それがどういうことなのかはまずM1であるSidoniaを聴けば理解できると思う。幻想的なシンセサイザーリフと、エフェクトが深くかけられたランダムに叩かれる数種類のパーカッションが絡み合うダウンテンポトラックはいやがおうにも深い精神世界を感じずにはいられない。この荘厳なトラックが儀式の始まりを告げ、躍動するコンガのリズムに女神が空を舞うM2 Around The AngelとM3 Love Harmonicのヒプノティックで美しい旋律へと紡がれる。そしてM4 On Fire、パーカッションとともに、このアルバムを語る上でかかせない第三世界的SEが登場する。クラウドを宇宙のさらに先にある空間へと連れ去るようなSEはダンスミュージックシーンで最も新しいテクニックと言えるだろう。そのSEを巧みに使いM5Astral Vacuumでは、牧歌的なストリングスやフルートによって創造された絵葉書にあるようなスイスアルプスの風景にぽっかりと大穴を空け、それらを全て吸い込ませてしまう。
M6 Bluebook、M8Tahktokで聴くことができるピッチが変化するベースについても飽和状態であるミニマルシーンにおいて変革をもたらすようなアイデアであると感じる。それぞれ中毒性の高い男女の声のかけあいや、民族調のコーラス、子供の声のサンプルが地震波となり屈折・反射を繰り返してベースラインに伝播し地面が盛り上がるようにベースのピッチが変化する瞬間は最高に気持ちよい。M9 Le Monologue d'Orfeuにもラテンフィメールが耳元で囁くフリーキーな音像処理が施されていて、そしてそれと相反する思想を持つはずの陽炎のようなシンセサウンドが不思議と同居している様は格別である。
そして最後の曲となるM11 You Know Where。この祝祭的なシカゴ深化系トラックがアルバムの幕を潔ぎよく閉じる。疾走するビートとみずみずしい幸福な上音はそのタイトルが示すようにM10の到着で見つけた自身の内面にあるものを解放することだろう。
今作Seventynineは一枚のCDもしくはレコードというフォーマットを通さなければ完結しない芸術作品として多くの人に長きに渡り親しまれると思う。そして、それは音楽産業がデジタル化していく中で大きな意味を持つ偉業であり、僕はアーティストととしてMirko Lokoを讃えたい。僕はアルバムのフィードバックとして、「孔雀の翼と鷹の爪を持つ鳥のようだね。」と言った。Mirko Lokoは「thank you so much for your feedback!I'm very happy that you like it!」と言って満面の笑みを浮かべた。