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前田日明 (まえだあきら)コミュの第2次(新生)UWF

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               霧  新生UWF旗揚  霧



クローバー第2次
1988年5月12日に後楽園ホールにて「STARTING OVER」と銘打ち旗揚げ戦を行なった。
クローバー当時、創刊されたばかりの格闘技通信は「プロレスという言葉が嫌いな人この指とまれ」と、前田を表紙に抜擢した。しかしながら、第2次UWFも格闘技ではなく格闘技風のプロレスであった。

クローバーその後、前田と神新二社長との間で団体の方向性、金銭的な面で深刻な確執が発生。1990年10月、前田は船木誠勝戦直後に、フロントを非難。これを受けたフロントは前田を出場停止処分とする。この一連の前田とフロントとの確執は前田と所属選手間にも波及。翌1991年初頭に、前田は自宅マンションでの選手集会で第2次UWFの解散を宣言した。


クローバーリングス設立。
(オフィシャル・サイト)http://www.rings.co.jp/rings/index.php
第2次UWF解散後の1991年春、リングスを設立。同年5月11日に横浜アリーナで旗揚げ戦を行なった。
リングスの興行はWOWOWで生放送された、更には、UWF時代の人脈からオランダのクリス・ドールマンの全面協力を得る事になった。また、正道会館からは、石井和義館長が佐竹雅昭ら空手家をリングスに派遣した。
石井館長はリングス参戦によって大型興行のノウハウを蓄積し、それが後のK-1の飛躍へとつながった。

クローバー前十字靱帯の断裂
旗揚げ第2戦前の練習で、前田は前十字靱帯断裂の重傷を負った。その後しばらくはニーブレスをつけて強行出場を続けるが、最終的には手術を行ない長期欠場となった。エース不在の興行的な穴はディック・フライ、ヴォルク・ハン、高阪剛、田村潔司、山本宜久らが埋めることになる。この頃、リングスは旗揚げ当初より続いた外国人頼りのカードから脱却する。

クローバー幻のヒクソン戦
1993年から始まったUFCでのグレイシー一族の出現により、VT(バーリトゥード)方式が盛んになる。当初はそれを拒絶した前田だったが、リングスでもVTルールの試合を実験的に導入した。

クローバー1998年に開催されたPRIDE.1では、高田延彦が柔術家ヒクソン・グレイシーに完敗。これを機に、前田はヒクソンとの対戦を宣言するが、ヒクソン戦が実現することは無かった。

クローバーリングス活動停止
1999年2月21日、前田の引退試合としてアレクサンダー・カレリンと対戦し、判定(ポイント)負け。しかしながら、ロシアの英雄であるカレリンをレスリング以外の場に唯一立たせた意味は大きい。

クローバー前田引退による興行人気の低下によって、2002年にリングスは活動停止。しかし、リトアニアでは大会は継続され、日本国内でもリングス出身スタッフが運営し、リングスKOKルールを採用した格闘技イベントZSTが開催されている。


クローバービッグマウス(ビッグマウスラウド)
2005年、元新日本プロレスの上井文彦に請われ、上井が旗揚げした新プロレスイベントビッグマウスにスーパーバイザーとして参画。同時に、船木誠勝と和解。

クローバー2006年2月26日、新生ビッグマウスラウド旗揚げ記念大会・徳島興行で、前田は船木と共にビッグマウスラウドを脱退。前田が提案したプロレススタイル「スーパーUWF」が上井に却下されたこと、資金難で道場の用意ができなかったことが脱退理由として挙げられる。


クローバーHERO'S
ビッグマウスとK-1との提携で、「HERO'S」(総合格闘技イベント)発足時より「スーパーバイザー」として参画。しばしば、記者会見等の公の場に姿を現している。
                           (Wikipedia)より。

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