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小説家版 アートマンコミュの仏壇ニューヨークへ行く?

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船便で先に送った荷物は到着の次の日、19日(金)に届く段取りにしてあった。何時頃に荷物が届くかを確認する為に船会社に電話をすると驚きの返事が帰って来た。「まだ税関を通過していない」そして「いつ出るのかは分らない」。僕が船便で送ったのはお盆のさなか、ニューヨークの港につくのが9月9日の予定だった。税関に手間取ると1週間くらいかかると言われていたので、10日間の日程の余裕は丁度良いなぁって思っていた。明日にオープニングを控えた今日現在、関税を通過する見込みがないと言われ頭の中は真っ白。相手が関税なだけに強引になにかができるはずもない。運を天に任すしか僕のできる事はなかった。
 通関が抜けられない理由は販売用のTシャツが数十枚入っていたからだ。中国製の綿製品にアメリカ通関が神経質になっている。詳しい理由は分らないが通すにはビザの発行が必要だと言われた。急遽用意できる筈もなかった。Tシャツの展示をあきらめさえすれば何とかなるかもしれないと言われた。僕に選択の余地があるわけもない。一生懸命、僕のデザインTシャツを製作してくれた久米繊維さんに申し訳なかったが、ニューヨークでのTシャツ展示は諦める事にした。
 1時間程遅れてメンバーが個展会場にやってきた。荷物が届かない事を皆に告げると一応にがっくりしていた。その中でも泣きそうな顔をしていたのは僕の妻だった。「こんなに頑張っているのに、何故?」そう呟いた言葉は僕の気持ちを代弁してくれていた。

こんな時にリーダーとは損な役回りだ。一番がっかりしているが、皆を励まさなければいけない。必ず荷物は届くから安心しなよと気持ちとは裏腹な言葉を言い続けた。常に綱渡りのような状態だが、いつも何とかなってきた。今回だって同じなはず。僕は自分の運を信じる事にした。皆を励ましているつもりが自分の励ましになっていた。口に出している間に自分まで洗脳されたようで次の日には届くような気がしてきてしまった。気がつけばいつものように陽気はしゃぐ自分がいた。仲間って素晴らしいです。きっと1人きりで個展をやっていたら気持ちが塞ぎこんでしまったと思います。仲間がいた事で力をもらえたような気がしました。特に何もわからず微笑んでいる響ちゃんの存在が大きかった。

ニューヨークでの初めての食事は個展会場の近くのレストランバーにした。全員で入れる場所があれば食事の内容は何でも良かった。僕の最初の食事はコロナビールとこの店自慢のグリルされたハンバーグを挟んだチーズバーガー。ハンバーガーのサイズは驚くような大きさではなかったが、味は絶品。一口食べて本当に驚いた。こんな美味しいハンバーガーを食べたのは久しぶりだった。体と心の疲れが吹っ飛んだようだった。しかし、それは僕1人だけ。他のメンバーは今にも寝てしまいそうな顔をしていた。先に帰るというメンバーを尻目に僕はコロナをもう一本注文していた。ニューヨークの夜に少し酔いたい気持ちだった。レストランに嫁と二人になると自分達の周りの客の話し声が聞こえてきた。全て英語。今更ながら、ニューヨークにやってきたんだって実感が湧いてきた。

その晩は寝付けなかった。時差ぼけもあったが、通関にひっかかってしまっている荷物の事が不安だった。目を閉じるとどうしても最悪の事を考えてしまう。最後まで荷物が取り出せないなんて事もありえる話。幸いだったのは、手荷物でもってきた新作がある事。全てを船便で送っていたらと思うとぞっとした。明日の搬入日。そして午後6時からオープニング・パーティも企画していた。そこに人が集まるかも不安だった。深い眠りについたのは朝があけそうな頃。そして、目が覚めたら既に12時を過ぎていた。いきなり搬入をする日に遅刻をしてしまった。

個展会場には午後2時に到着した。12時に伺うと五十川さんに告げてあったのでバツが悪かった。残念ながら荷物はまだ会場に届いていなかった。おかげであまりやる事がなかった。一応心配だったので昨日のうちに平成宮殿厨子の梱包ははずしておいた。全くの無傷だった。僕の梱包は完璧だった。平成宮殿厨子を個展会場の中央に組み上げた。やはり美しかった。この作品を手荷物としてもって来て本当によかった。全てを船便で送っていたら何も飾るものがなかった。手持ちでもって来たアクセサリー類と僕の友人のイラストレーターjbstyleの描いた仏像画の掛け軸4本を展示してしまうと搬入作業は終了してしまった。

空間だらけの展示スペースを補う強力な助っ人が日本から駆け付けてくれた。それがジュエリーパフォーマーのスカラさん。僕達のオープニング・パーティーでダンスパフォーマンスを披露してくれる為にわざわざ渡来してくれたのだ。その上アートマンの代表作品でもある人形「クロート」とスカラさんのジュエリーとのコラボ作品を5体手持ちで来てくれた。スカラさんのおかげで展示品のバリエーションも増え、オープニングも何とか格好がつきそうな感じとなった。夕方には僕の嫁と平林さんの奥さんがオープニングで出す飲み物などの準備をしてくれた。後はどれだけの人が来てくれるか。知り合いのいないニューヨーク、20人くらい来てくれれば御の字だと思っていた。

オープニングが始まる2時間程前、ギャラリーの電話が鳴った。海運会社からだった。何とか通関が通ったので、担当の方の所用車につめられる物だけ今から持って来てくれる事。パーティをやっている間に別の作品が届く見込みとなった。滑り込みセーフだ。ほっと一安心している間にパーティ開始の時間となっていた。集まった方を集めて僕が挨拶するわけでもなく、気付いた時には始まっていた。慣れない英語で僕は必死に作品の説明をしつづけた。10人程度だった来場者がみるみる間に増えて行った。延べ人数では5、60人は来てくれたと思います。用意してあった来場者プレゼント60個が殆どオープニングで無くなってしまいました。
 今回は人が人を紹介してくれて不思議なネットワークが出来て行きました。実はニューヨークで日本人向けの情報誌2社が告知をしてくれました。1社はさらに僕らアートマン・ジャパンの特集までくんでくれました。また日本在住の知人がニューヨーク在住の方を紹介してくれ、在住の方が友人を連れて遊びに来てくれた。日本でもこんな人数は集まらないだろうって数の人がかけつけてくれた事に感謝と驚きです。メールでやりとりしていた方々と直に会ってお話できた事が本当にうれしかった。ニューヨーク在住の日本人に仏壇の素晴らしさを知ってもらうのもとても意味のある事かもしれない。きっとここで知り合った人達は日本に帰った時に仏壇に手を合わせたり、祖先の墓に行ったりすると思う。逆にニューヨークにいるからこそ仏壇の大切さが理解できるのかもしれない。日本には仏壇は当たり前すぎる。
 そんな多くの来場者を喜ばせたのはスカラさんのダンスだった。スカラさんはさらなる助っ人を用意していた。絵師の紅竹さんだ。スカラさんのダンスに墨絵パフォーマンスを組み込んだコラボパフォーマンスを行ってくれた。僕らの作品が作り出す燐とした静けさにスカラさんの華麗な動きが見事にマッチ。最後は個展会場の外へ出て路上パフォーマンスとなりました。スカラさんはその存在自体が作品だった。僕はプロデューサーのように感嘆の声をあげる来場者に笑みを浮かべていた。踊り終えたスカラさんも笑顔だった。パフォーマンスはオープニングの終了間際にもう一度行われた。2度目が大盛況で終わった頃、ギャラリーの前に1台の車が停車した。作品がなんとか届いたのだ。4つ送った内の2箱がギャラリーに届いた。戦国武将の兜をイメージした仏壇「武壇」が2体到着した。船便で長々と運ばれて来たせいで外の箱は汚れていた。ギャラリーの外で梱包をはずして中身を確認すると全く傷のない武壇がそこにあった。とりあえず明日の個展初日には間に合った。残りの荷物は月曜日に届くそうだ。日にちが分っていれば、来場者にも説明がつく。ほっと安堵の溜め息をついた。でもこんな綱渡りは僕ららしいとも思った。オープニングで飲んだビールのせいだろうか、笑みが止まらなかった。

いよいよ初日。昨日届いた武壇を展示するとそれなりな展示となった。作品の説明も英語版を作って来た。もって来られなかった作品をフォトアルバムにしてまとめた。言葉で説明しにくい仏壇の製作風景は映像で流せるようにDVDにしてもらった。一部の作品が届かないハプニングはあったが、それを補う事のできる展示ができたと思う。後は人が沢山来てくれるのを祈るのみ。
 平行にはしるブロードウエーと違い、クロスビー・ストリートは人の往来は少ない。ニューヨークなのに時間がゆっくりと流れていくようだ。個展会場の前を通る人もどこかゆっくりしているように見えた。
ストリートに面したショーウインドウには武檀とクロート人形を5体置いた。注目度は抜群だった。多くの人が足を止めて食い入るようにショーウインドウを見つめていた。子供が玩具屋のショーウインドウを見ているように。そのうちの何名かは個展会場まで入ってきてくれた。僕はおぼつかない英語で必死に説明をした。昨晩のオープニングではギャラリーオーナーの五十川さんが英語をヘルプしてくれていたので助かったが、今日は隣に併設しているショップの経営があるので常時はいてくれない。久しぶりに話す英語なので自信がない。自信がないから声が小さくなる。声が小さいから伝わらない。最初はそんな悪循環が続きました。しかし、作品制作の影像を見せると皆が一応に驚いてくれた。そんな事を繰り返している間に少しずつ英語の自信も取り戻してきた。単語しかでてこなかったのが、文章で話せるようになってきていた。まるである人物と会話をする練習をさせてくれていたかのように。その人物は夕方ふらっとやってきた。最初に気がついたのは僕の嫁だった。ショーウインドウを眺めている一組のカップルがいた。そして彼らは個展会場にふらっと入ってきた。嫁が僕の耳元でささやいた。「オースティンパワーズの人だ」 よく見てみると男性の方はマイク・マイヤーズだった。ショップを少し見ると個展会場の方へやってきた。とりあえず、フライヤーを渡しながら「僕らの作品です」みたいな事を言ったと思う。かなり緊張していたのであまり話しの内容は覚えていないが、彼が口にした一言だけは覚えている「ワナ・インクレダブル・ビューティフル」、信じられない美しさだって。次の予定があったようで10分程度しかいなかったが、本物のハリウッドスターと話ができた。さすがニューヨーク、さすがSOHO。いきなり奇跡をおこしてくれた。そんな興奮の中、初日は無事に終了した。

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