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医と食と農を結ぶ会コミュの「命を支える、農と医のコラボレーション」田中一

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田中一先生が毎日新聞社主催の「毎日農業記録賞」の優良賞を受賞されました。
その論文を入手致しましたので、全文を掲載させて頂きます。

   * * *

2009年 毎日農業記録賞  優良賞受賞論文

命を支える、農と医のコラボレーション
                            田中 一

 春、柔らかい土のにおい。夏、もぎたてのトマトやトウモロコシのやさしい甘さ。秋、稲架が並ぶ田圃を渡る風の心地よさ。冬、凍てつく寒さも吹き飛ぶ、堆肥の原料の落葉集め。
 農の現場には、人の生命力を高めてくれる自然の力が満ちている。

 三重県名張市、赤目養生所。2007年を以て閉鎖された有床診療所である。
 一般的な医療施設と異なり、ここでは、医師が行う「治療」は最優先ではない。食を基本に「養生」をすることで、患者さん自身が病気の治し方を学ぶための場であった。
患者さんは森の中を散策し、無農薬農業を体験し、その産物で体を養った。癌、アトピー、喘息、心身症・・・。あらゆる病気にかかった我が身を癒しながら、自分の体について、病気について、現代社会における健康を保つ術について、学んだ。

 安全な食こそが養生の基本であり、病気克服の王道である。食を介して、農と医は、分かちがたく結ばれている。
 この考えのもとに集った患者さんやスタッフとの農作業の体験と、食事を通じて自らの病気を克服していった患者さんの笑顔が、私の医療の根幹をなしている。


「養生」を学ぶ

 私は6年前まで、外科医として消化器癌治療に打ち込んできた。患者さんのお役に立てたと思える時も、無力感にさいなまれる時もあった。
 毎日、癌に苦しむ患者さんに寄り添う。お見送りすることも稀ではない。
 「癌治療を行う医師は、『これでいいのか』と、日々自問すべきだ」と、今となっては思う。しかし当時、多忙さの渦中にあって、私は日々の仕事を振り返る余裕を持ち得なかった。
 医者として働き始めて数年がたったある夏休み、ふと、考えた。
 「癌は難治の病気だから予防が大切だ。予防に役立つことは、癌にかかった後でも、その克服に役立つに違いない。しかし、具体的には何が予防法になりうるだろうか。」
 臨床業務と並行して癌免疫療法の研究もしていた私は、日常行っている癌治療、なかんずく抗癌剤治療が長期的には免疫力を低下させることを目の当たりにしていた。対処法も進歩しているとはいえ、時には激烈な副作用が起こる。それに耐えられる限界まで続けても、抗癌剤治療では癌は治らないことも多い。
 だから、癌を予防し、また再発を防ぐためには、患者さんが持つ免疫力を向上させることが大切だろう。それには「生き生きと生活」していただくことだ。
 その時、数人の「(失礼ながら)予想以上に長生きされている患者さん」のお顔が浮かんだ。彼らには一見、「癌と闘う」必死さは感じられなかった。淡々と現状を受け入れ、穏やかな日々を送っているように見えた。「彼らに学ぶことこそ、われわれ医師がすべきことなのではないか。」その学ぶべきことこそ「養生」であると気づいたのは、それから数年たってからのことだった。


医食同源

 世界癌研究基金が1997年に発表した「癌予防のための提言」をまとめてみる。①植物性食品を中心に食べる。 ②肥満の防止 ③適度な運動 ④野菜と果物を、1日400-800g食べる。 ⑤豆、根菜類を、1日600-800g 食べる。 ⑥酒類は控える。 ⑦肉食を控える。魚、鶏肉もほどほどに。⑧動物性脂肪の摂取は控え、植物性油を適当に取る。⑨食塩は、1日6g以内。 ⑩カビ汚染の心配がある食品は、食べない。 ⑪腐敗し易い食品は、冷凍又は冷蔵保存し食する。 ⑫ 極力、添加物のない食品を取る。 ⑬ 肉や魚、食品のこげは食べない。 ⑭きちんと食事をしていれば、ビタミン剤などの補給はいらない。 ⑮たばこは吸わない。

 15項目のうち、②体重、③運動、⑮たばこ以外の実に12項目が食事に関することである。なかでも野菜、穀物などの植物性食品を摂取することの大切さが強調されている。
 実はこの観点は目新しいものではない。アメリカでは1977年に「マクガバン・レポート」が発表されている。このレポートは、アメリカ人の不健康さの原因は食事であり、特に脂質、動物性蛋白質の過剰摂取とビタミン、ミネラル、食物繊維の不足が問題であることを明らかにした。そして理想的な食事は当時の日本食である旨、示された。


食材の質の劣化は、農業問題であり、健康問題である。

 農業の問題点には社会学的側面と生物学的側面がある。近年「エコロジー」が社会のテーマとして重視されているが、リアルタイムに変化する自然環境への依存度の大きさ、そして何よりも、われわれ人間の生命の維持に日々欠くべからざる「食」を産みだす、その意義の大きさゆえ、農業の生物学的側面はほかの産業よりはるかに重視される。
政治で問題になるのは、多くは社会的な側面であり、それはそれで農業の再興のためには重要である。
 しかしより重要なことは、「本当に人の命を養う食糧を生産できているか」ということではないだろうか。
 科学技術庁資源調査会が1950年から発表している「食品成分表」によれば、第五訂(2005年)にいたるまで、身近な食材に含まれる多くの栄養素が劇的に低下していることが明らかになっている。例を挙げるとこの55年間で、人参のビタミンAは90%減、ほうれん草の鉄分は85%減である。
 現代の日本では、栄養が少ない食べ物が「普通の」食べ物なのである。したがって30年前のアメリカと同様「食原病」の患者は多いと考えられる。
このような食材の質的変化に加え、欧米化、加工食品の利用増大といった食事内容の変化はすさまじく、健康への悪影響は計り知れない。
 しかし、日本の医療における「食事指導」で、食材の質に言及される機会はほぼ皆無なのである。


農業、医療は反自然的行為である。

 農業も医療も元はといえば、人間が、より個体を増やし、より長く生きるために行ってきた、反自然的行為である。
 しかし同時に、この両者のない現代社会は、あり得ない。
 したがってその質、程度については、人間自身が制限を持つ必要がある。人間も動物であり、自然の枠を超えて生きることはできない。自然は、人間がいなくても栄えるかもしれないが。
 だからこそ、医療も、農業も、自然の力をうまく利用することを大前提とし、それに反する行為は必要最小限にするよう、常に意識しないと、自然の反発を食らい、そのやり方は永続性を保てない。  
 農業の衰退や、自然と触れ合う機会の減少は、社会的にも個人的にも、人間が本来持つ抵抗力、たくましさを損なう。なぜなら人間もまた自然の一部であり、同時に高度に複雑化した存在ゆえ、自然から遠ざかると容易にそのひずみは病気という形であらわれるものだからである。複雑な機械ほど修理は困難である。
 すべての産業は人間が行う行為である。従って人工化時代に生きる人間が、自然を相手に行う行為には、おのずから共通点がある。とりわけ現代の農業と医療には驚くほど共通点が多い。
 農薬は抗生物質であり、化学肥料は点滴、人工栄養である。効率を重視し、規模拡大を指向する単作圃場 は、仲間意識の発達しすぎた、多様性を認めない社会の反映である。
 ある場所で生活する生物相が偏ると、生活環境は悪化する。共生生物との関係が希薄化し、相互依存性が崩壊するからである。そしてそれは結果的には、そこに暮らす個体の生命力を弱らせる。
 バイオテクノロジーは両者にとって今や欠くことのできない技術である。しかしテクノロジーによって乗り終えた壁の後には、生物のしたたかさによってすぐに次の壁が立ちはだかる。現代の、自然に対抗する科学技術の使われ方は、イタチごっこ、もしくはモグラたたきに例えられよう。
 人間の所業は、自然と敵対するものであってはならない。「自然と人間との共生」論にも私は与しない。本心は、こうだ。
 「共生」とはおこがましい。人間は自然の「寄生虫」なのである。おのずからそこには「本来果たすべき役割」もあろうが、「わきまえるべき分」もあろう。
 人間はほかの生物の利用度を高めながら生活を進歩させてきた。そしてその利用度は今や搾取のレベルに達している。使える間はこき使い、いらなくなれば「ハイ、それまで」である。
 しかしこれは言葉を換えれば他の生物に対し「一方的な依存度が高まる」ことに他ならない。搾取の対象を広げ続ければいずれすべての対象は枯渇する。待ち受けるのは人類の、そして地球の破滅である。終わりが何年先にやってくるかはわからないが、この方向に進んでいるという事実、そして方向転換は早いほど修復は容易であることは意識しておくべきであろう。
 今こそ現代人の柔軟性、すなわち生命力が試されているのである。
 今後は人間以外の生物、ひいては地球環境、宇宙環境を「できるだけ変えない」事に留意すべきであり、その意味では遺伝子組み換え作物や、それを飼料とする畜産業には極めて慎重であるべきだと考える。


生命力とは柔軟性である。

 現代日本の個人が、己の価値観に疑問を持ち、それを変化させたいと思う機会は、病気になったり、経済的に困窮したりといった、かなりの痛みを伴う経験以外にないのではないか。
 医師をしていてしばしば感じることだが、人間は「理屈をつける能力」が発達しているがゆえに、切羽詰まるまで自らの行動のマイナス面を、例え気づいてはいたとしても直視できず、それゆえ方向転換が苦手である。 
 とはいえ、多くの人は、いざとなればその状況に適応できる柔軟性を失ってはいない。「火事場の馬鹿力」「人が変わったように」とは、つまるところ柔軟性の発露である。
 私は、「柔軟性」こそ生命力であると考える。さまざまに変化する内的、外的要因に対し、自分自身をしなやかに変化させ、健やかさを保つ能力である。


日本の医療は食を軽視し過ぎている 

 患者さんが、生き生きと生活するために必要なことは、なんだろうか。
 先ずは健康的な食事、おいしく食べて、元気が満ちてくるのを実感できるような食事であろう。体を作る材料は食糧を措いて、ほかにない。できる限り農薬や添加物などに汚染されていない、栄養豊富な食事をとるべきである。空気もきれいな方がよい。化学物質には、それだけで発がん性があるものも多くあることが分かっている。務めて避けるべきである。
 長期にわたるストレスもよくない。何よりも、「自分自身が、体にいい毎日を送れている」という実感こそが、気力を育み、自信につながり、治る希望に結びつくのではないか。体調が悪くなる副作用がある治療は、やはり、間違っているのではないか。
 改めて、食を中心とした養生を基礎に置く医療の必要性を痛感する。
 そして食養生とは、自然に負荷をできるだけかけない農業があってこそ、それをしてくださる方がいてこそ、成り立つ医療なのだ。


農を支える医者でありたい

 農と医が、食というかすがいによって結ばれたとき、私たちの社会は、「より健康的な社会」という理想に一歩近づくのだと思う。
 『「地産地消」とは地元の無農薬農産物を食べることだ』という定義は、厳密に過ぎるだろうか。
 それはすなわち、自然によって生かされている私達が、よい食物で心身をつくることで、自分を慈しみ、家族の健康を自分の意思で手に入れることである。
 身近な生産者と支えあいながら、後世によい自然環境を残すことである。
 食べ物で病気を治した人は、食べ物を通じ、健康や環境、人との結び付き、次世代のことなどを真剣に考えるようになる。
 このような大人が増え、その影響下で育った子供が育つと、地球の未来は、まだましになる可能性が高い。
 多くの心ある生産者の方々が、日々一生懸命、私たちの命を支えてくださっている。私は、農業こそが、最も尊い職業だと考えている。職業人としてできるお手伝いは何かを考えた時、消費者の皆さんに食の大切さを知ってもらうこと、そして生産者の皆さんに、消費者の健康を支えている事実を知ってもらうことだろうと考えた。
 このような考えのもとに、医師の立場で、患者さんや生産者の方々に「農・食・医」のお話をする機会をいただいて、6年が過ぎようとしている。患者さんには、よい食事をすることの大切さを、生産者の方々には、質の良い農産物を食べることで治る患者さんがいることをお伝えする。
 病んだ人にも、農業をする人にも、希望を持っていただけるように。
そして、食を、命を、それを支える農と医を身近に感じる人々が増え、皆で命を支え合うことが、より明るく、穏やかな未来に結びつくと信じて。

コメント(1)

ピンクさんありがとう。
今、大急ぎでパソコンの前に座り、同じ内容「送信」するところでした。

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