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栄養哲学コミュの『栄養哲学』

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そもそも論として、この話は一番初めに書くべきでした。ここで改めて「栄養哲学」と名付けたこの考え方の意味するものをお話ししたいと思います。

今、世の中は混沌としています。
たくさんの情報が無償で溢れかえり、あらゆる事実が対立し、科学の言わんとすることは、事実かどうかもわからないいわゆる都市伝説的なものに成り下がっています。
これだけたくさんのジャンルが確立し、徐々にではありつつもマイノリティが個性と見られ始めた世の中では、誰もが正しいと信じていることがらさえも、ただ大勢の信者がいるということにしかならないのではないかという疑念すら抱いてしまいます。
いったい真実とは何なのか。
誰もが好きな色、誰もが好きな風景、誰もが信じることは我々の心の中、人間の生きる世界には果たして本当にあるのでしょうか。
また、この構図は世間一般に当てはまるばかりか、それぞれ細分化された各分野ごとの小さな世界でも同様に起こります。
私たち栄養士を職とする者が携わる、「食」の世界にも確実にこの混沌を見たことが、「栄養哲学」の全ての始まりでした。

かつて戦後の食糧難の時代、人々の栄養失調を改善することを業とした栄養士を始めとする多くの人々。しかし、その人々の役割は近年激変しました。
栄養失調に代わり栄養過剰が問題となり、その対応に追われることになったのです。それに応じて、栄養士の役割も細分化されました。病気患者、高齢者、成人、子供らの栄養管理に当たる者と、食環境の整備、病気のいわゆる一次予防と呼ばれるものに当たる者。つまり、医療、保健、福祉においてその棲み分けがなされたのですが、そのどれにおいても共通する、バックボーンとなる言葉があるのです。それは、「健康」という言葉です。

全ての栄養士は人間が「健康」に生きるということを根とし、その「健康」というものに「食」を通してアプローチをかけていきます。
しかし、足りないものを補うという形から多すぎるものを抑えるという栄養士の役割の変化に伴い、この「健康」というものの捉え方が大いに問題になってきました。
つまり、自由であったはずの人間の生活の仕方への介入を余儀なくされたのです。「健康のためなら死んでもいい」というような矛盾した健康意識すら生まれたこの介入は、病気にならないようにという健康の一要素がその全てであるかのように取りざたされ、逆にその人々の選択肢を狭める一つの思想となっています。
そして、あれが良い、これが悪いといった一思想と一思想の言い争いの中で、情報は錯乱し、またそこにつけ込み、人間の「食べる」ということさえ銭金にすげ替えられてしまうようなこの日本国において、「食」の分野は大変な混乱を招いています。

この混沌の中で、栄養士をとりまく環境はとても危険な状況にあるように感じてなりません。「健康」「食育」といった言葉がそれに附する個人や団体の立場や力を示すためのものとして、一般化されつつあります。さらには、特定健診・保健指導に見られる社会制度も受けて、どうにかこの世から不健康を閉め出し、そこに自分たちの存在意義を見出そうという流れがやって来つつあります。何かを強く肯定することは、その反対の何かを強く否定することにつながります。具体的には、病気じゃない、あるいは病気になりにくいということが強く肯定され出したがために、病気であること、病気にかかることが否定されがちな印象が生まれてきたのです。

健康づくりとは何かを良いとしその反対の何かを悪しとすることで、良いとされたものを受け入れ、悪いとされたものを排除することではないはずです。そのように、いわゆる理想と現実が相対するあまりその溝が埋まらなくなってきているのが、現代日本の現状ではないでしょうか。

その理想を実現するために実に多くの栄養士、食生活改善推進員、各種ボランティアらの人々が地道な活動を続けるにも関わらず、世の現実は容赦なくその理想に立ちはだかります。もはや現実の壁をいかにして打ち砕くかどうか、理想と現実の対立像が如実に浮かび上がって見えるのです。
しかし、その対立そもそもがおかしなことではないでしょうか。理想が良く、現実が悪いというのは適切なのでしょうか。そしてその理想とはいったい誰の描くものなのでしょうか。「健康」とは人それぞれちがうものです。その人それぞれちがうものに対してどういう接し方をして、どうやってそれを高めていけばいいのでしょうか。それは理想と現実の対立からは決して生まれるものではありません。

何も生まれない対立などしている場合ではないのです。大事なのは理想か現実かということではなく、真実を探り当てようとすることなのです。そもそも「健康」とはなんであるのか。なぜ人は「食べる」のか。さらには、「食べて健康になる」とはどういうことなのか。そこから生まれる「幸せ」は、人間の「生きる」にどうつながっていくのか。
今こそ栄養士ら「健康」という言葉に携わる者達はそういったことを深く見つめ直し、しっかりと根本から捉えていく必要があるのではないでしょうか。

栄養士の世界は、単一の考えが力を持ち、それに染まりすぎています。このままではファシズムと化す、いや、もはやそういう側面も備わってしまったと言っても過言ではないかもしれません。
今こそ真実を探り当て、真実を語る必要があるのです。

「本当のことが知りたい。」
それが必ずや今の日本の栄養士を後押しします。

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