にして犯すべか らずとある『天皇』を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰 一奉るのが国民の至誠だと信ずる。
(中略)
天照大神のお札をお祭りするとかの問 題は万世一系の天皇を二元的に考へ奉る結果であって、吾々は現人神であらせられ る天皇に帰一奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。
また、これが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である」(『大善生活実証録』)


コメント(1)


「戦争協力」に狂奔する。神札受諾、戦勝祈願の法要、仏具・梵鐘・巨木の供出等々、その突出した「国策推進」の姿勢には、当時の一般紙も「宗教家も戦列へ」「宗教参戦に邁進の大石寺」と書き立てた。

宗門は1941年(昭和16年)8月の段階で既に、軍部政府を刺激しない様、御観念文を国家神道讚嘆路線に変更している。続いて、御書を発刊停止にした揚げ句、大聖人の御金言を14個所も削除。太平洋戦争開戦時には、法主・日恭自ら戦争賛美の「訓諭」を出し、翌年10月には、「院達」まで出して伊勢神宮遥拝を全末寺・全信徒に徹底した

宗門二大法要の虫払と御大会。
 43年11月の御大会は、「米英撃滅必勝信念昂揚の御大会」とされ、御開扉で「国威宣揚皇軍武運長久戦傷病将士全快」を祈念。宗祖への御報恩の儀式が、戦争宣揚一色に塗りつぶされた。翌44年(同19年)の虫払会に至っては、何と中止。代わりに1週間に亘り「聖戦必勝国威宣揚」「皇軍武運長久」「敵米英撃滅」を祈る「大国祷会」を行っている。
 その他、当時の宗門機関誌「大日蓮」には、御開扉や毎月8日の開戦記念法要等、あらゆる宗内行事で、全山あげて戦勝祈願を行い、僧俗を戦争に駆り立てていた様子が報じられている。こうした動きの一体どこが「人類の幸福・世界平和の為」と言えるかのか。
 法要や儀式だけではない。42年5月、政府から「金属回収令」が発表されると、大石寺は軍事物資として仏具、梵鐘など約8トンもの物資を積極的に供出。翌43年9月の臨時宗会では、「国家総力戦完遂」の為「一発でも多くの弾丸を前線へ」と、元々回収対象外だった三門並びに」御堂の銅板屋根まで、率先して供出する事を決めた。更に翌44年1月、木製軍用船建造の為、大石寺の樹齢600年を超える杉や檜200本の伐採を決定。

これには日恭上人も得意げに、「国難来ってわれ等一億総決起は宗祖の説くところで六百年来法燈と共に茂っていた杉、檜が応召する、全く国是宗法に叶ったものと全山挙げて伐木供出へ乗り出した訳です」と談話を寄せている。しかし、言うに事欠き「一億総決起は宗祖の説くところ」とは、一体何事であろうか。「国難」というなら、「立正安国論」の教えに従い、誤った思想を破折し、国主を諌暁する事こそ「宗祖の説くところ」ではないか。「国是宗法に叶った」などと、教義を曲げてまで「国策推進」に血道を上げ、これで「表面上国策に従い、実際にはそれを無効にした」とは、笑止千万である。
 「戦争協力」を進める宗門は、率先して本山の施設も開放している。その皮切りが43年6月20日に行われた「静岡県勤労訓練所」の開所式。学林と書院の一部を開放し、毎月200人ずつ“応徴戦士”を受け入れ、産業戦士達を次々と各軍需工場に輩出している。因みに、書院に大きな神棚が祀られ、身延離山以降初めて総本山に国家神道が持ち込まれたのは、この時である。翌44年2月には、「陸軍少年戦車学校」の生徒の休養する場として、大石寺内の15個坊を開放している。

 もはや「国策遂行」のモデル教団としか言い様のない奮闘ぶり。一連の大石寺の「戦争協力」は一般紙にも注目され、「宗教家も戦列へ 大石寺一門の逞しい奮闘」「宗教参戦に邁進の大石寺」等々、“絶賛”されている。日蓮正宗の「戦争加担」が「国民一般の感覚以上に突出していた」事は一目瞭然である。

日蓮正宗の言い訳

「至上の『法』を軍部や身延派から守る為に、やむなく行った妥協が、『神札』を受ける事であった。決して軍部におもねったのでもなく、国家神道に賛同して喜んで受けたのでもない」「実際に『神札』を祀る事もなかった。軍部に従っている様に見せて、実質的には無視したのである」

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ラブリィ創価学会 更新情報

ラブリィ創価学会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング

関連ワード

mixiで趣味の話をしよう
新規登録(無料)