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知識としてのルネサンス美術コミュのモナ・リザ

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モナ・リザは、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油絵。内観的な表現をもって深緑の衣装を着た一人の女性が、わずかに微笑んだ半身の肖像が描かれている。おそらく歴史上最も有名な肖像画であり、これほど賞賛、模写されてきた絵は他に例を見ない。レオナルドは1503年にこの絵を描き始め、3年かおそらく4年後まで筆を入れた。ポプラ材に書かれたこの絵は現在パリのルーヴル美術館に展示されており、同館の目玉的展示物となっている。

ドイツのハイデルベルク大学図書館は2008年1月14日、「モナリザ」のモデルが、フィレンツェの商人の妻であることを裏付ける文献が見つかったと明らかにした。1477年に印刷された所蔵古書の欄外にフィレンツェの役人による書き込みがあり、「ダビンチは今、リザ・デル・ジョコンドの肖像を描いている」と記述されていた。リザは富豪商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻で、リザ・ゲラルディーニとの名前でも知られる。この書き込みは1503年10月になされ、ダビンチがモナリザを描いていた時期と重なる。(もっとも、発見したのは2年半前といい、館内情報誌には事実を掲載していたものの、同妻説がもともと有力だったこともあって、広く世間にアピールしていなかった)

初めこの絵は「ヴェールをかぶったフィレンツェの娼婦」と呼ばれていたが、50年ほど後にレオナルドの生涯を『美術家列伝』に記したジョルジョ・ヴァザーリがこの絵について『モナ・リザ』と記し、それが広まって今の名が定着した。モナは婦人、リザはエリザベッタの愛称である。ヴァザーリはこの女性がフィレンツェの富豪、フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻であるとも記しており、イタリア語での名称 La Gioconda はジョコンド婦人という意味である。

ヴァザーリのこの記述を元に、美術史の研究者たちの多くはこの絵のモデルはフランチェスコ・デル・ジョコンドの3番目の妻であるエリザベッタ・デル・ジョコンドであると考えている。一方、レオナルドは通常、描く絵について大量のスケッチやメモを残しているが、この肖像画については晩年まで離さず持ち続けていたにもかかわらず、何の記録も残していない(もっとも、レオナルドのノートはその3分の2が失われており記録が無い確証は無い)。かわりに「フィレンツェの貴婦人の役目は、偉大なジュリアーノ・デ・メディチの死と共に終わった」とだけ述べており、依頼主がジュリアーノ・デ・メディチ(ロレンツォ・デ・メディチの子)であり、肖像がフィレンツェの貴婦人(あるいは愛人ともとれる)であること以外は彼の言葉からはわからない。

デル・ジョコンドは実在の裕福な人物であり、当時フィレンツェの中で政治的にも権威を持っていた。しかし、その妻であるエリザベッタ、本名リザ・ゲラルディーニについてはほとんど何もわかっていない。1479年10月16日に生まれ、1495年にデル・ジョコンドと結婚したことはわかっているが、それがレオナルドの言った「貴婦人」かどうかの確証はない。絵を描いた1503年当時、エリザベッタは24歳であり、描かれている人物はもっと年齢が高く見える。さらに、デル・ジョコンドの妻と書き記したヴァザーリは1511年の生れであり、レオナルドにもエリザベッタにも会ったことがなかった。また「モナ・リザ」を実際に見たことすら疑われており、ヴァザーリの記述には疑問点がかなり多い。

そのため、モデルと言われている人物は他にも候補がいる。

・レオナルド自身の言葉から、当時ジュリアーノ・デ・メディチの愛人であったナポリ公妃コスタンツァ・ダヴァロス。ただし1503年当時45歳と年齢が高く、年齢的には合わない。これにはレオナルドが嘘をついたとする説がある。

・年齢が絵と近く、同じ構図の油絵『アラゴンのイザベラの肖像』があるミラノ公妃イサベラ・ダラゴーナ。『アラゴンのイザベラの肖像』はスイスで個人が所有しており、詳細はよくわかっていない。

・レオナルドのデッサン「イザベラ・デステの肖像」に残っているものと容姿が一致するマントヴァ侯爵夫人イザベラ・デステ。このデッサンは横顔であるが衣装、顔、体型がモナ・リザに書かれている女性と非常によく似ている。しかしレオナルドの手によるデッサンであるかどうかについては議論がある。

この4名が主に挙げられるものの、いずれも確証はない。

後の無名の投稿がさらに混乱を引き起こした。この肖像画はフランチェスコ・デル・ジョコンド、つまりこの絵は元々男性の肖像画である、という議論を生んだ。

また、ベル研究所のリリアン・シュワルツ博士は、モナ・リザはレオナルドの自画像である、という見解を出した。彼女のこの理論はレオナルドの自画像であると言われている絵と、モナ・リザの顔の特徴をデジタル解析した結果に基づいている。モナ・リザとレオナルドの自画像と言われている絵をコンピューターを用いて合成すると、顔の特徴がほぼ完璧に一致する。しかし同じ画家が描いた絵であれば癖や好みなどから特徴が似通った絵となることも多く、レオナルド自身の「全ての肖像画は画家自身の自画像に通じる」という言葉を裏付けた結果をうんだものとも見なせる。

なお、一般的な肖像画にはその描かれた人物が誰であるかを暗示するモチーフがふんだんに盛り込まれる傾向にあった。

・服装・・・その人物の階級、裕福さ、時代が反映される。

・背景・・・その人物の住まい、生まれ、場合によっては階級など。又、名前を暗示した植物なども描かれる。

・髪型・・・その人物の職業や時代を表す。

モナリザに当てはめると、服装は誰もが着ると思われる喪服のような物であり、背景にその人が誰であるかを示す暗示も無く、髪型にも薄いヴェールがかけられており、特定の個人を示す暗示が殆ど得られない。

結局、500年以上モデルが確定していないことが一つのミステリーでもあり、この絵に対する興味、この絵の魅力を増す要因の一つに挙げる意見もある。

一方、絵画においてモデルが誰であるかはほとんど意味がない、という見解もある。写真ならばモデルが誰であるかは重要だが、絵画ならばモデルよりも画家の筆致が重要だからだ。同じモデルでも画家が異なればまったく別の絵画となる。モナリザがすばらしいのは、モデルがすばらしいからではなく、ダビンチの筆致がすばらしいからだ。この絵画が傑作であることに関して、モデルの意味はあまり重要ではないとも言える。

モナ・リザはその後全ての肖像画の標準的なあり方を示した。この肖像画は人物をバストアップのアングルでとらえ、背景に遠くに見える景色を採用している。また、シンプルに画面の中央にピラミッド状に人物が見える構図を採用している。頭の点がピラミッドの頂上であり、腕を組んだ位置がピラミッドの手前側の頂点になっている。顔、首、胸も腕と同様に柔らかな光が当たっているように描かれている。この光彩が隠れた球面と円形の構図を明らかにし、画面を生きたものとしている。全体を通してレオナルドが完成したスフマートで描かれており、背景には空気遠近法を用いた描写がされている。

有名な口元の微笑みについてフロイトは、レオナルドが母親に抱いていた性的な魅力であると解釈した。別の学者は純粋に魅力的な者を描いたと解説している。またある者にはひねた笑いか、悲しみをたたえた笑いであるともいわれている。しかし、レオナルドの時代にはこのような不思議な笑みも肖像画によくみられる特徴の一つであった。

表面上はシンプルな肖像画であるが、レオナルドはモデルと風景を統合的に描くことに成功している。女性の髪の毛、衣装の感覚的な曲線はスフマートを用いて描かれ、背景にあるうねった谷と川にとけ込んでいる。モデルのわずかな微笑みを含めて、これらの全てが調和した一つの絵に仕上げた裏には、レオナルドがもっていた人間と自然の宇宙的なつながりの構想が反映されており、レオナルドの才能と先見を永遠に記録している。

絵の背景には広大な景観と、遠くには氷でできた山が描かれている。曲がりくねった道と遠くに見える橋以外、人間の痕跡がない。ぼやけた輪郭、優雅な造形、明暗の劇的な変化、全体の落ち着いた雰囲気を含めてレオナルドの「型」であり、これらの特徴はそのままその後の肖像画のプロトタイプともなった。

この絵画は、肖像画として初めて空想の空間の前に人物を描いたものの一つでもある。興味深い特徴として景色が平らでないことが挙げられる。右側の景色に対して左側の景色は明らかに低い。このことから、背景は後に追加されたとも考えられる。

この絵画はイタリアからフランスへとレオナルド自身によって運ばれた。フランソワ1世がレオナルドをアンボワーズ城近くのクルーの館へ招いた後、レオナルドからこの絵を買い上げた。買い上げたのは1510年頃と言われている。

その後、先ずフォンテンブロー城に置かれ、のちにヴェルサイユ宮殿へと移された。さらにフランス革命後にルーヴル美術館に移された。ナポレオン・ボナパルトはこの絵を自分の寝室に持っていったが後にルーヴルに戻された。普仏戦争(1870 - 1871)の際にはルーヴルからフランス国内の安全な場所に移された。

1910年、当時絵画や彫刻などの美術品を傷つける犯罪が相次ぎ、ガラスケースに収める決定がされる。

1911年8月22日、ルーヴル美術館からモナ・リザが盗み出された。すぐにギヨーム・アポリネールに盗難の疑いがかかり逮捕された。また、9月22日にはパブロ・ピカソが同容疑で逮捕された。しかし二人とも後に釈放され、この絵は永遠に失われたものと思われた。2年後の1913年12月12日、ヴィンチェンツォ・ペルージャ (Vincenzo Perugia) という男がモナ・リザを持ってフィレンツェの画商に売ろうとしたところを逮捕された。ペルージャはモナ・リザの保護ガラスを取り付けた大工であり、「ナポレオン時代にフランスに取られた」イタリアの文化遺産を取り戻す目的で盗ったと証言した。実は彼はアルゼンチンの詐欺師マルケス・バルフィエルノに雇われており、マルケスは贋作を作成してアメリカの富豪6名に売りつけていた(彼は友人の新聞記者に真実を告げ、彼の死(1921年)の翌年に発表された)。

第一次世界大戦、第二次世界大戦中にもルーヴルから安全のために移動された。

1950年6月10日、ナット・キング・コールがバラード "Mona Lisa" をこの絵に捧げた歌として発売。300万枚の売り上げを作る。

1956年、酸による浸食で下部に著しい損壊が生じる。また、その数ヶ月後、石を投げつけられる。それから現在の防弾ガラス付き防犯ケースに収めて展示されるようになった。現在内部は湿度、気温ともに管理がされている。

1962年、アメリカへと貸し出され、ニューヨークとワシントンD.C.で展示された。

1974年、東京・上野の東京国立博物館で展示され、さらにモスクワへ貸し出され、巡回展示が行われた。

その他

・何度もX線解析をした結果、現在の絵の下には少なくとも3種類のモナ・リザが隠れていることがわかっている。

・この絵があまりにも突出していたため、ダダイストやシュルレアリストたちはこの絵を変更したり、ネタにした風刺画などを数多く制作した。例えば、マルセル・デュシャンは女性の顔にひげを付け加えた『L.H.O.O.Q.』と題した絵を作り、アンディー・ウォーホルはコラージュしたポスターを作成した。デュシャンはさらに、自分の個展の招待状にモナ・リザの複製画を載せ、『L.H.O.O.Q. ひげ剃り後』とタイトルを付けている。

・ギネスブックはこの絵を最も多額の保険がかけられた絵画として登録している。モナ・リザがフランスから持ち出されたのは2度のみで、そのうち日本、ロシアと巡回展示された際に、50億円の盗難保険がかけられた。

・モナ・リザに描かれている女性には眉毛が書かれていないことがよく指摘される。これを理由に絵が未完成であると言う主張もある。しかし、レオナルドの描く女性には眉毛がないか、ほとんどが非常に薄く描かれている。そのため、初めからなかったとも、500年の間に消えてしまった、あるいは修復の際に誤って消されたなどの説がある。

・絵の左中央下に柱の一部が描いてあり「誰かが柱の書いてある両端を切断した」という話が流れたが、1960年代の科学調査で切断の跡はない事が判明した。

・数多くの模写、スケッチの中には、ラファエロによる素描も残されている。その絵には両側に円柱が描かれており、ラファエロの円柱と呼ばれている。

・2005年3月26日に日本テレビで放送された「ビートたけしのモナ・リザはもう一枚あった!」において、スイス・ジュネーブの地下金庫に眠っていたもう一枚のモナ・リザが本邦初公開された。そのもう一枚のモナ・リザはX線写真監査でレオナルドの時代に描かれた事が判明し、現在さらに詳しい調査が行われている。正式発表は番組放送時から数ヶ月後にあるというが、2007年11月現在未だその発表は行われていない。

・夏目漱石は『永日小品』に所収されている短編『モナリサ』にてこの絵を扱っている。作中での絵の扱いは「気味の悪い顔」、「縁起の悪い画」という何とも冷ややかなものである。

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