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ラブリィ創価学会コミュの退席痔のすぐ近くの神社の日犬本尊の実態

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大石寺のすぐ近くの神社に日犬の本尊が3体も安置された事実に対する言い訳を、邪宗門の犬の妙観光が機関紙「エ?妙!」に掲載していたので、そのウソ、誤魔化し、言い訳を破折し、何百年にわたって謗法のウンコにまみれていたばかりか、大石寺自らが謗法のウンコそのものであったという事実を証明する。

 まず、学会の元総務で、今は退転して日犬宗に行ってしまった中西某の、謗法の臭みを持った論文を、妙観光が挙げていることについて破折する。
 この元総務の中西は、昭和45年から3年間にわたって、正本堂建立記念と称して、学会としてではなく、個人で会員に金杯を売りさばいていた男である。この利益が、なんと1億7千万円にもなったが、当時はまだ一分の信仰心と良心があっでか、さすがに日犬宗の坊主どものような豪遊をする訳にはいかず、金庫に入れて隠しておいたが、これがそのまま廃棄物として出されたために、平成元年6月に悪事が発覚。当時はマスコミを賑わしたが、学会としては業務上横領の罪で告訴を検討したという記録があるほど、公私混同の中西元総務の悪事であった。
 しかし、この行為は、ちょうど同じ時期に、大石寺の近くの10以上の神社に歴代法主の本尊が安置されていたという富士の濁流の歴史的事実をかばいだてしたために、その罰として生じた事件だと言うことが出来よう。
 9世日有上人の化儀抄(日蓮正宗の正依の一つ)には、

「日興上人の時・八幡の社檀を重須に建立あり、内には本尊を懸らるる・是は本門の朽木書と云云、今の義にあらず、天下一同の法華経信仰の時は・当宗の鎮守は八幡にて在(おわ)すべし」

<「天下一同の法華経信仰の時」の「本門寺建立の時の手本(朽木書」」であって「今の義ではない」と、広布以前の神社への本尊安置は誤りであると破折>

と、神社に本尊を祀るのは、あくまでも広布の時であって、まだほとんどが謗法の時代で、大石寺派などわずか47ケ寺、信者3万人(明治37年内務省調査)のような段階では、絶対にあってはならないことなのである。
 そんなウンコまみれの濁流大石寺が、62世日恭の時には、遂に境内の建物に神札を祀ることを容認した結果、その直後の昭和20年に大坊は全焼し、逃げ遅れた法主の日恭は2階から落ちて1階のかまどの灰の中に突き刺さり、上半身黒焦げ、下半身生焼けで発見されたのである。これほど明確な厳罰があろうか!


コメント(4)

ある坊主が言い訳として、神社に本尊を祭るのは「日興上人御在世の折り、重須に八幡社を建立され、その内陣の御本尊を安置なされて広宣流布の暁の神社の手本とされた」という愚かな主張をしていましたが、これこそ大石寺派が邪宗化している証拠です。日蓮正宗の正依である「化儀抄」において日有上人が、

「日興上人の時・八幡の社檀を重須に建立あり、内には本尊を懸らるる・是は本門の朽木書と云云、今の義にあらず、天下一同の法華経信仰の時は・当宗の鎮守は八幡にて在(おわ)すべし」

と、明確にそれは「天下一同の法華経信仰の時」の「本門寺建立の時の手本」であって「今の義ではない」と、広布以前の神社への本尊安置は誤りであると破折されているのです。日蓮正宗の教義を信じる者であるならば、この正義に背いてはならないのではありませんか?それとも「上野、白糸、富丘の3地区」で「天下一同」だとでも言いたいのでしょうか?

 妙観光サイトでは「謗法は御神体だけ」という論理を展開して、
「御神体自身が謗法であると悟った村人たちはそのようなものを全部取り去って」
などと何も確認もしないでウソを言っていますが、アップした写真には、
「八幡宮御神木」
と日犬の本尊とが仲良く並んで鎮座ましました写真がありますよね?これを見れば、村人たちにも神社管理の責任者である神主にも、正しい信心があるとは逆立ちしても言えません。
 どうせ言い訳をするなら、「村人たちは立派な信心をしているが、神主がまだ十分目覚めていない」とでも言えば少しだけ誤魔化せるでしょうに。さてそれでは、その神主は日蓮正宗でしょうか?(爆笑)

 そして、とどめは、「御神体」の額縁が真ん中に祀られていて、日犬の本尊が両側に脇士として低く置かれていることです。これこそまさに御本尊を下げた誹謗正法の祀り方ではありませんか!



>>[2]

もちろんあちこち散策しましたよ。
若い男性がいたので声をかけたら、学会青年部で、実態調査に来ていたようです。

また、ちょっと異常な雰囲気のおばさんがいたので話してみたら、やっぱり法華講員で、教義や証拠写真をもとに破折してあげたら、狂ったように喚き散らし始めたので、縁があったらまた会おうと言って別れました。

集中的な客寄せの時期でなかったせいか、やっぱりほんとんど登山客はいませんでした。

また、事前に退席痔の坊主を破折していた先輩に聞いて行ったのですが、宿坊にあいさつでも入ると警備の狂人がやって来て、ビデオで撮影されたり、脅されるそうですので、深入りはせずに常識豊かに散策しました。

昔をご存知の方に言わせると、本当にさびれてしまって(ホッケコッコは静寂とか言うのでしょうが)、普通の邪宗の寺院のようになり下がった、という感想です。

学会出現までは、600年以上もかけて、寺の数47ケ寺、坊主87人、信者3万人の貧乏寺だった訳ですが(明治37年内務省調査)、またその消滅への道をひた走り始めたということです。

こうした神社本尊が正義ではないことは、「観心本尊抄」に、

「観心とは我が己心を観じて十法界を見る 是れを観心と云うなり(乃至)明鏡に向かうの時始めて自具の六根を見るが如し」

とあります。分かりやすく言えば、我ら凡夫が御本尊を対境として勤行・唱題した時に、己心の仏界が顕れる、ということです。

ということは、御本尊のような相貌をしていても、勤行・唱題の対境ではなく、飾り物やお守り札のようなモノのことはニセ本尊と呼ばざるを得ません。

このトピでアップした写真は、熊久保神社に安置された2体の日犬の形木本尊ですが、その安置の仕方が「本尊ではなく脇士」であるから謗法であるというだけでなく、「唱題の対境とする観心の本尊ではない」ということからも謗法なのです。

その証拠に、この祠(ほこら)は長い階段を上がった場所にありますが、珍しくやって来た氏子は、やっぱり柏手を打っているだけで、題目さえも唱えていませんでした。
佐野という名前のおじさんでしたが、この神社の氏子であるだけでなく、すぐ近くの大石寺の狸狂坊(笑い)の法華講員だそうです!




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