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小説家版 アートマンコミュの仏壇ニューヨークへ行く?

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仏壇ニューヨークへ行く


仏壇職人のクリエーター集団「アートマン・ジャパン」のニューヨーク個展。決定の仕方もまさに僕達らしくドタバタでした。


2007年の春、名古屋市にアートギャラリーを構えていた方からニューヨークでのグループ展の誘いをもらいました。「企画展だから何もしないで良いよ」なんて甘い言葉に僕は二つ返事で答えました。「ぜひやらせて下さい」と。この返事が良くも悪くもニューヨークへの第一歩となりました。

アートマンにとってニューヨークは2003年の結成当時の目標の地。とある公募展の企画の副賞がニューヨークでのグループ展、僕達はその企画でグランプリをとってニューヨークへ行こうが合い言葉となり、アートマンは出来上がりました。しかし、結成翌年、その公募展が中止となり、僕らは目標も見出せないまま、五里霧中で発表できる所で発表してきました。僕らは立ち止まりたくはなかったのです。

僕らのおかれている仕事環境は年々悪化しています。理由は3つ。安価な海外製の仏壇が市場に出回っている事。そして仏壇の大切さを人々が理解できなくなっている事。最後は仏壇職人という存在が世間に知られていない事。
伝統仏壇の製造はピーク時の10%近くに落ち込み、このままでは伝統仏壇の存在自体が消滅しかねない。僕達若手仏壇職人の選択は2つ。転職するか、天職にするか。アートマンのメンバーはこの仕事を天職とする道を選びました。通常の仕事をしていく事がどんどん辛くなるという事を腹にすえて。

僕らが選んだ道はアートの世界。以前は仏壇の新商品開発をして発表をしてきましたが、もともと伝統仏壇は宗教との関係が深く、型自体に意味があったりします。型を変えるという事は伝統を批判する事になってしまいます。それでは意味がない。僕達は皆、三河仏壇自体が好きなのですから。伝統的工芸品である三河仏壇の美しさ、カッコよさを引き出す事に成功できれば、安価な海外製品に打ち勝てるはずだ。若手職人を集めて5年間、必死にやってきたが僕達が作り出す仏壇の技術をつかったアート作品の殆どが売れずに、5年前よりも僕の店の経営は悪化していきました。

売れないが決して評価が低い訳ではない。最近では月に1回はどこかのメディアに取り上げられていた。僕らの活動はニュース性があるらしい。取材をされていて良く耳にした言葉がある。「外国だったら売れるんじゃない?」 無責任な発言をされていたのかもしれない。でも、僕は外国でしか売れないような気がしていました。そんな時でした。名古屋のギャラリーさんにグループ展のお誘いをうけたのは。その頃の僕らにとってNYはとてつもなく遠い場所、アートマン単独で個展をやるなんて夢のまた夢でした。なので渡りに舟と思い、何も深く考える事もなくニューヨーク行きを決定したのでした。

当初の予定では2007年の9月にグループ展が開催される予定でした。この時は参加するメンバーの準備不足、また予定の一ヶ月後の10月にはアートマン初の単独個展が名古屋で開催する事もあり日時は順延となり、208年3月に変更しました。順延となった事でプレッシャーもなくなり、僕らは個展に集中する事ができました。そのおかげで予想していたよりも多くの人が来場してくれて、アートマンのステージを1つあげる事に成功しました。ニューヨークに集中できると思った矢先、大変な事が起こりました。

突然、グループ展を一緒に行う作家さんから電話があり、「ギャラリーさんと連絡がとれない」と伝えられました。それは会期が約2ヶ月後に迫った2008年の新年の事です。そんな状態が2週間ほど過ぎた頃、やっとギャラリーと連絡がついた。どうやら、ニューヨークの個展会場と「契約書」を製作していなくて飛ばされてしまったようだった。年賀状にデカデカと「3月に仏壇ニューヨークへ行く」と書いてしまった後だったし、また丁度、偶然2つのテレビ局からの取材が重なっていて放映で宣伝してしまっていました。普通ならば2度目の延期にブチ切れてしまう所ですが、怒りに身を任せられない事情がありました。

延期になって喜んでいた人物が登場します。番組製作会社の山ノ内さんというディレクターです。ニューヨークまでドキュメンタリー番組をやらせて欲しいと依頼されていました。できれば製作過程も追いたいという希望でしたが、1、2ヶ月で立派な作品は作れるはずもなく、断念していました。ところが9月に再延期となった事で何かが見えて来たようでニッコリと微笑んでいました。天使のような悪魔のような笑みに僕らの運命は巻き込まれて行く事になりました。

開催が9月に延期となった事とドキュメンタリーが密着取材するという事で、久しぶりに新作を製作しようという欲求が湧いて来ました。それも1年ぶりの大きな作品を。経費の事と販売の事を全く考えない無謀な挑戦がそんな経緯でスタートしました。

まずはコンセプト策定から。イメージは前回の作品武壇の新たなシリーズ。それも中央におけるような少し大きなサイズの物。そこでテーマを「城」としてイメージ画を作成。デザインのベースとしたのは、日本最古の仏壇と言われている法隆寺所蔵の国宝「玉虫の厨子」です。飛鳥時代を代表する仏教美術の最高峰の工芸品です。

1400年前に作り上げられた美と向き合うとデザインとは何ぞやと問いかけられているような気がします。長い歴史の中で残って来た美はまるで美しい風景のようです。デザインする側がしっかりとしたコンセプトを持っていなければ本当に面白みのない駄作となってしまいそうでした。本で見ていてはダメだと思い。僕はメンバーを引き連れて奈良まで行く事にしました。

5月だというのに斑鳩の地は夏のような暑さでした。ドライブにはもってこいの日和でした。目的の玉虫の厨子は宝物館にひっそりと展示されていました。僕が玉虫の厨子と出会うのは3度目。何度見ても圧倒されるオーラをもっていました。本当に素晴らしい物は肌で感じる事ができます。理屈をならべて語る必要がない。荘厳というのか、華麗というのか、ぴったりな言葉は今でも見つかりません。日本最古の仏壇と呼ばれているのならば、僕らが仕事として製作している物は玉虫の厨子の子孫達です。仏壇とは美しくなければいけない。最高級の工芸品、それこそが仏壇のあるべき姿です。誰もが平伏す美しさを表現したい。斑鳩で「平成スタイルの祈りの型」を作り出すプロジェクトがスタートを始めました。たった四人の若手仏壇職人のみで。

デザインのコンセプトが「平成スタイルの祈りの型」に変更になった事もあり、デザイン自体も変更しました。まず玉虫の厨子を全体イメージとして、日光東照宮の陽明門のデザインも取り込みました。日光東照宮もまた江戸時代の最高の祈りの型。飛鳥と江戸のデザイン、そして平成の僕らの技術をミックスさせて最高の祈りの型へ、やっとデザインがまとまったのはニューヨーク個展まで4ヶ月をきった6月の初旬でした。既に製作予定から大幅に遅れてしまっていました。しかし、デザイン自体は満足の出来。そして名前は「平成宮殿厨子」と決定。歴史に残る作品が出来上がるような予感さえもしました。

僕達は何故か焦って仕事をしません。その仕事を完成させるタイムリミットぎりぎりに何故か出来上がってしまいます。8月上旬に海外発送しようと余裕をもって計画をしたのですが、木地が完成したのが7月下旬。塗りに1ヶ月以上かかるので計画を僕達がNYに向う飛行機に手荷物として持っていく事にしました。後で思うと、この決定でNY前夜にバタバタして、NY個展のオープニングにおいて安堵する事になりました。

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