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◆カフカを極める◆コミュの短編「掟の門」についての解釈は?

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私は物事や宇宙の真理を求めすぎると

それに命や時間を掛けすぎてしまって

無駄に時間を過ごして死ぬ..

みたいな解釈をしたんですが皆さんどうでしょう??

コメント(12)


自分の知識、決まり事に捕われすぎて
回りが見えない。

可能性は広がっていたのに。

って感じですかね?

あなた自身が掟になれるし、誰もが掟を求めているというのに、何故、

どこの誰が、どのように定めたとも知らない掟に臆して、人生を棒に振ろうとするのか?
掟が複雑なところは自分のものであると同時に、他者のものでもある「かのように」みえるというところにあるのではないかと思います。「法」の可塑性が見失われたところではこの「かのように」が見えにくい。しかし、たとえ「かのように」がみえたところで、それを簡単に相対化出来るわけではない。なぜなら、みずからもその掟(法)と骨がらみになっているからですね。
門番が言うのはもっともなことだけれど、そうできる人はいない(?)かもしれません。私たちが「ああそうか〜すればよかったのか」と言うふうに言語で考え納得した気になることは可能ですが、その当の言語も法に縛られてるわけですからね。甘く見ちゃ行けない。アポリアを問題にしたということでしょうか。
当然のことですが、カフカは『審判』でこの部分の議論を説教師とするわけですね。
『審判』読んでないもぐりですが出しゃばってみます。

確かに門を通らなかった結果が表れています。
それ故、掟を守ったためのバットエンドという解釈が多くなり、掟を守ることのデメリットが話題に上がるのが常。

ただ、逆に門を通っても楽しい結末があるとは限らない話です。
門番が嘘を言う理由はないですから、彼が無理矢理通ろうとしたら殴り殺されていた、というお話になったかも知れませんね。
この場合、掟を守らなかった故のバットエンドとして解釈されて、「掟は守るもんだ」と言うのかも知れません。

確かに、掟が掟故、掟を守る人がいれば掟は振り回されて当然でもある気がしなくもない。
ただ、それにすら気がつけない場合は、ただ座って死を待つだけ。

実際はどちらでもなく、そうやって死んでいく結果だけが淡々と描かれた文章です。

余談、それが正しくない、とも言えないところが怖い話です。
実際、門を通って、私たちは何をしたいんでしょうか。
門の前で死ぬことと一体何の違いがあるのか、自分は答えられません。
 はじめまして。
 さっそくこの問題ですか。
 掟の門の向こう側に男は行きたいのなら
 さっさと行くべきだったのかもしれない。
 門番さえいなければとっとと行けたのか。
 死ぬ間際にあなたのためだけに用意された
 門だったっていうオチも、男がしなければ
 ならなかった試練を越えなかったという風
 にもとれます。
 男にとっての掟は門番に取って代わられて
 彼が許可してくれるまで待つという行為に
 すりかえられてしまってますよね。
 結果を求める手段がズレてるというか。
 人の一生も目的に向かってまっしぐらが
 いるかと思えば、求めようとしているのだけれど
 一向に到達しないそんな一生を想像してしまいました。
 この男を哀れに思うかどうかは別にして、
 似たような状況にあるんじゃないかと苦笑させられます。
 カフカ自身はというと、この物語を書いたことで
 結婚しないで二の足踏んでる姿にとられて当てこすり
 されていたようです。
 シニカルな物語です。
カフカの小説を読む際に「もし〜であれば」という条件法を使っていいのかどうかは考えないといけないと私は思います。そのような想像を確かに惹起しますが、そうは書かなかったことをむしろ踏まえないといけないのではないでしょうか。カフカはそうできなかった男を確かに書いているからです。そうできなかった男のことをもっと考えていかないと、読んでいかないと、幾らでも「もし〜」を付けていけば語れることになってしまいます。「そうはできなかった男」が提示する問題は?
>カフカはそうできなかった男を確かに書いているからです。
んー確かにそうです。ちなみにその場合、自分の感想は>>2とかぶります。
ただ、描写に現実感があるので、そうなってしまう人間をただ書いたようにも見えてしまいました。カフカが、そういう世界に住んでいた。それを、ただ描いた。って根拠もなく思ってしまったんですね。
つまり、特に伝えたいことや教訓でも悲しみでも皮肉でもなく、ただそんな死がここに一つあった。なんでだろう。これは門に例えて、これは番人にして…
と、いうような、そんな静かなものに見えたんです。
ある、死の一つ、というような。
…冷静な解釈と言うより感想で、ちょっと情緒に寄りすぎてしまいました。
詫び。
カフカは「門」で、

ただ人間の中には各々に掟があって、その掟に囚われない人間はいない。
そして誰もがこの世界でもがくように生き、そしてある種の徒労という結果だけを残して死んでいく。
この門を通りたがった人間は一つの人間の様子として捉えるよりは、人間の一つの本質を描こうとした、と考えてしまいます。
決して現実的、教訓的意味を付与させるほど積極的アプローチではなく「これが人間である」という点のみに納得させられてしまう圧倒的な主張が見れるものであるとか思っています。

人間は逃げられないし、勝ち残れない。それは価値の多様性と人間の想像力ゆえに。

という風に思ってます。言葉にするのは難しいですね。普段話さないことなので、聞くのはとても面白いです。
『審判』の僧は、『掟の門』へのKの解釈に対して「書物は不変であって、いろいろな意見などはしばしばそれに対する絶望の表現に過ぎないのだ」と云います。
カフカは小説を、まるで天から降ってきものを書きとめたように記したのだと思います。真実はカフカしか知らない、とコミュのホームにありますが、私はこれは違うと思います。カフカは謎々をつくった訳ではない。真実はカフカも知らないのです。少なくとも正解はない。
では『審判』における僧の発言が正しいか、といえばそうではない訳で、なにせ彼はポルノ本でもって裁判を行う裁判所の人間なのですから。解釈を拒む宗教テキストは原理主義への最短距離です(解釈を拒むものが美しい、と小林秀雄は云いましたね)。
私の気に入っている解釈は、門番は最後に嘘を云った、というものです。

私の気に入っている解釈は、門番は最後に嘘を云った、というものです。

寒山拾得さんの賛同される解釈はたいへんおもしろいものだと思います。
しかし、もう一度言い直すとするなら
「門番は最後に嘘を云った」ではなく、
「門番は常に最後に嘘を云うし、このときもいつものように嘘を云った」ではないかと思いました。「かのように」が「真実」に見えてしまうことが
『審判』の主人公を追い込み、『掟の前で』の主人公を追い込み
テキストの読み手を追い込むのではないでしょうか。
『法とフィクション』(来栖三郎)という書物が、その辺のことをめぐって書いています。
「掟の門」は門をくぐろうとする男の
話というよりは、門を守ろうとする門番の話という解釈があります。門番そのものは「掟の門」の中身をほとんど知らないにもかかわらず、たった一人の男を通すのも許さないという。現在でもありますね。無実の罪の被告に対し必死に有罪を立証しようとする裁判事例は。「審判」はそんな不条理を描いているんだと思います。

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