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プロレスと昆虫採集コミュの国際プロレス

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国際プロレスこそまさに昭和のプロレスと呼ぶにふさわしい団体だったと思います。

突然の立ち上げ、豊登の参戦、と不思議な生い立ちで生まれた国際プロレス。
立ち上げ直後、グレート草津がルーテーズとの60分3本勝負のタイトル戦で1本目の開始直後のバックドロップで失神KO、2本目も立ち上がれず2−0で完敗という考えられない試練のスタート。

しかし、その後、ビルロビンソン、モンスターロシモフ(後のアンドレザジャイアント)、ダイナマイトキッドなど数多くの一流レスラーを輩出された団体でもあります。

後に日本マットでは初のデスマッチを行うなど新しいアイデアを取り入れた団体でもありました。

コメント(92)

>>[52]

インタはおそらく買い取りにプラスしてアジアシングルで折り合ったのではないかと思います。
新日でもアジアリーグを開催しシンが王者になりましたが、パッとしませんでしたね。
日プロの時はキングコング、ダラ・シン、タイガー・ジョキンダーら強豪が揃っていて力道山が優勝しましたが、新日は強豪はシンだけで猪木も参加しませんでしたから盛り上がりませんでした。

NWA王座の権威はキャッチボールで完全に権威を失墜しています。
ブリスコは小遣い稼ぎ的な感覚だったようですが、NWA上層部からクレームがついたようですね。
ブリスコ自体の評価も著しく落ちてしまいました。
これを契機にキャッチボールが頻繁に行われ、私の中ではそれらは全部無効です。
馬場自体はNWA王者になる実力は十分持っていて、キニスキーやドリーを破って奪取したのであればファンも納得したと思います。
全日以降の馬場は明らかにピークを過ぎていましたから、無理がありましたよね。
馬場は3度ではなく1度だけ、そして仰るように海外での防衛試合をやっていればファンも共感を得られたと思います。
ドリーは体力でなく、家族と過ごす時間がないようなスケジュールに嫌気がさしていたので断ったようです。
逆にこれが一度だけだが4年以上王座をキープしていたドリーの勲章になっています。
レイスやフレアーは7回王座に就いたといってもテーズとはまるで中身が違います。
私の中では最後のNWA王者はキニスキー、オマケでドリーまでです。
>>[53]

日プロ由来のアジアシングル、アジアタッグもそれぞれリーグ戦を開催し優勝者がチャンピオンに再認定されたような記憶がありますね。
これにあてつける形で新日が新しいアジアのチャンピオンを決めるようなトーナメント?を開催したような感じでしたか・・・何か、団体抗争がタイトルの権威を下げるような時代になっていきました。新日のアジアタイトルはほとんど防衛戦も行われることがなく消滅してしまいましたからね・・・

なるほど、ブリスコは小遣い稼ぎ、ですか・・・タイトルを一時預けてギャラアップというのもいかがなものか・・・確かあの時は3回NWA戦は行われ、2回目は馬場が防衛していましたね。なんとか、3回目の世界戦も馬場が勝って全米サーキットへ、と願いましたが案の定、最終戦で負けてしまいました。
当時のNWA会長はだから王座移動を認めない、とか言っていたのかも知れませんね。ブリスコが相談もなく勝手にやったことだと・・・

ドリーは家族との時間を、と考えたのですね、よくわかります。NWAのチャンピオンは本当に過酷だったと思います。毎日試合で、ヒールもベビーフェイスもできなくてはいけませんし、カルロス・コロンみたいな3流レスラーともエキサイティングな試合を観せなければいけないですし・・・
>>[54]

馬場が新日に興行的に押され気味で、日本に滞在期間だけタイトルを保持したいとブリスコに打診してブリスコが応じたようですね。
ですから馬場が海外で防衛戦をすることは端からあり得ません。
ただそんなことをしなくてもいいレスラーながらNWA王者としては線が細いブリスコですから馬場が勝つことは十分可能だったと思います。
馬場は、ロビンソン、モラレス、マスカラス等テクニシャンタイプにはかなりの強さを発揮しますからね。

新日が後にブリスコを招聘した時、猪木戦は凡戦に終りましたね。
猪木にブリスコを好勝負をしようという気持ちがなかったのだと思います。
同様に、もしロビンソンが新日に復帰することがあっても、あっさり料理したような気がします。
ブッチャーも然りですが、ブロディだけは問題があっても固執しましたね。
レスラーとしてのブロディの評価は高かったのだと思います。
>>[55]

例え短期間であってもブリスコを倒しての日本人初のNWA世界王者誕生、ということで私はとてもうれしかったです。年間最高試合対象にも選ばれた記憶があります。ジャンピングネックブリーカードロップの炸裂でした。

猪木とブリスコの再戦には、当時私をはじめ大いに期待したファンは多かったと思います。猪木のベストマッチと言えるUN戦の再戦、元NWA世界チャンピオンを相手にどのような展開になるのかと・・・それが、あの賞金マッチみたいなことを元NWAチャンピオンが持ちかける、みたいな安っぽい仕掛けになってしまい、がっかりしました。

猪木VSブロディは何試合か行われましたが、それなりにスリリングな試合になったと思います。この頃が猪木の最後の輝きだったのでしょうか・・・
>>[56]

馬場のランニングネックブリーカーは威力がありましたね。
ドリ、ブリスコ、ロビンソン、レイス、モラレス〜みんなあれでKOされました。
繰り返しになりますが、キャッチボールは1回だけだったら認める人が多かったと思います。
レイスとPWFを含めて3回のキャッチボールはいただけないと感じた人は多かったと思います。
ブリスコについてはMSGシリーズの特別参加で猪木戦以外はノーフォールで大事に扱われていたとは思います。
全日で馬場にフォール負けしてNWAタイトルを奪われ、鶴田にもUN戦でフォール負けしているブリスコですので、賞金マッチで盛り上げようとしたのかも知れません。
ブリスコのキャラに合わず、試合内容も日プロの時のようなインパクトがなくファンをガッカリさせました。
新日への再来日は実現せず全日に戻ってしまいましたが、ブリスコ自身も猪木戦は不本意だったのかも知れません。

ブロディ戦の頃は猪木はかなりピークを過ぎていましたが、巨漢のブロディを腰砕けでない全盛期のようなフォームでバックドロップやダブルアームで投げています。
ブロディは新日では猪木と藤波を高く評価していたようです。
長州やウオリアーズのことは、せっかちで自分勝手なファイトをすると忌み嫌っていましたね。
前田が、自分や長州を光らせたのは藤波だったからと語っていました。
言われてみると長州は新日でも全日でも藤波戦以外では名勝負が一つもないですね。
>>[57]

確かに馬場のNWA奪取はブリスコ戦のみの方が価値があったような気がしますね。レイスとの試合でかえって価値が落ちてしまったような気がしますね。そんなに簡単に奪えるものだったのなら、キニスキーやドリーからも奪えていたのではないかとも思わせてしまいます。過去のNWA戦が色あせてしまいます。

ブリスコは海外でもあのようなパーフォーマンスをしているのを観たことがない気がするのですが、NWA王座から陥落後はそうでもなかったのでしょうか。
鶴田にUN戦で簡単に敗れたのもちょっとがっかりさせられました。

確かに長州、本当に名勝負が思い当たりませんね。猪木戦でさえ名勝負といった感じではなかったですね。
しいて上げれば、ニックとのAWA世界タイトル戦でニックが長州の良さをひきだしていて、この試合は印象に残っています。

ブロディが長州のことをせっかち、と表現したのですか、なるほど・・・
あのスタイルは、日本人対決には新風を吹き込みましたが、従来のプロレスのスタイルとま違いますからね。長州が、全日に参加してから、全日のレスラーもかなり刺激をうけて、スピーディなファイトをするようになりました。今では、さらにスピーディなスタイルが、日本だけではなく、海外でも流行しているように思います。「ガス灯時代のプロレス」では考えられないことです。
>>[58]

馬場とレイスは極めて親しい間柄でしたからね。
新日に興行的に追い込まれ、一度のNWA奪取だけでは苦しくなり3回繰り返してしまったのでしょうね。
キニスキーやドリーの時はそう易々とキャッチボールできる状況ではなかったのだと思います、

ブリスコはいいレスラーですが線の細さは否めず、猪木とは好勝負はしても馬場のような大型レスラーになると厳しい感じでした。
後年スティンボートが王者になりましたが、馬場はおろか鶴田までチャレンジしなかったような気がします。
高野あたりに追い込まれてやった勝つ程度でしたから、NWA王者が酷く弱体した印象を受けました。

長州は全日を活性化させましたが、名勝負は残せませんでしたね。
鶴田とのシングルは鶴田が余裕を持って戦うことを念頭にしていたこともあり噛み合わず引き分けでしたが、鶴田の判定勝ちです。
天龍がせっかくジャーマンまで出して長州が試合を成立させようとしているのにジャンボも付き合ってやれよと批判していました。
ブロディも長州の技を一切受けませんでしたね。
考えると長州や前田を光らせ、ブロディが高く評価した藤波はいいレスラーなんどと改めて感じます。
>>[59]

レイスと馬場は本当に仲がよかった印象がありますね。
しかしながら、あのNWAの2度にわたる短期移動はかえってイメージダウンでしたね。
NWAの全盛期は本当に組織がしっかりしていました。全米のプロモーターをしっかりとまとめられる組織として機能していました。
しかし、晩年はどんどんと弱体化していきましたね。

鶴田VS長州の初対決のシングルマッチは生で観戦していました。時間切れ引き分けだったと思いますがもうひとつ盛り上がりませんでしたね。

ブロディは長州の技をほとんど受けなかったのでしたか・・・

藤波は素晴らしいレスラーだと私もつくづく思います。
一度、赤坂の中華料理店で食事をしたことがあるのですが、もっといろいろ聞いてみればよかったかなと思います。
前田戦のことは聞いたのですが、かおり夫人が、「怪我は日常茶飯事ですけど、あの時の怪我は本当にひどくてかなり心配しました。確か5針くらい縫ったのよね・・・」と言っていました。
>>[60]

日プロより全日の方がNWAとの繋がりが強かったですね。
ファンクスとの提携が強力だったので身内のレイスとも懇意だったのだと覆います。
馬場が評価していたNWA王者はレイスまでで、フレアーになってからは興味を無くしている感じでした。

ブロディは長州の技をまったく受けず、試合として成立していない雰囲気でしたね。
鶴田は馬場に言われたとおり中央ででんと構えて、長州をちょこちょこ動き回らせ余裕を見せつけました。
消化不良の試合でしたが、長州の判定負けです。

藤波の流血試合、前田の大車輪キックもそうですがチャボ戦の方がより酷かったような気がします。
チャボ戦は滝のような血を流しながらコブラで勝ち、前田戦は両者ダブルKOでしたが、どちらも藤波のドクターストップ負けが妥当でした。
そうならなかったのは、チャボや前田の藤波に対する気配りのような印象を持ちました。
>>[61]

馬場の米国での信用というのはかなりのものだったようですね。MSGはじめ各地のリングでメインを務めて観客も呼べる人気があったのでしょう。米国時代に各地のプロモーターとのつながりを深めていたのでしょう。レスラー兼任やレスラーあばりのプロモーターが多かったので、馬場の実力と人気をわかっていたのだと思います。

鶴田VS長州戦は会場で観ていましたが長州にはめずらしくグラウンドの攻防が長かったですね。
ブロディは長州を毛嫌いしていたのでしょうね。

藤波VSチャボゲレロの流血試合、札幌でしたでしょうか。結婚前のかおり夫人が観戦していて新聞か雑誌に写真が載っていました。チャボにトロフィーで殴られたのでしたか・・・
チャボは確か大仁田にもトロフィーか何かで殴り掛かり大流血をおわせていたと思います。危ないですね・・・
>>[62]

当初、新日はほとんどビックネームを呼べませんでしたね。
ゴッチ・ルートは地味なレスラーばかりで、パワーズはシーク、ラッド等をブクしたり貢献しています。
WWWFとロス、フロリダ、メキシコ辺りしかパイプがありませんでしたが、WWWFとの提携で活路を広がりました。
やはりアンドレの貢献度は高く、全日がいくらNWA王者を呼んでもアンドレの方が人気も実力も遥かに上でしたからね。
ある時期から新日の方が外人レスラーも上回ってしまった感がありました。
ブッチャー引き抜きは大失敗だと思います。

ブロディは長州をミゼットと呼んで毛嫌いしていました。
藤波の方が小さいのに、藤波のことは高く評価していたようです。

藤波の大流血は、またまたきーさんの記憶違いです。
ドラゴンロケットをチャボにかわされ場外の鉄枠に激突したものです。
普通は受け止めるのですが、チャボはスルッとかわいちゃいました。
それがチャボらしいですが、あまりの大流血に気後れしたのがコブラでタップしちゃいましたね。
あの状況では、チャボが勝っていた試合だと思います。
>>[63]

新日のWWWFとの提携は大正解でした。藤波がMSGでジュニアヘビーのタイトルを奪取したのは大センセーショナルでした。ニューヨークのファンも大喝采でした。ゴッチから基礎を学び、メキシコでルチャを覚えた藤波、猪木譲り?のレスリングセンスも相まってジュニアヘビーの価値を大きく上げました。
当時、日プロ時代の佐藤昭雄がライバルであった、という話でしたので、米国修業中の佐藤もすごいレスラーなんだろうな・・・と期待していたのですが、ぱっとしなかったです。

アンドレは確かに凄かったです。全日に移籍した時にはもう、リングに上がることすら大変なほど衰えてしまっていましたが・・・

藤波の大流血はそうでしたっけ・・・大仁田の時がトロフィーで殴られての大流血でしたか・・・記憶がごちゃごちゃになっていますね。
チャボは気が強く、素顔のメキシカンとしてはかなりの強豪でした。
>>[64]

あの頃の藤波は超カッコよかったですね。
ブルース・リーを思わせるような贅肉のないマッチョな肉体はドラゴンの愛称に相応しく一連のドラゴン殺法はド肝を抜かれました。
あのままJR最強のままで終わるのの一つの道だったかも知れません。
ホッジと共にJRのレジェンドになっていたことは間違いないと思います。

アンドレの全盛期は新日マットでしたが、実はその頃から壮絶な巨人症特有の痛みと戦っていたみたいですね。
手術を拒否し、浴びる程酒を飲んで痛みを紛らわしていたそうです。
全盛期のアンドレには猪木もハンセンもボックもブロディも前田も歯が立たなかったと思います。
皆アンドレとの戦いでメジャーになりましたよね。

チャボはいいレスラーでした。
あの小さな体でロスの太陽と言われ、デストロイヤー、モラレス、マスカラスに次ぐロスの英雄でしたからね。
カーペンティアのサマーソルト・キックやサンセットフリップを華麗にこなし
ロメロスペシャルやジャーマン等の高度な技も難なく使っていましたし、ヒップアタックも元祖はチャボだと思います。
タイガーマスクの好敵手がキッドやブラックタイガーなら、藤波の場合はチャボとカネックです。
結局全日ではインタJRのプレゼンターになってしまった感があります。
マスカラスとのシングルも凡戦で、新日の時の輝きがありませんでした。
>>[65]

藤波のジュニア時代、素晴らしかったですね。
ヘビーに転向が決まった時残念に思いました。まだ体格がジュニアヘビーでしたし、もう少し待ってからでも遅くないと思っていました。やはりヘビーへの転向当初は体格差で苦戦している感じでしたね。

以前も書きましたが、衛星放送でアンドレの生涯を綴った2時間くらいのドキュメンタリー映画が放送されておりまして、そこで病気の話や痛みとの闘いの話が出てきておりました。なかなか見ごたえのある映画でしたので、再放送されるようでしたらぜひご覧ください。

後から出てきたNWA認定インターナショナルジュニアヘビー級のタイトルはかなりごたごたしましたね。新日でチャボがベルトを奪取、これがチャボから全日に移る、といったかつてないNWA認定のライバル団体同士間のタイトル移動、という予期せぬ展開になりました。
もともとのNWA世界ジュニアのタイトルは、ずっと全日で防衛戦が行われてきましたが、こちらの方が新日のタイガーマスクにわたる、といったこれまた前代未聞の出来事が起こり驚きました。
>>[66]

藤波は苦しい時期の新日を支えましたからヘビー転向の意義はありましたが、いかんせん小さいのでちょっと気の毒な感じがありました。
ヘビー転向の一つの理由はタイガーマスクの存在があったと思います。
あのフィーバーを見るとやはりJRに限界を感じたのでしょうね。
猪木は長州や天龍にシングルでフォール負けしていますが、藤波にもそうしてあげるべきだったと思います。
一度だけタッグでドラゴン・スープレックスでフォールを奪われていますが、あれは嫌々だったように聞いています。
結局藤波はヘビーに転向してからドラゴンを炸裂させたのは猪木とスーパー・ストロングマシンだけですね。
反対に前田に投げられています。

アンドレの動画は駆け足ながら見たような記憶があります。
最強且つハートのいい男だったみたいですね。
アンドレが健在なら前田戦の真実を語って貰いたかったと思います。
おそらく、ニールセンとアンドレは前田潰しを依頼されて挑んだように感じます。
それを見事に跳ね返してしまった前田はやはりあの時点では最強だったのかも知れませんね。

NWAインタJRは主流派がホッジを軸に独占だったので、反主流的なフロリダのエディ・グラハムらを中心に創立したタイトルですね。
グラハムは特に新日シンパではなく、全日ともパイプも持っていました。
それでマツダやブリスコが両団体に参戦したり、ローデスが新日の特別参加の常連になっていたのだと思います。
全日もさすがに本家のNWAJRタイトルを独占できなかったのでインタJRは格好のタイトルになったと思います。
タイガーマスクの凄い所はキッドと争ってWWF、ソントンを破ってNWAの2冠を奪ったことです。
藤波はWWFとインタJRの2冠でしたが、タイガーマスクの2冠の方が評価が高いですね。
>>[67]

藤波のヘビーへの転向、タイガーマスクの存在、そうだと思います。ジュニアの藤波も素晴らしかったですが、初代タイガーも本当に素晴らしかったです。タイガーマスクの存在がなければ、コブラだって相当すごいレスラーだったと思うのですが、タイガーの後だっただけにもうひとう盛り上がりに欠けてしまいました。

藤波は猪木に勝っていたイメージがありましたが、シングルでのフォール勝ちは無かったのですね。猪木をドラゴンスープレックスで投げたのを覚えているので、シングルでもフォール勝ちしていたように錯覚していました。ドラゴンスープレックスが禁止技にされなければ、藤波はもっと多くのトップレスラーから勝利を奪い、猪木を越えて新日のエースになっていたような気もします。しかし、腰を痛めていたので、禁止されなくても頻繁には使えなくなってしまったかもしれませんが・・・

アンドレの映画、観られていましたか・・・私も途中から観たのですが、もう一度観てみたい感動的な映画でした。

本家NWAのジュニアは主流派の全日ではなく、新日のタイガーマスクへと移っていくとは、それ以前では考えもしませんでしたのでびっくりしました。鶴田がケン・マンテルに挑戦して勝てませんでした。
ケン・マンテルはかなりの期間タイトルを守っていましたが、陥落してからは、何か2流レスラーに成り下がってしまったような感じでしたね・・・
>>[68]

初代タイガーマスクは天才でした。
彼を超えることは不可能だと思います。
ただJRというよりライト級くらいのウエイトで、そこがホッジや藤波とは違う点ですね。
ホッジや藤波はヘビー級と対峙できましたが、タイガーの場合はカネック戦のようにちょっと厳しい感じがしました。
コブラは和製マスカラスのような雰囲気でそれなりにいいレスラーでしたが、タイガーの後釜を求められるのは酷だったように思います。

鶴田のJR挑戦は、気の毒でしたね。
NWAの二大タイトルマッチということで企画されたのだと思いますが、鶴田自体がタイトル奪取する気持ちがなく、仮に取ってもすぐ返上になった気がします。
マンテルはそこそこいいレスラーだったと思いますが強豪揃いのオープン選手権では影が薄かったですね。
そして新日に移籍して第3回Wリーグに参加しましたが、この会はモラレスを筆頭に外人勢が充実していましたので扱いが悪かったです。
それと新日には全日で実績のあるレスラーを重要視しない傾向があります。
ブッチャー、ブリスコ、ワフー、マンテルなんかその例ですね。
逆のケースはマードック、ブロディくらいでしょうか。
>>[69]

タイガーマスクは確かにジュニアヘビーというよりもライトヘビーといった感じでしたね。ウルトラマンをはじめ、メキシコのライトヘビークラスの選手とも好勝負を繰り広げていました。確かにカネックにはかなり押されていた記憶があります。

コブラは、マスクマンにならず、ジョージ高野のままの方がマスクもよかったし、成功したように思います。高野弟の方も、兄とは違って体格がよかったですから、SWSに行かず新日に残っていれば、エース級になれた気がします。

鶴田はずっとヘビー級として戦っていたのに、いきなりジュニアヘビー級王座への挑戦、というのは奇異に感じました。どう見てもジュニアの体格ではなかったですし。マンテルもジュニアというよりヘビー級というイメージですね。
>>[70]

タイガーの動きはあのウエイトだからという面はあったと思いますが、それを別としても不世出のレスラーであり彼を超えることは難しいように感じます。
コブラは和製マスカラスから素顔になって、和製モラレス的な感じとなりマシンとの烈風隊で弾けかけていたのに勿体ないことをしました。
SWAは武藤が本命で、思いがけず天龍が獲得できその他はやや寄せ集めの感がありました。
WWFと提携できても盛り上がりませんでしたね。

鶴田のJR挑戦は前に述べたとおり、NWAのヘビーとJRのダブル世界戦を実現したたかったために駆り出されたに過ぎなかったのでしょうね。
マンテルは日プロに初来日時はケン・ルスクという名でルーキーでしたが、バックドロップを見せる等ポテンシャルさを感じさせました。
例の白いベルトは確かマンテルの時からだったと思いますが、私的にはあまり好きではなく、ホッジが保持していたクラシックなベルトの方が重厚感があったと思います。
マツダは二度タイトルを奪取(ホッジとマンテル)していますが、やはりホッジを破ったことが特筆されます。
ホッジが引退以後、レス・ソントンやネルソン・ロイヤルではやはり権威が下がりますね。
やはりホッジはJR版のテーズ的存在でしたから。
>>[71]

ジュニアのタイガーマスクをもう少し見続けたかったですね。UWFに突然行ってしまいましたので。UWFでも前田や藤原と好勝負を展開しましたが、ジュニアヘビーでは能力も人気も最高の時期でしたので・・・

SWSは、相撲のような部屋別制度を導入したり、衛星放送で中継したり、斬新な演出など従来のプロレスとは違ったスタイルを取り入れたり、新しい試みをしましたが盛り上がりませんでしたね。メガネスーパーの本社は私の家の近くにありましたので、2回くらい天龍を見かけました。資金力があったのにもったいなかったです。

NWAジュニアの白いベルトは私は好きでした。フリッツフォンエリックがマンテルに贈ったということで、100万円とか当時言われていました。ホッジ、マツダは素晴らしいレスラーでしたね、NWAジュニアの価値をたいそう高めたと思います。
>>[72]

佐山はタイガーマスクにうんざりしていたと思います。
梶原一騎とのトラブルでタイガーマスクが使えなくなり、フライング・タイガーと名前を変えられる前に見切りをつけたのでしょう。
UWFの創立メンバーではありませんが、途中から参加しましたね。
前田と不穏な試合をした後、UWFを離れてしまいました。

SWSはレスラーをカネで集めたような印象が強く、ファンがそっぽを向いてしまったような気がします。
そして北尾事件が起きて、完全にファンが引いてしまいました。
せっかく情熱も資力もある田中社長というスポンサーがいたのに取り巻きが悪かったですね。
ごっそりと所属レスラーを失った全日でしたが、三沢が台頭して支えました。

あの白いベルトが好きな人は結構いるようです。
斬新でしたがクラシックなベルトが好きな私には不評でした。(笑)
前にも言いましたが、NWA、WWA、インタで使われたテーズベルトが一番風格を感じさせました。
それとドリーまでが巻いた黒革のベルトが重厚でGOODでした。
ブリスコが巻いたベルト以降はキャッチボールに使われたベルトの印象が強く私はあまり好きではないですね。
ホッジがテーズから奪取したTWWAベルトは革を張り替えて小林のIWAベルトになりましたから、安直でした。
ホッジが日プロでTWWAの防衛戦をやらなかったのも無理ないです。
>>[73]

タイガーマスクのUWFへの参加は途中からでしたね、すっかり忘れていました。タイガーマスクの名前が使えなくなった・・・梶原一騎とのトラブル・・・何かありましたね・・・

SWSはもったいなかったですね。もともとは第二次UWFのスポンサーだったと思います。UWFの崩壊も残念でした。チケットを求めて発売開始日に電話をかけまくりましたが、ぜんぜんつながらなくて・・・特に後楽園はまったくだめでした。なつかしいな・・・

白いベルトは今でも現存しているのですかね・・・
NWAは実質的の消滅し、その後、ローカル団体みたいな形で残っていましたが今はどうなっているのか・・・

TWWAのベルトは、IWAのベルトに作り替えられてしまったのですか・・・
国際プロレスもいろいろなタイトルがあって、一番不思議なのは、草津が持っていた英連邦の西部だか東部だかのベルトでどこで奪取したのか防衛戦は行ったのかとか??です。
その後、新日もアジアヘビー、タッグとかよくわからないタイトルを作っては消えていきましたが・・・
猪木のNWFのベルトも違う名称で復活していたような・・・
>>[74]

梶原一騎は劇画作家としての才能は素晴らしかったですが、いろいろトラブルも起こしていますね。
ただタイガーマスクの生みの親ですからその点はやはり功労者です。
ブッチャー引き抜きにも絡んでいました。

SWSってなんかイメージが悪かったですね。
私は一度も観に行きたいとは思いませんでした。

白いベルトはマンテル以降、マツダやロイヤル、ソントン等が巻き、タイガーマスクも巻いていると思います。
ヘビー級同様にJRの王者もその後小粒になり権威が下がりました。

草津はトニー・チャールズから英国西部、ブル・デービスから英国南部を奪取しましたがローカルタイトルであり、ベルトもチープでした。
ロビンソンから大英帝国ヘビーでも奪ったのなら高く評価されたでしょうが、実力的にとても無理でしたね。
新日は北米ヘビーというのを坂口がパワーズから奪取しています。
パワーズはNWFといい北米ヘビーといいベルトのプレゼンターになっています。
NWFは封印後に復活し、高山が王座についています。
その頃の高山は帝王の異名がつく実力者で、猪木も高く評価していたようです。
なにしろあの長身でゴッチばりのべた足ジャーマンの使い手でしたからね。
NWFは中邑真輔とのIWGPダブルタイトル戦で中邑が勝ち、再び封印されています。
>>[75]

梶原一騎は素晴らしい劇作家でしたね。「巨人の星」や「あしたのジョー」ほか数々の素晴らしい作品を残してくれました。私生活ではかなりのトラブルを起こしていたようですが、この世界では素晴らしい功績を残したと思います。少年院での出来事や喧嘩のやり方など、自身が体験していたからこそあのようなリアルさが伝わったのだと思います。格闘技やスポーツの作品が多かったですが、「愛と誠」は純愛劇画としても最高でした。好きでしたね、この作品・・・

SWSはほとんど記憶に残っていません。皮肉なことに鈴木VSアポロ菅原とか北尾VSテンタなどのスキャンダルな試合だけですね・・・

草津のタイトルはそのような経緯でしたか・・・、防衛戦やったのでしょうかね・・・返上しなければヨーロッパではかってに持っていかれて迷惑だったのではないでしょうか・・・

パワーズ、なるほど、創成期の新日に大きな財産を提供したことになり、功績は大きかったですね。

NWFはそのような形で復活していたのですか、知りませんでした。高山は現在寝たきりになってしまったいるのですよね。残念です。
>>[76]

タイガーマスクはストーリー的にも素晴らしかったですね。
伊達直人は今も英雄です。
飯伏が原作の忠実なマスクをつけてタイガーマスクwになったのも記憶に新しいです。
彼は凱旋時の藤波のようなバキバキの肉体と空中殺法、そして高度至難技フェニック・スープレックスと素晴らしいレスラーだと思います。

結局金SWSは金権的な寄せ集めで、ファンの心を掴めませんでした。
天龍も崩壊後のWARの方が光っていたように感じます。
北尾はUWFインタでの高田との試合がベストバウドのような気がします。

英国西部も英国南部もローカルタイトルですから、早々に返上しています。
ロビンソンが持ってたのは欧州ヘビーでなく大英帝国ヘビーでしたね。
これは後にアルバート・ウォールが王座に就いていますが、日本でのロビンソンvsウォールは名勝負でした。
本当は第5回Wシリーズにウォール、マリガン、マル・カーク(キングコング・コジャック)がリストアップされていましたが、マリガンしか参加しませんでした。
第4回が、ロシモフ、ラシク、ジョナサン、ホフマン、ゴーディエンコと国プロ最高のメンバーが揃った後でしたので、大分質が落ちた感じがしましたね。

パワーズの方にいろいろ事情があったようですが、シンと共に2枚看板の時期が長くありましたから功労者には違いありません。
全盛期のビルドアックした肉体、目を剥いてコブラを耐える表情等魅せるものを多々持っていました。
8の字固めは確かに4の字とは違う雰囲気を感じましたね。
4の字はいろいろ使い手いますが、ロジャース、デストロイヤーは別格としてパワーズが屈指の使い手だったと思います。
ブリスコやフレアー、ニックらの4の字は正直ピンときませんでした。
動画でNWA王者になる前のフレアーを観ましたが、アグレッシブでなかなかよかったです。
両ひざに膝当てを着けておらず、ロジャース二世の雰囲気は十分ありました。
そもそも4の字の使い手は強靭な足をアピールするべきで、膝当てを着けて決めるのはナンセンスだと私は思います。
>>[77]

タイガーマスクの劇画はストーリー的にも本当によかったですね。伊達直人の生い立ちから、虎の穴、虎の穴から送られてくる不気味な覆面レスラーの刺客たち、大門との友情など。初期の頃が特によかったですけど意外と長編だったのですよね。

アルバートウオールというレスラーはほとんど記憶がありませんが、いいレスラーだったのですね。
国際プロレスのワールドシリーズは、日本人、外国人レスラーの総当たりだったのが画期的でしたね。ジョナサンが国際に来た、というのは価値がありますね。強かったです。

ジョニーパワーズ、確かに新日の創成期に猪木と戦っていた時は迫力がありましたね。セブン上司さんが言われる、一流のプロレスラーの目力がありましたね。8の字固めは何故8の字か・・・という疑問はありましたが、パワーズの迫力に納得できた部分があります。

フレアーは早くから次期NWAチャンピオン候補、と言われていました。私も当時をなんとなく覚えています。
>>[78]

タイガーマスクは続編が作られましたが、伊達直人が出ないストーリーには感情移入しませんでした。
TVアニメでのエンディングに流れる哀愁がこもった「みなし児のバラート」最高ですね。
余談ですが、私が地元の小学校に多数のカブトムシをプレゼントした際に、名前を教えてくださいと言われ、「伊達直人」といいますと答えた時は快感でした。(^-^)

アルバート・ウォールはドンカスターの岩男の異名をとるファイターでフライングヘッドバットを得意にしていました。
マスカラスのクロスアタックと違い、本当に頭から命中させますから威力抜群です。
ロビンソンとやった時ロビンソンにディフェンスされ肩を脱臼してしまし、その後もロビンソンが変形卍固めのような技で絞り上げタップを奪っています。
迫力のあるいい試合でしたが、ファンの間では脱臼している腕を絞り上げたロビンソンが残念だという意見が多く、ウォール支持者が多かったことを覚えています。
残念ながらウォールの来日は2回で終わり、ロビンソンが去った欧州でトップになっていましたので、3回目の来日が実現しなかったは残念に思います。

ジョナサンが参加した第4回Wシリーズはブロック別で争われたので、総当たり戦ではありません。
従って、ロシモフvsホフマン、ロシモフvsゴーディエンコ、ラシクvsホフマン、ジョナサンvsゴーディエンコ等は実現していないと思いますから勿体ないですね。

パワーズのパワーズロックは私には8の字に見えました。
そして自ら裏返しになって締め上げますね。
ここが4の字とは違うところで、エイトロックと呼んでもいいような気がしました。
大物外人が呼べなかった時期、パワーズの参加は大歓迎でしたよね。
何しろ東プロからの因縁があり、帰国後ポストNWA王者に一番近い男とブレークしていましたから猪木の格好のライバルだったと思います。
途中から扱いが悪くなったのが気の毒でした。
>>[79]

伊達直人と名乗られた時の子供たちの反応はどうだったのでしょうか?
今の子供たちは伊達直人がわかるのでしょうか、興味深いです。(^^)

頭から飛んでくるフライングヘッドバットというのは驚きですね。まともに食らったらかなり危険な技ではないでしょうか・・・
失敗しても危険そうですね、そして肩を脱臼してしまったのですか・・・そこをロビンソンが攻撃したら、普段はクリーンファイターのロビンソンのイメージですから、反則ではなくてもちょっと衝撃的なシーンが想像されます・・・

ジョナサン参加時のワールドシリーズはブロック制でしたか・・・国際のシリーズは対戦方式が良くも悪くも変わるので・・・反則も何かイエローカード3枚で反則負け、とかレフェリーが笛を吹いたり、とか独自のルールがありましたね。

パワーズはNWA王者候補でしたか・・・強い時のパワーズなら務まったと思います。4の字固めはひっくり返るとかけたほうがダメージがあるのに、パワーズの8の字固めは、ひっくりかえっても威力を発揮し続ける、というのは確かに画期的でした・・・
晩年の扱いは確かにひどかったですね。最後の来日がまさしく国際プロレスだったでしょうか・・・この時の印象はほとんど無いですね・・・
>>[80]

コロナで休校の時だったようで子供たちはいませんでした。
まるで女子大生のような若い先生が結構多くいて、凄い〜!って喜んでくれてその中でも素敵な女性から虫の先生になってくださいなんて言われました。
名前を告げずに「伊達直人」と名乗ったのにその若い女性の先生に名刺を渡したい衝動に駆られました。(大笑)

ウォールのヘッドバットはダイナミックでは初来日時にファンの心を掴みました。
そしてロビンソンが日本に長期滞在した時にウォールとやられせたら面白いとファンが思っていた矢先に2度目の来日が実現したのはタイムリーでした。
期待に違わず好勝負になり、ロビンソンが過酷な攻撃を加えたのも手強いと感じたからだと思います。
ロビンソンは国プロ時代に、他にもゴーディエンコ、メイビア、リーガンらと
好勝負と残していますね。
ゴッチとはゴッチが技を受けないので消化不良、ロシモフにはダブルアームを仕掛けましたが逆にリバースで切り返されたりで苦戦していました。
ホフマン戦が実現しなかったのは残念ですが、やったら多分ロビンソンが勝ったと思います。
ガニア戦はガニアに翻弄された感じがありました。
国プロ最後の来日でしたが、ダブルアームは既に威力を無くしていてイマイチの印象でしたが、新日であんなに強さを印象付けたのは意外でしたね。

パワーズの8の字は4の字の倍威力があるという意味だけでなく、かかった時が形が確かに8の字に見えました。
4の字はひっくり返ったらかけた方がダメージがあるという定説を覆したところは評価できると思います。
パワーズは一時格闘技ファイターに転向してだいぶウエイトを落としましたね。
これは失敗で、本来の凄みが失われてしまいました。
最後の来日はMSGタッグで、オックス・ベーカーがパートナーでしたが、あまりにもショッパイ試合をするということで二人とも強制帰国させられています。
ちょっと気の毒の処置で、本来タッグリーグはマスクド・スーパースターとのタッグだったのがベーカーに代わったのですが、スーパースターがパートナーだったら違っていたように思います。
>>[81]

そうでしたか・・・伊達直人のカブトムシのプレゼントは恒例となりそうですね。(^^)

当時の日本マットは日本人対外国人の構図でいたので、ロビンソンが日本側にに加わったことは画期的なことでしたね。それによってハイレベルな外国人同士の試合が実現し、プロレスファンにも大好評となったと思います。それまでひとり勝ちの日本プロレスもさすがに危機感を持ったのではないでしょうか。競争が生まれたことは日本マットにとってよかったと思います。吉原さんはアイデアマンですね。

パワーズの最後の来日は新日でMSGタッグリーグだったのですね。強制帰国、ってありなのでしょうかね・・・契約はどうなっていたのか・・・
>>[82]

あはははは〜 カブトムシの累代はこれ1回のつもりでしたので、次回はありません。
最初から本名にすれば良かったと、凄く後悔しています。(^-^)

ロビンソンの場合は鼻持ちならない面が多々あり、外人レスラーから浮いていた感じでしたね。
初来日時もそうでしたし、再来日の第1回Wシリーズではメイビアと私闘を演じて目がブラックアイの時がありました。
メイビアはストリートマッチでは無敗と言われていましたからね。
第3回Wシリーズの際も他の外人レスラが皆ゴッチ支持をし、ロビンゾンは孤立していたように聞いています。
この辺りはマスカラス以上ですね。

強制帰国はパワーズもベーカーも受け入れたみたいです。
成績も振るいませんでしたしね。
全然シチュエーションは違いますが、藤波のドラコン・スープレックスで負傷したマンド・ゲレロともう一人が途中帰国したことがありましたが、あれはドラゴン・スープレックスの威力を強調するためのアングルだったようです。
二人とも首にギブスを着けて帰国しましたが、試合ができないような状況ではなくフルに参加したファイトマネーを貰って帰国したと聞いています。
まあ当時としては危険な技ですし、かけた方もダメージがある技ですから新日サイドが封印したのかも知れません。
>>[83]

もし幼稚園で先生に名刺を渡されていたら、きっと来年、「今年はいつ持ってきてくださるのですか?」と電話がかかってきてしまうと思います。(^^)

ロビンソンは外国人レスラーの中で浮いていても、袋叩きにされたりしなかったのは、やはり喧嘩も強かったということでしょうね。そしてメンタルも強かったのですね。

ドラゴンスープレックスの禁止は永遠の謎ですね・・・
以前もお話したかもしれませんが、藤波さんと食事をした後、二人だけになった時に聞いてみたことがあるのです。
「ドラゴンスープレックスは危険な技ということで、WWFから禁止されてしまったのですね?」と尋ねましたところ、「あれはですね、実はテレビ局から危険だということで禁止されたのですよ」と答えておりました。
あのマンドゲレロがドラゴンスープレックスでフォールをされて、喉に舌を巻きこみ、山本小鉄がリングにかけあがり、舌をかきだしたシーンがアングルとすれば、それを理解していないテレビ局側が、あまりにショッキングなシーンなので禁止させた、あるいはスポンサーからの圧力がかかったとか、視聴者からクレームがたくさん入った、とかあったのかも、と想像します。
あるいは、仰るように、首や腰に負担がかかるため、新日があのような形で封印したのかもしれません。一大必殺技ですから、普通に封印ではファンは納得しないので、「WWFからの通達」とし、古館アナがテレビでアナウンスしたのかもしれません。昭和プロレスの謎ですね。
>>[84]

その先生から名刺を貰っていたことを思い出しました。
もっと早くそのことに気が付がついていれば〜(笑)

ロビンソンとメイビアはそんなこともあって、盛り上がりました。
リーグ戦でロビンソンに唯一黒星を付けたのがメイビアで、その後の欧州ヘビー戦ではあの究極の最後まで腕のロックを外さないダブルアームが炸裂しました。
あれはアングルではなくリアルだったと思います。
メイビアはロビンソンにだけは優勝させないと闘志を燃やしていました。
ストリーファイトではメイビアの圧勝、プロレスの試合ではロビンソンの完勝でどちらも評価が上がりました。

藤波本人から聞いた話というのは貴重ですね。
ただその説明はイマイチ納得がいかない思いがします。
あの前田でさえどうやって投げるんだと驚愕した高度至難技で、藤波のアイデンティティでしたからね。
超過激を売り物にした新日らしくない感じです。
時代は変わり、もっと高度化したフェニックス・スープレックスがすっぽ抜けてヒロムが首の骨を折ってしまいました。
話はそれますが、私が一番危険だと思ったのはスコット・スタイナーのSSD(スタイナース・スクリュードライバー)です。



>>[85]

メイビアとロビンソンの試合は小学生の頃だったと思いますが少しだけ記憶があります。メイビアはこの時が全盛時だったのでしょうか、強かったのですね。そしてロビンソンも・・・強豪同士が全盛時にぶつかったリーグ戦、すごい試合だったのだと思います。外国人同士でも盛り上がったでしょうね。

藤波さんが語られたのは、一般の人間には話せないこともあると思いますので、全くの真実かどうかわかりませんが、あの物静かな口調ではっきりと説明されておりました。人気絶頂の新日であっても、やはり、多額の放映権料をいただいているテレビ局やスポンサーの要望というのはかなり強いものがあったのかもしれません。

スタイナー兄弟のフランケンシュタイナーは技のスピードが速く、いったいどうなっているのかよくわからないほどでした。仰る危険技を私も観ていたと思うのですが、この流れの技は本当に危険で私自身、感覚的に麻痺してしまっていたかもしれません。実際に高橋ヒロムが首の骨を折ってしまう事故があったとのこと、頭部を激しく攻める技は怖いです。
>>[86]

ロビンソンとメイビアの私闘は食事の時にメイビアが手掴みで食べていたのをロビンソンが下品だとクレームをつけたことによります。
ゴーディンエンコはカルチャーが違うのだからと大人の対応をしましたが、自自意識の強いロビンソンが我慢がならなかったようです。
メイビアに殴られたロビンソンはブラックアイになっていました。
メイビアは帰国が大ブレークしてWWFのトップの一角になりましたが、腰に入れた凄いタトウで健康を害してしまったようですね。
新日に来た時も精彩がありませんでした。
今をときめくロックの祖父にあたり、ロックも肩にメイビアと似たタトウを最近入れましたね。

スタイナー兄弟は素晴らしいレスラーで、特にスコットはWCW王者に相応しい実力者でした。
怪力と強靭な腰のバネを使っての多彩な技は素晴らしかったです。
ところが後年グラハム二世のようなマッチョマンスタイルのレスラーに変貌してしまいました。
風貌もまるで変り違和感がありましたが、スクリュー・ドライバーは健在でしたね。

最近のプロレスの頭部から落とす技は規制した方がいいように感じます。
技が高度になったことは認めるのですが、誰もが同じ技を使い、交互に殴り合ってタフさを競うなど見ててうんざりしますね。
違いに技をかけあって2.9秒で跳ね返し合うより、強いレスラーが相手をボコボコして実力を誇示するような試合があっていいと思います。
>>[87]

ロビンソンは、英米以外では、食事を手で食べるのが当たり前であることを理解していなかったのでしょうかね。フランスでも鶏とか食べるときには手で食べてフィンガーボールを使うのは決してマナー違反ではなかったはずですが、英国では全く手で食べる習慣がなかったのかもしれません。それにしても、注意されたからといって、リング外で殴り掛かるメイビアが一番悪いわけですが・・・、普段から、ロビンソンに対して悪く思っていたのでしょうね。
メイビアは新日に来た時、あまりよくなかったので、私にはその時の印象が多く残っています。入れ墨で黴菌が入ってしまったのでしょうか、怖いですね。

スタイナー兄弟はスピードもあり、日本人レスラーともスピーディな好勝負を繰り広げていました。その後、米国でも大成功したのですね・・・この頃の試合は残念ながらあまり観ていないです。

最近の頭から落ちる技の乱発は私も賛成できませんね。何度も頭から落ちる技を受けても立ち上がり、攻防が逆転して相手がまた乱発、もう決まったかと思うとぎりぎりで返して、という攻防はスリリングには見えますが、危険ですし、毎回ですとマンネリになってきますし、それを打破しようとするとさなにエスカレートしてとても危険と思います。
>>[88]

そもそもメイビアの故郷のサモアではホークやナイフを使うカルチャーがないのかも知れませんね。
そしてロビンソンのあの気障な態度が癇に障ったのではないかと思います。
私はロビンソンの方にやや非があったような印象を持ちますね。
メイビアは早逝してしまいましたので、やはりあのタトウが影響しているような気がします。
山本キッドも凄いタトウでしたよね。
ダイナマイト・キッドも晩年にタトウを入れていてちょっとガッカリでした。
個人的にタトウが入ったレスラーはあまり好きでありません。
例外としてバンバン・ビガロの頭部のタトウはカッコいいと思いました。

頭部から落とす技の連発はよくありませんね。
最近のファンは1発で決まることをよしとしない傾向があり、これがネックなような気がします。
完成度の高い技で1発で決める〜或いはギブアップを奪う〜そういう展開に戻すべきだと思います。
>>[89]

インドネシア、インド、スリランカなどでは、右手で食事をしますね、サモアもそうなのかもしれませんね。

そういえば昔「入れ墨は身体に悪い」と祖母がよく言っていました。メイビアもその関連で体調を崩してしまったのでしょうか、残念です。
山本キッドもずいぶん早く亡くなってしまいましたね、やはり関連があるのでしょうか。

頭部から落とす技の連発は怖いです。最近のマットはかなり柔らかくなっているのではないでしょうかね。昔の日本プロレスのマットと比較すると相当違うのではないでしょうか。
ローランボックの欧州での興業の時に「固いマットで受け身のとれない技を使う・・・」という猪木の発言を思い出します。
また、藤波VS木村健吾の試合が、何か、板敷きのマットで特別に行われたことがありましたね。
まあいくらマットが改良されたとしても頭部を続けて打ち付ける技は危険です。
また、仰るように、一発で決める技というのもあっていいと思いますね。この傾向は、3本勝負の廃止によることがひとつの要因のようにも考えます。3本勝負でもちろん2−0もありましたが、お互いに1本づつ取り合って、決勝の3本目、というのが昔のセミファイナルやメインでしたので・・・
>>[90]

外人はタトウに関しては柔軟な考えのようですね。
目立つタトウが入ったレイスがNWA王者になるとは思いませんでした。
ただ日本でトップを取った外人レスラーはブッッチャーもシンも、ハンセン、ブロディ、ファンクス、マスカラス、ロビンソン、デストロイヤーらもタトウとは無縁でした。

話は変わりますが、アンドレvsブロディのカードは米マットで9回行われているようですね。
アンドレの5勝4引き分けらしいですが、すべて反則勝ちです。
反則勝ちの一つにブロディが片手のゴリラスラムでアンドレを投げ、ロープ最上段からのキングコングニーでKOしたとされていますが、事実ではないような気がします。
WWF〜初来日時のキングコンゴ的なブロディならアンドレを投げられかもしれませんが、体重を大幅に落としてからのブロディでは無理だと思います。
アンドレをボディスラムで投げたとするレスラーの中で、ボックとブロディはちょっとペンディングですね。
ただブロディが日本でのアンドレ戦をボイコットしたのは逃げたのではなく、新日に参加する気持ちがなかったためだと思います。
あのプライドの高いブロディがアンドレや前田から逃げる訳がありません。

前田が鶴田とブロディとは戦いたかったと言っていましたね。
また小川vs橋本を生で観戦したいたら、小川とやってやるという気持ちになっただろうと話していました。
猪木とはやらなくてよかったと思っているようです。
前田曰く、猪木は只者でないのでどっちが勝ったか分からないし、それ以上に試合が成立しなかった気がするそうです。
それを聞いて前田のことが、より好きになりました。
>>[91]

確かにタトウは外国人には一般的ですね。最近は日本でも若者は結構いれている人もいますね。言われる通り日本でトップになった外国人にはタトウを入れているレスラーは確かに少ないですね。

ブロディとアンドレの対戦成績はそのような結果でしたか。ブロディ、アンドレに一度もフォール負けしていない、とはさすがですね。オーバーザトップロープは米国では反則負けになりますので、この形だったのですね。
ブロディは痩せてきていましたか・・・何か病気だったのでしょうかね・・・
プエリトリコで刺された時も、何か病気があって刺されてすぐに亡くなってしまった・・・とかあったのでしょうか・・・
あの事件は本当にショックでした。私の知り合いの女性は、熱心なブロディファンでプロレスファンでしたが、あの事件以来、ショックでプロレスが嫌いになり、しばらくいっさい観なくなった、と言っていました。

前田VS鶴田は本当に実現して欲しかったですね。大型同士でかなり迫力のある試合になったでしょうね。鶴田の新しい一面が観られたかもしれずぜひ実現して欲しかったですね。実際、前田の全日入りの話もあったようですし・・・残念です。

前田VS小川が実現していたら、これもかなり壮絶な試合になるか、こちらも試合として成立しなかった可能性もありますね。

猪木は只者でない・・・
前田らしい表現ですね。
実現寸前まで行っていましたが、確かにやらなくてよかったのかもしれません。ピークを過ぎた猪木でしたので、多くの人が前田が勝つと思っていたと思いますが・・・

新日に残っていてUWFが出来なければ、猪木から前田へのエース交代もあったかもです。

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