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大きな羊さん〜美甘の不思議〜コミュの美甘村の由来

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こんなページ見つけました。
ってか、、、mikamo でググると自分ネタ多いし....twitterも.。なんだかこの世の中。

http://blogs.yahoo.co.jp/kitayama_nozomu2006/4160367.html

真実に近づいてきました。



以下引用。

「美甘」・・・←この漢字、読めますか?










 答え・・MIKAMO(みかも)と、読むそうです。

現在は、町村合併によって真庭市に編入されたが、以前は、「美甘(みかも)村」という
村だった。

出雲系の神を奉ずる鴨(かも)氏が、興した「鴨神社」が地名の起源ともいわれている。
おそらくは、神となった「鴨氏」を呼ぶときに尊称としての「御」がついたのでは。
そして、ある時期「御鴨(みかも)」が「美甘(みかも)」に転じたのではないか・・と、考える。

ここは、岡山県北部にあって気温も低く、お世辞にも農業に適した土地ではない。
小さな棚田の群れが、それを証明してもいる。
だが、ここにひとつの考古学的、記録が発表された。
5000年前のプラントオパールが発見されたというのだ。

この「プラントオパール」(←宝石の一種に思えなくも、ないが)は、稲作の行われた
証らしい。

われわれは、稲作というとイコール「水田」というイメージであるが、他に、陸稲といって
、わかりやすく言えば「畑で作る米」があった。
いや、水田伝来以前は、これが主流でもあったのだ。

5000年前に、すでに人が耕作して、辺境の地に住んでいた・・・ちょっとロマンだな。
どうして、こんな山の奥で暮らしたのであろう、か。
今と違い、当時は、山陰側、すなわち日本海に面した土地こそ、富裕の地である。

戦いに敗れ、隠れ住んだのであろうか・・今も西日本に多く残る「平家伝説」的、解釈。

さあ、この地に残る、伝説のことである。
太平記によれば、隠岐の島に流罪となった後醍醐天皇が、隠岐への道すがらこの地へ立ち寄った。
さて、いかな「罪人」とはいえ、この国の主・皇(すめらみこと)であらせられた人である。
村人たちは、せめて慰みに・と、「甘酒」を差し上げたらしい。
もっとも、これが寒村でできる最大限のもてなしであったのだろう。
京を追われ、山深い吉野にまで逃れながら、ついに捕らえられて流罪に。
鎌倉幕府に、徹底抗戦の刃を抜き放った、悲劇の天皇・後醍醐。
アマテラスの孫(子供ではなく、孫というところにナゾがある。これは、いずれ書く)
ニニギノミコト以来、ここ『葦原の中つ国』は、天皇家の支配する土地であった。
だが、武士という武装農民に、支配権を奪われてしまう。
南北朝という、天皇家が二つに割れての抗争の歴史は、親武家派と、天皇絶対の原理主義派との
戦いといえなくもない。

後醍醐は、後者、徹底した天皇親政の「原理主義者」であった。
だから、幕府はけして許すはずもない。

美甘村にもどる。
もはや生きて帰れる望みなど、皆無に近い状態で口にした一杯の甘酒。
心に染み渡ったことは、想像に難くない。
「・・・美甘である」との言葉を残したとは、地域の書籍である。
やはり、言霊は生きていたのだ。
御鴨→美甘、美しいという文字には、豊穣、豊かさのイメージが濃かったことが想像できる。

この出雲街道には、後醍醐天皇のほか後鳥羽上皇の足跡も残されている。

二人とも、いわずと知れた「怨霊」の代表格である。
もしや、出雲街道とは、「怨霊を送る」あるいは「葬る」道であったのであろうか。

そう「出雲」とは、太陽神・アマテラスを最後まで苦しめたために付けられた
屈辱の名である。

・・・太陽を隠すのは「雲」だけであるから。

ちなみに、宮廷でチーズを作る職人に「美甘」という名が与えられたとか。
チーズ、古来の呼び名は「醍醐」である。
「醍醐味」という言葉、乳が醗酵してチーズになる・その「旨み」を指して、こういった。

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