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神社仏閣研究会コミュの金閣寺と足利義満の野望

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金閣寺を建てた足利義満は実子の義嗣を天皇にしようとしていたふしがある。
義満は応永13年(1406)に、自分の2番目の妻である日野康子を後小松天皇の准母(じゅんぼ:天皇の母の代わり)とし、義満の参内や寺社への参詣にあたっては、天皇の父である上皇と同様の礼遇を求めるなど自ら准太上天皇*(じゅんたじょうてんのう)として振舞い、義嗣(父:義満、母:日野康子)を天皇の御猶子(ごゆうし)つまり名目上の天皇の子供として「若宮」と呼ばせていた。(*太上天皇:皇位を後継者に譲った天皇)
応永15年(1408) 3月に北山第へ後小松天皇が行幸したが、義満の座る畳には天皇や院の座る畳にしか用いられない繧繝縁(うんげんべり)が用いられた。
しかし宮中で行われた義嗣の元服式の3日後に義満は病に伏し10日後に死亡している。これは偶然なのか。

金閣寺と足利義満の歴史を振り返ってみました。
良かったら覗いて見てください。

http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/151/

コメント(5)

ネタもとは、数年前のTVバラエティのものですね
井沢元彦さんの 「天皇になろうとした将軍」 という書籍に義満の行動、死因の謎など詳しく論述されています。
金閣寺の構造の不思議など かなり面白いです。
お奉行さま、西向く侍さまコメントありがとうございます。

テレビはスポーツ以外はほとんど見ていませんが、義満の話は様々な人が論じていますね。
井沢さんの「天皇になろうとした将軍」は未読です。「金閣寺の構造の不思議」など是非読んでみたいです。
> しばやんさん
かなり面白いので ご一読お勧めしますよクローバー小学館から出ています。
三層のそれぞれの造りの意味や鳳凰の謎、足利義満の死因など 井沢さんの鋭い切り口で アッという間に読めてしまいますよわーい(嬉しい顔)
 義満の皇位簒奪計画を最初に論じた今谷明先生の『室町の王権―足利義満の王権簒奪計画』中公新書、1990年)も御覧になる事をお勧めします。

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