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師匠 シリーズ コミュの墓

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暑い。
我慢ができなくなり、上着を脱いで腰に結んだ。
一息ついて山道を振り返る。
林道が何度も折れ曲がりながら山裾へ伸びている。
下の方にさっき降りたバス停が見えるかと思ったけれど、背の高いスギ林に隠されてしまっていた。
右手に握り締めた紙が汗で柔らかくしなっているのがわかる。
街を出るときは今日は冷えそうだと思ってそれなりの服装をしてきたのに、思いのほか強い日差しと山道の傾斜が日ごろ運動不足の身体を火照らせていった。

「よし」

たった一人だ。
誰に咎められるわけでもないけれど、早く先へ進もうと思った。
足を踏み出す。
そのとき、遥か高い空から一筋の水滴が頬に落ちてきた。
ハッとする。
山の天気は変わりやすいというけれど、見上げる彼方にはただの1つの雲もない。
風を切る鳥の翼も見えない。
指で頬を拭う。
大気中の水分が、様々な物理現象の偶然を通り抜けて結晶し、落ちてきたのだろう。
ふいに、そうして立ち止まって空を見ている自分を、もう一人の自分が離れた場所から見ているような感覚に襲われた。
このごろはそういう、自分で自分を客観的に見てしまうのを止められないということがたまにあった。
本で調べたことがあったが、離人症という病気の症状に近いようだった。
そら。
首を捻るぞ。
不思議だな。
そう思う。
そうしてまた歩き出すだろう。
ちょっと不思議でも、しょせんただの雨粒なのだから。
そんなことより、わざわざこんな山の中までバスを乗り継いできたんだ。
早く進もう。
どうしたんだ。
立ち止まったまま。
そんな取るに足りない出来事に、なぜ心を奪われる?
無意味だよ。
考えたって、きっと意味なんてない。
それでも君は待っている。
誰かが静かな声で問いかけるのを。

「・・・って、知ってるか」

そして日常のすぐ隣にある奇妙な世界を覗かせてくれるのを。
目に映っているのに、そんな場所にあるなんて思いもしなかったドアを開けてくれるのを。
けれど知っている。
今はそれも無意味だと。
さあ先に進もう。
いくら待っていても、その人はドアの向こうに消えてしまったのだから。


大学3回生の冬だった。
オカルト道の師匠がいなくなってから、ようやくそのことを自分の中で整理をすることができるようになり始めたころ。
俺は師匠のことを知る、ある人物から1枚の地図を手渡された。
市販のものではない。
半紙に手書きされたものだ。

「一度行ってみるといい」

他に客のいない喫茶店は、自分の知らない過去の匂いがして居心地が悪かった。

「なんですかこれ」

目立つ矢印のついた地図に目を落としながら訊いた俺に、彼はよれたネクタイの先をいじりながら言った。

「墓だ」

彼岸は過ぎちまったけどな。
彼はそう言ってカウンターのマスターに向き直るとジェスチャーで水を頼んだ。
誰の、とは訊かなかった。
すぐにわかってしまったからだ。
加奈子さんという、師匠のそのまた師匠にあたる人だ。
俺は師匠や他の人から彼女にまつわる様々な話を聞くにつれ、まるで古くからの知人のような親近感を抱いていたのだが、よく考えると彼女の写真一枚見たことがないのだ。
人となりを知った気になっても、俺の中にいる彼女は輪郭だけの存在だった。
お墓があるなんて思いもしなかった。
もっと非現実的な遥か遠くへ消えてしまったような気がしていた。

「行ってみますよ」

そう言って頭を下げた。


風は乾いている。
もう雨粒一つ落ちてきそうにない空の下をようやく歩き始めた。
地図をもう一度広げる。
目指す場所はもう少し山の上の方のようだ。
登り続けると、やがて道路の舗装がなくなり、轍の抉れた悪路になった。
途中、前から軽トラがやってきたので、山側にへばりついて避けたのだが、その軽トラは片方のタイヤを中央の盛り上がった部分の端に引っ掛けるようにして走っていった。
車体が斜めに傾いて不安定な格好に見えたので不思議に思ったが、よく考えてみると抉れた2本の轍にタイヤを合わせれば、真ん中の抉れていない部分で車体の腹を擦るのだ。
なるほど。
これも土地柄と、そこで暮らす知恵か。
俺はその道の盛り上がった真ん中に乗っかって歩いた。
崖側には向こうの山の中腹に広がる段々畑が見える。
紅葉の季節は終わったけれど、空気は澄んでいて、心地よい山あいの風景が遠くまで見渡せる。
もう少しすれば雪が木々を化粧するだろう。
汗を滴らせながら歩き続けると、わかれ道になっているところに出た。
片方に、名所になっている滝があるという控えめな看板がある。
ナントカの滝。
読めない字だった。
地図の通りだ。
滝がない方の道を選ばなくてはならない。
それが少し残念だった。
遠くで山鳩の声がする。
水筒で喉を潤しながら歩き続けてようやくそこに辿り着いた。
山の斜面を登ったところに立っている、ささやかな墓石。
見晴らしのよい場所だ。
眼下には麓の集落と、そこを割って流れる川が細い身体をくねらせる蛇のような姿を湛えている。
俺は木の根っこを手すり代わりにしながらなんとかそこへ登ると

「はじめまして」

と言った。
応えるように気持ちの良い風が吹き抜ける。

「よいところですね」

狭い足場にただ1つひっそりと佇む苔の生えた石。
その両脇には花を供える竹筒があり、枯れたしきびが顔を覗かせていた。
師匠もここへお参りすることがあっただろうか。
黒ずんだお供え物の跡を見ながらふとそう思った。
背負ってきたリュックサックを下ろし、線香を取り出す。
マッチを擦って火をつけ、すぐに手を振って消す。
そしてそれを持って墓石に近付いたとき、俺はハッとして立ち止まった。
え?
なんだこれは。
すぐには気付かなかったが、予想だにしなかったものがそこにあった。
その意味が脳に染み込むまで墓石を凝視する。
だんだんと心臓の拍動が早くなってくる。
え?え?え?
記憶のカギが音を立てる。
半ば見落としてきた違和感の正体が連鎖するように形を成していく。
じゃああれは?じゃあ、あのときは?
君は。
混乱する頭で、一つ一つを整理しようとする。
線香の香りが立ち上り、ゆらめく不安定な過去へといざなわれる。
君は腹を立てる。
なにも知らなかった自分に。
そんな生き方をしたその人に。
君は悲しくなる。
なにも知らなかった自分が。
そんな生き方をしたその人が。
手から線香が落ちる。
スニーカーのミシン目にそって蟻が1匹這っている。
綺麗な色の羽をした鳥が垂れ下がる木の枝にとまっている。
どこからか湧き水の流れる音が聞こえてくる。
涙が一筋だけ空に落ちていく。
そうして君は最後に優しくなる。

「あのバカ」

そう。
あのバカに。

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