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ゴールデン街 ハーメルンhamelnコミュのボジョレーヌーボーを喜ぶ日本人の感性は江戸時代から

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(日記で書いたら、マチュカのマチコさんが「なるほど〜〜。」と納得してたので転載します。)

鈴木浩三著 日本経済新聞出版社刊「江戸商人の経営」を読んでいたら、
ボジョレー・ヌーボーを喜ぶ日本人の感性をみつけた。

それは、

「安政三年(1856年)十一月に、町奉行が江戸の入津する貨物の産地や数量を調査した『安政貨物移入録』」にある、

「樽廻船(大坂江戸間の品目特化の輸送船のこと)の競争優位を確立する上で、スピードが非常に重視され」
「ヨットレースならぬ新酒輸送レースは毎年の恒例行事となっていた」

「廻船10艘を大坂湊に勢ぞろいさせて、一艘あたり2300〜2500樽を積み込み、江戸湊に向けて一斉に艫綱(ともづな)を解いて出港させた。(中略)
 (錦絵によると)一番船の乗組員は霊巌島はもちろん、日本橋の大路を赤いユニフォームを着た姿で歓声をあげながら走り廻っている。(中略)
 一位になることは船頭の名誉だけではなくて大きな経済的利益をもたらした。この順位に従って江戸霊巌島(現中央区新川)の酒問屋の交渉権を獲得するようなものといえる。
 『一番酒』となれば、とても有利な価格で販売することができた。ご祝儀相場が付くことも当たり前だった。
 しかも、一位になった船はその一年間は、大坂湊への入港への入港時に、他船の有無にかかわらず、優先的に荷物を積み込んで出帆することも保証されていた。湊での荷役時間が最短で済まされるという特典は、それ自体、廻船問屋間の競争では強力な武器となった。
 新酒の輸送レースは年一回だったとしても、本番に向けて普段からスピードを速める工夫や競争が廻船問屋や船頭の間で繰り広げられた」

「清酒という嗜好性の高い商品を『走りもの』を好む日本人、特に江戸っ子に供給するにあたって、新酒を『一番酒』としてブランド化した」

という話。


著者は、ビールの「一番搾り」ブランドとの重なりを指摘している。
私は、「ボジョレー・ヌーボーの約半分が日本向け」であること、日付変更線の関係から11月の第三木曜日の解禁日を最初に迎える国(ほんとうはニュージラーンド)であるとして勝手に盛り上がっていること、などがとても良く重なると思いました。

毎年、数十便のチャーター便がボジョレーを積んで成田と関空に飛んできて、そこから日本各地に運ばれていく姿は、江戸時代の樽廻船による新酒輸送レースさながらです。
ソムリエが競っていち早く入手して飲んで出来不出来の蘊蓄を語ると、それがそのソムリエの顔の広さとか権威を印象づけもします。

「市場」には原初的に祝祭性があった訳ですが、日本の「市場」文化はそれを現代でも商業者、生活者双方の感性とともに温存しているように感じます。

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