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小笠原(BONIN)'40thコミュの【運営日記】内地祭り・運営日記。

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 ・ここでは、内地祭りの運営スタッフ日記について・・・・・

  書いていこうか・・・と思います。


 ・開催前の参考にごらんいただくも良し。

 ・せびごらんください。

コメント(26)

☆☆☆☆☆運営日記☆☆☆☆☆☆


アオウミガメです。
小笠原・内地祭り2008に携わっている1人です。
何卒、よろしくお願いいたします。


さて、なんで〔内地祭り〕なの?
といわれます。

それは、日本の本州部分を本土といいますが、
島から見て、内地と呼ぶ習慣から来ています。
そして、島・・・小笠原をテーマとして、
小笠原・内地祭りというネーミングにしました。

元々、この内地祭りは2年前に自主的に開催したのが、
はじまりで、今回で2回目になります。

今年は小笠原は、返還40周年という節目の年です。
小笠原は、イギリス・アメリカの時代もありましたが、
1968年6月26日、小笠原復帰協定によりアメリカ統治下から
小笠原諸島は、日本に返還されました。

島では、今年を返還の記念の年として、
「共生と創造」 〜人と自然が共生する活気あふれる小笠原へ〜
と題して、返還記念事業を実行しています。

その事業の1つとして、この内地・すなわち本土である東京で
小笠原の記念事業が出来たらと思い、島に関係する有志と共に
〔内地祭り2008〕を実行する事になりました。


では〔内地祭り〕。について少しずつ触れつつ、改めてご紹介
していきたいと思います。〜今回はこの辺で・・・〜
====運営日記====

〔内地祭り〕と返還40周年。

〔内地祭り〕は今から2年前の2006年に自主的に始めた活動だ。

小笠原に通い10年目。
島の魅力を感じ1度では堪能出来ず通いつめた。その間に1度仕事を止め島に滞在した事もある、経験を積み知識も増えていった。ライブスタイルも変わり友人も増えた頃、島のガイド本を書く作業に加わった。島について魅力を伝える本、題材を考え書く事にした。その際、島について多角的に研究した。

活字は文字制限があり伝えきれない、多くの人に島の魅力を伝えるには?
それは具体的に伝えるしかない!

〔内地祭り〕の初めての原型をその時に構想を思いついた。

〜続く〜
====運営日記====


前回開催したのは2006年。

多くの人に小笠原を知ってもらいたいと思った。
島は様々な魅力がある。取組もある。具体的披露が理解を深め、知るきっかけになると思ったからだ。

しかし行う上で既存イベント(島じまん、アイランダーなど)と同じは避けたいと思っていた。

それは観光事業が主軸であるものの、環境取組も盛んで、エコツーリズムという言葉に象徴されている。では環境保全とは?その題材はなかなか知る機会が得にくい。
景色の素晴らしさは、実際に見るのが一番だが、写真で表現できる。
環境は?市民レベルで内容について、理解と協力する形を作れれば、と思ったからだ。


島にも様々な文化がある、南洋踊り、島民レベルで親しまれているフラ、ウクレレに古謡に、オリジナル曲などなど。
文化に触れる事で、また違った島を知る事が出来るだろうし、島に対する想いが違う形で産まれれば、と思った。


〜続く〜
====運営日記====


2006年の内地祭り。
は完全なる自主開催だった。

かかる経費やら、呼ぶ為にかかる費用もご協力という範囲での実施だった。

一個人としても島のイベントで有料というのはあまり良いとは思えない。しかし行うには最低限の経費がかかる。
自分を始めとする係員がボランティアで動くとしても、その費用内訳は会場借用費用が大きなウェイトを占める。


青空の下、工夫したとしても、会場という区切りが欲しいし、天候という問題もあり、仕方なく屋内で有料化にせざるを得なかった。



取り扱った内容は、
〔写真展示、スライド〕
〔環境の講演〕
〔文化、音楽の披露〕
〔景品〕


これらを複合的に一カ所で行うには限界がある。広い展示場を自由に使うにも造作物が必要である。候補は数十箇所にも及ぶ。メンバーの1人が貸スタジオが言いと提案。すかさず見学。条件を満たしていた。

こうして、初回の候補会場が決まった。
それは海からは距離のあるが、都内に近い練馬区のとある貸スタジオでの開催となった。


〜続く〜
====運営日記====

イベントを自主的に行うにしてもPRが必要だ。
しかしホームページなどを作るだけの予算も余力もない。


口コミに、SNS、掲示板など、人海戦術で告知した。幸いな事に島に関係する機関のご協力を受け、ホームページ上に告知していただく事が出来た。雑誌にも。


とある新聞社の記者が、電話をかけてきてくれた。個人的に掲載記事を見たという。大変喜ばしき出来事だった。
取材を受け、経緯や目的について話をした。
別途当時の運営チームで掲載について話をした。

しかし、記事を出す反面流言飛語的にとらえる趣を懸念し、結果取材した新聞記事は、載る事なく幻に終わった。


予め参加に際しては、WEBによる事前予約制を行った。しかしインターネットの無い環境の方には電話で受付る事にした。


入場料を頂き、その運営費用は、数千円の赤字。しかし1日しか開催しない、内地祭り2006は、参加者80余名。島未経験者の参加者数は3割を数え、こじんまり盛況に終えた。


焦燥感の中でも、成し遂げた達成感にほんの少し気分が高揚した。


しかし個人的には様々な反省があったのも事実だった。


告知、会場、内容、参加費用・・・
数え切れない程だった。


〜続く〜
====運営日記====

しかし内地祭り2006で、知る内容、交流・・・
産まれたものもある。


特に音楽は、大変好評だった。それから波及して音楽だけ行おう!!
という事から、内地祭りの翌年(昨年の5月)に、元島にいた方のご協力もあり、ハワイアンレストランで音楽イベントを行い、約70人近い方でレストランは満員。


踊りの体験も行いつつ、楽しく行う事が出来た。

その時も自主開催だった。最後は費用が足りず、どうにか補填し終了した。



月日が経ち、島に行く船。デッキで内地祭りを共に行ったメンバーで主軸である中心の1人と会った。話を聞くと内地から島に帰り、戻らない。という。突然の再会が皮肉にもデッキの上だった。メンバーを欠いてしまった。


そんな時、来年は返還40周年という記念の年であるという事を認識しつつあった。


〜続く〜
====運営日記====


島の村役場で、返還40周年の2008年、事業として公募するというニュースが飛び込んできた。



団体で条件のある内容に合致すれば、容易に事業申請出来る。という。


その条件は、ほぼ2006年に行っていた内地祭りの内容に近いものだった。しかし、個人的には戸惑いがあった。
それは費用の問題と、個人的な時間である。


その当時以降、かなり多忙を極めていた。
通常の仕事、自分の事、色々。
心の葛藤の中でかなり思い留まった。
当時の少ない運営メンバーで現存する仲間に相談した。


結局、島の想い、過去の反省を踏まえつつ、行うべく申請をする事にした。認可されたら様々な問題が解消し、良い形で出来るかもしれない。



こうして島に行き、事業について話を聞いた上で申請する事にした。


しかし、これは島の事業である。島以外で行うのは例外中の例外である。ましてや内地開催を前提とするイベント。


申請は苦難を極めた。


〜続く〜
====運営日記====


団体とはいっても母体はない。様々な人と相談した。内地祭りの重要性と共に、島に関わり合いのあるメンバーを集めた。
観光者、元島民などなどが協力してくれた。
しかし出身者の方とはとうしても巡り会えなかった。


島のイベントとしては、島を知るメンバー構成として様々な観点があるのだと認識していた。
よりよき島を願うため。


観光中心の島は、島の魅力を披露し、多くの人に島を知ってもらう事、そして島に行きたくても行けないが、島を想う人達がいる事を。


それは島の中だけではなく、島外=内地で行う事が重要なのだと認識していた。


島仲間と交流ツアーに参加した。コペペ海岸で忙しい日々から解放され過ごしていた時の話。
自分と同様に交流ツアーで島に来た内地の老人である。
懐かしげに島の景色を眺めていた。話を聞くとその昔、島に在住していたりー仕事をしていた経験をお持ちの方だった。



思いこがれ数十年。
ようやく帰島の念願が叶った人達だ。


海岸の砂を大事そうに拾い上げ、ハンカチに包むと、老人は話してくれた。同じ島民で既に故人となった友人の墓前で、帰島の報告に砂をまくのだという。



長年思いこがれた地。
熱い想いがこみ上げた。

〜続く〜
====運営日記====


自分とは立場も置かれている状況も境遇も違う。しかし島を想う気持ちに変わりはない。
行きたいと願えど事情で行く事が出来ない。
そんな人は数多くいるのだ。


個人的な話で恐縮だが、自分も島を初めて訪れてから10年という歳月が過ぎた。これまで訪れた回数は15回を数えた。
これまでに一度会社を辞めた。フリーになった数少ない滞在は今でも貴重だった。金も無くなり仕事をする為に内地に戻り、今はしがないサラリーマン生活である。


それでも休みは取れない。しかし島を想う気持ちは観光客を中心に存在する。


出身の人も中学や高校を卒業すると、対外は内地に行き進学や就職をしている。内地から見た島は一際存在感や強い想いがあるかと思う。


そして憧れや想いを抱く新しき人達の存在。
初めて訪れた時の感動は皆、とても充実感に溢れている。島に行きその様な感動を味わう為に、せめて内地で出来る事。


島を具体的に伝える事。ほんの一時、島気分を内地で味わえたら〜。



そんな想いを考えつつ、もう一度だけやってみよう!!と覚悟を決め、シナリオを書きはじめた。


そして締切に近いある日、申請書を役場に提出した。


〜続く〜
====運営日記====


申請後は、困難を極めた。一言では表せない程。かなり打ち合わせの場、協議の場を持たれた〜と後で聞いた。


そして条件付きで、数多き応募の中から、どうにか内地祭りが、返還補助事業・創造事業として認可を受けた。


認可された時、喜びと共に不安やその他入り交じった想いが交錯した。


そしてメンバーに協力を求め、内容を煮詰めていく事にしたのだが。


〜続く〜
====運営日記====

・正直、プロではない島関係の我々が、
島の事業としてこの様なイベント携わり、
また企画・立案し、実行できる事は大変喜ばしき事。

・その代わり中途半端はさせない。という思いからか、
内容を熟考し、調整に大幅な時間を要してしまった。


・発足当初の話。
プロではないので、まず何をしたらいいの?
という運営実行の状態からスタート。
個人的には仕事でイベントスタッフとして関った経験
があった。そしてこれまで何度か自主的に島のイベント
を実行してきた経験だけが頼りだった。そして島の経験。


・しかし、過去に自主的に開催したメンバーが、今回の
企画段階の初期段階から携わったメンバーは1人しか
いない。後のメンバーはほぼ個人的な事情で一杯一杯
な状況で、協力してくれるという状況ではなかった。


・他にもスタッフとして初期段階から一緒に協力して
くれる人を探した。探索は難航した。
島に行った経験があり、イベント実行において得手を
発揮できる人。実際は中々いなかった。


・その様な状況の中で、どうにか9人のメンバーが集まった。
すべて島に何かしらか関っているメンバーである。
しかし、イベントは皆経験した事がない。
集まったメンバーは、自薦もあるがこちらからお願いした、
というメンバーも。しかし実行途上で残念ながら、
スタッフを降板せざるを得ない人もいた。
仕方がない事ではあるが、正直悲しかった。


〜続く〜
====運営日記====


打ち合わせは、昨年暮れから開始した。


その段階でシナリオを書き上げていた。
それに対して、内容の熟考をしていく。
場所は都内の某ファミレス。もっぱら平日の夜が多かった。
自分を含め、全員なんらかの本職がある中での打ち合わせだ。


日程も人数分都合をたずね、比較的に集まりやすい日に設定する。
例えば、夜7時にこの場所、と決める。
しかし時間に全員が顔を合わせられない。30分経過して1人、1時間経って1人・・・。という具合だ。
携帯に電話が入る。
メンバーの1人だ。
仕事が延長、今日は参加は無理。という。


そこで打ち合わせの内容に意識や温度差が生まれる場合がある。
それを極力無くす為に、メンバー間でメーリングリストを作る事にした。

しかしメールの一方通行的な伝達は誤解を招く事がある為、連絡や報告などの伝達に留め、極力互いに協議が必要なものや重要な伝達は、直接相手に伝える事にした。


欠席した人には、個別にて都合を調整した。
それは並大抵の調整ではなく、限りなく時間を要した。


〜続く〜
====運営日記====


アイデアは1人で考えられるが、実行となると1人では出来なかった。


それには理解や協力が必要不可欠だった。
メンバーには必ず目的や成果を伝えつつ、協力をしてもらい進めてゆく。

しかし打ち合わせは、最初の内、話っぱなしだったりもしたが、回を重ねる内に、対話形式になっていった。
内容の具体化には、相手先との交渉や調整が伴った。


メンバーは何を行えば良いのか?が当初わからなかったが、徐々に理解を得ていった。しかし時間がない。それは自分の時間でもあるし仕事でもある。


相手先との打ち合わせも、平日の昼間、夜に及ぶ事さえある。
自分にさえ本職があるが、合間を見つけつつ時間を作る。


例えば、打ち合わせは夕方にする。午前から午後にかけての打ち合わせは、1.5倍の速さ以上でこなす事にした。
結局、こうして時間を作るしかない。


仕事を終えて時間を調整し、1つずつこなしていく。


それより何より、この実行はメンバーに理解を得て活動してもらう前に、大きな前提条件があった。それは活動がボランティアである事が前提だったのだ。


〜続く〜
====運営日記====


ボランティア。
自己最低限、必要だと感じれば、行動は容易い。が、しかし自分の時間もあるし、なかなか難しい事だ。
強制権もなく、ほぼ理解と協力という範囲での実行だった。


内地で島気分を。そんなコンセプトを考えつつ、内容を考えた。
それでも数々のアイデアが出た。
島の水を水槽に入れて〜とか、採集場所を変えつつ比較的に見せたらどうか〜とか、真剣に考えたりもした〔結局ムリでボツになったり〜〕。


そんな中でクローズアップしたもの。
それは〔ぎょさん〕である。島の代表的な履き物文化であり必要不可欠なモノである。小笠原自然文化研究所さんを訪ねた。


島の生態系の保護活動として活躍されている精鋭の皆さんだ。
機関紙に以前〔ぎょさん〕を研究されていた事を知っており参考にしたかった。



そこで閃いた!!
〔ぎょさん〕はどうやって作られているのだろう?そんな個人的な疑問や好奇心を抱きながら。
小田原にぎょさんを取り扱いする靴屋さん〔マツシタ靴店〕があった。


小田原では老舗に入る靴屋さん。地元の学校の指定靴屋さんで上履きや、革靴などを扱っている。二代目の若旦那と取材としてお会いした。


小笠原イベントとしてぎょさんを取材したいのですが〜。若旦那とお話をした。知られざる〔ぎょさん〕の世界の扉を開いた気がした。


〜続く〜
====運営日記====


小田原の靴屋の若旦那にぎょさんにまつわる様々な話、貴重な話について聞く事が出来た。


ぎょさんには実は様々なモデルがある事を、作られた秘話、工場で先に視察した時の話、全てが驚きの連続だった。


ご自身もサーファーでありぎょさんを愛用しているそう。
ご自身のお兄さんがキャラクターデザインをされており、ぎょさんを履く可愛いお店のキャラクター《ギョッピー》である。その足にはしっかりと《ぎょさん》が履かれていた。



小笠原として取材として訪問したお店、若旦那のお話を聞くにつれ、より探求すべく製造されている工場を紹介してくださる事になった。


運営チームのBくんと共に出向いた小田原は、昼飯で食べた市場の定食以上に美味しき収穫で満たされた。


そして聞いた工場の連絡先に電話したのだった〜


〜続く〜
====運営日記====

ぎょさんの工場は、近畿地方にあった。
ぎょさん製造のパイオニアである。
電話をすると、相手が出た。事情や目的を伝え見学を申し入れた。
普段一般では公開していないが、今回特別に許可して下さった。


相互のやりとりや都合の調整で、実に4ヶ月もの時間を要してしまった。(運営側の都合による)
まず関東から奈良に行く事だった。
工場は平日しか稼働していない(普段運営メンバーは仕事)。その為に休暇を取得した。



移動の効率性を図る為に、週末又は週始めのいずれかでの日程案。
最初的にアクシデントでも対応しやすいように週始め日曜日入りで近畿方面に新幹線で出向いた。

経費は自己負担。しかし探求心・好奇心を抱く感覚は、ちょっとした遠足気分だった。


〜続く〜
====運営日記====


前日、近畿の島関係者が集い、懇親会が開かれた。関東圏同士集まる機会は多いが、近畿圏もまた互いに集まる機会はある。しかし相互〜はなかなか実現しないが、とてもフレンドリーだ。


場所は違えど、島・小笠原という共通項で交流出来るのはとても素晴らしい事だ。
今回行く目的も予め知っている近畿圏の皆様。
その成果に期待されている様子。


次の日、地元の島仲間のエスコートで工場へ出向く。下町風の長屋根風の昔ながらの工場だった。入り口付近の事務所に案内して頂いた。


創業者であり社長に直接お目にかかる事が出来た。談笑を交えつつ製造のルーツ、名前の由来、バリエーションなど、一通りたずねた。
豊富なバリエーションにカラーと、驚きと意外性な回答に意表をつかれたり〜。


そして製造工程を拝見させていただいた。
まさに島や内地で当たり前の様に履きこなしているサンダルが、職人さんの華麗なる手捌きで次々と産まれ形成されていく。


ルーツジックリと見て眺める。
そして製品に仕上げる為に、様々な工程を経てやがて完成した数々のぎょさん。見慣れないものからお馴染みのモデルまで。


視察はとても有意義なものになった。
その成果に満足し一同、近畿を後に帰京した。


〜続く〜
====運営日記====


〔ぎょさん〕を取り扱った理由。それは島を象徴する履き物だからだ。
マリンスポーツの関連から口コミで、多くの場所・ダイビングショップなどでも取扱いしはじめていたのは知っていた。



湘南にあるビーサン店。○マークに〔ひらがな〕の文字は、一際目を引く有名店だが、ここでも〔ぎょさん〕小笠原で有名な履き物として売られていた。



最近は沿岸地域・離島でも履く人は多くなった。これは水濡れした船の上、地面の上でも、滑りにくい履き物として重宝されている、と共に〔ぎょさん〕の認知度は高まりつつある。


小笠原で生まれた〔ぎょさん〕、それを具体的に表したかった。
しかし〔ぎょさん〕は正式名称ではない。でも〔ぎょさん〕という方が耳慣れしていた。


〜続く〜
====運営日記====


次に取扱いを考えたのは〔絵本〜わん〜〕である。父島で生まれ父島で読まれている絵本で、島の農園で飼われていた一匹の犬と農園のおじさん、そして島の動物達を描いた物語だ。



作者は島に在住し教職のお二人による合作である。


農園で飼われていた犬の物語、作者のお二人にお話を聞きたいと連絡をした。


小笠原内地祭り〜ですが・・・。最初は何の事か驚かれた事だろう。
都内で作者の方に会い、作成時や島の思い出を語っていただいた。


物語の主人公、父島の北条農園で17年、2002年に他界した犬であった。
農園は小学生〜高校生まで、体験学習とし農業体験が出来る農園として、そこで飼われていた犬〜ジャッキー〜は、誰からも愛される犬だった。

〜続く〜
====運営日記====


作者さんから絵本わんを拝見させていただいた。

17年間、父島・北条農園で叔父さんと共に島で過ごした犬ジャッキーの物語。


絵本を読むうちに、描かれた舞台設定や背景を描きつつ披露・紹介しようと思った。
そして今は亡きジャッキーに会いに。


夏の期間を利用して、たった1航海だけの島行きの中。


舞台に描かれている北条農園は、父島の中央部・扇浦地区にある。
都道から山側に勾配を進むと農園の小屋と、畑が広がる。高台から二見湾が一望出来る静かな場所である。叔父さんを訪ねつつ、当時の思い出を振り返っていただいた。


ここで犬・ジャッキーと叔父さんは過ごした。
ジャッキーは元々先祖がグァムから飼い主と共につれてこられた犬である。


1日一回叔父さんと共に、険しい岩場の山道を抜けて、境浦の海岸に散歩に行くのが大好き、海に元気よく飛び込みボラを追いかけつつ、夕方叔父さんと共に海に沈む夕日を眺め、暗くなるまで散歩をしていたそう。


ジャッキーは飼い犬ではあるが、家族として叔父さんと強い結びつきで過ごしていた。
散歩から帰ったジャッキーを叔父さんは、毎日シャンプーしてカラダを洗ってあげたそう。


晩年は病気にかかり、街中の診療所に車に乗せ連れて行く事もあったそう。それでも若い頃は病気すら何ひとつしなかった犬だった。


亡くなる最期の一週間、叔父さんはジャッキーを荷台に乗せて、島内をドライブしたそう。
《実話として絵本にも描かれています》


今回、内地祭りでは《絵本ストーリー》と《舞台設定・背景》を展示紹介する他、作者さんをお招きし《講演》を行います。


絵本わんは、元々自費出版で、島内の施設に配られていますが、特別に絵本レプリカを用意する予定です。


また来年には多くの方に絵本を読んでいただきたい〜という事で、出版社から全国書店で正式販売する予定もあるそうです。


ぜひ会場で絵本と共に、島での叔父さんと犬ジャッキーの物語をご覧下さい。
====運営日記====


小笠原のイベントを行うからには、少し変わった観点・題材を探していた。


とある島関係のお店に行った時の事。
店主から、小笠原を舞台設定としている漫画がある事を知った。


漫画ことこと。〜子と孤島、である。
元々マンガは嫌いではないが、何故か読む機会も無く、正直知らなかった。そんな意外性も必要だと感じつつ。



編集部に連絡して、内地祭りプランを話した。
今から半年以上も前の話だ。


漫画ことこと。
は、フレックスコミックス社刊で今年の夏まで、Web漫画連載され、単行本は4巻リリースされている作者・竹林月さんのマンガ。
内地から島に赴任した先生と島で暮らす人々との触れ合いをコミカルに描いている。


〜続く〜
====運営日記====


WEB漫画《ことこと。〜子と孤島〜》は、
フレックスコミックス株式会社刊である。

http://flex-comix.jp/titles/kotokoto.html

フレックスコミックス社は、
携帯のソフトバンクグループとワーナーグループの合弁企業で
漫画事業を中心に漫画コンテンツ創造カンパニーとしている会社です。

同マンガを連載している《Yahoo!コミック》は、
月間2億8千万の開ページ人数、月間200万アクセスPC数を誇るサイトで
その中に《FlexComixブラッド》は月間100万アクセスPCを記録しており、
同マンガを掲載しています。

《ことこと。〜子と孤島〜》は、
現在単行本4巻、WEBで期間掲載されています。

小笠原諸島のさらに先に位置する孤島《琴古島(ことこじま)》を舞台
に、赴任した新任教師・渚青子と生徒の子供達をはじめとした島民と
の〔ふれあい〕を描いたコメディ作品。

暗い話、争いごとなどのエピソードを廃し〔人のふれあい〕をテーマ
に〔島〕というコミュニティの中でおこる出来事を明るく描くエピソ
ードで展開されている。

2年間の連載により、今年の7月で連載は一旦終了を迎えました。

著者の竹林月(たけばやしつき)さんは、
新潟県出身の方で電撃漫画大賞で佳作を受賞した実力派の漫画家です。

2007年7月5日〜11日の1航海で、実際に父島に訪れ取材を敢行したそう
で、その訪れた島の風景は、実際のマンガの物語の中でも、
自然風景・動物・特産物などで描かれています。


今回、マンガを取り上げて、実際のアニメやセル画を展示します。

また、内地祭りのホームページでも作者・竹林月さん書き下ろしの
アニメを、特別に表紙に採用させていただいています。

〜続く〜
====運営日記====


島における環境系の取り組みは大変重要な事であり、必要不可欠な事だと認識していた。


島のアクセス向上や暮らしの利便性向上の反面で、環境での取り組みを描きたかった。


ガイドブックには、景勝地や見所は書かれているが、どのような取り組みが成されているか?までは描かれていない。
雑誌も一過性なもので終わってしまうし、見逃すこともある。


これまでの島のイベントでは〔島にどうぞ!!〕という誘致を表されているが、こんな取り組みがありますよ!!までは、なかなか描きにくい題材だったのでは?とも個人的に思った。


重要か?不要か?
論議し結論を出す前に、事実関係や取り組みを知りたかった。
環境の話をする場合に、知り合いに聞いても、なんとなく知っている〜とか、全く知らないという事実があった。


では、具体的に知り認識する事が必要なんだ!!
そう感じた。



それは何年もそして何回も島に個人的に行く事で知る事実もあった。
それを島に行く前に予備知識として認識出来たとしたら、活動を知り正しき判断や協力する。という作用が作れたら!!


そう思い、環境系の取り組みを題材に取り入れるべきだ!!と思った。
それは構想の段階で強く感じた想いだ!!


いつまても美しき島であってほしい!!そう願いつつ!!


〜続く〜
====運営日記====


では題材は?

過去、個別に〔島の環境について〕は、シンポジウムや講演が個別に行われていた。


それを今回、他の島の内容と共に盛り込む事で、多くの人に訴求し認知するきっかけが図れたら〜という目的だ。


そこで島で特にー数多き取り組み成果や実績のある〔小笠原自然文化研究所さん〕へ。


グリーンアノール補食による生態系のバランス変化は危機に面していた。そして山羊の増加、様々な問題について取り組んでいた。


最近はアカガシラカラスバト(通称:あかぽっぽ)の取り組みは、小笠原において増加したイエネコによる被害があった。
人々が持ち込んだイエネコを捕獲し、島と内地の獣医師会・どうぶつ病院が連携、内地に搬送し一定期間イエネコをリハビリさせ、新たな飼い主を探すという取組。


共栄共存である。
ハトもネコも生存しつつ、それを実現させた好事例である。


もう1つは、小笠原諸島において母島の南端・硫黄島諸島にある・南硫黄島の学術研究である。


無人島、人間にとって未開の島に未知なる生物を様々な研究者が探検隊を結成、実に25年ぶりとなる研究を2007年7月に実施、成果を上げた。


内地でも、箱根の神奈川県立生命の星・地球博物館で今年の春に展示されその一部を。



今回この2つを小笠原自然文化研究所さん他の協力により実施させていただける事になった。


〜続く〜
====運営日記====


島内での取り組みの他に、環境系の題材を検討する事にした。


島で取り巻く題材として小笠原村や東京都、環境省などの取り組みを検討した。その結果、エコツーリズム、世界遺産の題材を、東京都環境局さまのご協力を得て、パネル展示を行う事にした。


仕組みや内容、今そしてこれからについてご覧いただければ〜と思います。


島に関連するその他の題材として、小笠原諸島は野生のイルカ、クジラが訪れる島である。
その研究や取り組みを行っている団体である、小笠原ホエールウォッチング協会さまから、季刊不定期で発行している〔メガプテラ〕より、代表的な記事や取り組みなどの披露紹介をパネル展示にて行います。


クジラやイルカの生態、観察などの話題など見所のあるパネル展示になるかと思います。


〜続く〜
====運営日記====


東京から遥か南1000キロにある小笠原、その南端に硫黄島がある。


しかし日本の最南端は?と聞くと、沖ノ鳥島だとご存知な方は多い。
しかしその島が小笠原村である事はあまり知られていない。


実は東京都では沖ノ鳥島を題材にシンポジウムを開催しており、披露紹介の為DVDを特別制作したのだ。


日本の領土としても重要な位置づけを示すこの島を、なんとなくではあるが題材として採り上げられたら?という気持ちはあった。


しかしどうしたら良いものか?

考える日々は続いた。


〜続く〜

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