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時間(とき)や季節の移ろいコミュの【秋祭りの季節】  色々なお祭り 亥の子祭りのこと

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★★10月になると暦には「亥の子餅」と書かれている日さあります。

【亥(い)の子(こ)】 とは最初の亥の日のことです。
 
 ”緞子織る 機を休みて亥の子かな ”虚子

「亥の子」とは・・・現在の亥の子餅は、子丑寅の、十二支を各十二箇月に当てはめると「十月が亥の月」にあたります。

★その亥の月の「亥の日」に行う行事を「亥の子の祝い」といい、この日に餅をついて亥の刻に食べると、万病を除くと考えられた事から来た行事です。  
★本来、陰暦十月亥の日亥の刻(午後9時〜11時)に餅を食し無病息災を祈る行事です。平安朝以来、中国の俗信に基づいて行なわれてきました。

★★また、猪の子はたくさん生まれることから、子孫繁栄をもたらすともされたのでしょうか。「玄猪(げんちょ)」「厳重」ともいい、その餅を「亥の子餅」「玄猪餅」などといいます。亥の子餅は贈答品にも用いられています。
 
 わたくしの 実家の近くの町では 盛大におこなわれているところがあったのを覚えています。みなさまの地方ではいかがでしょうか。

★文献では『源氏物語』「葵」の巻にも、「その夜さり、亥の子餅まいりたり」と書かれています。
 宮廷では、大炊寮(おおいりょう)が糯米(うるちまい)を用意し、内匠寮(たくみりょう)が餅を猪子形につくり、色とりどりの餅を調進します。今でも行われているのかは知りませんが;;

★★亥の日と「亥の子餅」の続きと 写真は、↓コメント一つ目!!
   http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10929996&comm_id=291947
 亥の子餅の由来や写真は、ここ↑に書いておきます、(^^)参考に見てくださいね。↑

★わたくしがしている「茶道」では炉の開かれる11月が一年の始まりで、お正月になりましす。
炉の開かれた茶室でお点前をして、亥の子餅をいただきます。

★★十月の あいさつ文や 季語、暦や行事、旬の食べ物や話題は 暇に任せてこちらに書いた行きますので 参加して見てくださいね。(^^)↓↓http://mixi.jp/view_community.pl?id=291947
 秋祭りもあります。春祭りは豊作を願って行われるのにたいして、秋のお祭りは収穫に対する感謝のお祭りです。わたくしは秋祭りの方がなんとなく嬉しい気がします。
 お祭りのことも また書ければ 書いてゆきたいと思います。みなさまも 上のリンクの コミュに書いてくださいね。
   
 ★十月一日 ”緞子織る 機を休みて亥の子かな ”虚子


★★わたくしがしている「茶道」では炉の開かれる11月が一年の始まりで、お正月になりましす。

★【茶道】では炉の開かれた茶室でお点前をして、亥の子餅をいただきます。

 江戸時代から京都では、陰暦十月の亥の日に、炉開きをする決まりがあったのです。お茶の炉開きもこの亥の日と決まっていて、半年間使ってきた風炉への別れを惜しむ想いいを込めます。ですから、先月の十月を名残月(なごりづき)と呼ぶのだそうです。
 
 
★冬の季節を迎えるため、昔から茶道では、陰暦10月中の亥の日に炉開きをします。江戸時代は武家は10月初亥の日、町家では第2の亥の日に炬燵開きをしたもので、火を使っても安全であるといいます。
 
 陽暦でも11月で同じ気候となって、重要な行事となり、新茶の壷の口を切って用い始める時などに、亥の子餅を使用します。

コメント(4)

【秋祭り】

★各地で 秋祭りが行われていますね。秋というのは、「飽き食い」つまり、お腹いっぱい食べる からきているともいわれます。^^
 ですから 秋祭りは秋の収穫のものを神に捧げて 感謝の祭りを行うとともに、その神に捧げた食べ物を直会(なおらい)で頂戴することでした、それによって神と人とが交流し、和合一体の心になる状態を意味するのです。

古来より 秋祭りこそが「祭りの中の祭り」と言われるゆえんでもありますよね。実りの秋!命につながる 食料の収穫のの喜びを謳歌することにもなるのです。
 全国的に 「秋祭り」 が年間の大祭になっている 神社が多いです。やはり我が国は農耕が生活の主流を しめていたので、自然の恵みを頂ける「黄金色の稲穂が、垂れ下がった稔りの秋を」、神さまに感謝したのです。

★今では 五穀豊饒を祝い、天に感謝するという本来の秋祭りの意味を知らずに参加する若者も多いでしょう。が、一年に一度町内の老いも若きも一同に集うのはいい事ですよね。皆で一致団結協力してお祭りを無事終えることにも、今では地域社会における意義があります。
★★わたくし 一昨日から この3連休に名古屋と関西には 用事があり行ったのですが、二つのお祭りに偶然に遭遇しました。! はじご(^^)してきました。(^^)!!

★★まず わたくしが 京都に帰るときに遭遇したのは「大津祭り」でした。
 大津市といえば 京都の隣の滋賀県です。京都市の隣の街で、知っているひとが少ないといわれる県庁の所在地の一つです。その大津市で、大津祭りがありました。
 日吉大社の山王祭、建部大社の祭礼とともに大津三大祭のひとつに数えられ、山王祭、長浜曳山とともに湖国三大祭のひとつともなっているお祭りです。
 旅の恥は〜の コミュのほうのココのコメント蘭にのせました。↓
 大津祭りのこと→http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23711588&comm_id=292062

★★そして わたくしは名古屋のほうで もう一つのお祭りに遭遇しました。「はんだ山車まつり」でした。
 愛知県の名古屋の近くの 知多半島の付け根にある半田市では、5年に1度、半田市内の31台の山車が勢ぞろいする「はんだ山車まつり」が6、7の両日に開催されていました、

★これも、豪華絢爛(けんらん)な 山車(だし)が市内を練り歩き、メーン会場の「さくら会場」に集結する姿は圧巻なのです。
 噂には聞いていましたが 今年はちょうど5年に一度の 大祭りがあったのでした。各山車組が 彫刻や幕を競い合い、お囃子(はやし)やからくり人形を披露するのです。
 はんだ山車祭りのこと→出車祭りの写真ここ コミュのコメント蘭にに のせました↓
 →http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23711588&comm_id=292062
★【亥の子】について【亥の子祭り】

★★西日本では、10月に「亥の日」を祝います。

★春の亥の日に降りてきた田の神が、秋の亥の日に山に帰られるといい伝え「亥の子の晩に、祝わぬ者は、鬼産め、蛇産め、角のはえた子産め」などはやすのです。

 ぼた餅などを作って祝うが、亥の子搗きの行事があり、大根畑に入ってはいけない。大根は割れながら太るので、亥の子の日に大根の割れる音を聞いた者は死ぬ、などと戒めること東日本の十日夜(とうかんや)と共通していますね。
 平安時代から玄猪(げんちょ)といって公家や武家でも祝われたのです。日本を知る事典より一部。


【亥の子餅】亥の子のお祭り
1)猪が毎年十二匹の子を産み、閏年には、十三匹の子を産むと言う伝説があります。

2)寒中に、猪の肉を食べると保温の効果が得られ精力がつくとされているのです。

3)宗教上動物の肉は、忌むものなので猪の肉を餅に見立てて食べたとされています。

 

・朝廷では、玄猪(げんちょう)の儀式が行なわれて、上の亥の刻の日、中の亥の刻の日下の亥の刻の日それぞれ玄猪の餅を賜わった。

・江戸時代には、元和(1615〜1624)の頃から十月上亥日に玄猪のご祝儀は始まりました。

・農村では、亥の子の神を田の神と信じ、収穫祭として亥の子を祝ったのです。

・その他、茶道ではこの日を選んで炉を開くしきたりがあり、亥の子餅が多用されているのです。

【「十月亥日、作餅食之、其人無病也。】『難五行書』  

★古くから(起源は平安時代に遡る)広島地方で行われている「亥の子祭り」は冬の風物詩として親しまれています。毎年亥の月、亥の日に子沢山を象徴する猪をかたどったお餅を朝廷に献上していた慣わしが何時しか庶民の間に広がったとされています。家内安全、子孫繁栄を願い町内の家々を亥の子石をつきながら家内繁盛を願うお祭りです。
【亥の子、亥の子、亥の子餅ついて繁盛せい、繁盛せい〜♪】

★亥の子餅は、

・中国では、「大豆、小豆、大角豆、胡麻、栗、柿、糖」の七種を用いました。

・平安、寛平(889〜898)の頃は、中国にならっています。

・室町時代白、赤(食紅)、黄(黄な粉)、栗、胡麻、の五色(陰陽五行説の思想)を作るといいます。

★現在は、11月の茶菓子として、ほとんど注文によるあつらえ菓子で菓子匠によっていろいろあるようですが、もともとは、大豆、小豆、ささげ、胡麻、栗、柿、糖の七種の粉で作られたといわれます。中国から伝わったという風習は、農村の収穫を祝う祭に起源されるともいわれます。
 
 日本では平安時代にさかのぼり、「玄猪(げんちょ)の式」という宮中の儀式として気品高いお菓子となりました。
 
 武家においても鎌倉時代より儀式化されていたそうですが、一般には室町末期あたりから儀式が済んだ後にふるまわれました。白色と、小豆の赤、胡麻の黒に色付けされた形式もこの頃に見られたようです。また、最初の亥の日には菊、中の亥の日には楓、三度目には銀杏が添えられました。江戸時代には、「亥の子餅遊び」といって「亥の子といえば餅をつく〜」と戸外で唄いながら遊ぶほど、たいそう子どもたちにも親しまれていたようです。
 
★ちなみに今年の陰暦10月の最初の亥の日は、亥の刻は夜9時から11時まで。本物の亥の子餅とまではいかなくても、白・赤・黒の三種の丸餅に菊の花を添えてお祝いしてみては?

★★『年中行事秘抄』に引用されている「或記」によると、それは“猪子形”に作るとされていますので、おそらく長楕円形、もしくは水滴形をしていたと考えられます。
 中には7種類の粉が混ぜられていたようです。
 『二中暦』には、それが大豆、小豆、大角豆、胡麻、栗、柿、糖であったと記されていますが、分量については何一つ物語るものはありません。
【亥の子】 猪の絵

★亥の子祭り・・・
 上にも書いたように 古くからは、旧暦で行います、実際には11月になります。
 
 10月上旬の「亥の日」亥の刻(午後9時〜11時)に餅を食べる習わしがありました。
 歴史的には、古代中国で旧暦10月亥の日亥の刻に、穀類を混ぜ込んだ餅を食べる風習からきたといわれています。
 
★これは多産で頑健な亥の子にあやかり、亥の子を模った餅を食し、子孫繁栄と無病息災を祈る行事として伝えられていたものでした・・・。
 わたくしが 茶道をしていた時には、茶道で今でも亥の日に"炉開き"の茶席菓子として この「亥の子餅」を用いるのはこの風習に由来していると 師匠から聞いていました。
 
★★農村における亥の子は餅をついて食するだけでなく、稲の刈り上げ祭の性格をあわせ持っています。この頃は稲の収穫期にあたり、亥の子の行事と収穫祭が習合したためなのでしょうね。

【最近の亥の子祭り】

★西日本各地で行われている(行われていた)「亥の子祭り」は、
 
 9月から11月にかけての土・日曜日や祭日に行っているようです。
 本来は、亥の月、亥の日に行われていたようですが、社会環境や生活環境の変化とともに このお祭りの形態も変化してきているのです。

★わたくしの 茶道の師匠のお話では 山の子供の猪(いのし)瓜坊の縦縞模様もこの頃には消えて、大人になって毛色が変わるようです。

 そしてまた、亥の日のころから猪たちの 恋の季節が始まるのです。〜♪

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