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韓国ドラマ「王と妃」コミュの186話最終回(ネタバレあり)

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186話の主な新登場人物です

水斤非[スグンビ](チェ・ガンヒ)
  燕山君の側室
(水斤非は実録にも出てくる実在の人物で燕山君によって狩り集められた奴婢出身の宮女ですが、張緑水に張り合おうとして結局燕山君に殺されたようですので、ドラマは名前だけを借りて架空の人物を描いたと考えたほうが良さそうです。チェ・ガンヒはアン・ジェモに誘われて特別出演したとか。)


燕山君は金処善を我が手にかけてしまったことにショックを受け、王の資格がないと泣きます。斉安大君は戊午士禍や甲子士禍の意味を語り、今からでも善政を行って聖君になれと言いますが、それは自分のしてきたことを否定することになるので燕山君にはできないことでした。
燕山君はやがて幻覚まで見るようになり、側近の金子猿までを仁粹大妃と間違えて斬ってしまいます。燕山君の狂気は誰もが知るところになり、チャンスと見た柳子光はさらに朴元宗を煽ります。そして、姉の月山君夫人が自決したことから朴元宗は決心を固めました。
宴会の席で詩を書く燕山君。
 人生如草露
 会合不多時
これを聞いた張緑水は別れの詩だと解して涙を流すのでした。
ついに朴元宗が兵を起こしました。朴元宗に決断を促されて断った慎守勤は殺されます。
クーデター軍は一気に宮中になだれ込み、廃君(廃主)と呼ばれた燕山君は笑いながら踊り狂い、朴元宗たちを呆れさせるのでした。捕らえられた張緑水は怒った民衆に石打たれ死にます。
1506年9月2日、中宗が即位して燕山君は喬桐県(江華島の西北にある小島)に流されました。燕山君につき従うのは水斤非だけ。でも、権力という仮面を外して、燕山君はようやく平凡な人間に戻れたようです。「容恕」という文字を書き残して息絶えた燕山君。それは権力という仮面の下で最後まであがき続けた世祖や仁粹大妃よりは穏やかな死だったのかもしれません。



実録1506年7月20日
「月山大君の妻朴氏が卒する」
(全文)月山大君李ジョンの妻昇平府夫人朴氏が死んだ。人々は王から寵愛を受け妊娠すると薬を飲んで死んだと話した。

実録1506年9月2日
「中宗が慶福宮で即位し、燕山君を廃して喬桐県に移す」
かなり長い記事で、ここに燕山君の悪行が書かれ、中宗反正の経緯も書かれているようです。李長坤のこともここに書かれ、任士洪、慎守勤、張緑水が殺されたことも書いてあります。


(以下は中宗実録)
中宗実録1506年9月2日
「中宗反正を起こす」

中宗実録1506年9月2日
「張緑水などを斬り、廃主の金印・花押・承命牌を撤廃する」

中宗実録1506年9月9日
「慎守勤の娘を宮外に追い出す」
功臣たちの圧力に負けて、中宗は糟糠の妻を追い出さざるをえなくなりました。

中宗実録1506年11月8日
「燕山君が死亡したので重臣たちと喪事問題を議論する」
6日に疫疾で死んだとあります。最後に慎氏(廃妃された燕山君妃)に会いたいと言ったと書いてありました。

コメント(7)

ついに終わってしまいましたね。。。
1年以上も深く追いかけてきたドラマなのでさびしいです。

おびただしい実在人物を登場させて、50余年に渡る激動の時代を描きながら、権力とは何かを問い続けてきたドラマでした。世祖は、仁粹大妃は、そして燕山君は権力の果てに何を見たのでしょうか?
186回、長く連れ添った家族と別れるような
さびしさです。
ドラマの最後、燕山君の書いた文字
「容恕」よんそ、
かわいそうな気もします。

朝鮮王朝、党争を見ながら、
日本との比較近世史、
つまり室町や江戸時代の幕府のあり様、
将軍、天皇、官僚、庶民など様々に
想起させられました。

あみたんさんの努力に、いつも感謝しつつ。
◆かむじゃたんさん

努力だなんて・・・。
ただ、10倍面白くみるためにしつこく調べていたらこうなってしまっただけで^^;

日本との比較近世史というのも面白いですね。
わたしはむしろ朝鮮史のほうが詳しくなってしまったようで困ったものですが、室町時代以前はともかくとして、江戸時代はこれほど凄惨な権力闘争はなかったように思います。
あの人はその後・・・

柳子光
またすばやい寝返りでちゃっかりと一等功臣の筆頭に収まってしまいました。(功臣の決定は朴元宗、柳順汀、成希顔の3人が行っており、自分たちは含めずに一等から三等まで定めました。柳子光は5人いる一等功臣の最初に名前が載せられています)その後、武霊府院君に封じられて、官職はないもののたいていの場合は朴元宗の次に名前が出てくる元老扱いをされるようになりました。けれども、1507年に甲子士禍のとき任士洪とつるんでいたと弾劾を受けて失脚し、流刑地を転々としながら1512年に死にました。実録には正式な死亡記事はなく、ただ死んだという話が会話の中に出てくるだけです。享年73才。


朴元宗
1506年9月6日に左参賛に特進し、さらに同年9月13日に右議政に、同年10月11日には左議政と、とんとん拍子に出世していきました。領議政は軟弱な柳洵だったので、実質トップに立ったといっていいでしょう。そして、1509年閏9月27日についに領議政になりますが、このとき左議政は柳順汀、右議政は成希顔がなったので、まさに中宗反正の立役者3人衆が朝廷の頂点を占めたといえます。ただ、その半年後の1510年4月17日に亡くなってしまいました。享年43才。


斉安大君
実録1506年9月17日に、中宗が斉安大君を反正の功臣に入れたらどうか聞くと柳子光などが功はなかったと答えたので功臣に入れなかったという記事がありました。でも、その後は大過なく過ごしたようで、大妃が家に遊びに行ったとか、病気になると中宗が見舞いを送ったとか、世子が病気になると斉安大君の家で静養させたといった記事が散見されます。1525年12月14日に亡くなりました。享年59才。


居昌郡夫人慎氏(燕山君の妃)
燕山君廃位とともに居昌郡夫人に格下げされ軟禁されましたが、後に中宗の意思により軟禁を解かれ王族の夫人としての待遇を受けるようになったようです。実録1537年4月8日に死亡に関する記事が出ています。享年65才。
BS日テレ放送記念アゲ↑
10月12日(水)放映予定
あみたんさんありがとうございました。
スゴイ知識に感服しました。

今日終わってしまいましたが、最後に「勝者の記録である」とありました。
その通りだなと…

燕山君は愛を知らずに育ちああならざるを得なかったけれど
いいこともしたはず…、悲しんだ人もいたはず…
と思わずにはいられませんでした。

途中から見始めて夢中になりましたが、最初からDVDで見てみたいと思います。
もう少しお世話になります。

◆モコ。さん
とりあえず終わってしまいましたね。
スゴイのはドラマ自体だと思いますよ。
ほとんど歴史の記録通りに描かれながらちゃんと物語になっていました。
黒髪の若妻から白髪の権力者まで、50年分を演じたチェ・シラもスゴイと思います。

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