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赤木智弘から考えるコミュの裏ネオコンとしての赤木言説

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このあいだ赤木さんの「若者を見殺しにする国」を一部読み返しました。

そのとき、これは十年・十五年後も評価の高い本にはなりそうにもないと確信せざるをえませんでした。

結局、ネオコンをポジだとすれば、赤木言説はネガだったのではないでしょうか。

だからこそ彼はかつてブログで、労働運動からは極悪人扱いの八代という経済学者の人民搾取のための言論に、強引な我田引水風の賞賛を与えたのです。

あるいは、男性の労働力の主婦化によって、女性たちはより条件の悪い職場に追いやられるか、そうでなければまったくの失業を強いられている。
にもかかわらず、みながヒマで優雅なOLか力強く雄雄しくさえある両性具有風の総合職になったとの反現実仮定によって、「強者女性」たるカテゴリーを設け、空想上のばかげた嫉妬と救済幻想を抱く。
それが彼の「強者女性との結婚」が社会福祉を超えると言わんばかりのトンデモ説です。
また彼はかつて彼の掲示板の中等で、大企業や正社員へのこだわりとともに、中小企業への侮蔑をも語っているのです。
結婚に話を戻すと、かつての同級生が結婚したのがきっかけで自分も結婚を考えたそうです。
果たして他人につられるだけで結婚が成り立つものでしょうか。

それから、個人的に赤木さんよりメッセージをいただき、精神的に苦痛を与えられました。
なぜならば、彼は自分の苦しみは分かってくれ、思いやりや共感や賛同を他人に求めます。
しかし、わたしの苦しみを聞く耳を赤木はまったく持ちません。
それが分かるので、絶望や無力感のほうが先立ち、貧乏な生活に疲れ果てたわたしは、彼に自分の恥部や弱点について説明する気力さえ喪失するのです。
また彼はわたしを私的領有物とか知的植民地とみなします。
ネット上のわたしのカキコをいちいちチェックし、自己責任論に賛成のブログのコメント欄で議論したことを、個人的なメッセージでもって反撃します。
どうして自分に連絡をしないでそのブログに意見をしたのかと。
そうやって事実を確認せずに意見を言うことはイエロージャーナリズムだとそのブログの管理人とトラックバク・コメントをしている人たちすべてに見当はずれの罵倒をしています。
なお、そこには主語がはっきりしない話を書くブログは信用しない旨も書かれていました。
これは、日本語のみならず、スペイン語など必ずしも主語をつぇない言語への侮辱です。

また、彼はかつて自分が彼自身の掲示板で行った中小企業への嫌悪・軽蔑をなかったことにして、自分はそういっていないと言い張ります。

わたしは、あきれてものが言えなくなりました。
このような気持ちの悪い男とはもう絶対にメッセージのやりとりなどしたくない。

何が関係だ。雇用契約も賃貸契約もないところで、会社の人間や不動産屋と仲良くしていれば飢えないとでもいうのか。ふざけるにもほどがある。
何がモテる・モテないが問題だ。
そんなこと、金持ちの贅沢病じゃないか。そんなことよりも賃金や、保証は、労働安全環境は、ピンハネ率規制はどうした。
なのに彼はわたしとすばらしいよい関係がきずけなかったからわたしが赤木を批判するブログでコメントをした、それはイエロージャーナリズムだとほざくのですよ。

加藤のような事件にブンガク的美意識を見出し、過度に感情移入・自己同一視を
しながら加藤の暴力・犯罪を美化するような彼の話も、戦争を求めるネオコンの裏返しにすぎません。
また、彼は自分は貧困男性向けの公娼制には賛成していないといいます。
しかし、赤木の強制結婚という提案と貧困男性向き低価格帯の公娼制との間には、たいした距離はありません。
女性にとって結婚とは一人の男を専門にする娼婦業であり、娼婦は多くの男の共有物にして使用道具にすぎないんじゃないかとの論争は、ウーマンリブやフェミニズムがずっと指摘し、議論してきた点です。
彼の娼婦に対する差別意識とともに、結婚と公娼制の間の密接なつながりを見ることをしない思考停止っぷりとジェンダー問題に対する彼のカンの悪さには辟易させられます。

こうした赤木言論に対して、もうわたしは支持を表明することはできません。
一度は同情と作戦意識によって賛成だと言いました。
それはもう取り消そうと思います。

赤木コミュが奇妙にネオコン親和的な発言にあふれ、そこから少しでもはみ出すものには管理人が容赦せずに襲い掛かったのも理解できます。

薄っぺらい嫉妬感情、中央集権的なマスコミへの憧憬、際限ない他者(特に女性)への搾取への意思、娼婦と主婦に女性を分割統治する差別主義思想……では
ネオコンと違う新しい方向性は示せないのです。

みなさんはどのように思いますか。



コメント(17)

もしも赤木さんが冗談ではなく「関係」が大事だと言うのなら、ホームレスの前で「納得できる賃貸契約よりも、大家さんと仲良くすることが大事なのです。そうすれば家賃の支払いが遅れても大目に見てもらえます。そういういい関係をあなたが築いていないことを悲しく思います。」
と演説してみればよいのです。
または、DVのために家を追われ、生活保護を受けたくても門前払いをくらって途方にくれている母子に向かって、
「社会契約としての国家による福祉などよりも、夫や父、会社の中の人たちとの関係のほうがもっと大切です。人間関係さえよければ、雇用契約や婚姻の契約がなくてもなんとかやっていけるものです。あなたたちは自ら関係を貧困にしているだけです。」
とのたまえばいいでしょう。
彼は「契約ではなく関係が大事」とする立場です。必ず自信たっぷりに意見を述べ、いや、道徳的な説教のできることでしょう。
「契約よりも関係」という発想は、コミュニケーション能力・ネットワーク能力を採用条件とする経営者にとても近い。
大分のコネが金で教職採用試験の点数を操作されて職を失った人相手に赤木は、
「契約ではなく関係を大事にしなかった。だからあなたは落ちても当たり前じゃないか」と言っているも同然だ。

この不勉強な男は、わたしをジェンダーと学歴の二面において「最後の植民地」としてまさに蹂躙しようとしている。
だからこそ、決して自己責任論オンリーではない人のブログにコメントを残しただけで
「なぜ事前連絡をとらなかった」とか
「貧しい男性むきの低価格の公娼制に反対する立場は自分はなかった。責めるなら雨宮らの責任」とか
「あなたの人間関係能力が貧しくて悲しい」とか「そういったことを事前にわたしに確認しないのはイエロージャーナリズムだ」
などと罵倒も含む汚らしいメッセージを連日、数度にわたり送りつけてきた。
彼のようなふざけた人間ともはやまともな議論は成立しないと見ざるをえない。
赤木はわたしにとって、いやプレカリアート、とりわけプレカリアータにとって悪魔のように邪悪な男である。
そう簡単に許すわけにはいかない。
彼は高いところからご高説を垂れる所謂知識人になりたかったのだと、僕はくだんの文章を読んだときから思ってました。
その意味で、若者の貧困という問題を表に出したということ以上の評価はないと。

ただ、彼は人間的に非常に未熟なようですね。知識人として生き残ることは今のままでは厳しいでしょう。そういう人物が若年層貧困問題のアイコンとなることにはむしろ危惧すら感じます。
行者さん、いらっしゃいませ。

そうなんですね。
赤木さんは偉そうな話を東京マスコミでやりたいだけ。
東京のマスコミがいかに東京一極集中を推進してきたか、そのためにライバルの地方都市をおとしめたり、東京でも下町地区を見下す報道をやってきたかについて、彼はかなり無自覚です。

だいたい赤木さんが「自己責任論」だと言うブログの管理人さんは、コメント欄のやりとりと、他の「障害」者のお店の記事を見ると、全然違う。彼の事実誤認だったんです。

あなたのおっしゃるとおり赤木さんが東京のマスコミに出演しすぎて、彼がワーキングプアのアイコンになっている状況は、わたしも危惧しています。

調子を整えつつ、わたしもあまり好きではありませんが、何か東京のマスコミに赤木さん一線画したものを書かないといけないと思っているところです。
僕の年長の友人は東京からは怪電波が出ていると表現しました。
思わず笑ってしまいましたが、まさしく事実ですね。
赤木さんは東京の支配圏に住んでおられますから、その電波にやられてしまったのでしょう。

個人的な話で恐縮ですが、僕は東京に行きたくて大学を選んだような人間ですけれども、東京に残ることに疑問を感じ外に出て今に至ってます。
ちなみに当時周りにいた人たちはいずれも東京マスコミが造る「文化人」や「知識人」の出世コースに乗って、いまやその道では認められるひとかどの人物になっています。
しかし、40を越えた大学教授なのに、無意味に難解な本を出す一方でヲタク趣味を恥ずかしげもなく披露するアホや、未だに「青春」をやっている浮世離れしたフェミニスト学者もいて、東京から出たのは正解だったなとは感じます。

Smile Slimeさんの住んでおられる関西は、東京とは一線を画す文化圏を持つ地域です。おもろい方もきっと多いでしょう。それを大切にしてください。
東京の怪電波が届かないところに帰れる場所があることは、正常な感覚を保つ上でとても重要になってくるはずですよ。
行者さん。レスありがとうございます。

今日はわたしは久々にPCからのカキコです。

「東京マスコミの偏向報道」についてのコミュがMIXI内にもありますので、リンクを貼っておきます。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1383198

ひとくちに大阪といっても地域によって言葉が違います。またお笑いと下町っぽさだけが大阪ではありません。
梅田や淀屋橋・北浜にかけてのオフィス街は洗練された一角です。
もう絶滅寸前ですが、今でもいい家の人は船場言葉に近い上品な大阪弁を使います。
京言葉と祇園言葉というのも種類の違う言葉です。

どうやら、赤木さんにはこういった視線は見えないようなんですね。
「関西人としてのわたしのアイデンティティを尊重してほしい」
といったことをメッセージの中に入れて送ったのですが、彼にとっては理解できずむしゃくしゃさせられるノイズでしかなかったようで残念です。

行者さんが東京にあえて残らなかったのは、高貴な選択のように見えます。
もちろん、東京に残った人は残った人なりの人生があり、それは尊重したいと思います。だけど、東京だけが絶対じゃないですね。

私の場合は、四国の田舎から都市に出るにあたって、「女の子だから東京はダメ」ということ、それに京阪神圏に親類や知り合いがいくらかいたことによって、こちらに移りました。
ただし、その前から東京人の地方人または郊外人までを露骨に見下すまなざしに違和感や嫌悪感があったのも事実です。
だからわたしとしては、赤木さんははっきり言明しないものの
「みんながみんな東京のマスコミに共鳴している」とか
「ジャーナリズムは真理を表し、正義を追求する社会的使命の固まり」
といったメディア観にはつきあいきれないのです。

著書を見てもそうですが、赤木さんは、ジャーナリズムという商売の建前やファッションの部分(「正義・使命・中立・客観的事実の報道等」)を真に受けすぎています。
斜にかまえたわたしなど、十代のころから東京のマスコミといえば、
「田舎を見下す、中立・客観と言いつつ原発推進派など特定勢力に牛耳られている、視聴率のためにえぐい番組を作る、センセーショナリズムの大げさすぎる報道、スポンサーの圧力の前には嵐の中の小舟状態…」等のイメージがありました。

何よりも彼とわたしの間の決定的相違は、何が客観や真実だとみなすかの点です。
赤木さんは、直接取材をすれば、ただひとつの客観的な答えや真実にたどりつけると見なします。
だけど一方、わたしは違う。
何が事実か真実かも、微妙なデータの解釈の違いもあり、政治的・経済的利害の対立によっても流動的であるとする立場です。
そのへんで赤木さんとの対話の困難を覚えます。

彼はマスコミの郊外報道にも違和感はないようです。
しかし郊外に住んでいるだけで犯罪や援助交際や引きこもり等になるなんてホントなんですかね?
郊外に住んでいる人たちの出自や階層などを抜きに、ただ郊外だというだけでやれウザギ小屋だ、ショートケーキハウスだと揶揄する建築家の言い分など、
田舎から都市に出てきて、やっと広い家に引っ越せたり、車で数十分も行けば自然も残っている地区に住めた郊外人に対して差別的・侮辱的側面もあるのでは?
という疑問は彼には通じない。やたらとプライド高げにフリーターの「屈辱」とを訴えるけれど、郊外人としての屈辱は感じていないみたいです。
かといって、マスコミで仕事をするために、計算して表に出さない風でもない。
もしそうであれば、個人的なメッセージの中でそれを打ち明けるはずです。だけどそれも彼にはありません。
彼と話していると、まるで「東京マスコミ真理教」の信者みたいで、時々言葉を失います。



おまけ。
こちらはホームページです。
東京マスコミの偏向報道。

http://www.eonet.ne.jp/~0035/index.html

これはとりわけ大阪を中心とした東京以外の地域への偏向報道を調べたものです。

しかし、郊外についても同じようなことが言えるのかもしれません。
田舎から上京して、町の中心部にはもう住宅がない。先に住んでいる人たちが住んでしまったから。
だったら、故郷の風景にも近い郊外で、車もあるのだし、広い部屋を買ったり借りたりして住んでもいいのではないか。
受験に熱中するのも、もともと基盤となる文化資本や社会資本等が小さいのを補う方法ではないか。
その必死の生き残りの努力を都心部に住むものが笑えるのか?
一部の建築家のこりすぎた美意識は、さほど金持ちでもない生活者にとっては、
不必要ではないのか。
住む場所がそこしかなければ、人はウサギ小屋でも商業施設の乏しい場所であっても生きてゆくものだ。
郊外には郊外独特の美意識もある。……。

以上のような疑問なり違和感は、赤木智弘さんには全然通じないようです。
彼はただひたすら東京に過剰な期待・幻想を抱いています。
彼の中央集権志向には危ういものを感じますね。

わたしが赤木さんのお話でもっとも許せないと思ったのは、他者の生命を軽視すること、さらに自分ばかりは別とする特権主義です。

職場での人間関係だけですべてを決めさせる人事管理の手法は、耐え難い対人ストレスがかかります。
また、職務内容が契約によって明確化されていないために生じるいくつかの大きな欠陥があるとされています。
誰が何の仕事をしているか見えないために均等待遇ができない。
また、特定の個人、特に勤勉で気配り上手の人に仕事が集中し、過労死・自殺の温床になる。

にも関わらず、赤木さんは職場の外でマイミクをしていたわたしが、赤木さんに許可を取らずに赤木さんとは別の考えのブログにコメントしただけで「俺とおまえとの人間関係がなっていない。おまえのせいだ。」と言ってきたのです。
またシンポジウムでも彼は契約ではなく関係をもっと豊かにしたら労働環境はよくなると言っています。これは遠回しに「過労死歓迎」と言ったり、間接的に「同一労働・同一賃金に反対しよう!」と言っているも同然ではないでしょうか。
なのに赤木さんご本人だけは、大企業の正社員になりたいし、ならねば周囲が悪いのだそうです。彼の掲示板の中でそうした発言をしていますから。
まあ今時正社員でも名ばかり管理職だったり、形だけの正社員だったりするのですが、彼は分かっていない模様です。
そして、もしそこに彼の道徳的強制によって手に入れた配偶者が働きに行けば、過労死かもしれないし流産くらいはするだろう。
そうした、他者の命や尊厳を奪う形で社会改良をしたり、社会評論だと言って人に売りつけたりする。
「そんなのイヤだ、困る。冗談じゃない、つきあいきれない」と言うと、「おまえの人間関係能力に問題があっておれは迷惑している。だからおまえがなんとかしろ」と、赤木さんはわたしにメッセージを送る。

結局彼はリベラルそうな立ち位置を確保してノーメンクラトゥーラみたいな特権を手にしたいだけの、怠惰志向なんですね。

一時、赤木さんに許可を得たうえで、彼からのメッセージを全文、または一部だけでもブログで公表→批判・対話しようと思いました。
しかし、あのように他のブロガーやパネリストに対する中傷・不当な責任転嫁等を含み、わたしのことも罵倒するメッセージは開くだけでも精神的苦痛になります。
また掲載すればわたしのブログの質を下げることにもなります。とにかく、何と言ったらよいか、程度が低すぎるのです。幼稚で、下品で。なぜか日本語とスペイン語への侮辱も入っていましたし…。
赤木さんへの「おしおき」としてはそのほうが効果があるのかもしれませんが、そのために膨大なブログのスペースを使うのもばかばかしいことです。
だけどほかの人の意見も聞いてみたい。
だからこうして内容を間接的に縮小してお伝えしています。
みるく性器さん、はじめまして。こちらのコミュにようこそ。
ご意見、読ませていただきました。

ちょっと誤解があったようで、すみません。
3000円の貧困男性向き公娼制というのは、増山麗奈さんという方がロスジェネ関連のシンポジウムで、赤木さんとその支持層のマッチョぶりを皮肉る文脈で言ってみた言葉です。
ある種の諧謔というか、彼女ら一流の批評なんです。

赤木さんは、戦争というよりも、革命でも大災害でも何か社会秩序・構造を大きく攪乱する契機がほしい、そこにこそ活路があるといい、実際に論壇を攪乱して彼は活路を開いた。
それは彼にとってはよいことです。
しかし他のプレカリアートについてはどうか、それとも一部重なる形の様々な社会的または生理的弱者(老人・障害者・女性・在日外国人・旧部落地区出身者など)にとってはどうなのか。
彼はそれが見えていない。自分の視野狭窄や自分勝手さを自覚していないのですね。

たとえば彼が個人的に妻に養ってもらうのなら、別に悪くはない。
だけど、彼女の会社でのハードワークはどうなるか。
妊娠・出産も危険のある作業なのに、結婚すれば放っておいても子どもが何人か生まれて何もトラブルはない、みたいな楽観的なイメージを彼は持っています。
下手をしたら、赤ちゃんは助かっても母体は助からず、ひとり貧困の中赤木さんは赤ん坊をかかえて途方に暮れる、関係・関係と叫んできた代償に社会契約としての福祉は切り捨てられている…ということもありえます。
実際、小林美紀さんの「正社員の若者たち」には正社員でも労働環境は心身をむしばむもので、流産をした実例も出てきます。
出産のために泣くなく職場を去った総合職の女性もわたしは知っています。
まだ院生のうちに結婚して産んでしまえば、女は子どもを産むとやめると企業が言わないと賭けて、院生のうちに結婚・出産した在日外国人の女性も知っています。
そういう、他人の大変さ、それに再生産労働の大変さ、それを企業社会がいみきらい追い出す傾向について、赤木さんはそうとう無自覚・思考停止ではないでしょうか。

長くなるのでいったん切ります。
>「ロストジェネレーション」なんてパクリで独創性も無い言葉をテーゼにし
>て、単に世代間対立を煽っているだけです。あれが朝日の弱者叩きのやり方な>んです。「怒りの世代」と高齢者の対立の構図を作っているだけ。世代と言う>大雑把なカテゴリの中で分かりやすい代表者同士をケンカさせて、それをファナティックに読ませたいという浅ましい魂胆です。

同意します。
ただ、商業新聞の枠内で階級・階層問題をとりあげるために、階級を無理に世代におきかえる必要があったのだとも思います。
アメリカの人文研究で階級としてもいいものを、ジェンダーやエスニシティ、あるいは発達障害として言及するのと似ているな、と。

強者女性に弱者男性と結婚させる道徳的強制の提案についてですが、これをほかの政策的イッシューにも適用されたらどうなるか、まるで赤木さんはイメージしていないようです。
たとえば臓器移植。相対的に少しでも健康な人は、生理的弱者にあたる臓器移植希望者にどの臓器も分け与えよと選択の余地なく、道徳的に強要するとしたら、逆説的にもどんな反倫理的な事態が招かれるか。
近い将来目立ってくるであろうストリート・チルドレンについて、六本木ヒルズ・ミッドタウンにすむ富裕層ではなく、旧華族・旧財閥というエスタブリッシュメントでもなく、中流の正社員家庭が扶養義務を道徳的に負うとした場合、格差問題に何の効果があるのか。またそれは新しい見えにくい児童虐待の温床とはならないだろうか。
そうした理解力・想像力が赤木さんにはむちゃくちゃ欠けています。

>トビ主さんに対するそういうコミュニケイトの欠落部分も抱えた

コミュニケーションやネットワーク能力云々の議論は、本田由紀さんの「ハイパーメリトクラシー」にもつながります。この語は、企業が採用または人事にあたって、職業能力だけではなく人間性のすべてを企業の生産性のために明け渡すことを求める過酷なものです。
赤木さんの人柄全部を否定する議論をこちらでやるつもりはありません。

ただし、ここで話題となっている赤木さんからのメールを受け取ったとき、大変不快でしかもショックを受けたことは、残念ながら事実です。
失礼かもしれませんが正直な話、「ある種のセクハラ? 」とも受け取れたし、「この人は彼女ができたり結婚したりしたらDVでもやる典型的なタイプじゃ? 」と思いましたね。

また、赤木さんがご自分のシンポジウムでの発言ミスというか過不足の責任を、増山さんや雨宮さんなど他の女性のパネリストに押しつけているのを見て、目を見張りました。
これじゃ、都合の悪いことはなんでも派遣の女の子のせいにして人を切って自分だけは逃げる正社員のオヤジといっしょだとよおく分かりました。
あるいは、具合の悪いことはみんな若いバイトや派遣のせいにして、非正規の若い人に勝手な妄想の中でのコンプレックスやルサンチマンや被害者意識をもち、おおげさに自己憐憫ぶってみせる正社員や総合職女性らとどこが違うのか、ということです。

「蛍の墓」を見て「ざまあ見ろ」と赤木さんが言うかどうかですが、微妙だと思います。
というのは、わたしには彼がある種のキャラとして他人の不幸をあざ笑う悪趣味をやっているのか、それともナチュラルに「地」で他人の不幸に目をつぶったり大したことはないと言い立てているのか、区別がつかないのです。
このコミュのほかの人はどう見ているのかな?

続きます。長くてごめんなさい。言いたいことがたくさんあって。

>半生のほとんどを精神病棟で過ごして、そして死んでいく社会的入院の精神障>害者みたいな人々を見ても、やはり赤木さんは自分だけが被害者のように強弁>するんですかね。

わたしは赤木さんではないので答える役ではないですね。

ただし、赤木さんがいつも「自分が一番大事」「一番自分がかわいそう」とおおげさに言い立てる傾向があることだけは確定したといっていいでしょう。
最近立ち読みした「論座」10月号でも、赤木さんはネットで女性差別と中傷されて自分がかわいそう、といいたげなことを書いていましたよ。

しかし、彼が紙メディア以上にネットの掲示板やブログのコメント欄等の中で、性のほか部落・在日・障害者・老人はもはや弱者ではないと、ウソ八百をプロパガンダしてきたことも、それに対して幾人かのブロガーらからの抗議と批判が集中したのもまた事実なのです。
その無駄なマッチョさが叩かれ、政治的な保守・反動性が嫌われ、プランの実現性の薄さを否定されたとしても、それはつきあいのある女性論者の責任などではないことだけは誰の目にも明らかです。

実は最初、赤木さんの言論にイヤーな感覚を抱くのは、自分が女性だからだ、男性中心も困るけれど、女性中心すぎても偏ると思って、ガマンを続けてた時期もありました。
だけど、他のブログやmixiのコメント欄を見るに、男性でも赤木さんの議論に対して疑問・違和感・反感を表明される方たちもいると知りました。
で、これ以上赤木さんやそれに無批判に追従する人たちにおもねる必要もないな、と思いまして、批判にまわったんですね。
同情のためのガマンにも限界はありますよ。
それに、いじめとかハラスメント、あるいはDVとかストーキング等をする、まとめてセクハラ系の人は、こういう共通点があると気がついたんです。いわゆる権力亡者的なキャラですね。
つまり彼ら・彼女らは、加害者のくせに必要以上に被害者ぶる、誰かを束縛したがる、そのために脅しや圧力のようなことをやる、人にうそをついたりだましたりする、密室的な関係を好む、他人を利用するだけ利用しようとする、その利用の仕方は悪用・乱用に達している、他人の気持ちや立場を理解・尊重しないしできない、ある種の対象をどこまでも追い詰め破壊しようとする、屈折したプライド、ゆがんだ認識、極端にヒステリックかエキセントリックな言動が目立つ…といった点です。

それはナチュラルなプラスの意味での「個性」とか「ユニークさ」とか「ヴィジョンがある」といったものではありません。
ただの不毛で安っぽい破壊主義です。
これじゃ、市民運動かいわいから小馬鹿にされて当然なんです。認識がまるでなっていないのだから。社会問題について大事な要点をつかめていないのだから。
わたしは共産、社民、無党派、連合等既存の組合等いろいんなアクティヴィストに取材をしたりつきあいをもっています。どこも赤木さんへの評価は低いです。当たり前です。どんな組織に入っていてもいなくても、あんなものを面白がったり尊敬したりするようでは、活動家としての役割がはたせませんもの。
侮蔑して当然なのです。右はあまりつきあいがないけれど、右は右で赤木にはつきあいきれないでしょうね。

なお、この種の過激な言論・パフォーマンスが60年代末期の学生運動の信頼を下げ、リアリティをなくし、瓦解につながったことも指摘しておきましょう。
同じ社会運動どうしとして、上の世代の失敗からも学ぶべきなのですが、赤木さんやその熱心な支持者たちは、そうした意見に耳を貸さないのです。やみくもに、朝日新聞に洗脳されたかのように、上の世代を敵視して、綱引きゲームの雰囲気を楽しむかのようです。
上の世代にも元祖日雇いもいるし、生活保護もまともに機能しないものへと形骸化されていることにも赤木さんとその追従者は無批判です。

その人たちはさらに、わたしが個人主義者だからいけないとか、低学歴で学びの質が低いとか、バカな共産主義者だとかいう中傷をしてきました。
いずれも、最初に立てたカナメさんが管理人をしている赤木コミュで知り合った、赤木智弘のアルター・エゴ(もう一人の自己)のような人たちです。
ちょっと生まれた地方や、家柄や、学歴や、職歴が赤木さんと違うだけで、気質的にはまったくよく似た人たちです。
そういう事情もあり、赤木主義というものを、わたしは自分から遠ざけることに決めたのでした。

>赤木氏はいろんな人から手厳しく言われてる通り「ルサンチマン」そのもので>しかないし、彼を一度でも評価した人の心の中にも同じそれがあるのだと思い>ます。

ここは異論があります。
少なくとも、わたしは心の問題じゃないし、そうしてはいけないとも思う。
世代的または階層的、グループ的に近い立場の人間なら、赤木さんが「論座」でデビューした当時には、おかしいと思っても支持せざるをえなかったと思います。少なくとも自分の場合はそうでした。また、小林拓矢さんは、ロスジェネといいながらもそれが階層問題だというホンネは隠し持っておられるようです。
ほかにも、今は隠しながらも階層を意識している人たちもいるでしょう。

もし一歩譲ってそれが心の問題だとしても、その背景にはそれが特定のグループに集中的に生まれ表現される基盤があります。
その労働環境の悪さ、家庭の中で階層の上下が分かれそれが年齢やジェンダーと重なることによって上下関係が過酷なものになることはきちんと指摘・批判していかないといけません。


みるく性器さんをはじめ、最近このコミュに入った人たちのために。

旧赤木智弘コミュのリンクを貼っておきます。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=1992204

管理人のカナメさんをはじめ、幾人かの赤木さんに無批判な参加者は、明白にあ赤木智弘の「アルター・エゴ(もうひとりの自己)」を演じていることが一目瞭然ではないでしょうか。

なお、カナメさんが赤木さんと同じような自己意識を持っていそうだという点については、かつて旧赤木コミュの参加者のひとりが、個人的なメッセージの返事の中で同意しています。
カナメさんがある種の「ルサンチマンの強い権力亡者」である点については、旧赤木コミュ参加者うち別の一人とわたしは互いに同意しています。

このコミュのみなさんはどう思いますか?
そうそう、参考までに。

赤木さんの専業主婦願望は、実は彼のマッチョ願望の反動ではないかという指摘も、旧赤木コミュ参加者のある男性から出されています。
日記のコメント欄でわたしもそれに同意しています。

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