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『世見』 on mixi / Prophecyコミュの200801311000_0701_この時秀吉の思惑が私には見えた

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2008/1/31 木曜日

この時秀吉の思惑が私には見えた

Filed under: 生活、社会(国内) ― 照 @ 10:07:31

「嫉妬」と言う言葉は、女性の特権のように思われていますが、男性だって大いに持ち合わせていると思われます。

光秀ほどの男が、徳川家康の接待を、失敗するはずがないし、むしろ大成功をして、家康から、光秀はかなり気に入られたと思われます。

信長も、中国出陣へは光秀以外には、重要ポストを委ねる人は考えられず、秀吉の要請通り、光秀を指名したのですが

ここです。

ここなんです。

今回私が見た瞼の裏で繰り広げられる物語の数々の中の名場面の中で、特に興味を持ったのは。

秀吉は、信長に光秀出陣要請をした時には毛利氏との和議を成立させていたのです。

ただ、毛利氏には和議の成立期日を吉日の6月6日に申し出ていたのです。

この時、秀吉の思惑が私には見えたのでした。

現実、和議成立は光秀謀反の一報を聞いた翌日の4日で、約束の日より2日早く成立させているのです。

秀吉は、何かにつけて、光秀に勝ち目のない自分が、腹立たしくて仕方がなかった。

花の舞台にはいつも光秀がいて、どこか脇役のようで嫌だった。

家康を接待する事を知ると、腹の中が煮えくり返っていた。

和歌も詠み、茶の道にも通じ 茶の湯の粋を肌からも感じさせる。

秀吉から見ても光秀はいい男だったのも目に付きムシャクシャもしていたのです。

それよりも何よりも、朝廷に顔を売っている事は許せなかったのです。

ただ、光秀と秀吉との大きな違いは、光秀の優秀さ故の余裕と、地位よりも名誉を重んじる心と、天皇に対しての思いであった。

秀吉は、地位や、もちろん名誉も、天皇に近い地位への憧れもあり、もちろん我が国日本のトップが彼の夢であったのですがが、信長に一番いい男と認められない思いもあったのも真実です。

秀吉が信長に対する思いを綴る物語は私も幾度となく読んだり見たりして来ましたが、今私が見る秀吉は、何をしても光秀にかなわず、男の嫉妬を光秀に持っていたとしか映りません。

秀吉は光秀の中国出陣に大きな賭に出たのだと思います。

信長の朝廷に対する心は決まっている事は手のとるように分かる秀吉です。

出世よりも、心を重んじる光秀は、この事を知ると必ず動くと読んでいたのです。

それも、その日が近い事も

それもそのはず、この流れを考え、策略したのは、誰でもない秀吉だったからです。

続く

2008/01/31 10:00 照 #200801311000_0701

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