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時間(とき)や季節の移ろいコミュのお正月

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★お正月の 準備など ことについて書いてゆきます。

年末の30日は 松飾に適しています。
★大晦日から、「新年」のことも書きます。

★一年の最後の日 大晦日(おおみそか)
 昔は、前日の30日までに、全ての正月準備を終え、大晦日には心身を清めて神社にこもって新年を迎えたり、夕方から祝い膳を囲んで「お年とり」をしたところもあります。これは、昔は日暮れが1日の境目と考えられていたため、大晦日の夜は、もう新しい年が始まっているという考えかたから生まれた風習です。
年越しそばと除夜の鐘
 大晦日にそばを食べるのは、そばが細く長いことにちなんで、延命や幸せが長く続くことを祈る縁起物とされているからです。また、そばには五臓の毒をとる効果があるから、という説もあります。

【除夜の鐘】
中国の宋の時代に始まった仏教行事に由来していて、江戸時代以降、盛んに行われるようになりました。
除夜の鐘は、百八つつくのがならわしですが、これは人間の煩悩(悟りを妨げる心のけがれ)をはらって、すがすがしく新年を迎えるという意味と、一年間の季節分類を総合した表現だという説もあります。
鐘は旧年中に百七回つき、新年を迎えてから百八つ目をつくのが正式といわれています。

★★★【年越し蕎麦】
 室町時代の億万長者や増淵民部が大晦日に「そばがき」を食べたのが広く世間にも広まったという説や、鎌倉時代、聖一国師が貧しい町民たちにそば餅をふるまったところ、翌年には運が向いてきたので、それ以来運を求めて食べるようになったとする説もあります。

★また、蕎麦の実の 三角形を夫婦と子供の関係にたとえたことから、家内円満を願ったとする説などもあるようですね。こじつけのような気もします。

★これは、わたくしが 本で読んだ話なのですが 謝国明、日本名綱首謝太郎国明という大商人が、ある不景気な年の暮れ飢えに苦しむ博多の民にそば粉を配ったのが晦日そばの始まりと言う説もあるそうです。
以後、謝太郎の威徳を忍んで毎年蕎麦を食べる様になったといいます。
 
★一説によると、また、大晦日の夜は、商売人は集金に走り回らなければならないし、又、家庭の主婦は、正月用のおせち料理作りにいそがしく、大晦日の晩は、手っ取り早くつくれて、しかも栄養のある蕎麦を食べるようになったと言います。
 こうなると、蕎麦屋と主婦の共同陰謀商戦と言うことなのかもしれないと 言われるようになってしまいますね。
 
★★ところで、この晦日蕎麦ですが、今も地方によっては、節分祭の夜に食べるところもあるようですね。地方によって違う 日本の風習と言うのも、面白いですね。

 ほかにも、室町時代の億万長者や増淵民部が大晦日に「そばがき」を食べたのが広く世間にも広まったという説や、
そばの実の形でもある三角形が、邪気を払う力があると信じられていたり、そばが五臓六腑を清める食べ物と考えられていたことなどもあって、
 
★そばを食べて身体の内の汚れも外の汚れもキレイに落として新しい年を迎えようとしたと言う考えもあります。

★★出来上がりの写真はイメージです。 作り方は後ほど。^^;


★そして新年が明けます。↓

コメント(12)

★ 【松飾り 門松】
・本来お正月というのは、年のはじめにあたって、一年間家を守ってくれる歳神さま〈お正月さま〉を迎える行事で、門松は歳神さまの依代(よりしろ)であり、神さまが降りてくる目印と考えられていました。玄関や門に飾ります。
 なぜ松の木?
 昔から 常緑樹には神が宿るという言い伝えがありました。
 寒い冬でも 緑の落ちない松と、真っ直ぐに伸びる竹、新春にほころぶ香りのいい梅 を松竹梅の門松を歳神さまが降りてこられる家の入り口に飾ります。

「松飾りの飾り方」飾り方 いつ飾ればよいか など
・門松その他の松飾りは、12月13日の正月事始めに行うのが古式ですが、最近は27、8日または30日頃に飾るようになっています。

・門松は二十九日に立てるのを「苦立て」といってきらい、また大晦日に立てるのを「一夜飾り」といい、正月の神を迎えるのに一夜では誠意に欠ける、として昔からきらう風習があるのです。
・暮れになると町かどに歳の市が立つので、そのときに買いととのえるのがよいでしょう。
飾り方は
・正式の門松は、三本の竹を中心に松と梅の枝をあしらって組み合わせて下をむしろで包み、輪飾りをかけます。松はいつも緑であることが喜ばれ、竹はスクスク伸びるので、めでたい印とされています。

・しかし都会に住む一般の家庭では、一組の松〈男松と女松〉を門や玄関の両側にそれぞれ釘で打ちつけ、輪飾りをかける略式門松ですますのが多いようです。マンション、アパートの一枚ドアには、小住宅用の簡略なしめ飾りや小さな松をあしらった輪飾りが合います。自分でデザインするのもよいでしょう。

・松飾りは松を過ぎたらはずして焼きますが、近くの神社に頼めば焼いてもくれます。
★【注連縄 しめ飾り】
・注連縄(しめなわ)は、張った場所の内側とン外側を区別する意味がます。入り口、玄関、神棚、台所 手洗い、勉強部屋 蔵の前などに張ります。
 注連縄は、神を迎える清浄な場所であることを示す飾りで、汚れを払い神聖な場所を再生するしるしです。周囲の汚れを絶つ印として用いられてきました。

「しめ飾りの飾り方」
・旧年中の悪や邪・不浄を祓い清める意味で飾ります。

しめ飾り
・しめ飾りはしめ縄で作った飾りで、うらじろ〈長寿〉、葉つきのだいだい〈繁栄〉、ゆずり葉〈家系が絶えない〉などの縁起ものをあしらいます。これを玄関の正面やマンションのドアの正面に飾ります。
 「輪飾り」
・輪飾りはしめ飾りを簡略化したものです。最近は マンションが多いので、リースのような形のものをドアに 引っかけたりして有りますね。
・わらの先を輪の形に結び、下をそろえて長く垂らし、それに四手(しで)をつけたもので、門松の枝にかけたり、台所など、家の要所要所に飾ります。

その他に お正月の めでたい縁起物として色々ありますが、少しずつ書いてゆきます。
★【床の間の飾り方 】
・床の間はお正月らしくめでたく飾ります。
・まず正面に掛けものを掛けます。絵なら「七福神」「蓬莱」(ほうらい)「松竹梅」などのおめでたいものがあれば結構ですが、なければ新春らしいものを選んで飾ります。
・書では、特別に、正月用の書として「福」と「寿」の二幅つい、「松」「竹」「梅」の三幅ついなどがありますが、めでたい気分をそこなわないものであれば、とくにこれにこだわる必要はありません。
・中央に三方(さんぼう)にのせた鏡餅(かがみもち)を飾り、ふつう床柱に生花、反対側に香炉(こうろ)とか置き物、あるいは屠蘇器を配します。
・近ごろでは床の間のない家が多く、その場合は飾り棚やサイドボードの上に飾ってもよいでしょう。

【鏡餅の飾り方 】
・鏡餅の飾り方は、地方によって多少違いますが、次のような形が標準型です。
・三方〈白木の箱を利用してもよい〉に半紙を四方に垂らして敷き、その上にゆずり葉、またはうらじろを左右に置いて、鏡餅をすえます。鏡餅は上を丸く、下を中高に丸めた大、小一組で重ねてある餅です。餅の上から昆布を垂らし、上にだいだいの実、または、みかんや伊勢エビをのせます。周りにはかち栗、ごまめ、ひいらぎの葉などの縁起ものをのせたりもしますが、各家庭のしきたりですればよいので、どれが正しいということはありません。
・なお一般の家庭では、丸いお盆に半紙を敷いて鏡餅をおき、その上に小さな葉つきのみかんをのせただけでもお正月らしくなります。

【神棚の飾り方 】
・歳神さまを迎えるために神棚にもお飾りをします。
・しめ縄〈あるいは大根じめ、ごぽうじめ〉を飾り、さかき、酒、お供えの餅を飾って、灯明を用意します。
初詣で
【初詣でのしきたり】
・初詣では、年のはじめに神社やお寺にお参りして、一年の無事息災を祈る行事です。現在は大晦日の夜ともなると、各社寺では、篝火(かがりび)を焚き、照明をつけるなどして、初詣での参拝客を迎えますが、本来は元旦の祝い餅をすませてからお参りするものです。

・初詣では、地域社会の守護神とされる氏神や鎮守の神に詣で、祈願をし、先祖や守護神とのつながりを確認する機会でもありますが、恵方参りといって、その年の吉とされる方角にある社寺に参詣する風習もあります。江戸時代には、恵方参りが盛んで、東京・亀戸天神は特に賑わっていたといわれます。また、京都・八坂神社の白朮詣(おけらまいり)は、吉兆縄に火を移し取って、その火種で灯明をあげ、餅煮を煮ると縁起がよいとされています。

【お参りのしかた】
・神社での参拝のしかたは、まず御手洗いで手を洗い、口をすすいでから神前に進み、お賽銭を上げます。次に二礼して、左右の掌を少しずらし、それから両手の掌を合わせて二拍手し、両手を合わせたまま祈願をします。最後に一礼して参拝を終わります。

・この動作の意味は、心身を清め、供物〈お賽銭〉を差し上げ、頭を下げることで神への敬意を表します。左右の掌をずらすのは、神と人とがまだ一体になっていないということで、次の二拍で神を招き、そのあとで掌を合わせると神人合一になり、祈願をこめて神の力を体得するのです。そして最後の一礼で神を送りかえしますが、これは祭りの基本といえるものです。

・なお、破魔矢(はまや)は、もとは年占(としうら)競技の一種だったといわれ、孝徳天皇の時代、正月に魔物の目に見立てた的を射たことから、その矢が正月の祝儀物になり、一家の息災を祈って家ごとに飾るようになったものです。多くの神社では、前年のお守りや破魔矢を収める場所を設けていますので、それらを持参するとよいでしょう。
おせち
【「おせち」のいわれ】
・おせちはお節で、節句に神に供える供物を意味する節供からきたことばですが、節句の中でもお正月は特に重要であったことから、お正月の料理を「おせち」というようになったのです。
・昔は除夜の鐘とともに神棚に供えて、その後皆で食べたものですが、これが後に松の内に食べるようになり、年賀の客をもてなす料理となりました。お正月の間、主婦が休めるようにと、煮しめ料理などの保存食を揃えるようになったのが、今のおせち料理で、暮れの間につくります。

【おせち料理の詰め方】
・おせち料理は、組重といって四季をかたどった四つ重ねの重箱に詰めるのが正式です。たとえば次のようです。 一の重 口取り かまぼこ、きんとん、だて巻、黒豆、田作り、こぶ巻など。
二の重 焼き物 たい、ぶり、いか、えび、はまぐりなどの魚貝類。
三の重 煮物 さといも、ごほう、れんこん、しいたけ、にんじん、たけのこ、こんにやく、高野豆腐など。
与の重 酢の物 紅白なます、酢れんこんなど。
若水
【若水のしきたり】
・平安時代、宮中では立春の日に。恵方(えほう)の井戸から汲んだ水を「若水」といい、邪気を除くものとして、朝食のとき天皇に差し上げるのがしきたりでした。しかし、のちには元旦の朝、最初に汲む水を若水といって、これを飲むと生気がみなぎり、厄除けの効があるとされるようになり、歳神への供え物や家族の食べ物を炊いたり、ロをすすいだりお茶をたてたりするようになりました。

・若水を神聖なものとして、初穂水、福水、宝水、黄金水とも呼びますが、いろいろな風習があります。元旦に、若水を井戸や谷川へ汲みに行くのを「若水迎え」といって、年男〈あるいは主人や長男〉の役目でしたが、地方によっては女性がすることもあったようです。また、水を汲み上げるとき、唱えごとをしたり、円餅を若水桶に入れて行き、半分を井戸に沈め、半分を若水に入れて帰り、井戸底から餅を汲み上げると縁起がよいという地方などもありました。

・若水を汲む場合、手桶や柄杓は必ず新しいものを使い、鶴亀などのめでたい絵や文字を書いたり、輪注連(わじめ)をかけたりします。

・汲んできた若水は、まず神仏に捧げ、ロをすすいで身を清め、食物の煮たきにも用います。しきたりを重んじる料亭や家庭では、現在もこの風習を守っているところもあるようです。

【福茶で一年の息災を祈る】
・水道の普及とともに、若水汲みのしきたりもすたれていきましたが、若水を沸かして入れたお茶を「福茶」といい、邪気を払うものとされています。また、神聖な水を中指で額に三回つけると、若返りの効果があるという地方もあります。

・新年の朝いちばんに汲んだ若水で、顔を洗い、口をすすぎ、ゆったりした気持ちで福茶をいただき、一年の息災を願うのもよいでしょう。
お屠蘇と祝い膳
元旦の朝、家族揃って、最初に飲むお酒の一種が「お屠蘇」です。

【お屠蘇(とそ)のしきたり】
・おとそは、山根(さんしょう)、自朮(びゃくじゅつ)、桔梗(ききょう)、防風(ぼうふう)、肉桂(にっけい)、丁子(ちょうじ)、陳皮(ちんぴ)、大茴香(だいういきょう)などを調合した、一種の薬酒で、元旦にこれを飲むと、一年の邪気を払い、生命をよみがえらせて、長生きができるという中国伝来の風習です。

・わが国に伝わったのは、嵯峨天皇〈ハ○九〜八二二〉のころのこと。民間に広がったのは江戸時代以降だといわれていますが、調合済みの屠蘇散を薬種屋から買い求めて、酒に浸していました。

・現代では、屠蘇器にみりんを入れ、それに薬局で売っている屠蘇散を一夜浸して、お屠蘇として飲むことが多いようです。

・大晦日の夜には、この屠蘇器と、杯台にのせた大、中、小の朱塗りの三つ重ねの杯と、おせち料理をつめた重箱に箸をそえ、床の間に飾って置きます。

・元旦になると、一家の主人が、神棚にお神酒〈おとそは疫鬼よけに人間が飲む薬酒なので供えない〉や雑煮、おせち料理を供え、家族でお参りをすませて祝い膳につきます。

「屠蘇器そろい」というのが実家にあります。
杯台にのせた塗りの 大中小の3つ重ねの杯と、お酒の燗鍋と言う酒器です。 

【祝い膳】
・祝い膳にも、赤ちゃんのお食い初め、長寿の祝いなど、いろいろありますが、元旦の祝い膳は、まずおとそからはじめます。おとそは、年少者から飲むのがふつうです。しかし、地方によっては年長者からいただくこともあるようです。正式には、上の杯から順に三拝すすめますが、いちばん上の杯だけで三杯ついでもかまいません。

・おとそを飲み終えると、ついで雑煮、おせち料理の順でいただきます。その場合、祝い箸といって両端が細くなるように削った丸箸をのし袋に入れ、家族それぞれの名前を書いたものを使う習慣があります。

・しかし最近は、おとその代わりに日本酒や洋酒で乾杯して新年を祝う家庭が多く、雑煮やおせち料理も一緒に食べるようになっています。
【祝い膳】
・祝い膳にも、赤ちゃんのお食い初め、長寿の祝いなど、いろいろありますが、元旦の祝い膳は、まずおとそからはじめます。おとそは、年少者から飲むのがふつうです。しかし、地方によっては年長者からいただくこともあるようです。正式には、上の杯から順に三拝すすめますが、いちばん上の杯だけで三杯ついでもかまいません。

・おとそを飲み終えると、ついで雑煮、おせち料理の順でいただきます。その場合、祝い箸といって両端が細くなるように削った丸箸をのし袋に入れ、家族それぞれの名前を書いたものを使う習慣があります。

・しかし最近は、おとその代わりに日本酒や洋酒で乾杯して新年を祝う家庭が多く、雑煮やおせち料理も一緒に食べるようになっています。

祝い箸・・・柳箸
両側が細くなって 中央が太くなっているお箸です。お正月に使うので 大晦日に 家族の名前を書いて神棚にお供えしておきます。
箸が折れると 縁起が悪いので 折れにくい柳箸を使います。真ん中のふくらみは子孫繁栄といわれます。
雑煮
【雑煮の由来】
・元旦の朝食は、年越しの夜に歳神に供えた餅や野菜などを一つの鍋で煮て、歳神の祭りに加わった人たちが、分け合って食べたものです。九州地方では、雑煮または正式食膳をノーライ・ノーレなどといいますが、ノーライとは直会(なおらい)のことで、神に供えたものを食べることです。雑煮も、家庭で各自が身祝いとして供えた小さな鏡餅を、元旦に調理して食べたのがはじまりとされています。

・もともとは農民や庶民が食べていたものを、武士の台頭とともに、武家や公家の間に広まったといわれています。

【雑煮さまざま】
・雑煮の具や汁の調味、餅の形、調理法などは地方によってさまざまです。

・汁の調味は大別して、すまし仕立てのもの、味噌仕立てのもの、小豆雑煮、の三つに分かれます。

・京都を中心に関西では、武家式礼にならったといわれる白味噌仕立てのものが主流ですが、関東地方や中国、九州などは、すまし仕立てが多く、それにも、かつお節のだしであっさりしたものと、魚や鳥肉などでだしを取ったものがあります。また、小豆雑煮は中国や九州の一部にみられます。

・具の材料は、その土地の産物を使うのが特徴です。餅のほか、大根、人参、ごぼう、里芋、三つ葉、かぶ、ほうれんそう、くわい、昆布、のり、蛤、鯛、海老、あなご、鳥肉、焼き豆腐、かまぼこなど、いろいろなものを入れます。

・餅の形は、丸餅と切り餅があり、関東では切り餅、関西は丸餅が主流です。また、関東は餅を焼いて入れるのに対し、関西は入れて煮るのが一般的のようです。

・雑煮は、日本の伝統的な正月料理といわれます。今でも、しきたりを守る地方では、年男が歳神への供物を供えたり雑煮をつくる役目も果たしているようですが、夫婦いずれかの出身地の伝統的な雑煮を大切に守っている家庭もありますし、現代風にアレンジしてオリジナルな雑煮を楽しむ家庭もあり、実に多種多様です。
初詣で
【初詣でのしきたり】
・初詣では、年のはじめに神社やお寺にお参りして、一年の無事息災を祈る行事です。現在は大晦日の夜ともなると、各社寺では、篝火(かがりび)を焚き、照明をつけるなどして、初詣での参拝客を迎えますが、本来は元旦の祝い餅をすませてからお参りするものです。

・初詣では、地域社会の守護神とされる氏神や鎮守の神に詣で、祈願をし、先祖や守護神とのつながりを確認する機会でもありますが、恵方参りといって、その年の吉とされる方角にある社寺に参詣する風習もあります。江戸時代には、恵方参りが盛んで、東京・亀戸天神は特に賑わっていたといわれます。また、京都・八坂神社の白朮詣(おけらまいり)は、吉兆縄に火を移し取って、その火種で灯明をあげ、餅煮を煮ると縁起がよいとされています。

【お参りのしかた】
・神社での参拝のしかたは、まず御手洗いで手を洗い、口をすすいでから神前に進み、お賽銭を上げます。次に二礼して、左右の掌を少しずらし、それから両手の掌を合わせて二拍手し、両手を合わせたまま祈願をします。最後に一礼して参拝を終わります。

・この動作の意味は、心身を清め、供物〈お賽銭〉を差し上げ、頭を下げることで神への敬意を表します。左右の掌をずらすのは、神と人とがまだ一体になっていないということで、次の二拍で神を招き、そのあとで掌を合わせると神人合一になり、祈願をこめて神の力を体得するのです。そして最後の一礼で神を送りかえしますが、これは祭りの基本といえるものです。

・なお、破魔矢(はまや)は、もとは年占(としうら)競技の一種だったといわれ、孝徳天皇の時代、正月に魔物の目に見立てた的を射たことから、その矢が正月の祝儀物になり、一家の息災を祈って家ごとに飾るようになったものです。多くの神社では、前年のお守りや破魔矢を収める場所を設けていますので、それらを持参するとよいでしょう。
★2007年12月3日

わたくしは 松飾りをしました。

★ 【松飾り 門松】 のこと 上にも書きましたが。

・本来お正月というのは、年のはじめにあたって、一年間家を守ってくれる歳神さま〈お正月さま〉を迎える行事で、門松は歳神さまの依代(よりしろ)であり、神さまが降りてくる目印と考えられていました。玄関や門に飾ります。
 
★「なぜ松の木? 」なのでしょうか
 昔から 常緑樹には神が宿るという言い伝えがありました。
 寒い冬でも 緑の落ちない松と、真っ直ぐに伸びる竹、新春にほころぶ香りのいい梅 を松竹梅の門松を歳神さまが降りてこられる家の入り口に飾ります。

★「松飾りの飾り方」飾り方 いつ飾ればよいか など
・門松その他の松飾りは、12月13日の正月事始めに行うのが古式ですが、最近は27、8日または30日頃に飾るようになっています。

・門松は二十九日に立てるのを「苦立て」といってきらい、また大晦日に立てるのを「一夜飾り」といい、正月の神を迎えるのに一夜では誠意に欠ける、として昔からきらう風習があるのです。

・暮れになると町かどに歳の市が立つので、そのときに買いととのえるのがよいでしょう。
★飾り方は
・正式の門松は、三本の竹を中心に松と梅の枝をあしらって組み合わせて下をむしろで包み、輪飾りをかけます。松はいつも緑であることが喜ばれ、竹はスクスク伸びるので、めでたい印とされています。
「十四日年越し」

★今日は「飾納」の日で「十四日年越し」の日です。 
 明日の15日、「小正月」の前日に当るため、昔は年越しの日として祝っていたのですよね。
 左義長やどんと焼き あるいはどんどん焼きで、正月に飾った正月飾りや書き初め等を燃やすことも行われます。その火で炙った餅を食べるとその年の病を除くといわれています。地方によって 呼び名や日が異なります。
 地方によっては8日や10日に行うようです。みなさまのところではいかがでしょうか。
 国民の祝日の成人の日が1月15日から 1月の第2月曜日に変更されたことに伴い、地域によっては左義長を1月の第2日曜日または第2月曜日に実施するところもあります。2月や3月に行う地方もあります。

★近ごろでは、小正月の習慣があまり行われてなくなったようで、十四日年越しの習慣 も無い家庭も多いようです。 ...
 
「年越し」というと 12月31日が一般的で誰もがお祝いしますが・・・年越しは、この12月31日の大晦日だけでなくて、七日正月の前の日 1月6日と、15日小正月の前の 今日の1月14日にも行うのです。正月のことがほとんど終わり、ヤット一段落。新年を超えたとして祝うのです。明日の小正月は、2番正月ともいって現在も行っている地方も多いです。小正月の事は明日に書きたいと思います。
 永い年月をかけて培われた日本の文化を、次の世代へ伝え手行く事も だんだんとなくなってきたのかも知れないですが。

★ところで
日記からですが^^;
1月11日は 一般的には「鏡開きの日でした。地方によっては日が違いますよね。
 わたくしの出身の、京都では4日でした。ほかに20に行う地方もあるようです。
 【鏡開き】というのは お正月に、床の間や神棚に飾られていた鏡餅を砕いて、その餅でおしるこやぜんざいを作り、一家の円満を願う習わしのことです。
 餅は刃物で切らずに、手や槌(つち)で割るのがしきたりです。
 「切る」という言葉は縁起が悪いので、その言葉を避けて「開く」という縁起の良いことばを使うのです。昔、武家の風習だったものが一般化したものなのです。
★わたくしは、鏡開きしたお餅を今日のお昼に、お餅を「ぜんざい」にして 関西の事務所でみんなに出しました。^^

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